かたつむり・つれづれ

アズワンコミュニテイ暮らし みやちまさゆき

アズワンコミュニテイステーション

2013-11-29 20:30:00 | アズワンコミュニテイ暮らし

 秋晴れだったなあ。
 アズワンコミュニテイステションに行ったら
妙齢の女の人たちが揃っていた。思わず、パチリ。
この他に、小野みゆきさんもいたんだけど・・・


この朝、昨日から来訪している熊倉敬聡・聖子夫妻、
娘の百香ちゃん、あすかちゃんが、小野さんや弘子さんと
話したあと、京都に出発した。友人と再訪したいと
言い残して・・・

27日マイライフセミナーを終えた山田愛さんも昼前、
福岡に向けて出発。大阪から
フェーリにのり、明日門司着の予定。
落ち着いたら、内観コースに来たいと話していた。


 新井友子さんもマイライフセミナーに参加。

引越しのため。 横浜に行く。

顔をのぞかせて、晴れやかな笑顔、「いってらっしゃい」

 

 午後はコミュニテイストアのスタッフのミーテイング。
 準備中のストアで、牛丸さんの話を聞く。
 どんなこと話していたか聞きそびれた。
 「ステンレスのバットが1つ2300円(?)だった」と
何回か言っていた。

 贈る心だけで、届けられたもの、どんなふうに
うけとるんだろう?
 実のある試みに・・・

 

 アズワンコミュニテイステーション。

 

 きょうは、なんかしらん、活気があったなあ。

 


佐久総合病院

2013-11-27 23:25:08 | アズワンコミュニテイ暮らし

片山様、はじめまして、石見様の文章で貴アズワン鈴鹿、存じ上げました!ファンレターです、佐久総合病院、内科医、色平哲郎、いろひら拝

  片山というのは、片山弘子さん。

 アズワンコミュニテイ鈴鹿で暮らしている。近所づきあいしている。

 循環共生社会システム研究所にもかかわっている。(KIESSという)

 http://www.kiess.org/

 

 弘子さんは、、その関係で石見尚先生と知り合った。

 この夏、石見先生は高齢にかかわらず、大雨のなか、アズワン

コミュニテイを訪ねて、その実態調査をされた。

 そのときのレポートを、ご自身の小冊子に掲載した。

 片山弘子さんも、アズワンで暮らしている感想を掲載した。

http://syakaiken.net/archives/1121/

 

 それを、色平逸朗さんがお読みになったらしい。

 色平さんから、片山弘子さんにファンレターが届いた。

 面白いと思った。

 紹介します。

       *                 *                 *

『ヘルプマン!』は孫がおばあちゃん孝行になるお薬です。


「長野の善光寺からきた僧侶です」といったら、
皆さんけっこう信じてくれるんですよね。
私、見た目は坊主頭でお坊さんみたいですけど、実はお医者さんです。
長野県の山村にある診療所で、10年あまり地域医療に携わってきました。

(色平医師)

くさかさんの『ヘルプマン!』と出会ったのは、4年前のお正月。
旅行先のタイで友人から、「バンコクで話題になっているコミック」
と紹介されたのが最初でした。
普段、コミックを読む習慣はありませんが、気になって
手に取ってみると驚きました。
日本の誇る漫画という手法で、近未来の日本社会を先取りしている。
日本人全員に読んでほしいと思ったほどです。


先日、全国の市議会議長ら数百人が集まる会議で講演したとき、
全員に『ヘルプマン!』の第8巻を配りました。
この本はお薬です。
孫やお嫁さんに渡しましょう。
1週間後にはおじいちゃん、おばあちゃん孝行になりますよ、と言って。

