かたつむり・つれづれ

アズワンコミュニテイ暮らし みやちまさゆき

イマジンのリズムにのって

2017-05-31 17:21:50 | サイエンズスクールのある暮らし

 サイエンズスクールのことを知ったのは9年前です。

2009年の秋、スクールの短期セミナーに参加しました。

自分の目で見ているもの、聞いているもの、感じているものがとても

狭くて頑固なものだと身に滲みました。

コトバで言ってしまうと、「なーんだ」ということになりそうですが、

そのとき、ぼくは小さな穴から覗いている向こうに広々として明るい

世界が実在している、そういう世界に触れていた、またはそのとき、

すでにその世界に立っていたかもしれないと思い出します。

周囲の、身近な人たちにその感動を伝えようとしましたが、なかなか

伝わりませんでした。

(まだ、底の浅い分かりかただったかも。それは、今もかな?)

 

まず、自分自身がもっと、その世界を見極めてみたいと思いました。

サイエンズスクールは鈴鹿にありました。

サイエンズスクールのある暮らしがしたいと思いました。

身近にスクールがあるということもありますが、自分のなかに、そういう

道標がある暮らしがしたくなったのです。

理屈もありましたが、こころの内よりの欲求もあったように思い出します。

60過ぎて、残りの人生を悔いが残らないように、生きていきたいと思いました。

いままで暮してきたところを離れ、サイエンズスクールのある鈴鹿に移り住

ました。

 

まず、サイエンズスクールの会員になり、スクールを支えるサイエンズ研究

所の会員になりました。

経済的に、自分がどう暮らしていくかは、後回しでした。

 サイエンズスクールには、いろいろなコースが毎月定期的に開催されていま

す。

HPもあるし、FBではスクールの紹介やセミナーや開設しているいろいろな

コースに参加した人の感想文を紹介してくれています。

最近は、持病で養生暮らしのため、スクールのコースには参加できていませ

ん。それを、読むのが楽しみです。

 

先日、「社会を知るためのコース」に参加した人の感想文がFBで紹介されて

いました。

読みながら、ふと、ジョンレノンの「イマジン」が浮かんできました。

日ごろ、音楽のリズムと縁遠いのですが、不思議でした。

そのリズムで読んでみると、同じ感想文なのに違って映ってきました。

よろしかったら、聞いてみてください。

https://www.youtube.com/watch?v=dS5A9gzQfWQ



さて、イマジンの歌詞を口ずさみながら、感想文を読んでみたいです

 

<心に描けるかな 天国なんて無いんだと                                            

 難しくなんてないよ、やってみたら簡単さ                                               

もちろん地獄だって無いし                                                                

 僕たちの上に広がるのは 空だけ                                                      

 ほら君の心にも描けてきただろ 誰もが                                                 

今この時を生き生きと刻んでいけるこの世界が...>

 

     「人と人」を「個人と個人」という観方で観るのが強かったのかも。

      それで、行き詰っていたところに、今回、「社会」という視点で見てき

     て、目から鱗だった。

  自分の中の「社会」というもののイメージが、がらりと変わった。

      今までは、社会は大きく上にあり、力があり、個人は下で社会に従わね

      ならない。

      そんな感じだったのが、社会は人人人、人がいる。一人一人に自由意志

      があり、社会は、そのベースとなって、人が人らしく生きるのを支えて

      いく。そこから、人(誰か)の中のやりたい気持ちが寄って、社会的な

      仕組みや機関ができていく。

     これらは人(私)の一部であるし、人(私)も社会の一部。

  対になることは、ありえない。(50代女性)


<心に描けるかな 国境なんて、元々どこにも無いんだと                  

 難しくなんてないよ、当たり前のことさ                                               

何かのために殺したり死んだりすることもないし                                   

そう、だから宗教にすがる必要もなくなる                                          

 ほら君の心にも描けてきただろ                                                               

誰もが心穏やかに生きられるこの世界が>

 

     「権利・義務、責任、所有」- 私たちの意識を支配している今の

  社会の根幹について、これでもかこれでもか、と見てきた。

      上下で、力で、一人一人を分断し囲おうとするこれらが、いかに

  私たちの内面 奥深くまで浸透しているかを実感した。

       なぜ私はこう考えるんだろう?こう思うんだろう?こう感じる

  のだろう?と、

  自分の考えや思いや感じを剥いでその奥を探っていくと、その奥底、

  足元にある流れが見えてきた。

  その目を周りに向けると、その流れは周りの人たちの足元にも流れて

  いて、それは世界中の人とつながるひとつの流れになっている。

  もともと人と人はこの流れでつながっている。(60代女性)


