時空と風光と十二天

時間と空間……「時空」ですね。

情緒的に言えば、時間と空間のことを日本人は「風光」と表現してきた……そう表現した詩人がいます。風が空間を、光が時間を表現しているのだろうと……。

仏教ではこれを12天として表します。
二次元の平面として北・北東・東・南東・南・南西・西・北西で、周囲ぐるりという「四方八方」の八方。
これに、上下が加わって、全部で十方(じっぽう)で三次元の「空間」を表します。それぞれに○○天という神さまが配当されています。
時間は、日天と月天の二人があてられます。昼と夜で時間を表しているんです。

 時間と空間にすっぽり包まれている私たち……。普段はあまり意識することはありません。
 しかし、どこかの場所で、何か真摯な取り組みをする時に、その場を護り、取り組みの間の時間が充実せんことを願ってきた、そんな人々が育んできた概念です。

 今日は今年最後の写仏の会。お手本は、「上」を担当する「梵天」。歴史的にはインドのバラモン教の最高神(宇宙の根本原理)のブラフマンが、「上方」の守護として仏教に取り入れられました。

 家の天井、屋根、空……今日は上を見上げてみませんか。葉っぱのフレディに会えるかもしれませんよ。
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さすがにtake a nap。

 朝、茨城県古河市へ出発。毎年年末にお伺いしているお寺へご詠歌の講習へ。
なかなか、おぼえてもらえないのは私の責任である。……であるが「みなさん、なかな頑固ですね」とニッコリ笑った。
 4時間の講習を終えて、次は千葉のご詠歌へ。千葉のご詠歌はふだんの半分の時間で、今日は忘年会。こちらは毎月お邪魔しているが、代行で帰って来るのは年に一度のこの日だけである。
 自分の運転していった車の助手席に40分も乗っているのは不思議な感覚だった。
 酔った頭で、代行をしている運転手さんや、その仕事にどれだけ関心を持てるのか……ずっと質問攻めで帰ってきた。面白かった。

 古河から千葉への移動は、さすがに眠く。千葉へ入ってからヤマダ電気の駐車場で20分の睡眠。英語ではちょっとした昼寝のことをナップという。
 久しぶりにtaka a napした…そういう話である。
 おかげで、かなり疲れがとれたので、しこたま紹興酒をいただいたが、風邪は引かないですみそうである。

 明日は写仏の広場。今年最後である。長男が本山から冬休みで帰ってきて、会場準備を大まかしてくれていた。助かった。今日はもう夜寝するだけである。合掌 
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我慢して掃かない

「皆さんに黄色いジュウタンを歩いていただこうと、我慢して銀杏の葉を掃くのをやめておきました」
 今日の浪曲の開会の挨拶の冒頭である。
 話の内容は半分ホント、半分ウソである。
 会場の準備でとても、落ち葉掃きをする時間が無かったのだ。

 で、今日も日本人の人情味あふれる解題四つ。

 玉川太福(だいふく)『不破数右衛門~芝居見物~』
 富士琴味『野口英世物語』
 鳳舞衣子『亀甲縞~二代目題十郎物語~』
 東家三楽『小春と軍事探偵』
 曲師 渡辺京子・伊丹明

 ぐははは。どれも面白かった。人情である。痛快である。時々お色気ありである。
 残念なのは、年末ということもあるのだろう。お客さんが四十名弱だったということ。かなり勿体ない企画だと思う。
 来年の六回分のスケジュールも決まったので、もっと宣伝しようと思う。

 浪曲も三味線も、生は空気も音も体で感じることができる。

 写真は、お客さんには見られない舞台袖からのワンショット(わざと三味線にピントを合わせました)。

 師匠たちを駅まで送って、土曜日結婚した「日本一のご両人」がお礼の挨拶に来てくれた。さわやかカップルである。
 用事がなけりゃ、夕飯を一緒に食べたかったところだが、ご詠歌の検定に呼ばれていたので出かけた。
 今日もゆっくり座っている時間は無い一日だった。年末の下旬はイベントごとや会などがでできなくなるので、私が外でやるべきことは、今週が山場である。
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坊主の私にできること

