かたつむり・つれづれ

アズワンコミュニテイ暮らし みやちまさゆき

妻の安息日

2012-06-26 21:10:59 | アズワンコミュニテイ暮らし
 思いがけないことだった。
 彦根駅前にあるレンタルサイクル”めぐりんこ”で自転車を借りて、
家族5人と狩山くんと、「いざ出発!」と信号機のある横断歩道を
渡っていた。
 ぼくら男たちが渡り終えたとき、振り返ると、妻小浪が舗道の
脇に座っている。娘桃子と孫の風友(ふゆ)がそばに立っている。
 小浪はなにか痛そうにしている。

 ぼくら男たちは、また横断歩道を渡って妻のところに行く。
 向こうから来る人を避けようとして、転倒したという。
 左の膝のあたりを打撲したらしい。
 足を曲げようとすると、激痛が走るという。
 とてもじゃないが、自転車には乗れない。
 結局、その日はジジババは別行動で、車で彦根観光をした。

 妻は自転車には慣れているはずだった。
 それでも、いろいろな要素の積み重ねで起こるべくして起きたの
だろう。

 翌日、鈴鹿回生病院整形外科で診察してもらう。
 レントゲン撮影。骨には異常はない。
 左足を医師がちょっと曲げかけると、「痛い!」と悲鳴が出るほど。
「これでは、診察できませんね。痛みがもう少しおさまるまで、
様子みましょう。足を固定する道具を付けて、松葉杖もしましょうかね。
安静がいちばんです」と医師。

 妻が安静する。
 妻に頼り切っているじぶんが、ぐーっと浮彫りになってくる感じ。
 家に帰って、台所、お風呂場、洗濯機、そのほかもろもろが目に
映る。ぼくは家事をほとんどしていないなあ。
 毎日の食事も、洗濯ものも、お茶もそのほか、妻の手になるものが
家の内外に、いかにあるか。

 おもいかけず、妻の安息日ができたともいえる。
 月曜日の昼は、家にあるものでチャーハンをつくる。
 夜は、用事があって、作れないので、おふくろさん弁当をコミュニテイー
通貨でもらってくる。
 食卓にすぐ食べられるよう用意して出かける。

 靴下がはけないないので、はかしてやる。
 ズボンは今ではじぶんではけるようになった。

 火曜日、今日は昼、土鍋でごはんを炊いた。
 からあげが冷凍庫にあったので、酢豚ならぬ酢鶏をつくった。
 二品とも、なんとかさまになった。
 土鍋ごはんは、おこげが出来て、「これはいける」
 炊飯器を使わないでもいいのでは。

 夜は、カレーをつくる。
 家にある野菜、鶏の皮などいろいろ入れて作った。
 ナスやシシトウも炒めて入れた。
 出来上がり直前、妻がよろよろやってきて、名前のしらない香辛料を
入れた。塩・コショウを入れろ。「そうそう、インスタントコーヒーの
あまりものがある」と、それを入れた。醤油もいれて、わけわからなくなる。
 味見をしても、いいのか、よくないのか、?。
 「ええー、これで行こう」
 ご飯は、土鍋で炊く。
 夜の二品、まあまあ。というより、「カレー、けっこういけたんじゃない?」

 妻の足は、どうも回復のほうに向いているか。
 明日、再診に行って、どうなっているか。
 いまは、松葉杖なしに歩ける。そろり、そろりだけど。

 いまごろの洗濯機というもの、つかったことがない。
 もう、洗濯ものは、洗わないと、いっぱいになりつつある。
 
 家事というのは、つぎからつぎに、切れ目なくやることがある
という感じになる。
 今朝、ふと、ぼくの世界は「やらなくっちゃ」という元から
できているんじゃないか、というのが浮かんできた。
 「やることがある」
 「やらなくちゃ」
 「やることがある」というけど、どこにある?
 「やらなくっちゃ」というけど、もともと「やらなくてもよい」
という世界にいきているのではないか?

 耄碌したら、妻に介護されるとどこかで決めていた。
 そんなことわからないと、つくづく感じている。

 

 

 




 

 


 

 

岩魚喰らい 好きを選ぶや 初句会

2012-06-23 22:20:32 | わが健康生きがいづくり三重の会記録
 「句会初めての人?」と聞く伊藤敏正さん。

 ほとんどの人が「ハーイ」と手を挙げた。そんなこと、自慢になりますか?