 

<僕のこと、ただ夢みてるだけって言うかもしれないね

でも、この世界が見えてるのは僕一人じゃないはず

いつしか君も手を携えて、共に歩く日が来るよ

だって元々僕らは「一つの世界」に生きてるんだから

 

   自分や社会を縛っているもの、人間の作り出した考え(責任、

   権利、義務、所有、悪平等など)とはどういうものなのかと

   ゆっくり考えた。

   それがあると架空の世界を実際のようにし、人の姿が見えて

   こない。 

   自分はなにで動いているのだろうか? まわりの人はなにで

   動いているのだろうか?  

   なにを願っているのか、もっと知っていきたくなる。 

   なにか私の中で動き出している。(60代女性)

  

 心に描けるかな 所有なんて無いんだと

「持つ」なんてこと誰にも出来っこないって 

だから、欲張って取り合ったり、飢えて苦しむことも無くなるよ 

人は皆、家族や兄弟なんだから当然さ

ほら君の心にも描けてきただろ 誰もが

贈り合って暮らしていけるこの世界が...>


   “子どもが子どもらしく”だけではなく、子どもも・大人も“

   人が人らしく”成長していくための社会。

   権利や義務、責任、所有から開放されて、自分も、人も、社会も

   縛る事のない、自発的な自由意志で調和され、保ち合う社会。

   すでに実現していたんだなあ。  

   日常から「本心はどうかな?」「どういう状態だったかな?」と

   観察していきたいし、そういう風に成長し合える間柄(社会)に

   したいなぁ、と思う。(20代女性)

 

<僕のこと、ただ夢みてるだけって言うかもしれないね

でも、この世界が見えてるのは僕一人じゃないはず

いつしか君も手を携えて、共に歩く日が来るよ

だって元々僕らは「一つの世界」に生きてるんだから>


    社会と人は、別なものと、捉えていたが、人は、大きな社会の

    中に抱かれて。。。 

    社会と人と、別けようもなく、一つだった。 

    初めて自分が溶けていった、離れようのないもの、その

    ゼロベースで、大きな転換点だった。 社会と人 →「一つ」

    (70代女性)


感想文では、暮らしのなかであまり使われないコトバもときどき

出ています。

そういうコトバとしてでてくるのは、その人の内面のどういう世界

から発してきたものだろうと、その声を聞こうとして読みました。

一人ひとり、コースのなかで、これまでに気がついていなかった

世界に出会っているように思いました。


    <人と社会 どうなっているのだろう?>

   「みんなが幸せに生きられる社会。」

    だれでもが願っていることでしょうが、

    そもそも「社会」とはどういうものでしょうか?

 

参加者は、「社会」というものを自分はどう見てきたのか、どう感じて

きたのか、どう捉えてきたのか、ありのままに、お互い出し合ってきた

んじゃないでしょうか。

そこから、いろいろな捉え方はあるだろうけど、実際、「人と社会は

どうなっているか」という焦点で、観察し、探究したのでしょう。

なにかの結論が出たと言うより、自分で見たり、聞いたり、捉えたり

している「社会」を「実際は、どうなっているのだろう?」という問い

を立てて見極めようとしたんではないでしょうか?

その自問とお互いの交流から、なにか、かつてない新しい自分や社会に

出会えたという感動が湧いてきたのでしょう。

そこが、最初の一歩だと思いました。

周囲社会は、忙しくて、そんな問いにかかわっておれないかもしれません。

この問いを、そこが大事だと暮せる人とともに、もうすでにある

「一つの世界」を見失わないように、暮していきたいです。

 

(「イマジン」の和訳は、アズワン鈴鹿コミュニテイの坂井和貴さんです)

 




 

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 



 



