かたつむり・つれづれ

アズワンコミュニテイ暮らし みやちまさゆき

気持ちと気持ちの世界って

2013-06-28 21:29:32 | アズワンコミュニテイ暮らし

 そんなの、あると、おもっている?いない?

 そんなのは、現実離れした、子どもの世界のこと?

 

 孫晴空が、事故のあと、学校をお休みしている。

 夕方、娘のアパートに、晴空の様子、見に行った。

 ちょうど、玄関から出てくるところに、ハチ合わせ。

 「おっ」と声をかける間もなく、入口のドアーを閉め

やがった。

 やりやがったなあ、とドアを開けようとした。

 開きゃしない。叩いてもダメ。

 

 おねちゃんの風友がドアを開けて出てきた。

 ドアって、簡単に開くもんだ。

 部屋に入ると、晴空、テレビに見入っている。

 笑ったり、微笑んだり、見つめたり、まるでその世界に

没入している。

 ソファでしばらく、テレビと晴空の様子見ていた。

 おねちゃんもソファに来て、ゴロリンとジジにもたれて・・・

 

 あんまり、晴空に声をかける気がしない。

 「じゃあな」

 晴空の頭に手をのせて、立ち上がった。

 「いまのところ、大丈夫か・・・」とおもう。

 

 

 糸井重里さんにこんな詩がある。


      なんでもないよ

 

   おとうさんっ

      なんだい

   おとうさんっ

      なあに

   おとうさんっ

      なにか ようかい

   おとうさんっ

      だから なあに

   なんでもないよ 

   ただ よんだだけ

   

     おとうさんっ

      はい

   おとうさんっ

      はいよ

   おとうさんっ

      はいはい

   おとうさんっ

      はいっ

   なんでもないよ

      ただ よんだだけ

   アハハハハ

      アハハハハ

 

 おとうさんと子どもの間には、具体的なやりとりが

ないのに、なにかそこに手応えのある実質がある

ように感じるのは、なんでだろう?

 

 日頃の人とのやりとりは、「なんでもないよ」どころか、

「なんだって、かんだだって、なんでも問題ありだよね」

 

 「ちょっと話したいんだけど・・・」と聞かれたら。だいたい、

「じぶんの都合はどうか」とか、「この人とは話したくない」とか、

「まあ断るのも、なんだから話そう」とか、断るときは、断る

理由を、探すんだよね。

 

 こんな時って、相手が「話したい」という心のなかの気持ちを

言っている、と受け取っていないよね。

 「話す」ということを、相手がじぶんに求めて来ている、ボールを

相手から投げられて、それをキャッチして、なにか投げ返さな

くっちゃ、と迫られているような。

 これって、おかしくない?


 相手はおもいついて、自分の気持ちを言っただけなんだよな。

 「やれ」とは、言ってないよね。

 たとえ、「やれ」という気持ちで相手が言ったとしても、それは

相手の人の心のなかで起きていることじゃないかな。

 じぶんはじぶんの気持ちが相手とは別にあるんだよね。


 最近、現実ってのは、どこにあるんだろう?っておもうときが

ある。

 アズワンコミュニテイを訪ねて来る人が増えてきた。

 各所で案内してもらう人にメールや電話をする。

 「これこれ、してほしい。都合はどうですか?」

 うーん、これって、とくに問題があることのようにおもって

いなかった。

 

 どう言ったらいいのか。

 この場合の現実があると言うのは、「都合がいい、やれますよ」

「都合が悪い、できない」こういうやりとりのなかにあるんだろうかな、

といことになるのかなあ。

 

 現実といったらいいのか、実際といったらいいのか、実質と

いったらいいのか。

 もしかしたら、ぼくはぼくの気持ちがあって、メールや電話を

している。「やれるか、やれないか」の前に、そこを受け取って

ほしいというのがあるのかなあ。

 相手は相手で、「やる、やらない」の前に、受けとったときの

気持ちや、彼のそのときおもっていることがある。

 そういうものが先ず「あるんじゃないか」ということ。

 それが、やりとりをするなかで、それぞれの心のなかで

どんなように変わっていくのか、いかないのか、そこが現実の

世界。実質の世界。

 気持ちと気持ちの世界。

 やる、やらない、できる、できないの世界の前。

 霧が晴れそうな、垂れこめていそうな・・・・

 

