かたつむり・つれづれ

アズワンコミュニテイ暮らし みやちまさゆき

おかしなはがきが山猫から・・牛丸先生<宮沢賢治講座>

2011-07-31 22:16:57 | 鈴鹿カルチャーステーション企画に参加して
 7月31日の午後、真夏にしては、気持ちのよい風が火照った頬を通り過ぎて行く。
 その日の演題は、宮沢賢治作「どんぐりと山猫」
 牛丸先生は、鈴鹿の中央病院から、息子さんのお嫁さんが運転する車で、じかに鈴鹿カルチャーステイションにやってきた。

 セミナールームの席について、一呼吸。
 「今は、病院で避暑生活しています。今日は、話しに行けるかなと思っていました。
 それでも、ベットから立ったら、立てたので、来ました。どこまでもつか・・・
 さっそく、はじめましょうかね」


 聴講の人の手元には、「どんぐりと山猫」全文がある。これは、孫娘がパソコンで入力したそうだ。
孫娘には、アルバイト料を前渡ししてあるそうな。ただし、誤字・脱字があるときは、一字千円の
ペナルテイーがあるという。さて、この日は・・・

 「では、今日はズルをして、作品はみなさんがめいめい、自分で声を出して読んでみてください。
そして、みんなで感想を出し合ってみてください。・・でも、みんなから出なかったポイントについては、
私から、いじわるい見方を出すようにしますから、そのつもりで・・では、はじめてください」

 「おかしなはがきが、ある土曜日の夕方、一郎のうちにきました。

    かねた一郎さま 九月十九日
    あなたは、ごきげんよろしいほで、けっこです。
    あした、めんどなさいばんしますから、おいでんなさい。
    とびどぐもたないでくなさい。
                   山ねこ  拝

 こんなのです。字がまるでへたで、墨もがさがさして指につくくらいでした。
 けれども一郎はうれしくて、うれしくてたまりませんでした。
 はがきをそっと学校のかばんにしまって、うちじゅうとんだりはねたりしました。
  ね床にもぐってからも、山猫のにゃあとした顔や、そのめんどうだという裁判の
 けしきなど考えて、おそくまでねむりませんでした」

 はじめ、参加者の声は、低かったけど、だんだん大きくなったようです。
 この一節で、感想を出し合いました。
 「手紙が来たということ自体うれしい」
 「プレゼントをもらうとき、中身を見る前から、嬉しい気持ちになるみたいに・・」

(この日、韓国からも、宮沢賢治に関心があるといって、聞きにきました。左の人)

 牛丸先生「いろいろ出してもらったけど、もっとも大事なポイントが、まだでていないんだなあ・・」
 参加者、めいめい首をひねる。
 しばらくして、牛丸先生。
 「書きだしのところ、<おかしなはがき>、これが冒頭に出てくる。ここんとこ、<おかしな>というとこ ろ。そこで、この一節のところで<おかしな>ところ、あげてみてください」

 また、めいめい「はがきの文章がおかしい」「はがきの日付かな?」とか、出てきた。
 先生「もっと、おかしなところがあるんだなあ・・・・この手紙には、おいでくださいと言っているけど、 肝腎の場所が書いていない」

  「どんぐりと山猫」という作品に関心がある方は、ぜひお読みください。
 その場に居合わせた一人ひとりは、<おかしな>な世界に先生と引き込まれて行ったのだった。
  <おかしな>を辞書で引くと、
   1、笑いだしたくなるような。滑稽な。
   2、常識では信じられないような。妙な。変な。

(写真は、岩合光昭さん「ネコさまとぼく」から)

 最後に、先生のコメント。
 「文章には、表れていないが・・
  どんぐりが木から落ちて、姿形を維持できるのは、せいぜい一カ月。
  動物・雨・霜・雪などによって消えたり、変形してしまう。
  はかない一生の中で、仲間と争う愚かさ・・
   賢治は人間についても、同じ思いをこめているように思われる」

(「どんぐりと山猫」は、童話集「注文の多い料理店」のなかに収録されている。大正13年発行)

 次回は、8月28日。
 「担当の医師が、カルテの隅に、「8月28日」と書いてくれるんですね。
 今日は、病院の職員さんも、聞きに来てくれました」
  
  そうそう、次回の作品は?
  宮沢賢治作「オッペルと象」
  
  (たのしみで、うれしくて、ねむりませんでした)
  今夜の、自分はどうなるだろう?