どこからはじまるか

2017-05-25 10:02:55 | わがうちなるつれづれの記

夏の気配をひしひしと感じます。

夏が過ごしやすいのかどうか、いまのぼくにはわかりません。

3月に退院して、毎週1回月曜日午後、心臓リハビリに通っています。

三重大学病院まで行きます。妻や息子の譲が送ってくれます。

リハビリ室に入って、先ず血圧と体重を自分で測ります。

そのあと、何人かのリハビリ参加者の人たちと、理学療養士の青年に

あわせて、すわって体操をします。

それから、胸に心電図の末端をつけてもらいます。

それから、自転車漕ぎ、エルゴメーターって言うらしいですが、これを

20~25分漕ぎます。

人によって、漕ぐときの負荷のかけ方がちがうようです。

ぼくは、3月からはじめてんですが、いまだに5ワットです。

ほんとは、漕いでいるときの心拍を見ながら、心臓に負担にならない、

有酸素運動になるところを見出して、リハビリしていくようです。

ぼくの場合は、除細動器を植え込んであり、脈拍も70と、ペーシングで

固定してあります。心臓に負担かどうかは、エルゴメーターの視線が

届くところに、「楽である」「やや楽である」「ややきつい」「きつい」

などのランク表があり、それでだいたい自分の感じ方で、測っています。

隣に80歳近いおじいちゃんが漕いでいます。聞いたら、ワット数は25~

35ということでした。

なるほど、ぼくはずいぶん底の方からはじめているんだなあと、実感し

ました。

理学療法士見習いの青年に聞いたら、100ワットで1時間漕いだときが

ありましたと答えてくれました。

その青年が眩しかったです。

 

日ごろの暮らしでは、週に3回ぐらい、20分、鼻歌が出るような感じで

歩いてみて、と言われてきました。

今は、毎日鼻歌が出てくるような気持ちでないけど、景色を見たり、

子ども達が遊んでいるのを眺めながら、歩いています。

20分はあっという間です。でも、それぐらい経つと、息切れが激しく

なります。

あるとき、休むつもりで喫茶店に入って、アイスコーヒーを飲んで、

それが美味しかったこと。

じゅうぶんに、休んで、帰りますと、1時間ほどの散歩になります。

リハビリ担当の女医さんに、「行動範囲がひろがったんですよ」と報告

したら、帰り際、「息が切れたら、そのていどで辞めておいたほうが

安心です。心臓に負担をかけて、悪化させてしまうときもあります

からね」

神妙に聞かせてもらいました。

どこかで、いまの現状認めたくないという、無意識の力がはたらいて

いるかのようです。

 

定期診察で、1ヶ月で1回ほど、三重大病院循環器内科の土肥医師の

ところに通っています。

診察の前には、血液検査をします。

時に、レントゲンや心電図検査もします。最近は、血液検査だけです。

土肥医師はまず「どうですか?」と聞いてくれます。

「ふだんの暮らしで立ちくらみや息切れが頻繁に起こりますね」とぼく。

「そうですね、いまちょっと脱水状態になりかかっていますね」

「・・・はあ、脱水状態?なんで、そう言えるんでしょうか?」

「BNPの値は、いままでより下がっているんですが、尿酸窒素や

クレアチニンの値が上がってきてるんですね」と土肥医師。

この辺のカラダのメカニズムはネットなどで時々見ていますが、そう

言われると、「そうですか」となるしかない。

水分をカラダに保持して、肺や心臓に負担をかけないように、食事では

塩分1日6グラム、水も一日1リットル目安で、暮してきました。

毎朝体重を測り、ぼくとしては、退院時60.05キロを目安に調整して

きたつもりでしたが、土肥医師がいうのは、「夏になって、汗もかくし、

体重は62キロ目安でやってみたらどうですか」

「そりゃ、ぜんぜん楽になります」とぼく。

「そうなんです、体重500グラムの差でも、いろいろな現れが起きるん

ですね」と土肥医師。

いやはや、よく分からない。

塩分制限、水分制限、適度な運動、適度な水の補給。水分バランス。

心臓と肺と腎臓の相互バランス。

 

<覚書>

BNP・・・心室に負荷がかかると分泌されるホルモン。基準値18.4。

     今回の検査では、347。入院時は、2000になっていたと。

尿酸窒素・・タンパク質を使い終わったときの老廃物は、腎臓でろ過され

     る。 脱水症状のとき、この値が高くなるとか。基準9~20。今

     回47・7。

クレアチニン・・筋肉運動のエネルギー源になるアミノ酸の一種。

        代謝の際、出来た老廃物、腎臓から排出される。基準

        0.64~  1.07。今回 2.21。

 