 

 健康生きがいづくり三重の会、通称”健生みえの会”、毎月第三土曜日の

アクションデー、6月23日は、生まれてはじめての句会。

 三重県の最北、員弁郡大安町の伊藤敏正さん宅に寄り合った。総勢15名。

俳句の投稿だけの参加、鈴木英二さん、栗屋章さん。

それに、三重県の最南端、南伊勢からは、上野徳也さんが3時間かけて馳せ参じ。



 早々、火おこし、伊藤正人さん。手慣れた手つきで風おくる。





 辻屋さんは、岩魚に竹串刺し。はじめはたんに口からおしり。

 ちょっと工夫で、背骨を螺旋にまきこみながら串を刺す。

さて、どうなりますか?










 お台所では、伊藤敏子さん、あちこちアンテナはりながら、鍋の前。

 大平夫妻がもってきたナスを、さっそく一品に仕上げてる。

 このナス、今朝のはたけからの賜りもの。






 伊藤家のはたけからは、ゴボウ・ジャガイモ・黒豆・梅干し。

 煮しめにサラダ各種、お汁に赤飯。








 準備の合間に玄関にふと目をやると、さりげなく清楚な白い蘭と

ふくよかな花の盛り上がり。







 各人、宿題の句を三句、短冊に書く。かなり真剣。





 そのあと、15人のそれぞれ3句、句だけ参加6句、合わせて48句、これを

一覧できる表に転写した。辻屋康子、伊藤八重子さん、なんと達筆。







 いよいよ食事。

 敏正さん、「こちらは男の人、こちらは女の人」と座席を指定。あれ、なんだろう?



 敏正さんの挨拶のあと、「きょうは、女の人に”ごはん!””お汁””お茶!”と

言ってもらって、男の人が”はい!”と動くでやるのは、どうでしょう?」

 「わあー」と言う声と、「ええー」と言う声が入り乱れた。





 飲み物は、伊藤八重子さんの梅ジュース。





 岩魚が焼けたよ!」

 各人、がぶりとかぶりつく。

 炭火の香り、白身の旨さ、初夏のあじわい?

 らせん状に刺した岩魚は骨を感じさせない。









 そうそう、きょうは句会です。

 午後1時15分すぎ、敏子さんが「はじめましょう!」とさわやかに。

 敏正さんが、48句の表をコピー、全員に配る。

各人、48句のなかから、5句選び、そのうち一句、これはというのを

”天”とする。

 しろうと選者の面々は、なんどもコピーに目を通す。

「なにを選ぶか、わからない」





 敏子さんの進行、小気味のいい。

 つぎつぎ、選んだ5句を発表す。

 聞いた各人、一覧表に点つける。



 こんどは、点が入っていても、いなくても、一覧表の順番で、

その句を選んだ理由を披露する。誰の作かは、わからない。

各人、敏子さんの合いの手にのって、テンポよく、一句一句の評をする。

一句一句の味わいが、それ聞くたび、深くなる。







 評が終わると、敏子さん「これは、誰の句ですか?」

 「はい、ぼくです・・・」

 「ええー、そうですか?」

 この人が、こんな句を!その人像の奥行に、あらたに加わる1ページ。





 初句会、優劣さだかにつけ難し。

 48句、それぞれその人の世界が漂っている。

 句をつくる、句を選ぶ、句を評する、各人それぞれじぶんの感想を

その人らしく。なんともさわやかな、お互いのコミュニケーション・・

 なにを書いてもいい、なにを言っても、言わなくてもいい、そのままの

じぶんがみとめられるような、くつろいだ会の空気。

 ちょっぴり知的な遊びこころが満たされて・・・。



 じゃあ、みんなで記念撮影を。

 そのとき、午後の3時をすこし過ぎていた。









 帰りみち、余韻をたのしむ。

 敏正さん、敏子さん、ありがとう!

                                        (宮地)



(追伸)

 句会の雰囲気、ちょっぴり披露。

 4点句以上の作品を紹介します。優劣はわかりませんが、句会の

様子、伝わるかな?