また、共同通信で連載した文章でも、『ヘルプマン!』を取り上げました。
第8巻はフィリピン人の介護士が日本で悪戦苦闘するお話で、
主人公は最後に「おうちが一番。ファミリーが一番」と語ります。
ほとんどがカトリック教徒のフィリピン人は、家族を大事にします。
フィリピン人介護士の参入という介護制度の未来像を描きながら、
家族の大切さを表現していることに感動し、大勢の人に知ってほしいと思いました。


日本の医療は国民皆保険があるから保たれている

日本は、世界一のスピードで高齢化が進み、海外からも注目されています。
以前、WHO(世界保健機関)に呼ばれて講演をしたのですが、
そこで世界中の医療・介護の現状を知ることにもなりました。
改めて思い知らされたのは、日本の医療は国民皆保険制度があるから
保たれているということです。

皆保険が導入されて半世紀、今は保険証1枚でいつでも、
どこでも受診できますが、世界にそういう国はほとんどありません。
それどころか、医師のいない地域が当たり前のように存在しています。

日本の医療を支えてきたもう一つの要因は、あえて言いますが
「アホな医者」がいることです。
言葉は悪いけれど本当なんですよ。
途上国の田舎から都会に出ると医師の給与は10倍、
さらに先進国にいくと100倍になる、
いうのが世界の相場ですから、皆こぞって欧米へ流れています。
日本ではこんな給与格差はありませんが、それでも、日本の農山村に、
給与は二の次という「アホな医者」がいないと医療サービスを維持できないわけです。

長年にわたり山中で医療をしてきた私は、その「アホな医者」
の1人なわけですが、佐久病院では農民たちに教えられることが
たくさんありました。
佐久病院は、かつて農村の医療提供体制が不十分だった時代に、
農民がお金を出しあって作られました。
「予防は治療に勝る」が合い言葉。
「油や塩分を控えないとね」「このところ寒いから暖房を入れたらいいよ」
と生活指導を大切にしています。

長野県は日本一老人医療費が低いことで有名ですが、要は医者があまり
“直接的な医療”をしてはいないということです。
それでも、平均寿命は世界一の日本の中でも長野は首位に近いのですから、
医者は余計なことをしないほうがいいのでしょうね。


医者を名医にする秘訣は“AKA”

でも、最近はちょっと患者さんの権利意識が過剰になってきたように思えます。
日本は救急車を呼べばすぐ来るし、医療水準も高い国ですが、
あまりに気楽に呼びすぎたり、病気が治らないことを責めたてたりしたら、
どんな医者だってイヤになりますよ。

テレビドラマに出てくる医者は見た目もよく、ブラックジャックの腕を持ち、
綾小路きみまろの話術を持つけれど、そんな医者は存在しません。
むしろ、高校生のときに、数学と物理と英語が得意だっただけで、
コミュニケーションが下手な医者が多い。
また、下手に商売上手な口のうまい医師も怖い。
もちろん、すばらしい先生もいっぱいいるけど、医者に期待しすぎは禁物です。
治らないものは治らないのですから。

本来、病気が治らないときに頼る存在は、医者ではなく僧侶ですよ。
だから時々、袈裟を着て患者さんに会おうか? なんて……(笑)。

私は、人間関係を円満に長持ちさせるコツは
「AKA=あてにしない、期待しない、あきらめる」だと思っています。
医者に対しても同じで、私の外来では患者さんがドアを開ける前に
「色平先生は、あてにしない、期待しない、あきらめる」
と10回唱えているという噂もあるくらいです(笑)。

総じて医者は、世間で、ぶつかった経験が足りませんから、
それでちょうどいいのです。
私は長野にきて、農民たちから多くのことを教わりました。
おじいさん、おばあさんが農作業しながら自給自足の生活を
しているのを間近に見たことで、「金持ちより心持ち」というか、
医療の主人公は患者さんであることが骨身に沁みました。

