春に向かっているのが感じられる。
自然界の様子が移ろっていくにつれて、気持ちも変わっていく
感じがする。
気持ちというけど、これを「人の心の状態」というのはどうだろう?
すこし、今日は、平穏に過ごせた。
身体に何がおきているか、計りしれないけど、まずはよかった。
そんなときも、身体の状態とともに、心の状態もある。
これは、よかったのか、どうだったのか。
一喜一憂の不安定さを感じる。まだまだだなあ、と思う。
作家高橋源一郎さんが明治学院大学のゼミで「論破禁止」という
ことを学生たちと話し合っているという。
源一郎さんは、論破しようとしている姿は正しさに酔っているようで
美しくないという。
その人の姿には、見えないし、つかめないがそのときの心の
状態があるように思う。
今回の平昌オリンピックでカーリング女子が「そうだね~」と
お互いに声掛け合っていることが、話題なっている。
その掛け合いを聞いていると、緊張がほぐれて、和やかな
気持ちが流れるように見えた。
今日、テレビを見ていたら、競技はメンタル面が大きいといって、
精神面の研究をしたらしい。そのなかで、自分のなかでちょっと
でも、「これはどうかな」ということや、「こうやったらいいかな」
ということが心に微かでも湧いてきたら、素直に出してみた、と
語っていた。
今では、そういう気持ちを、素直に出してみると「そうだね~」と
他の人からのアイデアも出てくる。
見ていると、誰かがコースを決めてるとは見えなかった。
各自、素直に出しながら「そうしてみよう」と
なっているようだった。
「男はつらいよ」の歌詞で、「顔で笑って、心で泣いて」というのが
あるが、ここでも心の状態にやはり目が向けられている。
残念だけど、それが自分にとって、人にとって、どんなことかに
ついては「人間って、こんなもんだよな」で留まっているように
見える。もっと深いところの気持ちもあるかもしれないのに。
今度、発刊された「次の社会ーー人知革命」では、こんな項目が
あった。
人と人の間柄で、それぞれの人の心の状態に光が当てられている。
本の中の4コマ漫画。
こういう言葉を出したから、こんな気持ちがあったんだなんて、
決め付けられないけど、こういう言葉がどんな心の状態から
出てきたかは後でも、振り返ることができる。
場合によると、言葉とは全然違う気持ちのときだってあるよね。
きのう、友人が職場の若い人が、同僚たちがおしゃべりに夢中で
仕事の切り替えが出来ていない。
「切り替えようぜ」という言葉がいえなくて、何かひっかっかて
いると、相談されたそうだ。
「どう言っていいか、何かそのことを相手にいえない」のだそうだ。
友人はそれ聞きながら、「ああ、俺も職場のことをそんなふうに他人事のような目で、見ているときがあるなあ」と振り返って見たそうだ。
別れ際に友人が「そんな立場にならないようにしてきたんだけど
・・・」と言った。
そのとき、ぼくは「立場をかえても、その中身が変わらないとね」と
一言、思わず言っていた。
この言葉がでてきた心の状態はどんなだったか、微妙だけど、
心に残っている。
「論破禁止」のような、激しい気持ちではないが、ぼくの中に
「正しいこと」という強い気持ちが自分で知らないうちに、潜んでいるの
ではないか。
先ずは、この辺に焦点を当てながら、自分にも人にも、「そこんとこ
どうなっている?」と話し合いながらやっていきたいと思った。