入院時の症状は、心室頻脈の不整脈が止まらず、それを止めなければ命に

かかわるものでした。

不整脈が止まらない中で、生死のあいだに身を置きながら、不安はぬぐえ

なかったものの、なんとか生きていこうとしていました。

これは、理屈じゃないようです。

病院食は、心臓食で誂えてあり、薄味で、調理の工夫はしてあるけど、

同じような味で、薬の副作用もあってか、食事中に吐き気が起こりました。

これには参りました。

食事時間が近づくと、それなりの覚悟をもって、食事にむかいます。

はじめは、全部食べていましたが、どうしもだめなものは残しました。

食べ終わると、一仕事終えたという安堵感と心地よさがありました。

不整脈を止める手術が成功するまでは、体力を保っていなくてはと

思っていたのです。

 

土肥医師に聞いても、循環内科の不整脈専門の医師に聞いても、

理学療法士に聞いても、同じ答えが返ってきます。

ぼく「退院後、いままでふつうに歩けていたのが、20分も歩くと

息が切れて、休まなくちゃならなくなっています。これって、

リハビリをやっていれば、少しは改善するんですかね」

医師の人たち「それは、人によって分かりませんね。ただ、宮地さんの

場合、心室の不整脈が、3月から起きていないことをまず是とすること

じゃないですかね」

 

それが、すんなりハラに治まっているとは思えない。

散歩でも、気がつかないうちに早足になったり、息切れが少しぐらいなら

20分以上歩いたりしている。

ときに、ちらっと、「宮地さん、居てくれるだけでいいんだけど」とか

耳に聞こえてくるときがあります。

人というものは、本来どんなものか?

歩きながら、考えるときがあります。

病院で、乳母車でぐっすり寝ている赤ちゃんに出会いました。

ほんとに、芯から眠っていました。

何か、こころに迫ってくるものがあるんですね。

そこに、そうしていることが、神々しい。

 

入院中は卑しかったです。

「ああ、あれ食べたい、これ食べたい」

妻が、ぼくが口から突いて出た、物を真に受けて、お昼ご飯のとき、こっそ

持ち込み、食べさせてくれました。とんかつの端くれ、シュウマイ、ワン

タン、カレーパン・・・

ちょっとつまむ感じで、どれも、あまり美味しくなかったです。

病院食に舞い込んだ異物のように、馴染まなかったです。

食事が進むように、海苔や佃煮をそっと持ち込んでいましたが、

看護師さんに見つかって、注意されました。

テレビでも、食べ歩き番組、はては「きょうの料理」を見て、唾を

飲む楽しみに浸かっていました。

海鮮丼を南から北まで食べ歩く番組には、こころを奪われて見ました。

「酒場放浪記」は欠かさず見ました。もつ鍋やそのほかの酒のアテ料理。

旨そうに食べているのを見るのが、楽しみでもありました。

見ているだけですから、味も感触も凡て想像ですが、見ないではいられ

ませんでした。

 

そうなんですよね。

お医者さんのほうからみれば、命にかかわる不整脈をとめるのにどうすれば

いいか、助命に傾注してくれているのに、当人はこんなことに血道をあげて

いる。そのときは、あんまり思いませんでしたが、いまはとっても深刻でも

あり、滑稽でもあったなあと思いだされます。

 

ずいぶん不安な夜を過ごしました。

いまでも、ときにそういうものに見舞われるときがあります。

そこにいる、とか、そこに存在している、そこはどんなところ

なんだろう?


そんなことおもっていたら、詩人・故山之口獏がふと思い起こされ

ました。

獏さんは、若い頃、極貧だったらしいです。

「襤褸は寝ている」という詩を書いています。 

  「襤褸は寝ている夜の底/空いっぱいの浮世の花/大きな米粒ばかり

   白い花」で詩を結んでいる。

 「夜の底」という比喩が3回もでてきていました。


「座蒲団」という詩もあります。

  土の上には床がある

  床の上には畳がある

  畳の上にあるのが座蒲団でその上に楽があるという

  楽の上にはなんにもないであろうか

  どうぞおしきなさいとすすめられて

  楽に坐ったさびしさよ

  土の世界をはるかにみおろすように

  住み馴れぬ世界のさびしさよ


ああ、なんとなくぼくの心の奥に響くものがあります。


最後に、「そうやなあ、そうやなあ」と獏さんに思わず共鳴して

しまった一編があります。

 


