手の舞い、足の踏む所を知らず

喜び一杯で踊りだしたくなるとこを「手の舞い、足の踏む所を知らず」と言う。調べてもどうも詳しいことは分からない。きっと、どれだけ手を舞わせても、足を運んで踊ってみても場所が足りないと思えるほど、その喜びは有頂天だということなのだろうと思う。しかし、普通に解釈すれば、「踊ろうにも手をヒラヒラさせる空間もなく、足をついて踊る場所さえない」ではないかと思うのだ。否、今日、住職室を見てそう思ったのだ。「この乱雑さでは、とても手を舞わせ、足の踏む空間がないではないか」--そこで、床とj机の表面の90パーセントが見えるまで片づけをした。原稿を書き終えて次のことに取りかかるには、部屋の雰囲気(環境)を一新したほうがいいからだ。どうかに、過去三か月の遺産が視界から消えた。

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一件落着のあとは・・・

筆者が出版社に渡す最終原稿をなんと言うのだろう。俗に言う脱稿である。ふーっという感じである。三度見直しをしてどうにか読める文章になったが、筆者の思い込みが強い文章なので、これ以上原稿の矛盾点を見つけ、文字の統一をはかるのは無理である。だから出版のプロにお任せする。ここが自費出版との大きな違いだ。今まで何度がデータ消失の憂き目を見ているので初校からすべてプリントしてある。こうして並べてみると、この3か月の千辛万苦の跡がよく分かる。さて次は何をやるかな・・・・。

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そして、回るもの。

あやうく忘れるところだった。先週の『怪し会』では、お客さんの出入りで玄関が大きく開放される時間がある。その時、大量の蚊が入ってくる。それをいくらか防ごうと、8つほどの蚊とり線香を用意する。朝点けた蚊とり線香が消えてしまたので、スタッフのYKちゃん(23歳)に「蚊とり線香を点けてぐでぃ」と渦巻きを渡しながら頼んだ。少しして見に行くと、写真のような状態で、どこに点けようか迷っていた。わははははは。私の目がまわりそうだった。聞けば、家では蚊とり線香は使わないのだそうだ。よって点けたこともないという。「こうするんだよ」と教えたら、感激してくれた。わははは。もちろん、中央の細い穴についても????だった。素晴らしい!私にはそんなに感激できることは、あまり残されていないと思うとグヤジィのです。

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明日の準備のための、充実した本日と心得る今日もある。

宗派の庁舎で、簡単な個人研究中間報告を30人の前でして緊張。夜は家内が半年前からチケットを取ってくれていた円楽、昇太の二人会の落語会。お二人とも、まくらも本題もお見事。大田区の区民大ホールは満員。「笑点」の番組の影響だろう、70歳以上のお客さんが多かった。すっかり芸の中に埋没させてもらった二時間半だった。適度の緊張と緩和を過ごし、30分のドライブで帰宅し、一気に入浴からふとんに入って、明日の丸一日かけた原稿校正に取り組むの所存。充実の今日一日が、明日の活力につながるはずだ。

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「体の芯」なるもの

体に芯のようものがあるのか分からないけれど、今日は「体の芯が疲れてる」を実感。栄養ドリンクで強制的に元気にしなくても良い日程だっので助かった。2時間ほど寝たら、ほぐれた感じがして、夜のご詠歌へ出かけた。しばらくは早く寝ることを心がけて、8日の中秋の名月を目標に、体調をリカバーしようと思う。

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「使う前より綺麗にして返す」のお手本

『怪し会 漆(7)』も、大成功の中で終了。当日打ち上げで残っていたスタッフキャストは25人くらいだろうか。私は午前2時30分でフェイドアウト。明けて今日は13人がそのまま残っての大掃除。こんなに綺麗な客殿は年に一回くらいしか見られないだろうというくらい、綺麗にしてくれた(もちろん、本堂、トイレ、楽屋で使った部屋も同様である)。「貸していただいた時より綺麗にしてお返ししましょう」と制作チーフのSさんが言った通りになった。ありがたいことである。これにて私の夏も終了だ。実りの秋同様、心の実りを目指した季節にしたい。

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