 毎月聲明ライブでお世話になっている新小岩のライブハウス[チピー]の出演者の一人、音大のピアノ科を卒業し、DJもこなし、およそ全てのジャンルの歌も歌い、役者でもある福井圭子さん。
 私もお世話になった。軽妙なお喋りも天下一品だった。
 その福井さんが先月27日に亡くなった。
 今日はチピーで、追悼ライブだった。縁がある人たちが福井さんを偲んで、演奏し、歌った3回のステージ。
 私は最初のステージの前に、遺影を前にお経を唱え、その後浪曲を聞きに行き、再びお店に戻って、最終ステージが終わった後、最後の〆として、再びお経をあげさせてもらった。
 店内の全員が合掌しつつ、般若心経を聞いてくれた。
 私が福井さんにできることと言えば、お経を読むくらいなのだ。
 ご冥福を祈り、明日の朝、お線香をあげたいと思う。
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なるほど花嫁

花嫁というのは、花のようだからなのだな。
今日の花嫁の控え室には、それにふさわしい華やかな花が飾られていました。
三国一の花嫁さんです。
媒酌人というのはじっと幸せな二人によりそっていればいいんですから、ありがたやです。
私たちもかつてこうやって門出を祝ってもらったんだと反省であります。
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幸多かれと

 家内は心配する。
「あなた、明日話すこと考えてるの?」
「まだ考えてないよ」
「ちゃんと、言わなくちゃいけないことは言わなくちゃダメよ」
「わかってるよ」
「言わなくてもいいことは、言っちゃ駄目だらかね」
「なんだよ、それ」
「放っておくと、あなたって何を言うかわかんないから、心配なのよ」
「でぇじょぶだ。しがねぇながらも姐さんよりゃ場数を踏んでる俺だ。任しといつくんねぇ」
「それ。そういう言い方するから、心配なのよ!」

 家内が心配しているのは、二人でやる媒酌人の、披露宴での私の挨拶だ。
①挙式の報告
②新郎新婦の紹介
③列席者へのお礼とお願い
--この三つが、昔から媒酌人が言うことだ。
 それははずさないで申し上げるつりである。
 結婚披露宴の目的は、二人をお祝いすることである。人生訓話を会場の人に聞かせることではない。楽しい場にすることである。
 その目標に向かっていれば、話に枠とか型とかなど有ろう筈もない。自分を信じて普通に話せばいいのだと思う。五十歳の坊主が、結婚二十五年の私が、等身大で普通にやればいいのだ。
 挙式する若い二人に幸多かれと、切に願う--それだけ思って喋ろうと思う。
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やるなら若いうち

 今日は実家のご詠歌。
 講員(ご詠歌をやる人をこう呼びます)さんは、難しい曲に四苦八苦。そりゃそうです。譜面を見ながら唱えるなんて普通はやりませんものね。加えて、鈴鉦の所作記号も見てちゃんとやらないといけない。
 
 ご詠歌って同時にやることが沢山あるんです。
 ①音程②音の長さ③所作④コブシのような唱える技術、そして⑤歌詞をどう自分の声で唱え上げていくか、歌詞の内容をイメージする--これだけの事を同時にやるのですから認知症防止にはもってこいです。

 講員さんは、それをやるのに四苦八苦ですが、お伝えするこうちらも全身全霊で聞き、見て「何故できないのか」「どうすればできるようになるのか」「今日の練習の中にどんな仏教の教えを組み込むか」などを考え続けます。2時間のお稽古が終われば双方ともクタクタです。

 「ご詠歌をやってみませんか」と色々な方に声をかけると何人からの方が「まだそんな年じゃないですから」とおっしゃいます。「やりたくありません」という事を婉曲に言っておられるのかもしれませんが、……もし、やるのなら早いほうがいいです。そんな簡単じゃありません。

