2012年の11月末ある夜、寝ようとして布団に入ったかどうか、
一瞬、「ウッ」と意識がなくなった。
目が覚めたら、病室で呼吸器を喉の奥なで入れられて、手足も
縛られていた。
「何かが起きて、こうなっている。でも、どうも生きているらしい!」
幸い、妻や周囲の人や救急隊や医師の人たちの処置で
後遺症もなく、再起できた。
2012年12月4日 ninjin→katatumuri 「貴重なご体験でしたね」
本当に久しぶりにパソコンを開いてみましたところ、なんとまあ
驚いてしまいました。貴重なご体験でしたね。
徳永先生と谷川さんの「死の文化を豊かに」はうなずくことが多く、
生きるゆとりをつくるのは、死をしっかり意識することではないかと
思うようになりました。
河口の水のように、渾然としているのかもしれないですね。
あちらとこちらは。
その後、12月は除細動器を植え込む手術で入院していた。
ninjinさんから、術後の様子を聞かれて、返信をした。
2012年12月17日 katatumuri→ninjin 「ご心配おかけました」
結局、先週水曜 除細動器を左鎖骨の下に
うめこみました。
部分麻酔でしたが、覆いがされて、様子は見れませえんでした。
5時間半、かかりました。
そろそろ抜糸と言われれています。
そのあとも、薬の調整とか、ふだんどのくらいで暮らせるか、
見極めてくれるようです。
病院食は工夫があって感動ものですが、正直早く退院したい
気持ちです。
退院が目的でないよ、はやる自分にいいきかせています。
気持ちは元気です。
長谷川町子 「いじわるばあさん」みています。
いじわるのことがらは、ひどいのに、なんでカラッと
笑えてしまうのか、おもしろいです。
2012年12月18日 ninjin→katatumuri 「良かったですね」
ペースメーカー埋設されたのですね。
友人もその施術を10年ぐらい前にしました。現在もとても元気で、
時々メンテナンスを受けているようですが、低い山などに一緒に
登ったりして楽しんでいます。
最近金時山と言うところに登りました。
二人とも、おばさんでふうふう言いながらでしたが、山の中では、
富士山が見え隠れする山道を歩きながら木々や小さな生き物と
共に生きていることを実感でき、預かっている命と時間を本当に
大切にしたいものだねえ、などと話しました。
ペースメーカー埋設のこと本当に良かったと思います。
サザエさん、私も大好きです。
なぜかわかりませんが、同じところを何度見ても笑ってしまいます。
その後、びっくりするような知らせがninjinさんから届いた。
2012年12月28日 ninjin→katatumuri 「私も診断されました」
生きている間に何がおきるか、本当に予測はできませんね。
私は、今後自分のある意味の崩壊を見つめながら生きていく
ことになりそうです。
若年性認知症という診断をされました。
かなり長い時間をかけてのさまざまな検査の結果ですから、
受け止めざるを得ないことですが、やはり受け止めがたい。
前頭側頭葉脳変性の為に言葉の障害が出てくるそうです。
あれこれ調べてみて、次々と不安が押し寄せてきます
非ピック型とのことですがピック病にならない保証はない。
こうして書きながら、勝手に不安を引き寄せているなあと思います。
でも明るい方向にはなかなか気分が向きません。
これから、新しい旅路が始まるのだと思いますが、
どこまで自分というアイデンティティを感じ取っていられるか・・・。
眠れない夜が続いています。
(つづく)
<水彩画 岩田隆画伯>