かたつむり・つれづれ

アズワンコミュニテイ暮らし みやちまさゆき

漱石つれづれ

2014-04-29 05:40:37 | アズワンコミュニテイ暮らし

夏目漱石という名前は、聞きなれているし、何かのイメージが

できている。

 

桜の花が咲くころ、わが家の炬燵の上に「孫が読む漱石」という

文庫本が置いてあった。

「これって、読んだのかい?」と妻に聞く。

「ああ、それ秀ちゃんがリサイクルのところで、100円で買ってきた

本よ」

かみ合っていない。

 

ふとその気になって、一気に読んでしまった。

孫とは夏目房之介さん。戦後生まれ、同世代。

マンガの評論をしているらしいが、読んだことはない。

 

読んでいると、中学、高校のころ、「坊ちゃん」や「草枕」

「我輩は猫である」などに触れた記憶、本の中身というより、

そのときの自分の気分が思い出された。

「硝子戸の中」さえ読んでいる。何が書いてあったか、まったく

気持ちよく覚えていない。

 

漱石が明治43年8月、伊豆修善寺に胃潰瘍の転地療養の

ため滞在しているとき、吐血して、いっとき死んだ状態に

なった、そいうことがあったと初めて知った。

「修善寺の大患」と言われている。

 

漱石はそのときの様子を「思い出す事など」という作品で

一つひとつ確かめるように記録している。

ーーただ胸苦しくなって枕の上の頭を右に傾けようとした

   次の瞬間、赤い血を金盥の底に認めただけである。

 

そんなに思っている漱石に、夫人は「そうじゃありません、

あの時三十分ばかりは死んでいらしたのです」

実際、その間、付いていた医師の懸命の措置があった。

 

漱石にとって、その空白の時間があったということが、衝撃

だったらしい。

ーー余は一度死んだ。そうした事実を、平生からの想像通り

   経験した。しかし、その超越した事が何の能力をも意味

   しなっかった。余は余の個性を失った。余の意識を失った。

   ただ失っただけが明白なばかりである。どうして幽霊と

   なれよう。どうして自分より大きな意識と冥合出来よう。

 

孫の房之介さんは、この部分を意訳してくれている。

ーー(略)私は、私が私であるという個性と自意識を失っていた。

   その事実だけがはっきりしていて、私は死後の世界で存在

   しようがなかったし、まして個を包括する大きな存在に

   帰っていくような経験などできようはずはなかった。

 

漱石について何かを言おうとしているわけではない。

漱石は40歳のとき、仮死の経験をした。

一昨年11月深夜、ぼくはいっとき心肺停止状態になり、からくも

意識が回復する経験をした。66歳。

その夜11時、妻は先に布団のなかにいた。パジャマに着替えて、

布団に入ろうと立っていたとこまでは記憶にある。次の瞬間、ぐっと

喉が詰まる感覚があったように記憶している。「苦しい!」とか、

なんとか感じる隙も無かった。意識が無くなった。

目が覚めたら、ベットに寝ていた。手が縛られ、口には管が

入っている。声は出ない。あちこちに管が見える。病院だと

思った。

妻と娘が「お父さん!」と声をかけてくれた。

何か自分の身に大変なことが起きたらしい。

看護婦さんは「奥さんに足を向けて眠れないですよ」と

何回も言ってくれる。

妻や医師や周囲の人たちがどれほど懸命に手当て

してくれて、心配もしてくれたことか。

にもかかわらず、正直、自分は一瞬に寝て、しばらくして起きた

という感覚。

「大変なことだった」というのは、自分の実感に無いと言っていい。

 

漱石は「修善寺の大患」以後、作品の中身が深まっていったという。

機会があれば、「道草」とか「明暗」という作品を読みたい。

 

「死ぬってのは、寝ていて、意識が戻らない感じ。戻らなかったら

それだけのこと・・・」

どこかで死を恐れている。でも、わりかし簡単、死はいつも身近に

ある。そのとき、そんな感慨があった。

今、死を怖がっていないかどうか。怖いという気持ちはある。

でも、何か身近だというのは、どこかにある。

意識というより、何か心のどこかに。

 