 

 

 

 


 


    

 


信じてもらえないかもしれませんが・・・

2013-06-28 14:17:29 | アズワンコミュニテイ暮らし

 鈴鹿は朝からじゃかじゃか雨。

 6月26日、梅雨入りのあと、こんなに降った日はあったけ。 

 石見尚(いわみ)先生、東京からアズワンコミュニテイの

調査のため、一人、やってこられた。1925生、おん歳88歳。

 

 石見翁は、1952年以来、「協同組合」の研究・調査・実践を

一貫してつづけている。

 今は、コミュニテイとアソシエーションの再生を求めて

「第二次協同社会研究会」を発足させて、東北大震災

以後、人間主義の原理にたつ地域社会のありようを

探っている。


 「孤独死が多い現在の社会で、親しい隣人がいる

アズワンコミュニティは、今後の日本のあり方を

示しているんじゃないか」というのが、調査の趣旨。

  


 雨は激しい。午後には帰京したいという。

 駆け足で「はたけ公園」 「お弁当屋さん」

「コミュニテイライフオフィス」「コミュニテイストア」を見学。


 はたけ公園は、車のなかから。

 中井さんが、夢ともうつつともつかない案内を歌うように。

 「蓮池で月見ですかあ。いいですねえ」と石見翁。

 中井さんに響いている。

 おべんとう屋さんは、美由紀さんと話す。

 石見翁、身障者を雇用してお弁当屋さんの経営に

かかわったことある。

 「へえー、そんなことでやれるんですか?」

 「働きの応じての給料じゃない?その人の必要を

相談して?・・・ほーっ、そんなふうにできる・・・」

 

 コミュニテイライフオフィスにて。

 竹本美代子さんが案内。

 「働くことは、お金のためじゃないですよね。お金に

しばられないように、やりたいことがやれて、暮らしも

安心してできる、そういう社会の機構がどうしたら

できるか、いろいろ試しています」

 石見翁「そうですかあ・・・」


 コミュニテイライフストア。

 「コミュニテイィ通貨でやっているんですよね?」石見翁。

 「いえ、昨年から贈り物でやっています」美代子さん。

 「ほーっ・・」

 「鈴鹿ファームの若者が、ほんとうにやりたいことは、

お金がほしいんじゃないよなあ。欲しい人に食べてもらいたい

ということだよな。やれるところから、やれる分、そのことを

やってみたい、というのではじまったんです。

 お弁当屋さんも、それをやりたかったと・・・。贈り物の

惣菜が毎日届きます」

 「贈り合いですかあ・・・」

 ランチは、アズワンコミュニテイステーションある喫茶室

にて。

 石見先生と片山弘子さんは、旧知の仲。先生からいろいろ

学んできましたね。

 おふくろさん弁当食べながら、アズワンコミュニテイが

どんなものか、大急ぎで説明。

 「サイエンズスクールがあって、一人ひとりがこころゆく

まで、じっくり自分を見つめられる機会がおおきいんですよ」

と弘子さん。


 今回の調査では、石見翁が主宰する小冊子「協同社会」に

アズワンコミュニテイの試みを、是非、取り上げたいという

熱いものを感じた。

 帰りがけ、「ここの試みをどうやって表現すればいいか、

これからぼくの宿題ですね。どうも、そのときの書き出しは、

”信じられないかもしれませんが”となってしまうかな・・・」


 午後2時ごろ、近鉄白子駅に送っていった。

 雨は止みそうにない。

 「また、来ますよ」

 「はいっ・・・」

 リックを背負って、駅の階段にゆっくり歩いて

帰路に着かれた。

 


 
 
<著書>
 「土地所有の経済法則」(未来社1966)
 「日本型田園都市論」(柏書房1985)
 「農系からの発想ーーポスト工業社会にむけて」
                (日本経済評論社1995)
 「都市に村をつくる
   ーー協同組合コミュニテイに根ざし国つくりのために」
                (日本経済評論社2012)