 

人生を知るコースに参加して

2011-07-30 11:55:28 | サイエンズスクールのある暮らし
 7月24日から31日まで、鈴鹿サイエンズスクールの「人生を知るためコース」という合宿セミナーに参加した。以下、そのときの、いまの時点での、感想。
   *           *          *

 思春期、おふくろが食事のとき、ぼくの側にいて、ちょうどお茶が飲みたいというタイミングで「お茶、飲む?」と聞いてきた。「いらん!」と即座に反応して、そのあとじぶんの中に起きた「いやーな」気持ち。
 父が亡くなったときの、なにか本来だったら、しているはずのことをしていないような、やりきれない気持ち。
 父の死後、ぼくのところに来たいと母が希望したのを、兄弟で話し合ったと言って、兄のところで、引き続き見ることにした。母が特養から、病院の往復をしながら亡くなったとき、母の気持ちはどんなだったのかと、じぶんのなかに押し寄せてきた、切ない気持ち。
「父はこうだった」「母はああだった」と頭のなかで区切りをつけようとしても、気持ちやこころの底のなにかが、納得しないもの・・


 人はなにを糧に生きているか?
 
 何を自分としているか?
 何をその人にしているのか?

 人とはどういうものか?

 そんな自問をしながら、参加者としらべていくと、いままで現実としてきたものが、じぶんのとらえたものを、それそのもの、その人そのもの、としていた、架空の世界のことを言っていると見えてきた。
 じぶんの目や耳などに、ありありとそれが映っているので、それが現実だ、それそのもの、その人そのものと思い違いしているようだ。
 人の姿形や立ち居振舞い、態度、話しなど、目や耳から、入ってくる。
だから、そういうところから、この人はこんな人としてしまう。
 じぶんに対しても、こころの表層に表れた思い、考え、欲求、感情などをじぶんとして、それ以上しらべもしないで、「どうすればいいだろう」「こうなったらいい」「こうしよう」などと、思いのうえに思いを重ねて、自分を見失っていく。
 形のないもの、目に見えないものの世界、こころの世界、そういうものがある、実在する。それなしに、自分とか、その人というのがあるだろうか?
 じっと、目の前に座っている人を見つめた。実際は、どうなっているのか?


 人は身体だけでなく、脳の割合が大きく、それがあるためにこころの領域がとても、ほかの生き物と比較にならないほど大きい。こういうことは、知識として知らないわけではない。
 「私はなにを糧に生きているか?
  その人はなにを糧に生きているか?」
 こう自問してみた時、糧というのは、外から受けて自分の身体の生きる活力になるもの、じゃあ、それはどんなものなのか、「たとえば、太陽や空気」「この糧なしに、人は生きられない」「でも、そういうものをじぶんが、糧として受けていると意識していない」「そんなふうに考えたら、これまで生きてきた中で、どれほどのものをうけたきたか」「受けっぱなしのじぶん」
 「身体はそうだし、身体と不可分のこころの領域はどうなっているのだろう?」
 「こころにも、身体と同じ糧がいるのではないか」「いままで、生きてくるなかで、こころの糧といわれるもの、どんなものを、どのようにうけてきたのだろう?」
 
 内観などで、じぶんの中を見ていくと、自分ひとりで大きくなってきたかのような、そんなじぶんが見えてくると同時に、父母はじめ、どれだけ多くの人たちの愛情をうけてそだってきたか、しらべればしらべるほど、そういう世界が無限といえるほどに広大なものに感じてきた。
 それなしに、いまのじぶんはなかった。

 人間にとって、形がない、目にも見えないが、身体にもまして、こころの領域が、はっきり実在している。これこそが人間が人間らしく、成長し、すべての人が心身ともに本来性のままに、豊かに、健康正常になっていくために、知性を最大限発揮し、活かし合っていく、そんな人生の生態がしらべてくるなかで、見えてきた。

 私の本心・心底は?という自問では、本心は、身体が父母の間で一個の受精卵として生まれてから、一貫して健康正常は人間になろうとする作用によって成長していくように、身体の脳にかかわるこころも同じように、健康正常な人間になろうとするし、自分らしく、その人らしく、他の誰でもない、個として成長していこうとする作用があって、そこから顕われてくるもののように見えた。