漱石が「思い出す事など」のなかで書いている。

ーー自分の介抱を受けた妻や医者や看護婦や若い人たちを

   ありがたく思っている。世話をしてくれた朋友やら、見舞い

   に来てくれた誰彼やらには篤い感謝の念を抱いている。

   そうしてここに人間らしいあるものが潜んでいると信じて

   いる。その証拠には此処に始めて生き甲斐のあると

   思われるほど深い快い感じが漲っているからである。

 

「死んだら、それまで。あとは何にも無い」

たしかに、そんな感じはある。

「どうせ死ぬんだから・・・」と虚しい気持ちが出てこないわけ

ではない。

死は自分の身近にありながら、自分でそれを体験できない。

死後の世界を体験できる人もいるらしい。そんな人もいるの

かもしれない。いまのぼくには、そんな感じはない。

 

その時、知ったことがある。

いままでも、自分一人で生きているわけじゃないと思ってきた。

一昨年の体験は、実際、たまたま周囲の条件がかろうじて揃って、

障害もなく生き返ったのだった。

倒れたとき隣に妻がいた。妻は心臓マッサージの心得があった。

2階にいつでも飛んできてくれる青年がいた。救急車がすぐ

到着した。病院が受け入れてくれた。

もっといえば、病院の仕組み、医療技術、それを支える多くの

機関などなどなど、それらが、ぼくを生かしたとも言えなくもない。

 

ベットの上の自分は、すべてのことを看護婦さんや妻や周囲の

人たちに任せるほか無かった。オムツに排便もした。看護婦さんが

オムツを替えてくれた。

「ああ、すべてなされるまま、受けるしかない」

 

生は死と隣り合わせだけど、生きている、自分がここに

”いる”ということの凄さを知る。

なにかの条件が欠けたら、ここに”いなくなる”

生きる、ここにいる、自分がそうしたいから”いる”というのでは

なく、すべて自分の身体も含めて、すべての条件が揃って

いるから、”ここにいる”。

 

それじゃ、運命にそって生きるきゃないのか。

一人ひとりに身体があり、こころがある限り、自分の周囲にある条件も

自分の条件も、いろいろな状態はあるけれど、よりよく生きていく方向に

自分らしく揃えていくのが理じゃないか。

そういう作用が人のなかにあるのではないか。

健康正常になっていこうという働き。

身体にも、心にも。

それを”真実の働き”といってもいいのではないか。

そういう条件を揃えようとする、今ここに”いる”、そのことのなかに幸

福があり、安定があり、豊かさがあり、平和があるんじゃなかろうか。

 

「そうしてここに人間らしいあるものが潜んでいる」と漱石は書いて

いるけど、こでいう「あるもの」ってどんなことを指していたんだろう。

 

「死んでから極楽よりも、死の瞬間を、一生通じての最大の極楽境に

します」という一節がある。

その真意はこれから探っていきたい。

隔てない状態でこの世に生を受け、隔てを当たり前とする社会に

育ち、人と人との間に囲いをつくりながら、なんとかかんとかここまで

来た。

いまからも、そんなんで行くのか。

また、そんな社会を孫子の代まで継続させていくのか。

 

今から目指すもの。

人と人の間の囲いがあるままで、幸福や平和が実現しないことに

気づくこと。

人は何かをやっていくのだけど、先ず隔てのない、親しい人と

人とで現れてくる社会を実現すること。

そのために、本当の自分を知ることから、なんどでも立ち返る

ところ。そこから、はじまる。

「最大の極楽境」

どんなんだろう?


「体調はどう?」

いろいろな人からけっこうこんな声かけをしてもらう。

「うん、なんとか・・・」

”なんとか生き長らえている”というのがあるのか。

心中はどんな?