    

 


「晴空(はるく)が轢かれた!」

2013-06-25 07:04:05 | 家族あれやこれや

 晩ごはんの用意をしていた妻が、突然、「晴空が轢かれた!」と

叫んで、家と飛び出した。

 きのうの夕方、5時半ごろ。

 

 走って、ぼくもわが家の北側にある大通りへ。

 息がきれるので、すぐ歩きに・・・。気持ちは、急いて。

 

 大通りに向こう側の歩道のところに、ママに支えられて、

孫晴空が「痛いよー」と泣いていた。

 「頭は大丈夫か?」と娘に聞く。

 「うん、それは大丈夫みたい」

 

 しばらく待つ。救急車が到着。救急の診察、処置をして

くれた。

 病院には、娘と孫娘風友が晴空についていった。

 風友は、弟のそばを離れなかった。

 

 病院では、外傷の処置、レントゲンやCTで体内に異常は

ないか、チェック。異常は見られない。

 「これから、なにがおこるか分からない面はある。心配なら

入院してもいいが、家で様子をみてもらってもいい」とお医者

さん。


 9時前、娘のアパートに帰宅。

 大阪のパパとも電話で話したという。

 「みんながいるから、安心しな」というと、「パパがいない」

と泣きっ面。

 雄一くんが、お風呂場で擦り傷のところ、洗ってくれた。

 晴空は「痛ーい。やめて、やめて」と叫んでいた。

 

 晴空、風呂上がりは、いつもはパンツも履かないで、

真っ裸でウロウロするんだが、この夜はパンツを履いた

まま、眉をハの字に下げて、湿りがち。

 

 それにしても、一応、大事にはいたらなかったかなあ、と

ジジババもすこし安堵。

 

 

 事故はわが家の北側にある車の往来が頻繁な大通りで

起きた。

 晴空は自転車でその通りを横切ろうとしていた。

 信号機がない場所。直線コースの道路。

 東から来た車が、晴空が乗った自転車の真横にぶつかった。

 「時速は30~40キロぐらいですかね」と運転していた人。

 70歳近い年寄りの方。

 晴空はぶつかったあと、バンパーの上に乗かって、ブレーキが

かかって、道路に落ちたらしい。

 自転車は、車でひきずられたらしい跡があるが、本体は

壊れていない。

 

 警察の事故係の方が見えて、実況見分。

 運転手さんには、「前方をふつうに見ていたら、起きていなかった

かもしれませんね」と。

 ジジババには、「お孫さん、子どもだからというのもあり

ますが、横断歩道がないところを横切るとか、ヘルメット

つけていなかったところなど、十分注意してほしいです」と。

 

 晴空は、小学2年生になって、暮らしの領域がぐっと

広がっていた。

 大通りを挟んで、北側にサッカーをやる男の子の友だちが

できた。

 大通りの南、晴空のアパートの周辺には同年代の子どもが

たくさんいるが、なにせ女の子ばかりなんだな。

 その通りは割合、車の往来は少なく、子どものほうからすれば、

遊び広場になっている。そこで、ワイワイ遊んでいることも多い。

 大通りの向こう、北側の地域に公園がある。

 晴空には、そこは男の子がいる。

 やっぱり、そっちもワクワクするような楽しさがあるんだろうな。

 大通りを頻繁に横切っていた。

 

 「なにか起こらなければ・・・」

 いつも、どこかで、そんなことはおもっていた。

 2、3日前、娘が「晴空の自転車がない!」と朝、車を借りに来た。

「探してくる」

 すぐ「大通り北側の公園にあった」と帰ってきた。

 「誰かが家の前から持っていったのか、晴空が忘れてきたのか」

 「わからない・・・」と娘。

 

 子どもは、じぶんの興味のままに動いているようにみえる。

 なるだけ、それがこころゆくまでできるようにしてやりたい。

 でも、それに没頭して、周りがみえなくなるようなときは、

大人がなにか手を差し伸べる、そんなことも要るのかな。

 はっと、われにかえる、そんな体験を・・・

 

