仏教語の「知識」

仏教語の「知識」の意味は……
①サンスクリット語でミトラ(mitra)で、友だち・朋友のこと。
②「善知識」の略で、教えを説いて仏道に導く高僧のこと。

 この②の意味は、昭和の初めまの頃までは講談や落語、歌舞伎、浄瑠璃や浪曲にも普通に登場し、聞いた人は誰でも分かる言葉だったはずである。

 その証拠に、浪曲の広沢虎造の『清水の次郎長』の中で、次郎長に情けある言葉をかけてもらった人がこう言う場面がある。

「清水の貸元。名僧、知識の引導よりも、その一言(ひとこと)がありがたい」

 こんな言葉をいまどき言う人はいないと思うでしょう?でも、いるんです。
東京江戸川区の鹿骨の密蔵院というお寺に一人……。

 言われた方はビックリするようですが、ただ「ありがたい言葉をいただきました」と言うより、ずっと会話に広がりが出ます。

 T.P.Oを考慮して、やってみてはどうでしょう。

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札幌?

「札幌?」と思った。

今日の夕方電話。
「札幌のFM放送の者ですが、住職の名取芳彦さんいらっしゃいますか?」
「(札幌?どうして、札幌?と思いつつ)はい、私ですが……」
「リスナーの方から『三日坊主』について質問かあって、ネットで調べたらご住職の「言いたい放題」の198話にたどり着いて、とても参考になったのでお電話したのですが……」

 日本テンプルヴァンのホームページ上の「名取芳彦のちょっといい話」に『三日坊主』について書いたのは、もう一年前のことである。
 
 そのように辿ってきてくれるのは、単純に嬉しいことであることよ。

「ちょっといい話」版の
『三日坊主』はこちら→http://www.jtvan.co.jp/howa/Natori2/houwa198.html
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