        たぬき             山之口獏

   てんぷらの揚滓それが

   たぬきそばのたぬきに化け

   たぬきうどんの

   たぬきに化けたとしても

   たぬきは馬鹿にできないのだ

   たぬきそばたぬきのおかげで

   てんぷらそばの味にかよい

   たぬきうどんはたぬきのおかげで

   てんぷらうどんの味にかよい

   たぬきのその値がたぬきのおかげで

   てんぷらよりも安上がりなのだ

   ところがとぼけたそば屋じゃないか

   たぬきはお生憎さま

   やってないんですなのに

   てんぷらでしたらございますなのだ

   すぐそこの青い暖簾を素通りして

   もう一つ先の

   白い暖簾をくぐるのだ


大学生のころ、大学新聞を印刷する前の追い込みで、印刷所で

仲間と食べたたぬきうどんライスが忘れられない。

”てんかす”が出しに溶け込んで、どろどろになったところが、

うまかった!

後天的なものかと思うけど、例えば、鮭の皮とか、鳥の皮とか、

秋刀魚の内臓とか、納豆のネバネバにおこげご飯、3人の兄弟で、競って

食べました。

生きることと、美味しく食べたいは、ぼくのばあい、美味しく

食べたいに軍配が上がるかな。それも、自身の貧しく、ひもじい

時代の、何ともコトバに出来ない旨さ、その背景にある人びとととの

郷愁の味。それが身に滲みた、滓みたいなものへの親しみ。


幾たびも湧いてくる問い。どこからはじまるのか。

いま、ここにいるところから? ここ、から?

             

        (おしまい)

         


 

 

 

     

 

 

 

 

 

 


わたしらしい人生を送るためのセミナー

2017-05-20 11:31:28 | サイエンズスクールのある暮らし

ゴールデンウィークの5月2日から7日まで、5泊6日のアズワンセミナーが

ありました。会場は鈴鹿にあるサイエンズスクール研修所です。

サツキの花が満開でした。。

全国から23名の参加者がありました。2会場に分かれて、はじめて会う人も

ふだんよく顔を合わしている人も、ともに暮らしました。

 

終わって、それぞれの暮らしの場に戻っていきました。

そのあと、アズワンセミナーにスタッフとして参加していた岩田隆さんが、

参加した人の感想のいくつかを紹介してくれました。

何か心に響いてくるものがありました。

 

よかったら、ゆとりのあるとき、その記事を見てみてください。

http://as-one.main.jp/sb/log/eid725.html

 

 

岩田さんは、このレポートで、こんな感想を書いています。

 

 ーー生活スタイルも価値観も違う見知らぬ人どうしが、同じ場所で、

   暮らしを共にし、「本心」で過ごせる体験となったようです。

  「本心でいていいんだ」と思えた仲間たち。安心できる関係。

   元々、人と人はそういう間柄なのかもしれません。その本来のものに

   出会えただけなのかも・・・


さらっと、書かれていますが、ハッとしました。

「本心でいていいんだ」という仲間との安心が、もともと人と人はそうい

間柄なのかもしれません、と言うのです。

 

ぼくらは、今、どんな世界に生きているのだろう。

アズワンセミナーのような機会がなければ、周囲に対して気遣いや警戒心で

接していながら、それは当たり前のこととして、不思議とも思っていなかっ

のではないでしょうか。

「本心でいていいんだ」

とっても、深い気づきだし、体験だと思いました。

 

ある参加者は、6日間のセミナーを終えて、

  ーー伝わってきたものは忘れていた何か大切な何か、自分の中に元々あ

    る何か、であると感じます。

    今まで当たり前だと思っていたことがガラガラと崩れていく心地よ

    さを味わったような気持ち。

と感想を書いてますね。

 

ある人は

  ーー知識や経験を外してゼロから実際はどうなのかを探究してみようと

    することで、その仲間たちとの間の結びつきが日を経るごとに深ま

    っていくのを感じました

と言っています。

 

「本心で生きていきたい」とか「仲良くやっていきたい」など願いは、どう

仲間たちとの(その日出会ったばかりのひとたちでも)、忌憚なく話し合

ところから、気がついたら、そうなっていたというようなものかも知れま

せん。

 

 

改めてアズワンセミナーの趣旨を読み返してみました。

そこには、こう表現されています。

 