 それにしても、文句を言うつもりはないけど、鈴鹿の街は

どちらかというと、車優先。歩く、自転車は車道と町並みの

間のわずかなスペースしかない。

 どんな街になっていくのか。

 施策をどうする、ということというより、子どもがどんなに

育つ、成長する、本来の姿は? そこから見ていきたい。

 

 ああ、晴空よ、天真を失わず、願わくば、ときにはママや

パパや大人の人の気持ちをすこしは察して・・・・

 

 


ひとり暮らし

2013-06-18 06:46:16 | アズワンコミュニテイ暮らし

 妻は日曜の昼から一週間、お出かけした。

 サイエンズスクール「人生を知るためのコース」

 日が照って、蒸し暑い日だった。

 

 春も、一週間「内観コース」に出かけた。

 「行ってもいい?」と妻。

 その時は、「ああ、清々する」とうそぶいていた。

 その間、体調がおかしくなり、隣に妻が居てくれる

有り難味が身に滲みた。

 

 今回は、すこし謙虚だ。

 コースの参加は応援したい。ひとりは、なにかすがるものが

ないという、たよりなさの感じ。

 「ああ、妻にもたれているのかなあ」つぶやき。

 「行ってもいい?」と妻は念を押してきた。

 「ああいいよ。桃子の世話になろうかな」

 