 

 草引てふと見上げれば夏至夕日          中井正信

 新生姜雨のあがりし朝の市              伊藤八重子

 羅(うすもの)や合わせ鏡の定まらず        伊藤敏子

 少年が置き去りにした雲を追う            鈴木英二

 孫生まれ目に入れてみる初ガツオ          伊藤敏正

 梅雨空に輝き増した蛙の子              伊藤正人



 そのほか、「その句に点を入れた理由とは」でいろいろでたことの

一端。

  ・「キュッと拭く」のキュッがいい。

  ・「あまおと」から「しょぱん」がでてくるのが面白い。

  ・「頭合わせ」って、どんなこと?

  ・「にわか漁師」で点いれた。(「それって、わたしです」と上野さん)

  ・「雨吠える」がいい。

  ・「しゃべくり手早く」、その場の情景が浮かんでくる。

  ・「なすの実光り」、それをとらえている人の世界を想像した。

  ・納得せぬまま、「筆を洗っている」、その人が伝わってくる。

など、など。

 評を語る人も、その人があらわれてくる。



 最後にみんなから受けた句。

  赤い花ちょっと照れてる妻の笑み        余川彬夫

 「余川さん!オレは理屈ぽいと、いつもいってるけど、こんな作品が

つくれるなんて・・・」

 

  

 

 

 



 

 





 

 

 

台風4号、紀伊半島接近中・・・

2012-06-19 15:23:51 | アズワンコミュニテイ暮らし
 
 風が緩いものがあると、はたはたと音を立てて、それらをゆすぶって
通り過ぎていく。
 ハウスのビニールは、これからやってくる暴風雨にどこまで耐えられるか。
 まちのはたけ公園にハウスを見に行く。、
 若者が二人、玉ねぎを吊るす準備をしていた。
 「だいじょうぶでしょう」と耕一くん。 

 きのうは、幸枝さんから電話をもらった。
 「生姜、どうだえ?」
 「芽が出たんですよ!でも、元気がいいのとか、ちょっと見えているのとか
バラつきがあって・・」
 じつは、幸枝さんに電話しようとおもっていたところだった。
 「それで、いいがな。いま、追肥をやってやったらいいんよ。
それいいたかったんよ」と幸枝さん。
 
 

 幸枝さんは、もう何年も生姜づくりをしているベテラン。
 はたけ公園で、ぼくは生姜の栽培にチャレンジ。
 ちょっとでも、コミュニテイー通貨のお店を繁盛させたい。
 植えつけどきに、こんなこと聞いて迷惑かなとおもいながら、細かいことを
幸枝さんに電話で何回か聞いた。
 「あんたなあ、まあ、やってみい。やったら、みえてくるよ」
 それから、一か月。
 いっこうに芽がでない。
 つい、幸枝さんに電話。
 「こっちでも、まだでていないよ。芽がでるのは、もっとかかるわよ。
安心しな」


 それが、何日か前、草引きにいったら芽が出ていた。
 つぎ、なにをしたらとおもっているところに電話だった。
 明日は、台風が来る。
 幸枝さんからのアドバイス、追肥をやりに出かけた。






 
 今年、この梅雨どき、まちのはたけ公園の周囲がなんか違う。
 紫陽花が薄紫や薄い水色に、しっとり、こんもりと色付いている


 
 その夜、中井さん宅で、”ベジタブルコミュニテイ”、通称”ベジコミ・
クラブ”のメンバーが久しぶりに、一同に会して食事会をした。




 はたけ公園の西側、入り口入って右側で各種野菜をつくっている
森原夫妻から公園周囲の紫陽花の手入れをしていると聞いた。
 そこに、気持のある人がいると、現れてくるものがあるのかな。

 ベジコミクラブの面々は、だいたい60歳から70歳にかけての年寄り。
 コミュニテイ通貨のお店を繁盛させたいね、と何人かが言う。
 
 大平夫妻は、ナスとキャベツ。
 最近、お店にも出始めた。
 キャベツは、農薬を使わず、奥さんが根気と集中力で虫取り。



 小西さんは、自然薯やシソなど。
 
 須賀亨さんは、人参・インゲン・落花生など。
  彼は、明朝イタリアの旅に出る。台風で、飛行機が飛べるかな?