 なにより、仏教の考え方を知るのは早いほうがいいです。仏教は予防医学みたいなもので、困った時ではなく、困らないために知っておいたほうがいいことの宝箱なのです。
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誰んだ、カレンダー

 今年も福島県の浜通り地域の同宗派の仏教青年会が、私の絵と言葉でカレンダーを作ってくれました。各お寺が檀家さんに配るためです。
 ご覧の通りの51㎝×73㎝のポスターサイズの横版!
 なるほど、浜通りの家々は大きな壁がある家が揃っているのでしょう。東京ではこれだけのサイズを横に貼れる家は、そうざらにあるものではありません。

 ご希望の方には差し上げたいのですが、残念ながら封筒では折れ目が入ってしまいます。密蔵院へお越しいただければ喜んで差し上げるのですが……。
 お檀家の皆さんには1月20日の護摩の日にお渡しする予定です。今しばらくお待ちください。┏〇"┓。

 昨日、今日はご詠歌の先生にならんとする方々の講習--歌をお伝えするわけですが、講師としては受講者の皆さんが、何が、どう、わからないのかを聞き耳たて続けるのは楽しくも、全神経を使うので、頭の芯が疲れます。わははは。
 頑張れ、未来の先生たち!
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『心がすっきり かるくなる 般若心経』明日発売!

 明日12月10日、永岡書店より、新しい本が出ます。
 『心がすっきり かるくなる 般若心経』
 600円 文庫サイズ ISBN978-4-52-47608-6

 各章の終わりに「芳彦和尚の相談箱」というコーナーがあって、さまざまな方の人生の質問に、ザックバランにお答しています。

 編集担当の方の粋な計らいで『人生を○洗い』とも『心の大そうじ』とも違った内容になりました。 

 読んでやっておくんなねぇ。┏〇"┓。

 今日はご詠歌の講習で、へとへとでこれ以上書けません。わははは。
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スジャータとジョンレノンとパールハーバー

 29歳で女房子供と王子という立場を捨てて、生老病死が代表する人間の「苦」からの開放を求めたお釈迦さまは、山にこもって難行苦行すること6年間。

 しかし、いくら体を痛めつける苦行をしたからとて、自分の内面の開放や、自分と宇宙との関わりから得られる広大無辺な心境の獲得はできないと山を下りる。

 近くにあった川で6年間の苦行の汗と垢を落して岸辺に立った姿は、悟りは開いていなくとも、気高く、そして尊かった。その姿に近所の村の女の子スジャータがヤギの乳でつくったお粥をお釈迦さまに供養(もてなし)をする。

 スジャータのくれた乳粥で体力を回復したお釈迦さまは、木の下の石の上に草を敷くと「これで悟りが開けなければこの座から立つことはすまい」と誓って、端然と座(ざ)す。

 座すこと7日間。ついに八日目の朝、明けの明星のきらめく時、豁然と悟りを開いた。---12月8日、未明のことだった。

「世の中のことはすべて、縁と縁が作用して結果が生じる。その結果は次の縁となり刻一刻と変化して止まない。大宇宙の中には、この諸行無常の大原則から逃れられるものとてなく、その変化に対応し、あるいは無視して、心安らかでいることは、神仏に頼らずとも、誰にでもできることなのだ」--それを釈迦は自ら示したことになる。

 お釈迦さまの苦悩の幕はここに降ろされた。そして、ここから仏教の幕が開いた。仏教では、今日12月8日を成道会(じょうどうえ)と言う。

 先ほど、読経の会の方々とお経とご詠歌を唱えて、お釈迦さまの成道を祝い、そして私たちもまた、釈迦の弟子の末裔としての思いを新たにした。

 12月8日は、ジョンレノンが凶弾に倒れた日、日本が真珠湾を攻撃した日としても有名だが、きっと誰かの誕生日でもあり、誰かの命日でもある。どんな記念日にとして位置づけ、どう自分の人生に活かしていくかは、私たちの心次第である。
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