 晩ごはんは、娘や孫の風友と晴空がやってきた。

 賑やかな夕餉。

 やがて、彼らは、ワイワイいいながら、娘のアパートに

帰って行った。


 部屋にひとり。

 いつもは、取り立てて話すこともないが、食後、

妻がお茶を入れてくれて、テレビを見たり、いつの

間にか妻が居なくなると、隣の部屋でパソコンで

トランプゲームをしている。

 その妻が隣にいない。


 昨年末、心臓が止まった。隣に寝ていた妻の機転で

障害もなく、生命を長らえた。

 「奥さんに感謝しなさい」と多くの人から聞いた。

 妻も隣にいて、発見が早かったことを安堵している。

 除細動器を心臓のところに植え込んだ。

 これなら、いつどこで発作が起きても、心臓のはたらきを

とりあえず保ってくれるという。

 かといって、サイボークになったわけでもないだろう。

 いずれは、この世とおさらば、となる。

 その後、息切れが顕著になり、めっきり体力がおちた感が

ある。一方、顔の色艶がなんだかよいらしく、人に会うと

「元気そうですね」と声をかけていただく。

 「ええ、まあ、ぼちぼちです」と口ごもる。


 食後、すぐ寝てしまって、夜中に目が覚める。

 そんなときでも、隣にはいつもいろんな格好で寝ている妻

がいた。

 今はその影すらない。


 晩ごはんのとき、孫の晴空が雄一くんに、突然、

「ねええ、ねええ」と問いかけていた。。

 「地球が星の周りりを回っているの、それとも星が地球の

周りを回っているの?」

 「どうして、そんなことかんがえた?」と雄一くん。

 「だって、地球と星がいっしょに回るなんて、できないでしょ」

 「うーん」と雄一くん。

 「地球と星がどんなことになっているか分からないけど、

地球も星もぶつからないで、やってるよな」これは、ぼく。


 晴空は、宇宙のことを想像している。

 図書館や学校で、そのきっかけをもらってくるようだ。

 子どもは、無邪気に遊びまわっているだけではないんだ。


 「ねえねえ、人ってどこからきたの?」とまた雄一くんに

問い始めた。

 「人って」という言い方が晴空のなかにあるんかあ。

 「晴空は?」と雄一くん。

 「ママのおなかから」

 「じゃあ、ママは」

 「オジジ」

 「そのオジジは?」

 そしたら、ずっとずっと前から、これだと決められないけど、

ずっとずっと、おそらく宇宙のどこかに、はじまりはあるかも

しれない、でも、分からない。

 どこまでも、続く。

 「どのくらい前だとおもう」と雄一くん。

 「100年」と晴空。


 暗い部屋でひとり寝ていると、「ひとりなんだ」という

実感がわいてくる。

 「寂しい」みたいなもの、たしかにある。

 不思議だけど、「うひひひ、ひとりなんだ」という愉悦感

みたいなものもある。

 枕元には、読みたい本を何冊か置く。

 蛍光灯をつけて、妻が目を覚まさないか、気をつかわなく

てよい。

 カラダを大の字にして寝る。ひろびろしている。


 どっちが先か。この世とあの世のこと。

 昨年はぼくだけでなく、妻も自転車でコケて、足のじん帯が

切れて、一ヶ月ほど肢体不自由の暮らしをした。

 「ああ、こんなことがあるんだ。先にいくのは、ぼくだと固く

決めていたけど、こんなことどっちが先かなんてわからない」


 いまのところ、「どうも、やはり、ぼくだろな」に傾いている。

 妻のいない暮らしを想像したくないのかなあ。


 ひとりといっても、娘一家は近くにいるし、親しく暮らしていこうぜ、

という人たちも周りにいる。

 カラダの衰えを感じている。

 いままでのように、「おれはひとりでやれる」といきがるものは

なくなってはいないが、薄くなっている。


 谷川俊太郎さんのエッセイを読んでいて、偕老同穴という

四文字熟語を知った。

 「夫婦の仲がよいこと。ともに老い、ともに同じ墓に入ること」

 いやあ、そういう意味かあ。

 妻とは、27年連れ添っている。

 いろいろ世話になったし、迷惑もかけてきた。

 ここ3年ほど、やっと「通じる」という感じがでてきている。

「ともに墓に入るかあ」そこまでは、おもってもみなかった。


 谷川さんは、「ひとり暮らし」というエッセイのなかで、

家族についてこんなこと言っている。

  ーーもたれ合う、依存し合う家族よりも、ゆるやかな

     絆でむすばれた個人の集まりとして家族をとら

     えるほうがいいのではないかと、その是非はともかく

     として私はかんがえるようになっています。

      たとい血がつながっていようと、結婚の誓いを

     ともにしていようと、自分ではない人間を一個の

     他者と考えることが必要な時代になっていると

     思うのです。


 「もたれ合う」「依存し合う」

 言葉の意味はなんとなく分かるし、「したほうがいい」とか

「しないほうがいい」とか、そういう心のなかの反応もあるけど、

じぶんのアタマのほうにばかり関心がいっていて、実際が

どうなっているか、自縄自縛・こんがらがっていては、そこは

見えてこないのでは・・・

 足下にある世界には、「もたれ合う」も「依存し合う」もないこと

霧が晴れるように、見えてくるときがくるはずだ、いのちある

間に。




 


 

 

 

 

 


ほんとうに住みよい社会に

2013-06-11 01:16:33 | アズワンコミュニテイ暮らし

 梅雨入りしてから雨が降らない。

 「おかしいではないか?」変な気持ちになる。

 なにが、おかしいのだろう?

 

 「山路を登りながら、こう考えた。智に働けば角が立つ。

情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに

この世は住みにくい」

 明治の人、夏目漱石さんの言葉。

 自分というものが意識されてきたとき、世間のしがらみが

強く意識されるのだろうか。

 「とかくにこの世は住みにくい」

 

 「しがらみ」を辞書でしらべると、

  1、並べて打った杭に竹や木の枝をからめて、水の流れを

    せきとめたもの、

  2、まつわりついて、はなれないもの、

とある。

 

 東北大震災以後、「きずな」ということが多く言われている。

 「人と人のあいだの、断ちきることのできない結びつき」

 人情の深さを想像させる。

 この言葉、微妙なところがある。つなぎとめる、縛るなど、

「しがらみ 」になりかねない実感もある。


 「きづな」にしても、「しがらみ」にしても、人と人のあいだの

こと。

 社会といっても、そういう実体があるわけでないだろう。

人と人のあいだがどうなっているか、そこに実体があるの

だろう。


 「一人一人の意志が尊重される自由なコミュニティ」という

観点で、このところ、かんがえている。

 

 「一人一人の意志」というとき、「自分の意志はもちろん、

他の人の意志も尊重されているかどうか」と問うてみた。

 「尊重したほうがいい」「尊重すべき」「尊重して当然」

 意識の上では、そういうのが、じぶんのなかにあるように

おもう。

 それって、「尊重」ということになっているかどうか?


