かたつむり・つれづれ

アズワンコミュニテイ暮らし みやちまさゆき

かたつむりの詩

2012-01-31 08:18:00 | わがうちなるつれづれの記
 長田弘さん・選「202人の子どもたち」という詩集を読んだ。
 「かたつむり」という詩があった。

 かたつむりが歩いていると
 かえるが出てきて
 からの中へ ひっこんだ
 また出てきて 歩いていると
 ばったが出てきて ひっこんだ
 少し休んで歩いていると 夜
 からに入って ねむちゃった
        (群馬県高崎市・小3)

 ブログを書き始めたのは、たしか昨年の梅雨ごろ。
 雨で濡れた路地を横切って、かたつむりが”歩いて”
いた。
 じっと見ていたけど、つい角にそっと指を触れたら
スッとひっこんだ。
 一足飛びにはいかないだろうな、
 かたつむりみたいなあゆみになるのかなあ、
 雨で濡れた路面で、ここちよさそうに感じた。

 今朝起き抜けに、妻が「日がたつのが早いわ」といった。
 「死ぬことに向かってということか?」聞いた。
 「そんなこと考えてないけど・・」
 「・・・」
 「なんもできないうちに、どんどん日が過ぎていく・・」

 きのうの夕食のころ、孫の晴空(はるく・5歳)。
 食卓のお皿を箸でたたく。2枚重ねと1枚のものでは
音がちがう。お椀をたたくと変わった音がする。
そのうち、孫はドラマーになっていった。
 テレビで”たまごっち”
 一瞬のうちに、”たまごっち”の世界の人になっている。
 孫の顔をしばらく見ていた。
 時間は、どこにある。
 きのうから、あしたへと流れていくようなものとはちがう?
 

”まだまだ駆け出しですが・・”

2012-01-30 07:42:01 | アズワンコミュニテイ暮らし
「まだまだ駆け出しですが妻と二人で頑張ってやています」
 
 幼年時代から成長を見るともなく見ていた青年から、
ハムやソーセージのセットが贈られてきた。

 
 手紙が同封されていた。
「僕は、21歳で豊里を出発した後、飛騨高山に行き、フランスに
渡り、帰国後は上京して結婚もして、昨年の秋に念願のハムの
お店を東京郊外にオープンしました」
 二人の写真もついていて、気持ちがあたたかくなった。


 この青年の幼年期は、わが娘と同じ保育舎で暮らした時期が
ある。色が白く、つぶらな瞳がまっすぐに前を見つめていた。
なんでも吸収してしまうぞといったひた向きさも感じたかな。

 いつだった、飛騨でハムづくりをしていると聞いた。
 そのうち、フランスでハムの修行していると聞いた。
 いちど、日本に戻ったとき、フランスでの暮らしの
話を聞いた。周りの職人さんと愉快にやっているという
印象をうけた。
 最近、店を出したとご両親から聞いた。
 ご両親にどんな様子ですか?と尋ねたら、おもいもかけず、
本人からの便りだった。

 1月23日は、孫娘の誕生日。
 その日は、ちょっとシャレて、妻が食パンとフランスパンを
焼いた。スープは、ミネステローネ。それに、ハム、ソーセージ。
「上品な味だなあ」
 貧しいコトバで、おもいおもいにあじわう。
 まあ、雰囲気だけでもね。
 子どもたちは、サーモンや貝の刺身に集中していたが・・


 
 豚レバーのパテも、おいしかった。
 青年が書いた商品説明に、「バゲットと一緒に」とあった。
 「バケット」って、なんのこと。
 辞書をひいたら、「鉱石を運ぶ運搬車」と出てきた。
 もう一度、説明書を見たら、「バゲット」だった。
 フランスパンのことらしい。
 青年は、どうも国境を越えた世界を生きているのかもしれない。

 

焦点を合わす

2012-01-29 07:08:55 | サイエンズスクールのある暮らし
 なにげない暮らしの一コマ、じぶんのなかで
おきていること、

 人の話を聞いているとき、ムクっと、一瞬起きた反応。
 いい感じのものでなかった。
 「あっ、これって、人とのつながりを断つようなものじゃ
ないか」と。
 コトバで反応したわけでも、表情にも出していないつもり。
 でも、あとでその場面をふりかえると、こころのなかで
起きていること。
 コトバにしたら、「ちがう!」みたいなもの。
 この「ちがう」は、「ああ、ちがいがあるなあ」ていど
ではなさそう。
 「ちがう!根拠を挙げて、明快にいつもお話してくれて
いる元は、案外常識的だな」ともおもう。
 「おもう」ていどの、反応だった?その場面・・
 