それを象徴する、一編の詩があるのでご紹介しましょう。

人々の中へ行き
人々と共に住み
人々を愛し
人々から学びなさい
人々が知っていることから始め
人々が持っているものの上に築きなさい

しかし、本当にすぐれた指導者が
仕事をしたときには
その仕事が完成したとき
人々はこう言うでしょう
「我々がこれをやったのだ」と

(『人々の中へ』―晏陽初、1893-1990)

佐久の住民は、自分たちの手で医師を育て、お金をかけなくても
幸せになれることを自然に身につけてきました。
山村で営まれてきた医療には、今後の日本社会が迎える
超高齢化社会へのヒントがたくさんつまっているような気がします。

   *       *       *

 なにか、含蓄のあるお手紙でした。

 なんとコメントしていいか、モヤっとしていますが、

いずれ、コトバになるときがあるでしょう。

 

 


青年を突き動かしているもの

2013-11-19 17:40:01 | アズワンコミュニテイ暮らし

 11月17日(日)滋賀から中塚尚憲さん(36歳)が

日帰り探訪DAYで、アズワンコミュニテイ鈴鹿に来訪

した。


 
 中塚さんは、滋賀県野洲市の市会議員。11月から

活動している。

 カフェ539という親子で集えるカフェスペースを

4年前からつくっている。

 野洲市の若者が、「野洲市が好きだ」と誇れる

ような仲間づくりも、いろいろな活動を通して

やっていこうとしている。
 
 

 探訪DAYは、日帰りということもあって、短時間に

ギュッと詰めて回った。

 


 中塚くんは、よく質問していたし、自分の生き方に

ついても、熱く語った。

 ぼくは、いま一人からはじめようとしている。

この活動を発起した人の気持ちを聞いてみたい」

 彼と接したしたメンバーも自分の願いを語った。

 中塚くんは、「いまの活動をし始めるキッカケは

2011年3月11日の東北大震災・原発事故だった」と

語った。思わず、涙が溢れてきていた。


あっと言う間の一日だった。

「ええ、そんなのアリですかあ・・・!」を

何回も言っていた。

    *    *    *

 中塚くんが、その日の夜、滋賀に戻って、FBに

アズワンを訪ねてという感想を書いていた。
 

ーー到着ー。
  高速渋滞してたんで、
  鈴鹿峠こえてみた。

  滋賀にはいってから、道遠回りしてしまった、、、。

  アズワンコミュニティ体験とたくさん話させて
  いただきました。
  いいひとたくさんいてはって、うまくバランス
  とられてました。
  気軽にひとんちで、みんなでご飯食べてあるのが、
  すごく印象的。オープンだけで言い表せないけど、
  人と人のつきあいできてると違和感ないのかも。
  いろいろ勉強になりました。m(__)m

  写真ないときは、
 自分の中でその時消化しきれてないから。


     *    *    *

 11月18日にも、こんな気持ちがFBに出ていた。

彼は、彼よりも若い20代の人たちとともに、新しい、

楽しい、野洲が好きだという拠り所をつくりたいと

思っている。

     
  ーー昨日、アズワンさんとこにお邪魔してて、
   人と話す機会がたくさんあって、
   自分を動かしてるものの話になったときに、、
   3.11がどうしても自分のスタートにいた。
  今だに残る、
   震災直後のテレビに映しだされ続けるリアルな
   映像。僕は目が離せなかった。
   僕は個人としての無力感の中にいた。
   僕にはなにができる?
    そればかり考えてた。
     (略)

   その後もずっと想いつづけてる。
   自分でできる一歩として選んだ。
   身の丈にあった行動。
   近くの人が笑ってくれたら、
   少しずつ輪が広がって、、、。

   そんなのをずっと今、
   芯にしていきている。

 
 鈴鹿山脈が低くなったか・・・
 近所づきあいしていきたいなあ、と思った。


わが命日

2013-11-16 10:49:18 | アズワンコミュニテイ暮らし

 早いもんだ。

 昨年の11月18日、死にかけた。

 死にかけたというけど、周りの人たちはそう見ていた

らしいが、当の本人は寝ようとしたところ、グッと息が詰まり、

あとは意識がなく、目が覚めたら喉の奥まで酸素吸入器が

入り、点滴と尿管の管が入り、両手が縛られていた。

 目が覚めた。意識ははっきりしているらしい。

 妻と娘が「分かるか?わかるか?」と言っているのが

聞こえた。

 