 そもそも、じぶんがどう考えようが、どう見ようが、自分に

たいしても、ほかの人にたいしても、「それぞれに意志が

ある」と、見えているか?

 実際が、じぶんのなかで、どのようになっているのか?

 

 日常の何気ないやりとり。

 妻と二人、車で出かけようとしている。

 妻「行きましょう」

 ぼく「おお」

 玄関を出てから・・・

 妻「ちょっと・・・」と引き返す。

 ぼく、車で待つ。

 「なかなか来ないなあ」

 「何をしてるのか?」

 「いつまで待たせるんだ!」

 「いつも、こうなんだから。女というのは・・・」

 妻がやってきた。

 ぼく「なにしてたんだ?こんなに待たせて」

 妻「わたしにだって、いろいろやることがあるのよ」

 

 いやあ、出かけ際にこんなことになること、ぼくは

願っていない。妻はもちろんそうだろう。

 あまりにも日常的なやりとりで、「これが夫婦ってもんだ」

といえば言えないこともない。

 それにしても、お互いに気分のいいものでない。

 何か、お互いがからまって、身動きできない関係に

なっていくのがわかる。

 まして、「一人一人の意志が尊重される」とか、「自由な

コミュニテイ」というところから、この状況を見たら、どんな

ことになるんだろう。

 

  静かに振り返ってみると・・・

 自問自答。

 「なかなか来ない」というのが発端かなあ。

 「そうおもうのに、なにか問題ある?」

 「うーん、そこんとこ、じぶんが”思っている”ところに

止まっていないんじゃないかな?”実際、なかなか来ない”

になっていないかな?」

 「実際、来ていないから、なかなか来ない、とおもった」

 「そこ、どうなんだろうね?」

 

 「”いつまで待たせるんだ”は、妻が実際していること、

を言ったのか?」

 「えっ、だって実際、ぼくを待たせている」

 「実際は、妻はなにかやることがあって、やっている、

ということじゃないか。”待たせる”とか”待たせられる”

というのは、頭ん中のことじゃないか?」

 「えっ、あー、うーん」

 

 なんか、じぶんの頭ん中のことに振り回されている感じ。

 しかも、「妻がなかなか来ない」「妻から待たされている」と

妻が酷いことをしていて、ぼくは悲しい被害者のよう。

 「妻には妻の意志がある」というのがまったく抜けている。

 

 一方、「ぼくにはぼくの意志がある」というところから見ても、

妻についていろいろおもっているが、そのとき自分はどうし

たいのか、というものがない。

 「ホントに妻と一緒にいきたい」とおもっているのか。

 「妻に用事があるというなら、確かめて出かける時間を

かえよう」とおもっているのか。

 「先に、一人ででも行きたい」とおもっているのか。

 「相手がオレを待たせている」ということには関心が

いっているけど、自分の意志には無関心。

 妻の意志にも、じぶんの意志にも、無関心というほかない。

 あらら・・・。


 小学6年の孫娘と小学2年の男の子が、近くにママと

暮らしている。

  最近、孫の様子を見ていて、かんがえさせられることが

多い。

 

 ママが横浜に出かけるというので、孫がわが家に泊まる

ことになった。

 翌朝、ぼくがトイレに座っていたら、男の子がドアを開けた。

 オチンチンをもう出していいて、「どいて」という。

 「いま、使っている」という。

 孫は、トイレに入ってきて、「横からさして」という。

 ぼくは、孫に便器を明け渡した。

 

 なんか、清々しいとおもった。

 「どいて」というのは、ぼくからみたら無茶なことだ。

 トイレを明け渡したぼくは、「やらされた」というのが残って

いない。子どもだからだろうか?