今、自覚しているのは、ぼくがどう思う、思わないに

かかわらず、心底から作用しているものが潜在している

のを感じる。健康正常になろう、なろうという働き。

にもかかわらず、ぼくのなかで今まで培ってきたものが、

そこから外れようとしたり、気がついてみると、外れちゃった

かな、という具合だ。

そんな自分を「なんとか」、願っている方向へ・・・

なろうという作用から発する現われを・・・「なんとか」

 



 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


春の炬燵

2014-04-28 17:44:25 | アズワンコミュニテイ暮らし

俳句の季語に春炬燵というのがある。

春になっても、足の先が冷たく、外で何かしていて、

わが家に戻ると足を炬燵に入れて寝っころがりながら、

暖まるのがこの上なく心地がいい。

時に近くに住む息子夫婦がまだハイハイも出来ない

赤ちゃんを連れてくる。

その孫と二人寝転ぶのだ。

ほっこり。

 

4月中ごろから今頃までの間に2回東京に出かけてきた。

一回目は19,20日の代々木公園であったアースデイ東京。

その前後も足して、3泊4日の旅。


二回目は、早朝の東海道の鈍行で昼頃、五反田着。

PVプロボノ上映交流会、IMAGICA五反田 本館3階

第一試写室。



深夜11時過ぎ新宿発の夜行バスで、27日朝鈴鹿に

帰った。


東京は結構歩く。

代々木公園といっても、広い。

駅に行くといっても、人の群れをかき分けながら、歩道橋に

上がったり、下がったり、いい運動になる。

夜行バスのターミナルも重い荷物を持って、かなり離れたところ

まで歩いた。

 

出かける前は、そんな街に行って、大丈夫かなとちょっと心配

だったけど、いざ、その場になると行けるものだ。

もちろん、妻小浪が傍らに添ってくれているのが大きい。

ゆっくり歩く歩調に合わせてくれるし、階段を上るときは、

後ろから押さんばかりだ。


27日朝、わが家に戻って、早速炬燵に足を突っ込んで、

寝転んでいる。

あの、東京に賑わいは何だったんだろうと、自分が触れてきた

のに、何か別の世界の夢でも見ているような、茫々たる

心持のなかにいる。

 

炬燵に寝そべりながら、窓の外を眺めていた。

ベランダの洗濯物が風に揺られて、ゆらゆらしている。

洗濯もの同士が何か風のリズムに合わせて踊っているような。

「ヨイショ!」

デジカメを取りにいって、そのダンスをパチリ!

そんなことして、何になる?

 


春の移ろい

2014-04-15 22:02:42 | わがうちなるつれづれの記

今年は3月末に桜が満開になった。

4月1日、健康生きがいづくり三重の会で句会があった。

句会がある前は、何だか妙にじっと眺めたり、「何を見ているのか」

「どんな風に見えているのか」「そこのどこに感動してるのか」

そんなこと思いながら、身辺雑事に向き合っている。

句会には、3句の投稿だけど、けっこういくつも出来たりする。

 

今年、春の移ろいの記録。


   はたはたと海の彼方へ春一番


  春兆し何ごとかあるモーニング


    春雨や虚空に消ゆる滴かな



    水っ洟放(ひ)りて鳥立つ池の春


     水温み淀みに揺るる鯉の舞い


     炭窯の煙に咽て花見頃



     ほっこりと今ぞこの時桜かな

 

   

 

 

 


あそび

2014-04-12 08:45:03 | アズワンコミュニテイ暮らし

ちょっとした勢いで、スマホを手に入れた。

これで、人との通信をしようというのだ。

操作に四苦八苦している。ちょっとした操作が出来ないと、お手上げに

なる。行き詰まる、絶望感。

 

中学に入学した孫娘がスマホしているぼくのところに来た。

文字入力に難渋していた。「お」と入力するのに、指で「あいうえお」と

「お」が出てくるまで叩く。うまくいかないと、またはじめから叩く。

「おじいちゃん、見てて。指を置いて、左とか上にちょっとスライドさせたら

いいんだよ」

見てみると、たしかに簡単そう。

「へえ、知らなかった」

 

孫娘はスマホを持っていない。何かで使って、知っているのだろう。

スマホに苦手意識はないらしい。

この違いは?

わが身を振り返る。

携帯を持つ前は「ぼくは、携帯とは無縁」とはじめ思っていた。

いま、ちょっと前まで「ぼくはスマホとは無縁」と思っていた。

「こんなのぼくには分からない」

これって、何か消極的、暗くない?