 死は当人には体験できないだろう。

 あの日、あのまま意識が無くなったままなら、ぼくは

今居ない。居ないことは、じぶんには分からない。

 意識が戻ったから、”死に損なった”とか”三途の川の

手前まで行った”とかいえるけど、死は知らない。

 

 周囲人たちから「よかったね」とたくさん聞いた。

 「よかった」とぼくも思った。

 何がよかったのだろう、そのときも考えた。

 いまも考える。

 

 生と死は、隣合わせ。

 生きてるというのは、当たり前のことか。

 どうも、当たり前じゃない感じがした。

 生きているというのは、自分をふくめて周囲社会・

自然の諸条件が揃って、はじめて成り立っている。

 そのうちの一つ、ぼくの場合、心房細動と心室頻脈が

重なって血流が止まった、一つでも欠けたら生きては

おれない。

 もしかしたら、その条件が揃っているというのは、

すごいことじゃないか。たまたま、揃っている、とも

言えそう。

 揃うという現象のもとには、そうなっていこうという

目には見えないけど、そんな作用もあるように感じた。

これは、自分が生きたいとか、死にたいというのには

関係ないもの。

 そのときの実感だった。

 

 自分、自分といっているけど、自分ってなんのこと

いっているのだろう?

 ICUのベットで、話すこともできない、手足も不如意、

ウンコも看護婦さんに始末してもらう、なにもかも

人任せ、どうとでもしてくれ、そんな自分。

 たまたま、ICUにいるからなのか?

 自分って何のことをいっているのか?

 自分一人では、生きていけない、とか言っている。

 絆の大事さも言われている。

 そう思っている自分とはどんなものか?

 

 妻が、娘が、孫たちが、一緒に暮らす仲間の人たち、

離れたところに住む人、ふだん疎遠だった人も、

見舞いに来てくれた。

 うれしいだけだった。

 来る来ないいのかかわらず、生きとしいけるものに、

何か挨拶をしたい感じ。

 「ありがとう」

 

 生のずっと向こうに死があって、それを迎えることを

恐れていた。

 その感じが薄くなった。

 生と死は、隣合わせ。

 死がどのように訪れるかは、偶然の要素も大きい

だろう。突然のときも、静かにか、苦しみながらか。

 生はどこまでいっても、生の本性、健康正常に

なろうとして、あらゆる活動をするだろう。

 老は現象面では衰えだけど、生のある間は、

目には見えなくとも、健康正常になろうとし、

生の条件が揃わなくなったときは、その作用を

次の世代に託すのだろう。

 

 ICUで「生きている」と実感したとき、孫たちが

来てくれたのが、とても嬉しかった。

 死の瞬間を、一生通じての最大の極楽境に

します、というコトバがある、

 どんなことを指し示しているか、よくは分からない。

 これは、どうも、自分のうれしい、とかかなしいとか

そういう世界のことではないかもしれない。

 生きているときにも、どんな世界で生きてきて、

それが次代に引き継がれるとき、どういう境地に

なるか、ということか・・・

 

 われら、年寄りの理想は「ピンピンコロリ」という

ことを聞く。

 ここには、死を恐れ、老いを疎み、誰かに迷惑を

かけまいとする、寂しさがつきまとう。

 

 今を、人と人とで成り立つ自分というものの、今を

健康正常になろうという世界のみで生きること、

そういう人と人の日々でありたいこと、死と隣合わ

せているといっても、何か満ち足りたものに突き

動かされている感じがしている。

 

あれから1年の感慨。