今日は所属する熊谷トレッキング同人の結成20周年記念パーティでした。
挨拶するいっしー会長。
しま前会長。
全国連盟副理事や県連理事長、県内北部ブロックの各会来賓からも記念講演と祝辞をいただきました。
15年務めた事務局長を今期から退任しましたが、このパーティを準備してくれた現執行部に感謝です。
テーブルに並べられた熊トレの歴史といってもいい会報誌「山旅」。
これまで25集発刊しました。会結成前の前身であるヒマラヤトレッキンググループの5巻があります。
ナンバーが入っていない第1集。
ツアー会社などを通さず、まさしく我々の手作り(手探り)のインドヒマラヤ旅でした。
当時はまだ日本人があまり訪れていなかったマナリを起点としたセントラルラホール山群トレッキングが報告されています。
巻頭のみ紹介します。
熊トレ最大の挑戦であったインドヒマラヤ無名峰遠征報告と、
たくさん支援くださった初代労山会長でマナリ山荘風来坊を切り盛りされていた森田千里先生の花ハンドブック、
そして自分にとって山と人生の師である村越先生の遺稿集。
「自由に生きろ、それを享受できる力量をもて」が熊高山岳部員や若者達への先生のメッセージでした。
「先輩から教わったことは自分のものだけにせず、後輩や後に続くものに伝えろ」とも常々語られていました。
どの程度実践できているかはわかりませんが、熊トレも20年続いたので、最低限の教えは守っているかな。
記念バンダナに描かれたチャンドラタールからのムルキラ峰を、今夏、久しぶりに組織した熊トレトレッキング隊が眺めてきてくれるはずです。
挨拶するいっしー会長。
しま前会長。
全国連盟副理事や県連理事長、県内北部ブロックの各会来賓からも記念講演と祝辞をいただきました。
15年務めた事務局長を今期から退任しましたが、このパーティを準備してくれた現執行部に感謝です。
テーブルに並べられた熊トレの歴史といってもいい会報誌「山旅」。
これまで25集発刊しました。会結成前の前身であるヒマラヤトレッキンググループの5巻があります。
ナンバーが入っていない第1集。
ツアー会社などを通さず、まさしく我々の手作り(手探り)のインドヒマラヤ旅でした。
当時はまだ日本人があまり訪れていなかったマナリを起点としたセントラルラホール山群トレッキングが報告されています。
巻頭のみ紹介します。
熊トレ最大の挑戦であったインドヒマラヤ無名峰遠征報告と、
たくさん支援くださった初代労山会長でマナリ山荘風来坊を切り盛りされていた森田千里先生の花ハンドブック、
そして自分にとって山と人生の師である村越先生の遺稿集。
「自由に生きろ、それを享受できる力量をもて」が熊高山岳部員や若者達への先生のメッセージでした。
「先輩から教わったことは自分のものだけにせず、後輩や後に続くものに伝えろ」とも常々語られていました。
どの程度実践できているかはわかりませんが、熊トレも20年続いたので、最低限の教えは守っているかな。
記念バンダナに描かれたチャンドラタールからのムルキラ峰を、今夏、久しぶりに組織した熊トレトレッキング隊が眺めてきてくれるはずです。
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