 宮地夫妻は、ニラ・ネギ・ニンニク・生姜。
  ことしは、面積を小さくした。

 
 
 中井さんは、スイカ・ミカン・茗荷・蓮根・蕗など。

 それに、名古屋の大学院に通学しながら、ゴボウやズッキーニを
つくっている若者、福田博也くん。

 鈴鹿ファームの小林耕一くんは、小松菜・キューリ・ピーマン・人参・
 同じく鈴鹿ファームの稲垣さんは、お米・ジャガイモ・大根。
 鈴鹿ファームからは、規格外のものが、お店」に廻ってくる。
 
 案外、これでコミュニテイ通貨の会員には、なくてならない食材に
なっている。
 買い物に出かけるときは、先ずここをのぞいてからという人が
けっこう多いのでは。

 ベジコミクラブの食事会、こんどは大きなお家に引っ越したという
森原宅でやることに。
 森原さんは、話をどんどんすすめる。
 奥さんはおくさんの、いまの気持ちがありそう。
 お家に帰って、どうなるのでしょう?

 「野菜づくりだけでは、おもしろくない」
と昨年の1月、中井さんのところに寄ったとき、小林耕一くんが言っていた。
 「ベジコミ」の命名は、耕一くん。
 あれから、2年目。
 自らの内なるものから、コミュニテイーをあらわしていこうという
おじさんたちがここまできたのかなあ、とちょっぴり感慨。

 雨風が激しくなってきた。
 ヒュルルルー、ゴーッと、不安な気持ちとワクワクする気持ち。
 部屋のなかにいたら、大丈夫と言い聞かせるような、子どものときの、
あの感じ、よみがえる。

 とりとめがない、頭のなか。
 ちょっと一休み。

 



 
 
 

 

 


 

 

 
 


 

蚊と人のおつきあい

2012-06-15 07:41:16 | アズワンコミュニテイ暮らし
 インターネットが使いたいときに、つながるときが多くなった。
 つい何年か前まで、パソコンとかインターネットなどとは、縁が
なかった。
 それが、今では、つながらないと何か落ち着かない。

 ここ数日、夜中の蚊の羽音で目を覚ます。
 気にすまいとするが、気になる。それから、眠れなくなる。
 べープマットを妻がつけてくれるが、効果ない。
 たまりかねて起きて電気をつけて、蚊を探す。

 いつだったか、詩人まどみちおさんが、蚊についての詩を
書いていた。

     カ
  ブーン と額にきたときには
  ピタン! とたたき落としていた
  もうかんたんには見つけだせない
  ホコリの一つぶにして・・・
  そして ふと思った
  カは メスだけが
  血をすいにくるのだったな・・と
  どんな名前の女の子だったろう
  カの男の子たちの
  あこがれのマトだったのだろうか
  青くすんだ ひとみの
  きんいろにひかる 声の・・と
           (「ぼくがここに」童話屋より抜粋)

 蚊に血を吸われるのをなぜ嫌がる気持ちがでてくるのか?
 考えたことがある。
 羽音がうるさい。静かに、それと気づかないように吸って
くれたら・・・
 吸ったあと、痒い。痒くないように、吸ってくれたら・・
 もっと、やさしい気持ちで血のおすそ分けができるのになあ・・

 まどみちおさんは、なにかの話のなかで、「蚊と人のつきあいが
まだ短いので、お互いその辺がうまくいっていないのではないか」
みたいなこと言っていて、「そうかあ」とおもった記憶がある。

 まどさんは、蚊の羽音を「やまびこの、ちいさなまご」と譬えた。
 「あっ」とおもった。
 蚊に求めるだけでは、おつきあいは刻まれていかないのでは。


 蚊と人のつきあいはどのくらいにあるのだろう?
 千年、数千年の期間ではないだろう。

 目の前におきていることを、そういう単位というか、いきもの
としての流れから見る見方とでもいうのか、面白いとおもって、
印象に残った。

 目の前で起きていること、それを「そうなっている」動かない
ものとして、そこから始めるというのと、はじめはどうだったろう
とか、目の前に見えていること棚上げして検討していくのとは、
なにか根本的に異う感じがする。
 蚊と人の間柄も、未来永劫、いまのままでいくかどうか?
 蚊を絶滅させるという人間側の考えもありそうだけど、それは
目の前の問題解決を人間の一人相撲で解こうとしていることに
ならないか?