  ーーアズワンセミナーは、本当の自分を知り、わたしらしい人生をる 

    ためのセミナーです。

    ゼロの地点から見直すことで、自由で、楽しい生き方をスタートす

    ることができます。

    身近な人と何でも話し合えるようになり、悩みや不安なく、積極的

    に暮らせる道が見えてきます。

 

アズワンセミナーへの参加の動機は千差万別でしょうね。

アズワンセミナーには、それ自体で何をするところか、という目標が

あると思いました。

「わたしらしい人生を送るためのセミナー」になっていくため、その前に

「本当の自分を知り」というのがあるんですね。

自分のことは、自分がよく知っている、とぼくも60歳過ぎるまで、思い込ん

いました。

ぼくが知っている「自分」の他に、「本当の自分」があるのかいな、とおど

ろきでした。



今回のアズワンセミナーのレポートを読みながら、「わたしらしい人生を送

る」ってのは、「本当の自分って、なんだろう?」と言う問いを、それを一

人でじっくり、考えるだけでなく、仲間とともに、探っていく、それそのも

のが、どうも「わたしらしい人生を送る」ことのように感じました。

これは、無理がないし、誰でもすぐに、できることじゃないでしょうか。

コトバの違う世界各地の人たちとも。

世界が一つに開かれていく、まず各人の心の門戸が開かれていく。


アレン・ネルソン

2017-05-10 10:28:43 | わがうちなるつれづれの記

        コトバを通して、その人そのものがズシンと伝わってくるときが

       あります。

 

「日本国憲法九条は、正義から生まれてきたというよりも、たくさんの

悲しみを通して生まれてきたもの」

「平和への道は無い、平和こそが道なんだ」

「第9条は日本人にのみ大切なのではありません。

 地球に住むすべての人間にとって大切なものなのです。

 アメリカにも九条があって欲しい。

 地球上のすべての国に、九条があって欲しい。

 世界平和はアメリカから始まるのではありません。

 国連から始まるのでもありません。

 ヨーロッパから始まるのでもありません。

 世界平和はここから、この部屋から、わたしたち一人一人から始まる

 のです」

 

アレン・ネルソンさん。

1947年、黒人の母から、私生児として生まれました

18歳のとき、アメリカ軍海兵隊に入隊。

その後、13ヶ月、ベトナム戦争に送り込まれました。

とっても怖かった人を殺すということが、何でもない日常のことになって

いきました。

ところが、あるときベトコンの不意打ちに会い、とっさに近くの穴に飛び

込むと、そこで人が産まれる瞬間に、偶然、立ち会うということになった

のでした。

「自分も母の、そんな苦しみの中から産まれてきたんだ」と我に返ったと

いいます。

ベトナムから帰国して、戦場の悪夢に苛まれます。

家族と暮せなくなり、ホームレスの暮らしになっていきました。

そんなとき、中学時代の同級生で、小学校の教師をしている友人が

「子どもたちに、ベトナムの体験を話してほしい」と頼まれました。

ネルソンさんは、あたりさわりのない話をしました。そのあと、子どもた

ちの質問タイムがありました。

    いちばん最後の質問。

「ネルソンさんは、人を殺したことがありますか?」

ネルソンさんは、絶句します。

「人を殺した、なんて言えば、殺人者として子どもたちから気嫌いされて

しまう」

 どのくらい沈黙があっただろう、

 ネルソンさんは、戦争の体験を語りました。

 聞いていた子どもたちが、「かわいそうなネルソン!」と教室中で泣き

はじめたといいます。

 

 ネルソンさんは、戦争体験を語る活動をしはじめました。

1997年、来日したとき日本国憲法9条に出会いました。

 ネルソンさんの衝撃。

「第九条を読んだ時、自分の目を疑いました。

あまりに力強く、あまりに素晴らしかったからです。

日本国憲法第九条は、いかなる核兵器よりも強力であり、いかなる国の

いかなる軍隊よりも強力なのです。

日本各地で多くの学校を訪れますが、子どもたちの顔に、とても素晴らし

美しくかけがえのないものが私には見えます。

子どもたちの表情から、戦争を知らないことがわかるのです。

それこそが第九条の持つ力です。

日本のみなさんは、憲法に九条があることの幸せに、気づくべきだと

思います」

 

