阪神・淡路大震災から21年、島岡美延です。
戦後50年の節目の1995年1月17日、夜明け前に未曽有の災害に襲われた関西。
高速道路やマンションが倒れ、街中で火災発生…。
携帯電話での情報も、今ほど簡単に入らなかったあの頃。
西宮市に引っ越した友人の安否が心配でした。
成人の日(1月15日)に引っ越した友人一家。
断水、停電の中、赤ちゃんを抱えた彼女を社宅の奥さんたちが本当に助けてくれたそう。
あの年、西宮を訪ねましたが、その後、自分が震度5弱を体験すると思っていませんでした。
災害の映像をテレビで見ても、現地に行っても、「自分の身に降りかかる」まで、“他人事”ではないでしょうか。
今朝、ふとんの中で想像してみました。
5時46分、巨大地震発生。
この部屋で震度6の揺れに見舞われたら?
水も出ないし、ガスも使えず、暖房も使えない…。
これは、自分が起きて、家が壊れていないケース。
目覚める前に家具や家の下敷きになった人が多かったことを教訓にしていますか?
戦後50年の節目の1995年1月17日、夜明け前に未曽有の災害に襲われた関西。
高速道路やマンションが倒れ、街中で火災発生…。
携帯電話での情報も、今ほど簡単に入らなかったあの頃。
西宮市に引っ越した友人の安否が心配でした。
成人の日(1月15日)に引っ越した友人一家。
断水、停電の中、赤ちゃんを抱えた彼女を社宅の奥さんたちが本当に助けてくれたそう。
あの年、西宮を訪ねましたが、その後、自分が震度5弱を体験すると思っていませんでした。
災害の映像をテレビで見ても、現地に行っても、「自分の身に降りかかる」まで、“他人事”ではないでしょうか。
今朝、ふとんの中で想像してみました。
5時46分、巨大地震発生。
この部屋で震度6の揺れに見舞われたら?
水も出ないし、ガスも使えず、暖房も使えない…。
これは、自分が起きて、家が壊れていないケース。
目覚める前に家具や家の下敷きになった人が多かったことを教訓にしていますか?