 それだけでは、ない感じがする。

 孫には、「こうすべき」とか、「しちゃいけない」とか、「しなくっちゃ」

みたいなものが無いのだろう。

 「どいて」は、相手をどうこうしようというよりは、「どいてくれな

かったら、おっしこが出ちゃう」ということだったのでは。

 おもいだしただけでも、笑けてくる。

 不思議なもんで、孫とぼくのあいだに、こんがらがってくるもの

はないようだ。

 

 子どもには、「こうした方がよい」とか、「こうすべき」とか、

「しなくっちゃ」というのがないように見える。

 じぶんがやりたくないことは、やらない。

 「返事しなさい」とか「風呂に入りなさい」といっても、テレビに

夢中のときは、「返事もしないし」、梃子でも動かん。

 なんかの拍子に、これしよう、となったら、さっきあんなに

没入していたのに、さっさとそっちへ、飛んでいく。

 

 「○○された」「しなくっちゃ」「こんなにしたほうがいいだろうか?」

 アタマのなかで、知らない間にこんなおもいで、じぶんでじぶんを

縛っている・・・?

 こんなときは、じぶんはどうしたいか、そこに関心がいっていない。

 じぶんの意志は?

 

 生まれたときから、ずっとそんなんじゃ、なかったんではないか、

とはおもう。

 気がついたら、そんな自分になっていた。

 といって、突然、急に、ではないだろう。

 だんだんと、しみこむように。すでにある社会環境から、

両親はじめ、たくさんの人やことを通して・・・・

 

 子どもの例を出したら、「そんなのは子どものときのことでしょ!」

と一蹴されてしまうかもしれない。

 そだよね、大人になるって、「こうしたほうがよい」とか、

「そんなことはするもんじゃないよ」とか、「挨拶が出来る人に

なりなさい」とか、「少しは人の迷惑ということをかんがえなさい」

とか、そういいうことを身につけていくかの如し・・・


 孫たちを見ていると、兄弟のあいだで自分を主張して大喧嘩して

いるかとおもえば、弟や姉が何をおもっているか、よく見ていて、

知っていて、とても適切に声かけたり、手を貸したり、場合によると

見るだけでほっておいたり、している。

 

 「しなくっちゃ」とか「すべき」とういうのが、個人にも社会にも、無い

となったら、どんなことになるだろう?

 秩序が乱れて、滅茶苦茶になるだろうか?

 どこか潜在的にそのことを、不安におもっているいるじぶんがある。

 当たり前の人の姿、社会のありようはどんなものだろう?

 

 秩序が乱れると恐れるのは、そういうことがベースになった人や

社会が可能だとういう、ことを知らないからだとおもう。

 そこをベースにした、人と人のあいだ、その実質がどんなことに

なるか、いまだかつて、知らない世界なのかもしれない。

 

 「こんがらがって、しがらんでいる、というのが、世の中というものよ」

 ああ、男はつらい、とやってきた。

 

 「しなくっちゃ」「すべき」が無くて、あるいは無いからこそ、じぶんが

本当にやりたいことを、やれるだけ、やれる分だけ、気持ちのままに

やれるのだろう。

 そういうものが無くなったら、一人ひとりが自分勝手になって、社会が

バラバラになるのだろうか。

 バラバラにならないてために、話し合いをたくさんして、意見がまとまる

ようにしなくくちゃならないだろうか?

 

 ここんとこ、アタマを冷やしながら、こころの底に耳を傾けながら、

誰もが、無理なく、明るくて清々しい人生がおくれる社会がどこに

どんなふうにあらわれるか、見ていきたい。

 住みよい社会は実現できるか。

 それは、出来る、いまじぶんの周囲社会から出来る。

 希望はある。


 宮沢賢治の言葉がある。

「ああだれか来てわたくしに云え、

”億の巨匠が並んでうまれ、

 しかも互いに相犯さない、

 明るい世界はかならず来ると”」


 自分を知り、人生を知り、社会を知る。

 ぼくのばあい、そこが希望の源泉のように感じる。