  何回も日本国憲法の前文や、9条について、これまでも読んできました

が、ネルソンさんのような反応に、ハタと読みには深さがあるんだなあと

実感しました。

 どんな憲法がいいとか、こんな風に変えたらいいとか、いや今のままで

いいとか、さまざまな意見が政界、学会、庶民の間であります。

 その意見のはじまりが、何にもとずいているか、ふだん、そんなこと気に

もせず過ごしていますが、ネルソンさんの気持ちを聞いて、立ち止まらな

わけにはいきませんでした。

 ネルソンさんには、人間というものについての深い洞察が根底にあるよ

うに感じます。

 その洞察が、9条と出会って、9条を生き生きと蘇らせたと思います。

アリはアリらしく、象は象らしく、バクテリアはバクテリアらしく他との

関連のなかで暮しています。

 人間も、他との関連で、人間らしく生きたいです。

 争いや、戦争は間違いだと思います。

 

 人間らしい当たり前の暮らしこそ、かけがえの無いもの、幸福そのも

の、その人間についての捉え方がどうなっているか、振り返りながら、暮

していきたいです。

 幸福は、人間の知性によって、実現していくのではないでしょうか。

 

 ネルソンさんのテレビを見ました。

日本で、9条が変えられていきそうなのをとても悲しんでいました。

彼の表情や目のまなざし、慈悲に満ちているようで、内面の豊かさや

知性のひらめきが、ぼくには感じられました。

 

 ああ、何で敵をわざわざつくって騒ぎ立て、莫大なお金を使って、

軍備を用意し、はては、武器を諸外国にも売りつけようというのです。

いまは、政府やメデイアの流す情報が、ただその人たちがそのように受け

取ったというだけなのに、ぼくらは、ついつい、それについて、またまた

自分の反応を乗っけて、大騒ぎ、外側だけでなく、内面でも忙しく、

大騒ぎしていないかなあ、とふりかえるのです。

 

 

 

 ネルソンさんは2007年、この世を去りました。61歳でした。

癌でした。ベトナム戦争で浴びた枯葉剤の影響とも言われています。

 

 (ぼくは、彼と同じ年に生まれました。18歳のときは、大学に進んでい

した。

ベトナム戦争は、変だ、違うと感じたので、反対の意思表示をしました。

そのころ、ネルソンさんのような体験があったわけです。

自分の兄弟がベトナムに行き、帰ってきたという幻想につつまれていま

す)

 

 

 

 

 

 

 

 


わがゴールデンウィーク

2017-05-08 10:34:00 | わがうちなるつれづれの記

ふりかえると、ゴールデンウィークにどこかへ遠くへ出かけた

ことはないなあ。

 

新緑が太陽に映え、暑くなく寒くなく、こんな季節はまたとないです。

この季節、幸福とはどういうことか、何処にあるのだろうと、全国

から鈴鹿に寄ってきた人たちがいました。20余人。

アズワンセミナーという5泊6日の企画。

 

ずっと前から妻は、この期間の彼女のやりどころを描いているよう

でした。生活スタッフとして、お昼の食事の準備を受け持つようでした。

わが家には、三食妻につくってもらっている老人がいます。

ぼく。「その間は、じぶんでつくって食べるよ」

かっこいいこと言っているけど、なーんのことない、昨晩の残りを

冷蔵庫から出せばいいだけなんです。

 

その老人は、ほとんど部屋で過ごしています。

有難いことに、ときどき、訪ねてきてくれる人がいます。

連休のはじめごろ、旧知の紀代子さん、容子さんが、甘夏みかんや、

卵や筍など、いっぱい抱えてやってきました。

紀代子さんとは、何年ぶりか。

20代からの付き合い。今60歳越えていると聞いてもピンときません

でした。

 

東京からが飄々としてT子さんがやってきてくれました。

15年ほど前、夫君をガンで亡くした。その後、町田の娘と

一緒に暮していました。

2番目の娘が小頭症の子を出産して、その子が命を持ちこたえ、いまに

いたる顛末を語ってくれました。身体は自分で食べることも、排泄する

ことも、話すこともできない、「でもねえ、すごいのよ」とT子さん。

「こころが、きれいなのよ。娘と私が言い合いしていると、とっても

悲しい反応をするの。アーアーと言うだけなんだけど、相手の気持ちも

そのまま分かるのね。思わず、じぶんのこころの内をふり返させられる

のよね」

聞けば、日々は過酷な暮らしとも言えるけど、T子さんの話からはとても

明るい人と人の繋がりが伝わってきます。

これまで、彼女自身が、尋常とはいえない世界に直面しながら、そこを

直視しながらやってきた身から出てくるコトバには暗いものにならない何

があるのかなと思いました。

ただ、ただ話しに引き込まれていました。

 