 人間同士でも、なにか変だなとおもいつつ、「こんなものかな」と
続けていることがあるんじゃないか。
 

 たとえば、貨幣制度。
 これが、いつどこからはじまったか、研究しているわけでないので
「これだ」とは言えないけど、誰かがあるとき「おもいついて」、
だれか「そうしよう」と言う人がいて、たまたまはじまった人間の
考えではないか。

 貨幣制度は、人間の起源からあったとは、なかなかおもえない。
 「たまたま人間がおもいついたもの」なら、人として何が
したいか、よーく検討、究明して、いちばん人として目的に
適った方法・制度を考案できるようにおもうのだけど・・

 目の前のことが、「そうなっている」「人の手ではどうすること
もできないほどの現実になっている」と知らず知らずに諦めている
こともあるかもしれない。

 人は一個の受精卵から人間になっていくらしい。
 その過程では、細胞から生き物、そして人間へと進んできた
人間誕生の過程をすべて通過すると聞いたことがある。
 呼吸も魚のえら呼吸から、肺呼吸に変わるとか。
 
 

 健康正常な人の姿というのを、最近、検討しているようにおもう。
 
 

 サイエンズスクールの「四日連続日常化レッスン」で、じぶんの
なかで起こるおもしろくない気分とか、「あったのに、なくなって
いる。だれが、もっていったのか」と一瞬でも起こるモヤモヤした
気持ちを観察した。今回は、仲間6人で検討した。

 

 観察すればするほど、目の前のことを「そうだ」として、そこから
じぶんの頭で起きたことを、これまた「そうだ」として、うっとしい
気持ちをことさらじぶんでうっとうしくさせている。
 他人の例では、そこが見えたら、笑えてくる。とっても滑稽。
 じぶんの例では、じぶんが見たり、聞いたり、おもったりという
ことを、他人の例を検討するように、冷静に観察・検討がすぐに
できない。

 観察がすすめば、もっと正常健康なあ人の姿がくっきり
見えるようになる予感。
 だんだんというよりは、そこに焦点があたって、観察できたら
そこから世界がかわるような・・・
 そういうことの日常化・・・

 さあ、今夜も女の子の蚊が「ばんごはんですよ」と現れてくるだろうか?


 


 



 


 

原爆よりも大きい仕事

2012-06-07 07:34:47 | わがうちなるつれづれの記
 引っ越しのあと、インターネットの接続が不安定だった。
 いまも、良好ではないが、なんとかつながった。
 あと、もう少しの辛抱?

 原子力とか、核分裂と言っても、ほんというと「どういうことなのか?」
知っているとは、到底言えない。

幼少期は、ビキニ環礁での水爆実験。アメリカがさく裂させたらしい。
 ”死の灰”というコトバを何度も聞いた。ストロンチウム、久保山さん、
第五福龍丸。
 マグロは食べてはいけない。雨には当たるな。
 子ども心に怖いなあとハラに滲みた。


青年期、広島や長崎に投下された原爆に関心もったことがある。
 当時、アメリカが保管していた原爆投下後のフィルムが公開された。
 廃墟の街。被爆して人の惨状。
 そのころ、広島には何度もでかけた。

40代のころ、武谷三男編「原子力発電」(岩波新書)を読んだ。
 読んだという記憶だけで、通りすぎていた。

 1986年のソ連のチェルノブイリ原発事故は遠い他国の出来事だった。
 じぶんの目の前のことに一生懸命だった。

 井伏鱒二の「黒い雨」を読んだのはいつだったか。
 被爆時の惨状のなかで、人と人がかえって平常時より親密なやりとりが
あらわれたり、日常になっていったときの、被爆者の暮らしの困難さが
しみじみと描かれていた。
 原爆が人間にもたらしたもの、なかなか癒えないもの。