 

孫娘。いろいろなことに好奇心。分からなくなっても、分からんと

止まらないで、「どうやったらやれるのかな」とあちこち触るとか、

なんだかんだを楽しんでいるのか。あそび的。

 

「何かのために」

頭が固くなると、そっちに血液が集中して、やること自体を

楽しむということに血液が巡っていかなくなるのかな。

 

赤ん坊を見ていると、目を開けている間は、じっと何かを

眺めている。

「眺めるために眺める」

これがあそびの起源の一つに関連するとか。

 

子どもの詩を読んで、子どもが書いたものだと通り

過ぎられないと感じたことがある。

 

      家           男の子 小四

  家は

  はだか

  いつも外

  だから雨の日も

  雪の日も外

  すごく

  さむそうに 

  ふるえて

  いた

  ほんとうにさむそう

 

家を見ると雨露から守られている室内のイメージがでてくる。

「家ははだか」どういうことか入ってくるのに、間があった。

世界がどう見えるのか。

 

    かくれんぼうの時       男の子    小五

  地面と一体になってかくれたら

  運動場にかげろうがみえた

  この時 ぼくは

  はなしに聞いていたかげろうを

  かくにんした 

  地面にベタりと腹ばいになって

  運動場を見たら

  運動場がちがう世界にみえた

 

いつもなんとなく「運動場」として見ていたものが、「ちがう世界」に

見える。長く生きてくると、だいたいいつも「こんなもんだ」となって

暮らしている。

 

       みゃく             男の子   小四

  理科の時間に

  手のみゃくを

  見つけようとしたけど

  何も感じなかった

  ぼくは

  死んでもいないのに

  へんだなと思った

  次の理科の時間

  やっと見つかった

  自分のみゃくがわかって

  もう一人の自分に

  会ったような気分だ

 

自分が自分だとしているものの他に、みゃくを打たせている

「もう一人の自分がいる」という発見。一昨年、心臓が止まって、

生き返ったあと、みゃくが打っていることに喜びがあることを

体験した。

 

あそびとか、あそび的というのは、「これって、どんなことだろう」とか

「これってどんなものだろう」と眺めるところからはじまるんだろうか?

 

実際への関心。

 

人や社会への、無意識の捉え方、「それって、こんなもんだろう」

どうも、そんなことで固まっているんじゃないか。

 

社会にお金っているの?

実際はどんな風に成り立っているの?

社会に法律や罰則がないと、秩序が乱れてしまう?

国や街や人と人の間に境をつくらないと、社会は成り立たないか?

 

人や社会を「眺めるために眺めたら」どんなふうに見えるだろう。

スマホも、そんなに接してみたら、どんなになるだろう。

 

自分のなかに、こんな人になりたいとか、こんな社会になったら

いいなあ、とかそういう願いはだれにもあるんじゃないかな。

実現できる、実現しようとしてあそび的にやってみる。

やってみたら、案外かんたんかも、と。

 

 

 

 

 

 

 


あっ、菫

2014-04-11 07:30:13 | アズワンコミュニテイ暮らし

鈴鹿カルチャーステーションは、街の縁側・学び舎・エコステーション

である。

アズワンコミュニテイの拠り所でもある。

玄関に鈴鹿カルチャーステーションに寄り合っている活動体の

名称が表示されている。

多彩である。関連も、ちょっと見ただけでは何だか分からないだろう。

分からないなりに、鈴鹿の街の一隅で、それなりに存在感が出てきて

いるのかな。

 

わが家は鈴鹿カルチャーステーションの玄関を出て、4車線の

大通りを渡って、一つ南側の道路の端にある。

先日、帰宅しようと大通りを渡って、歩道に飛び乗った

ところで、さっと紫の小さな花が視界の残像に残った。

思わず振り返った。

「あっ、菫」

コンクリートの歩道の縁に一塊、車の往来があるなかで咲いて

いた。大事なことが、そこにあるように感じて、ちょっと面倒にも

思ったけど写真を撮った。

 

あと、気持ちのどこかで、あの菫のどこに、何を見たのか、

何が大事と思ったのか、ずっと思っていて、こんな句が

出てきた。

   広々と一隅に根ざす菫草