 そういった本心・心底からの人生は、一人だけの努力では実現しないだろう。
 人というものが、心身両面で、自分として、その人として、生を受けて以来、周囲環境からありあまるほどの糧をうけてきている。それは、子供であろうが、壮年であろうが、よぼよぼで働けなくなった人であろうが、いま、そこにそのようにいることの価値は、かけがえのないもの。それに、優劣をつけたり、いい悪いと判断ができるだろうか。
 安心と安心感。安心感は一時的な感じがある。安心は、じぶんやその人があるあるがまま、そのまま受けいれられているいうことが欠かせない。安心状態、満ち足りた状態から、どういうこころが一人ひとりから顕われてくるだろう。人と人の間柄、心底から安心し合える間柄からうまれてくるもの、そういう社会気風、そういう人と人が実在する社会。
 じぶんが、こころの表層でとらえたものが、現実ではない。64年ここのところがあいまいのまま、暮らしてきた。これからの、暮らしのなかの、宿題になる。

 人生を知るとは、どういうことか?
 人生の生態を知る。
 生態を知るとは?

 頭のなかで、わかったとか、そういうことではないと思う。
 こころの表層やそのへんに表れた、思いや考えや欲求や感情など手がかりにして、そこらが生じてくる元をしらべること。
 さらにその元の元をもしらべること。
 人間私が、人間らしく、自分らしくなっていこうとしている作用のところまでしらべて、知る。

 いままでは、人生のことを考えるとき「ぼくは、なにをしてきたのか、これから何をするのか」すること、やること、考えた。
 それって、いったい、どんなこと?
 肝心要のところ、こころの世界が実在していることを、おわすれではありませんか?

 「なにをしているか」「なにをしたか」に価値をおく人生、社会。かりそめの感じ。
 「人生を知る」これこそ、人生でまっさきにしたいこと。
 

鈴鹿カルチャーステイションってなに?

2011-07-23 18:43:45 | わが健康生きがいづくり三重の会記録
真夏日、午前10時とは言っても、気温上昇中。
 7月23日朝10時、各地から鈴鹿カルチャーステーションに寄りあった。

 
 先月、南伊勢への小旅行におでかけして、なんとなく”健生みえの会”の暮らしは、第一土曜日は月例会、第四土曜日はどこかへ”おでかけ”という流れになりつつある。これで、いいのかな?

 今回は、いつも寄り合いに使っている鈴鹿カルチャーステーションンの深訪だった。

<鈴鹿カルチャーステーションって、なーに?> 
 代表理事の坂井和貴さんが、案内をしてくれた。
 「最近、身近な人の自死があって、ますます、人と人が安心して暮らせる社会基盤の大事さを痛感しています。その方向を目指しながら、三つの柱を立ててやっています。
 1、地域社会のなかで、だれもが、いつでも、気楽に寄りあえる、”街の縁側”的な場に・・
 2、子どもや青年、そして壮年、老年の人たちもふくめての学びの場。
 3、自然と調和した人の暮らしを考えていくための発信基地でもあり、検討の場」


 経験豊かな、”健生みえ”の会員さんから、「正直、ここ、もうからないでしょう?」と問いかけ。
坂井さん「経済的にはくるしくとも、こころ楽しくやっています」と一言。一同、笑い。共感と励ましの気持ちを感じた。
 坂井「いろいろな方が講師できてくれます」
 中井「ぼくの大学時代の友人が、フランス語を大学で教えている。フランス映画が好きで、好きで、昨年から毎月、ここで講座をしている。彼には、交通費だけ、出している」
 坂井「講演料を払わなくてもいい人が、増えたらいいかなあ」
 中井「好きなことしゃべれて、一番うれしいのは本人だから、彼から、こちらに聴講料を払ってもいいのでは・・」



<街のはたけ公園って、どんなことしてるの?>
 ”健生みえの会”会長、中井正信さんが案内してくれた。”会長”は、この街のはたけ公園に、入れ込んでいるように見える。
 ”はたけ”は、西隣にある大型ショッピング「ハンター」さんから、昨年夏に、「きちんと見てくれるなら」と無償で借りた。1ヘクタール余の広さがある。



 中井さんは、借りて、まっさきに畑の東端に、ユンボをもってきて、大きな池を掘った。
「おいおい、なにがはじまったの?」と聞くと、蓮根を植えるんだという。
 あれから、一年、みんなで蓮池を見た。「これからだね・・」