 チェルノブイリ原発事故で被曝した幼児が成人する過程で様々な障害が
あらわれた。その人たちが結婚して、子どもを産む。こんどは、その子に
もいろいろな障害がでてきている。
 そのことは、50代のころ知った。
 娘は、1982年生まれ。
 チェルノブイリ原発事故のとき、4歳。
 ああ、まさにそのとき、ウクライナ・ベラルーシ周辺ではどんなことが
起きていたか。
 
 思い切って、2009年チェルノブイリ子ども基金の里親制度に手を挙げた。
毎月送金することにした。 
 郵便局に行くたびに「なんでこんなことしてるのだろう」と自問した。

 2011年3月11日、東北大震災。津波と福島第一原発の電源喪失、炉心溶融、
水素爆発、放射能の拡散。
 離れたところとはいえ、非常事態の感じがあり、おろおろしていた。
 「経過をじっくり見てみよう」「そんなことやっている場合か?」

 武谷三男編「原子力発電」を引っ張りだして読む。
 びっくりした。
 武谷さんたちが、恐れていたことが、そっくりそのまま、2011年のその時
起きたのだった。
 この本が出版されたのは、1976年。
 
 「それみたことか!」では、おさまらない。
 人間として、智慧ある人間として、恥ずかしいと痛切に身に滲みる。

 武谷さんたちは、原子力の平和利用といっても、原爆開発を推進してきた
アメリカや大資本の体制ままでは、平和利用につながらないこと。
 原子力発電の実用化は、まだ研究の途上にあること、核分裂を人間が完全に
制御できるとことまで、来ていないことなど、その根拠を示しながら、説いて
いた。


 50歳のころ、山岸巳代蔵がヤマギシズム理念徹底究明の座談の記録を
読む機会があった。
 いまでは、山岸巳代蔵全集として、刊行されている。
 その一節に、
 「この問題を解決したら、原爆よりも大きい仕事や思うけどね」
というのがあった。
 どこかで、原爆のことは、人類にとって大きなことだと思っていた。
 この発言がくっきり、こころに残った。

 「この問題の解決」
 それほど、大事なこと?
 書いてある「この問題」については、なんとなく頭では理解できる。
 目の前の、原爆問題といっても、いまではなんなと解決したい問題
山積。
 そのことよりも、大事な問題。

 以来、10年、このことはこころの片隅で燻り続けていた。


 2009年秋、鈴鹿のサイエンズスクールのセミナーに参加して、何が大事か、
心底、気づく機会があった。
 ぱっと、閃いて気づいたというのではない。
 何回じぶんのなかを見てみても、繰り返し見てみても、「それがそうだ」と
いえる根拠は、「じぶんがそう思った」という程度に過ぎない。

 そんな程度の人間というのか、これではまだ感情が入りすぎているかな、
人間が、つまりじぶんが「見た」「聞いた」「思った」と言ってているけど、
それはどんなことをしていることなのか?ここを観察したというか・・・

 哲学の本でも。心理学、神経心理学でも、このあたりのことは
すっきりと解明、表現されているように見える。
 読んだら、なるほどと納得する。
 でも、「納得したから」「分かったから」なんだというのだろうというのが
いつもつきまとっていた。


 セミナーでは、じぶんの実例でずっと観察した。
 それで、これはいままで当たり前としていたことは、人間のありようから
いったら、「思い違いだったかもしれない」と見えるようになってきた。
 それも、じぶんで「そうだ」とか「そうじゃない」とか言えないぞ。
 人のなかに入って行くためには、ここのところの自覚が、まっさきに
大事じゃないか。

 話し合い。
 じっくり話し合って。
 じぶんも、相手も周囲の一人ひとりも、「いい」とも「悪い」とも
まずしないで、話し合いのできる状態を、お互いに用意して、
それから目の前の大問題にとりかかること。

 そんなこと、夢物語だよ。
 それは、うれしい。
 こんな夢をもっている仲間がけっこういるんですよ。

 そのために、やりたいことがあるんです。
 毎日の暮らしのなかに、サイエンズを。

 
 原発については、核のゴミの処分が確定しない間は実用化については
保留にしたい。
 核分裂を人間の手で制御できるようにするための研究はしても、
実用化はストップ。
 これは、ぼくの意見。

 
 ひさしぶりにわけが分からなこと書いた。