 「おもう」というていどではなさそう・・

 久しぶりの日常化レッスン。
 まずは、このへんに焦点をあててみよう。

 一冊の子どもの詩集を、妻とぼくとが読んでいる。
 朝、起きて枕もとにあった本をもって行こうとしたら
妻から「読むから、もっていかないで」と聞いた。
 本はもっていかなかった。
 こころのなかでは、一瞬、反応がおきている。
「詩っていうものは、読むものじゃない・・」
口にだしたわけではない。コトバにしたら、こんなことになる。
これって、「ちがう!」という反応と、同じような感じがする。

 これって、どういうことが、ぼくのなかで起きているの?
 これって、どんなもの?
 もうすこし、観察してみても、おもしろいかも。

韓のくにから親しき人たち、来訪

2012-01-25 16:31:54 | アズワンコミュニテイ暮らし
 雨が降っていた。
 昨年の秋、韓のくにを訪ねた杉本信之さんといっしょに
セントレア空港に、韓の人を出迎えに行った。

 まず、空港ターミナル国際線の出入り口で、3人の女性
一行に出会った。
 ユン・スンミンさん 韓国の大学で社会学の勉強中。
           2年前、アズワン・コミュニテイに滞在
           したことがある。
 パク・サンスさん  江華島でキムチ工場の経営をしている。
           昨年2月、鈴鹿を訪れたユン・ヨンクンさんの
           奥さん。スンミンさんの母。
 パク・ソンジュさん キムチ工場の会計担当。41歳。娘が二人。
 
 

 そのあと、空港ターミナルの出入り口で、日本在住の男の人2人と
合流。
 イ・サンキョンさん 牧師。同志社大に留学し、その後20年日本で
           暮らしている。大阪の堺。日本語は流暢。サンスさんと
           従弟同士。
 イム・ヨンインさん 大阪の岸和田で聖公会の牧師。2年前に来日。
           「イム」とカタカナで書くと、日本の人は「仏」と読む。
           「わたしは、仏さまです」日本語はかなり話せた。

 
 一行は、杉本さんの案内で、空港近くの常滑のエビ煎餅工場を見学に行く。
 江華島は小エビの水揚げが韓国一だとか。サンスさんは、そのエビの
活用を研究している。
 曽祖父の代から工場を引き継いで、年代ものの煎餅焼き機をつかっている
という。
 ご夫婦で丁寧に案内していただいた。 


  その夜は、鈴鹿ハイツのゲストハウスで歓迎の食事会。


  
 翌日、アズワン・コミュニテイーを周った。
 その日も、雨がけっこう降っていた。
 どこの場面でも、「仏さま」ことイムさんが熱心に質問をしていた。


  「それぞれ、思い思いにやるというけど、一人ひとりが好きに
 やっていたら、共同体は成り立たないのではないですか?」
 イムさんは、青年時代から、民主化運動にかかわり、社会の制度変革に
 挫折している。共同体づくりにもかかわった。
  人の精神面が大事だと、神学の道に入っていまに至る。
  イムさんの質問には、彼の人生が凝縮しているように感じた。













 一日、見学したあと、感想をだしあう懇談会をした。


 
 パク・サンスさん
「コミュニテイーの人に出会ってみて、開かれている
と感じた。心のコース、学習する機会があるから、そんなに仲よく
できるのか?」
 
 ユン・スンミンさん
「2年前、友だち4人できたとき、コミュニティーの
説明を聞いた。じぶんがおもっていたのと違うのでびっくりした。
大きな目的のため、みんな一緒に考えようというのではなく、まずじぶんの
こころを見るということだった。いいなあとおもった」

 パク・ソンジェさん
「あたたかい感じ。会う人、それぞれじぶんのコトバで
じぶんがやりたいことを表現していた。率直な感じ」

 イム・ヨンインさん
「質問ばかりですが・・。鈴鹿共同体の人たちは
いままで会った日本の人と違う感じ。じぶんが共同体に属している
という意識がないようだけど、それならなぜコミュニテイーというのか?」

 イ・サンキョンさん「人のための社会。それがあるなあとおもった。
イエスも、”安息日は人のためにある”と言った。なにが人の本質か?
ここでは、強制や束縛がないような印象がある。広報はするけど、
”ここじゃないといけない”というのがない。このとこ、本質か。
いいなとおもった」

 お一人おひとりの気持ちからのコトバから何を受け取るかは、
人によってさまざまだろう。
 これに、懇談会に参加した日本の人たちも感じたたことを出していた。
スンミンさんやあ男の人たちの通訳をまじえながら、和やかな時間が
流れた。