こころまちにしていた来訪がありました。

韓国から、アズワン留学生して、最近、再来日した、フンミさんとヨンジュさん。

病気で倒れる前は、留学生と一緒につき合わせてもらっていました。

フンミもヨンジュも、それぞれその人らしく、留学生活のなかで、気が

ついたり、悩んだり、ときに泣いたりしていましたね。

今は、じかに、かかわっていませんが、二人がどんな風に人生の大事な

ところをものにしていくのか、とても楽しみです。

途中で、「時間があるでしょ、本買って来ました」と見せてくれました。

コヴァル・ノア・ハラリ「サピエンス全史上下」でした。

正直、前から読みたいと思っていたので、有難くうけとりました。

 

5月4日は、何で休みかといえば、「みどりの日」というのがあるんですね。

長男太郎と新妻雅子さんが、夕方訪ねてきました。

5時過ぎていたので、「ごはん、食べていったら」とすすめたけど、

「今日はいいわ」といって、6時過ぎ、疾風のごとく、大阪へ帰って

いきました。

嫁さんとは、名古屋大病院に入院していたとき、太郎が連れてきて、

会っています。今回は、妹桃子に会わせたかったのかな。

桃子のアパートに行き、息子の晴空を紹介しようとしましたが、

ついに部屋から出てこなかったそうです。

雅子さん「太郎さんにそっくり」と桃子にいっていたとか。

 

翌朝、千葉から永野・美佐子さん夫妻が来てくれました。

美佐子さんとは、20年近く、会っていなかったかな。

今の様子や、思い出話、それに、二人の娘の近況など、わがことの

ように聞こえてきて、楽しかったなあ。

 

娘桃子が孫たちと、おふくろさん弁当屋さんで働く人たちの

バーベキューに鈴鹿川の川辺に行って来たと、孫たちの写真を

見せてくれました。


記念に載せちゃいますね。

5日は、子どもの日。その翌日、秀剛・悠海と男の子二人、わが家

に夕ごはん食べにきました。デザートで、悠海さんがつくった

鯉のぼりのロールケーキをみんなで食べました。


 

連休の最後、6,7日はめまいや息切れで部屋で横になっているときが

多かったです。

7日の日は、横になっている暇がないほど、いろいろな人が現れました。

朝、ピンポーンとなるので、玄関に出てみると、佐々木佳子さんが

ずっしり重そうなビニールの袋を抱えて立っていました。

「スナップエンドウ、採ったのよ。今から一週間適期なの。朝から

2時間かけて採ったの。今しかないからね」と喜びが伝わってきました。

じぶんの喜びのおすそ分け。

市川さんが、サイエンズスクールのコースを終えて、さっき、とても感動

したといういきさつを話してくれました。

ほんと、いつでも、何が起きるか、分からないもんだなあ、と思いまし

た。

お昼は、スナップエンドウを湯がいて食べました。

メチャ、甘いかったです。

また、横になっていると、佐藤周二・春美夫妻が、甘夏みかんを差し入れ

くれました。

4月30日に亡くなった吉田光男さんがどんなだったか、佐藤さんの感想を

聞きました。

 

夕方、晩ごはんはスナックエンドウづくしでいこう、と妻と決めました。

炬燵でテレビを観ながら、スナップエンドウの筋とりをしていました。

高校1年生の風友がやってきました。

「生八橋、友だちにもらったんだけど、おじいちゃん、食べる?」

綺麗にしてある包装紙を開けて何やらしていました。

「じゃあ、冷蔵庫に入れといたからね」と帰っていきました。

風友からのおすそ分けかあ。

食後、冷蔵庫から出してみると、生八橋が三つ、小皿にのっていました。

 

こんなこと書き連ねても、何になるのでしょう。

書かずおれないものもありそうです。

些細なことの積み重ね。その一つひとつに何があるのでしょうか?

ブログをはじめるとき、「かたつむり・つれづれ」にしました。

イメージがちょっとづつ変わってきています。

 

今。

    怠らぬあゆみおそろしかたつむり     炭太祇