 コミュニテイ・ベジタブル・クラブの野菜の畑も見学した。
 事務局長大平達男さんは、ナスを育てている。台風までは、一日20キロ採れていた。
「はじめてのナス栽培ですが、いよいよ収穫するという朝は、わくわく、こんなに嬉しくなるものか、
人間として本来性を感じました」
 中井「一作物をつくったら、ここでつくられているすべての野菜が食べられるという仕組みなんです。
いまは、地を域通貨でたべられるように、ショップもできました」



<おふくろさん弁当~お肉とやさいの店>
 おふくろさん弁当は、あいにく休業中。お店の前で、中井さんが案内。

 
 お肉とやさいの店では、店長さんの竹本広さんが、説明してくれた。
 「開店して、三週間たった。いまは、せっせと、チラシをまいて、地域の方に知らせています。
街のはたけ公園からくる、地域通貨対応の野菜とか増えてきてほしいです」
 ちょうど、そのとき、手製の「食パン」もって、女の人。「それって、地域通貨で?」
「ええ、でも、予約の分なの」


<鈴鹿市徳居(とくすい)町にある里山見学>
 鈴鹿カルチャーステーションから、車で10分。里山に行く。
 高崎広さんが、案内してくれた。
「里山と、なんとなく言っていたんですけど、きのうの晩、かんがえたんです」
 一同「ええ、それって?・・・」
「里山って、ただ森があって、自然があるというより、人の手が入り、自然もそれに応じてくれる、
自然と人の手がせめぎ合いながら、バランスがとれて、出来て行くもの、そんなものかなと・・」
 一同「うーん・・・」


 森のなかは、涼しい。風がしっとりと吹きぬける。足元は程よく手入れされていて、ふうわりした踏み心地は、身体を生き返らせてくれる感じ。
 高崎さん「けっこう、下刈すると、見違えったように、広々するんだよね。でも、振り返ってみると、この里山に一番、やってきているのは子どもたちなんだなあと。彼らが、遊びまわって、里山をつくってきたのかも・・」







<昼ごはんは、中井会長宅居間にて・・>
 中井さん宅は、鈴鹿カルチャーステーションから歩いて10分ほどのところにある。柱や棟に太い木材をつかって、昔き旧家のように天井も高い。
 総員16名、三つの食卓に分かれて、ゆとりで座れた。

 本日のメニュー
 ・揚げ浸し  ナス(大平)・カボチャ・オクラ・ピーマン(中井)・豚肉    中井佳子
 ・冷製たまご豆腐
 ・黒豆の黒糖煮      黒糖は波照間産                  伊藤八重子
 ・キューリの塩麹漬け 
 ・ちらし寿司       すし飯に鮭やしば漬けなどありあわせのもの混ぜて  
 ・キューリの糠漬け                             中井佳子 
 ・デザート                             
   スイカ                                 中井正信
   和菓子”清流”    餡や豆や薄緑の葉様のものを寒天で包む       宮地小浪
 ・差し入れ        ウエハスやゼリー                 山本さん

 準備は、女の人たち。八重子さんが持ってこられた食材で、なにやら、みんなでやっている。
 足利有紀さん、大平照子さん、宮地小浪さん。中井佳子さんは、厨房で、本日の料理盛りつけ。

 伊藤敏正さん「こんどは、男がつくって、女の人が座って待っている、こんなのやりたい
 余川さん「ぼくは、駄目です」



 
 一品一品について、めいめい好きなこと言って、にぎやかに食事。
 散らし寿司は、お替りに立つ人が、けっこういた。
 
 八重子さん「子どものときから、大勢で食べることに慣れていて。ご近所に、一人で食べている人見ると、
つい、いっしょに食べましょうって、誘ってしまうんです」
 「こんなの、これからもやりたい」と言う人もいた。



 山崎さんは、鈴鹿で傾聴ボランテイアの活動をしている。
「家庭の事情で、一人に閉じこもって、うつ状態になる人が結構いる。そういう人の話を聴くというのも
自殺する人をなくすとういうので、大事なことだと思ってやている」という感想もあった。

 
 3時ごろ、お開きに。最後は、誰言うともなく、お年寄りの男の人も交じって、お片づけ。あっという間に
机の上のもの無くなる。
 伊藤敏正さん「会費は、掛かった分を割り勘ということにしましょう。作る方も、食べる方も、こころおきなくなく味わえるように。こういう会が長続きするように」
 この日は、ワンコインで。

 最後に、全員で写真を撮ろうとなった。大平さんが、一人ひとりに大きくプリントした一文字を
もたせた。宮地小浪さんが、デジカメを自動にセットした。
「はい、笑って」




 ああ、だれもが寄りたくなるような会に、ぼちぼち、なっていきたいなあ。
 

 


ブログってなんだろう?

