横笛との結婚を父に反対された斎藤時頼(滝口入道)は、嵯峨の
往生院(滝口寺)に入り出家しました。これを知った横笛は時頼の
坊を探しあてますが、時頼は道心が揺らぐのを恐れて会わず、
やがて高野山に登り蓮華谷にある清浄心院に庵を結びました。
その後、滝口入道は仏道修行を積み大円院の第8代住職となります。
清浄心院の境内にあった滝口入道の草庵は、大正12年暮れに焼失し、
庵跡は庭となり、その前にあったという井戸は大円院に移されました。
大円院はもとは多聞院といい、延喜年間(901~923年)に
理源大師聖宝によって開創されました。その後、筑後柳川藩の
初代藩主立花宗茂の帰依を受け、寛永年間(1624~44)に
その法号大円院殿によって大円院と改めます。
江戸時代まで、当院は奥の院近くの蓮華谷にありましたが、
明治21年の大火後、小田原谷の現在地に移転しました。
大円院の境内にある井戸には、次のような伝承があります・
滝口入道(阿浄)が部屋から外を眺めていると、横笛が女人禁制の
山に鶯となって飛来し、古梅の枝にとまって思いを囀りましたが、
ついに傍の井戸に落ちて死んでしまいました。鶯が横笛の
化身であることに気づいた入道はその菩提を弔うため阿弥陀如来を刻み、
これを鶯阿弥陀如来像として大円院の本尊としたと寺は伝えています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4b/f8/684e0ca4ec0be4897286a407ad45095a.jpg)
清浄心院から小田原通を数百メートル西へ行くと、
滝口入道旧跡大円院があります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0e/dd/9e854c85bbb34bf0bf16163ec84ad6e4.jpg)
表門から玄関
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2d/84/7f5759e5e2417d8edd897b0597278829.jpg)
本堂前の鶯井(うぐいすい)と鴬梅(おうばい)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/59/e7/610865067d348c2ae6d571534f37e03a.jpg)
滝口入道旧跡・鴬梅鶯井の碑と
柳原 白蓮(大正から昭和にかけての歌人)の歌碑
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/08/39/bfca475b91a77d8c620b2e21fe8b7ef7.jpg)
♪鶯は大円院で今日も鳴く 一切煩悩空なりと 柳原 白蓮
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/51/8a/ea9b791df3a17f1950a23aadfba9f0a7.jpg)
高野山のメインストリートの小田原通りには、
昭和が色濃く残っている商店や土産物屋などが軒をつらねています。
万病に効くと言われる大師陀羅尼助(だらにすけ)を売る漢方薬店。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/14/75/925ab4dee6a0980db9c95f0e5a67202b.jpg)
高野山のあちこちで見かける高野槙を売る店。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2c/17/e9f45a7b012e7770af65e40111cfaaa3.jpg)
大円院前の小田原通り
昔は、この通りを乗合馬車が行き交っていました。
維盛出家(高野山滝口入道旧跡清浄心院)
滝口入道と横笛(滝口寺)
『アクセス』
「大円院」伊都郡高野町高野山594
南海高野線高野山駅から山内バス「小田原通バス停」下車徒歩1分。
『参考資料』
「カメラ散歩平家物語」朝日新聞社編 「和歌山県の地名」平凡社
彼女も華族の子女としての境遇から炭鉱王との政略結婚、宮崎竜介との不義、出奔と再会、離婚、結婚後からは竜介の病気により一家を支えての文筆活動と怒涛の生涯を前向きに生きられてますね。
その人が横笛の鶯を詠まれた歌はとても深い気がします。
源平の争いの渦巻く時代にあっては滝口入道にとっての横笛はいつしか、通り過ぎた過去の女人として菩提を弔ってあげる対象でしかなかった…男と女の思いのかけ方の差を感じました。
少しがっかりしますが、出家の動機は横笛との恋愛が
関係しているかも知れませんが、本当の原因は不明です。
したがって横笛の説話が史実かどうかわかりません。
聖出家の動機は愛執に苦しみながら仏門に入る懺悔話の類が多くあり、
この説話も高野聖の唱導によって形成された聖の発心譚と思われます。
『平家物語』では、出家の動機は、恋愛と孝行の板挟みとなった時頼が
全てを投げうって仏に心のよりどころを見つけるとあり、
心を鬼にして意志を貫く滝口入道の姿が、あとに展開する
維盛入水の介添え役につながるのです。
王朝時代と違って、動乱期のこの時代、新しい生き方をする女性も出てきているのに、
『平家物語』の恋人や妻たちの殆どが哀れな美人です。
そして最後は仏道に帰依したり、入水したりと、柳原白蓮のように逞しく生きていません。
新しい生き方をした女性は、別の機会にご紹介させていただきます。