 疑問とか、あるいはよかったことだって、なにがよかったのか、
見ていこうとおもったら、探る材料がいっぱいありそう。

 男の人たちは、その夜と次の日、大阪へ帰られた。
 サンスさん、ソンジェさん、スンミンさんは、キムチの作り方を
コミュニテイに人に伝授したり、鈴鹿を見学し、23日朝まだ暗いうち
名古屋の卸売市場を訪ね、その足でセントレア空港から帰路についた。
 最後は、石黒恒太くんが空港まで送っていった。

 
 「韓のくにの家族のような方々、また会いましょう」

 
















   
            
 

朽ちかけた 栗のむこうに 冬日見ゆ

2012-01-25 09:19:11 | アズワンコミュニテイ暮らし
 雨上がりの朝、里山に行く。

まだ、だれもきていなかった。雑木林のなかに足を踏み込む。

小枝が散らばっている。それを、だいたいこの辺というのを決めて

集めはじめた。

 この小枝は、朽ちて腐植土になるか、燃やせば煮炊きさえできる。

高崎さんから、将来は子どもらが落ち葉んの絨毯の上で裸足で遊べる

ようにしたいと聞いている。

 じっさい、手足を動かしてみると、そこからいままで見えなかったものが

見えてくる、扉が開いた感じがする。



 きょうは、健康生きがいづくり・地域再生コーデイネター養成講座の

里山実習の日だ。そう、1月21日の土曜日。

 養成講座のメンバー一行が、9時過ぎ到着。

 たき火をはじめる。火起こしが好きとか見えない男がせっせとやっていた。、

つづいて、講師高崎広さんがやってきた。

たき火は燃え上がり、なんとなく火の周りで、手をかざしたり、ただ炎を

見つめたり。




 「じゃあ、棚田の周辺の笹竹なかに道をつけたので、いちど歩いてみましょう」

と高崎さん。


  昨年の今頃から、高崎さんが円盤をかついで、笹竹の密林とからっまった

蔓を払ってきた。払ったところに日が入りはじめ、子どもたちが遊びはじめた。

高崎さんは、さらに笹竹と蔓を切り開く。切り開くにしたがって、遊び場が広がった。





 女の人2人をふくむ大人の一団が笹竹の小路をよたよたしながら歩く。

足下には、笹竹を払ったあと、まだ地獄の針のむしろのごとく、笹竹の下の

部分が残っている。




「ここは、タラの木の林になったらいいかなあ」

「ここでは、炭焼きもやれないかとおもっている」

「ここを展望台にしたいとおもってるけど、どううかなあ?」



 栗林といわれるところに着く。




 「きょうは、栗の木の周りに密集している竹を伐ることと、展望台づくりの

二手に分かれて、やりたいけど・・」と高崎さん。

「栗って、どこにあるの?」と女の人。

「あれだよ」と他の人が言ったけど、よくわからない様子。



栗林の竹伐りに、7人の手がなんとなくあがった。女の人も2人いた。

伐った竹は、3メートルぐらいにして、土手の方に置いていく。

小枝は歩くのに邪魔にならないよう何か所に集める。

それだけは、心づもりして、始めた。



午前中は、めいめい、あちこちで竹用ののこぎりで、「竹を伐ったら

どうなるか、ああ、こうなるのか」とか、「伐ったあとはどうするのか」

など考えながらやっているふうだった。



 お昼は、たき火の周りでお弁当。

 大人の顔に童心がのぞいているようだった。




  午後は、「栗の周りの竹を倒してやろう」という熱いものがあちこちに

燃えているようだった。

 肩が痛いといいながら、休みながらやっている人。

 どんどん、竹を倒していく人。

 どこまでも、こつこつと一本づつ、倒していく人。

 竹の小枝を払うのは、木の棒で、小枝の生え際のYのところを、たたき

落とすのがかんたんだぞ、しかもはやいとわかってきた。

 女の人は、それをもくもくと。







 あっという間に、栗の周りの竹が切り払われた。

 向こうに隣の畑が見渡せるようになり、冬日が薄明るく射していた。




  「 さあ、栗の木、もう手遅れだったかなあ」

これから、この林とつきあっていきたいなあとおもった。

参加して面々はどうだろう?

 

 高崎さん、勝手に「里山の小径」とか言っている。

 「小路」でもなく、「小道」でもなく、「小径」という文字をはじめ書いていた。

 こっちも、勝手に「こみち」を描きたいなあ・・