20日から23日まで『密蔵院・写仏展覧会』開催です。

秋のお彼岸は明日から一週間。中日(ちゅうにち)はいつも秋分の日であります。そんな中、入(い)りから中日まで、恒例の「密蔵院・写仏展覧会」(観覧自由)。今回は曼荼羅作品10点を含む作品群。さっき会の方が二人(二人合わせると年齢は170歳を越える)来てくださって、展示準備を手伝ってくださった。初心者用写仏体験コーナーも設置完了。どなたでもご覧いただけます。これから一週間、境内墓地があるお寺の寺域は、亡き人への感謝と報恩の想いを含んだお線香の香りと紫煙に包まれます。

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年齢制限無しだったアトラクション。

10年ぶりの家族旅行の二日目は、遊園地。私はもっぱらわが家の犬の綱を持っているつもりだったが、園内を回っているうちに、久しぶりにバイキングに乗りたくなった。で、次男と二人だけの乗客で、乗るのはもちろん一番怖い最後列。とりあえず、年齢制限はなかったが、あのような内臓浮遊感と、身体落下感に耐えられるのはあと何年だろうか。楽しい二日間だった。留守番をしてくれたE子とRに尽くせぬ感謝である。

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倭(やまと)の「真言」に思いを託して・・・

『定本講談全集』最終巻七を読了。思えば、この全集を目にしたのは、東日本大震災当日に芝の東京プリンスホテルで予定していた昼食会がキャンセルされて、その再チャレンジの日に、たまたま通り掛かった神田の古本屋だった。手元のお金不如意で、お店で近所の郵便局を聞いてATMでお金をおろしてすぐに購入し、配送しもらった。してみると、全集を読了するのにほぼ3年かかったことになる。聞いたことがない表現、いつか使ってみたい表現に付箋を貼りつつ、その表現をパソコンに打ち込んだページは、すでに60ページを越えた。してみれば、数百項目の芳彦新表現辞典ができたことになる。ある状況でしか使えない絶妙な表現な言い回しの数々。これらを縦横無尽に使った文章は、この二年で書き上げる本に集約されることだろう。言葉に対して敏感でいたい真言宗の坊主にとって、大和言葉の真言の集大成になれば面白いと思う。

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洗濯物と猫と蝶々

爽やかな今朝、犬の散歩をすれば、近所のマンションにはほとんど洗濯物が干していない。皆さんどこかへお泊まり旅行なのだろう。ふと見ると、子猫がシジミ蝶を捕まえようと、可愛いしぐさを見せてくれた。日光東照宮の左甚五郎作の「眠り猫」は牡丹の横で猫が寝ている構図だが、これは天下泰平を表すものだとか。いろいろと問題はある世の中だが、今日の江戸川区密蔵院近辺は、まずまず泰平の秋日和だった。

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住職が袖から出す物

8月の後半から、すっかり涼しい日が続いている東京。この夏、一日に何度も洗っては、住職室の窓に干してまた使った手拭いの出番は、とんとなくなってきた。白いハンカチで充分なのだ。おっと、これは白い着物を着た時に使う汗拭きの話である。時々頂戴するブランド物のハンカチを、着物の袖から出して手や顔を拭くだけの勇気は、私にはまだないのだ。

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さざえのお尻

講談の台本を読んでいて、今日見つけた傑作な表現である。娘が母親に、父親のことを言う場面に出てくる。「年を取ると段々根性が曲がって参りまして、サザエのお尻のようになります」。あはははは。サザエのお尻とは、殻の形状か、中身の緑色の内蔵のことかは判然としないけれど、面白い。いつか使ってみようと思うが、アチコチで私がこんな言い方をすれば、必ずや私が言われる羽目になる。でも、使いたい。うははは。

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命がけの読書

四か月ほど封印していた『定本講談名作全集』の最終巻7を開いた。いよいよ「忠臣蔵」だ。相変わらず、「いつか使ってみたい表現」に付箋を貼りながら500ページを読み進む心底。しかし、読み始めてすぐ眠気を催し、横になって読むことにした、が、甘かった。この本、重さが一キロと100グラムあるのだ。とても寝ころんで持ち上げて読める重量ではない。こういう本を寝ながら読むのは命がけである。あやうく顔面に落しそうになったところで、そっと胸の上において目を閉じた、のはいいが、こんどは胸が重苦しくて起きた。

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読書用メガネとは、そしてまた別物。

英語では"spectacles for ages"と言うらしいが、今日買った博品館の売り場には"reading glass(読書用メガネ)"と書いてあった。たしかに、文字を読むときにしか使わない。いつの間にか老眼鏡度数が2まで進んでいた。進んでいたのはそれだけではない。私の法話は、すでに用意している小道具よりもずっと進んでいるので、ここらへんで法話に合わせた小道具を用意しなくてはならない。そこで、銀座博品館へ足を運んだのである。けっこう面白い品が一カ所に集まっている。東急ハンズよりずっと楽に探せる確立が高い。残念ながらピーンとくる品はなかったけれど、それはそれで楽しい時間だった。

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夏バテ予防のお月さま

『怪し会7』の打ち上げは、密蔵院からは私一人の参加。茶風林さんお手配のお店で絶品のお料理とお酒だった。夏バテ予防になった。お酒を飲めない人以外は、私も含めて全員へべのレケだったはずだ。集合写真もいただいて、夏の総決算といったところ。犬にワクチンを打ってもらいに獣医さんの所に行ったら、動物も夏バテなのだろうか、とても混んでいた。夜になって中秋の名月が「栄養を取って、私のようにまん丸になりなよ」と言ってくれているような気がした。

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合理性と個性

法事を終えて、副住職のガラケイがもはや崩壊寸前の状態なので、「スマホに換えたら?」と言った。そのためには、名義人である父の個人確認が必要なのだそうで、二人でドコモショップへ。そうしたら機種変更には二時間待ちだそうで、ギャッと言って整理券だけいただいて帰宅。帰宅している間に、いっそのこと両親もスマホにしようということになった。機種の説明などは同じにすれば時間が短縮できるだろうと、三人同時に同じ機種に変更した。個性も何もあったものではないが、こうすることで、「分からないことは他の二人に聞ける」という望ましい状態になった。すでに個性ある三人なら、スマホで個性を出すよりも、合理性を優先させることで、心が穏やかでいられるという、至極当たり前の顛末である。

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