2011-07-23 09:09:57 | わがうちなるつれづれの記
 ブログをやっているのに、こんな問いはおかしいかなあ。
 ブログは、隣の家の平井君が「簡単ですよ」と、ぼくがあっと口を
開けている間に作ってくれた。

 日記だと思っている。
 でも、ただの日記ではない。
 ただの日記なら、他人に見せるわけではないから、好きなこと、書ける。
 ブログといったら、日記だけど、他人が見ることができる。といより、読まれること
を前もって、期待しているようなところがある。
 世界中のだれでもが、どこからでも見える。
 じぶんの身辺のこと、こころのうち、ありのままに書けば、読む人はその人が
好きなように読みとるとか、読み飛ばすのだろう。
 じぶんの気持ちや感じたことと思って書いて、他人にいやな思いをさせたり、迷惑になることすら
おきるかもしれない。
 そのへんが、ぼくには、ブログというとき、あまり分かっていないかもしれない。

 ムラムラと、なにか表現したいものがじぶんの内にあって、それを表出せずにはおれないときがある。
ブログとは、直接つながりがない。衝動のようなもの・・
 以前から、若いときから、子どものときから、ともいってもいいのかなあ。

 じぶんの気持ちを表すというけど、ただ表しただけでは、なにか落ち着かない。
 そう、誰かに読んでほしい、感想を聞きたい、そんな気持ちがともなっていることが多い。

 まだ、よちよち歩きの子が、歩いているとき、なにかを発見する(関心をもつ?)と、「あれ」と
指でさす。そして、傍らにいるお母さんの顔を見て、また指さしする。
 ぼくには、そんな場面に見えることがあるが、そのとき、子どものなかでは、何が起きているのだろう。
 屁理屈みたいになりそうだけど、発見したことを自分だけでなく、身近な人といっしょに、
なにかをしたいという本能的ともいえる気持ちがあるのではないか?
 「なにか」については、よくわからないが・・

 じぶんのこころの内のことを、なるべくありのままに見てみたい。
 どうしようもない気持ちがでたり、こんなことをじぶんが思っていたのか、といったようなことも
見てみようと思う。できるかどうかは、別として。

 最近、「じぶんをなんとかしよう」という気が、薄くなってきているのを感じる。そういうのが、
なくなったわけじゃないけど。
 かといって、「どうにでもなれ」とか、「どうなってもいい」とか、とも思っていない。
 じぶんが、どんな自分か、知っていきたいとは、思っている。
 そこが、どうなっているか見ながら、あらわれてくるもので、暮らしていきたい。
 じぶんの生の先は、あるていど、見えてきてるしね。


 こんなじぶんだけど、これぐらいのものだけど、みんなのなかに、こころのうちもふくめて、
ありのままに表現して、どんなだろう、幼子のように「指さし」して、なんとういうか、
生きているという証、得たいのかなあ。
 
 














大豆の芽が出た!

2011-07-22 22:20:19 | アズワンコミュニテイ暮らし
 22日夕方、街のはたけ公園に行くと、中井さんがミカンの苗木の下の草刈りをしていた。
 
 ミカンの苗木の西隣の三畝ほどの畑がある。
 台風6号が接近しつつある17日朝に大豆を播いた。
 中井さんから、「種まきにかかわっておいてほしい」と聞いて、「よし」と二人で播いた。
 途中から、小浪も来た。午後からは、大平さんも播いたという。

 「大豆の芽が出てるよ」と草刈りの手を止めて、中井さんが隣の畑を見にきた。
 たしかに、双葉が出ている。

 中井さんは、「三河島大豆だ」と言った。「徳川家康が三河から江戸にもってきたものだ」とも言った。
 でも「それが、どうしたって?」というのが、正直な気持ちである。
 いずれ、「そうだったのか!」とおどろくときがくるのだろうか。
 先の楽しみに、とっておこう。