平家物語・義経伝説の史跡を巡る
清盛や義経、義仲が歩いた道を辿っています
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万寿越 (源満仲)
兵庫県
/
2009-02-24
源満仲は藤原摂関家に仕え生活基盤を京都に置く一方、摂津国多田(川西市)に出て
沼地を開拓、河川を改修し、荘園を営み強力な地盤を築くとともに、
武士団を形成し勢力を伸ばします。多田は亀岡を経由すると都にもほど近く、
しかも周辺から隔絶した盆地であり、武士団を駐屯させて
軍事訓練を行うにはもってこいの場所でした。
摂津源氏が京へと往来した道がR423号線から分岐する旧道に残っています。
道の名は「まんじゅう」とも呼ばれていた満仲の名からとったと伝えられています。
亀岡市の曽我部建設傍の道から入ります。
「曽我部建設」京都府亀岡市曽我部町南条竹谷1
鳥居が見えてきました。
R423と合流します。
『参考資料』
「日本歴史地名大系」平凡社 「兵庫県の歴史」山川出版社、2004年
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法成寺跡・東...
六孫王神社清...
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コメント
凄い山道をお歩きになりましたね!
(
yukariko
)
2009-02-25 12:15:37
亀岡の湯の花温泉や穴太寺に行く時に樫田から東別院東掛→曽我部春日を通ります。
もちろんバイクや車ですが、そのあたりの山深さをよく知っています。
それを1時間かけて踏破されたとは素晴らしい探究心!
例会で『「万寿越え」を歩いてきました』とお聞きした時、『はてどこだったかしら?京の7道にあったかな?』と思いながらJTrimの話に戻ってしまいました。
地図上であの曲がりくねった線を書くのも大変ですが、歩く方がもっと大変だったでしょう!
今は何の変哲もない所、自分にとって身近な所が歴史上の大事な場所だったりするのが本当に面白いですね。
たしかに川西から京都に馬で走破するとしたら現在の地図の423号線を北上し山中からへ亀岡手前を9号線や縦貫道の近くを沓掛、老坂に出るのが一番早いでしょうね。
バイクで丹波方面にツーリングする時は茨木の山中から亀岡を通らず、豊能町から野間口、能勢町→173号線に抜けました。川西能勢口までもバイクです。
国道自体は走りやすい道ですが、時間短縮のために山中の小さな抜け道をつないで走り抜けていたので
満仲とその軍団にとても親近感が湧きました(笑)
清和源氏が生まれたいきさつを書いて下さったのでなぜ貴族のままではなく武士に転身したのか、が分かりました。
清和系統が皇位や栄達を望めなくなった時、経基の子満仲は一族郎党を率いて新しい生き方を模索した
という事ですね。
六孫王神社は明治になって境内がせまくなったと言っても、写真で見ると立派ですね。
その後源氏が台頭し幕府を開いた頼朝だけでなく、徳川氏も源氏を名乗ったから源氏の発祥地は手厚い保護を受けた事でしょう。
万寿越は車では無理ですが
(
sakura
)
2009-02-25 17:11:32
バイクが前方から駆けてきましたから、そんなに凄い道ではないと思います。
亀岡からだと時間がかかりますが、帰りは40分で下ってこれました。
道は一部しか残っていませんが、かって満仲、頼光、
多田行綱が行き来した道だと思うと楽しくなります。
川西方面へは電車ばかり利用していますが、車やバイクだと早いでしょうね。
多田は源氏発祥の地としてどなたもよくご存知ですが、
亀岡にも源平ゆかりの伝承地が頼政をはじめとして文覚、
那須与一、平重盛、義経などの足跡がみられます。
満仲は藤原氏特に摂関家に取り入り武士の棟梁への道を開くことになりました。
満仲はやり手だったのですね。
天皇の孫に生まれながら思いがけない人生を歩むことになった経基も
神龍池の中で安心したことでしょう。
同じ源氏でも村上天皇の孫・源師房を祖とする村上源氏は宮廷で栄え公家源氏となり、
京都の南西久我に別荘をもっていた久我、土御門などに分かれていきます。
村上源氏は平家物語にも度々登場します。
Yukarikoさんも覚えてらっしゃると思いますが、
久我美子という女優さんは久我源氏嫡流の子孫だそうです。
六孫王神社は元禄時代に徳川幕府により社殿を再建されています。
徳川家だけでなく譜代大名寄進の石灯篭も数基残っています。
先日はJtrmで地図に矢印を斜めに書き入れる方を教えて頂いてありがとうございました。
多分回転の角度がきつかったのでしょう。画像が汚くなってしまって…
今回は矢印を入れるだけにしました。
次の機会にまた挑戦してみます。
不要な画像の一部を消すのは、今回あちこちに使わせていただきました。
ご指導ありがとうございました。
絵を回転させると…どうしても
(
yukariko
)
2009-02-26 00:00:29
何度か回転を繰り返すとぼやけたり、汚くなります。
それで「シャープにする」を繰り返し、余計荒くなります。
今回きれいにお書きになり、矢印が所々に入っているので見易かったですから、ちょこっと使いたい時だけになさる方が苦労せずに済みます(笑)
先ほど今帰仁の模型の写真を見せて頂きました。
(
sakura
)
2009-02-26 13:30:27
今帰仁城跡の縮尺模型に赤い矢印を入れてらっしゃったのを
見せていただきましたが、画像がきれいなのでビックリ!
何度も経験して一度で決めないといけないようですね。
今、平治物語を読んでいます。
平治の乱後、頼朝が父義朝とともに大原から龍華越で湖西へ
途中父とはぐれ伊吹山へ逃れる所です。
一部でもルート入りの地図で案内できたらと思っています。
あの矢印はワードの直線で描きました!
(
yukariko
)
2009-02-26 19:42:59
あの矢印は画像をワードに呼び出してワードの直線で描きました!
その代りプリントスクリーンしてJTrimに張り付けると元画像より少し小さくなりました。
スライドショーの場合は周りの白い部分が多いので少々小さくなってもOKですが、photogooなどでサイズを揃えたい場合は拡大せずに余白を作ってサイズを揃える方がぼやけないでいいようです。
小さくしても滲みませんが拡大すると文字がぼやけますから。
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もちろんバイクや車ですが、そのあたりの山深さをよく知っています。
それを1時間かけて踏破されたとは素晴らしい探究心!
例会で『「万寿越え」を歩いてきました』とお聞きした時、『はてどこだったかしら?京の7道にあったかな?』と思いながらJTrimの話に戻ってしまいました。
地図上であの曲がりくねった線を書くのも大変ですが、歩く方がもっと大変だったでしょう!
今は何の変哲もない所、自分にとって身近な所が歴史上の大事な場所だったりするのが本当に面白いですね。
たしかに川西から京都に馬で走破するとしたら現在の地図の423号線を北上し山中からへ亀岡手前を9号線や縦貫道の近くを沓掛、老坂に出るのが一番早いでしょうね。
バイクで丹波方面にツーリングする時は茨木の山中から亀岡を通らず、豊能町から野間口、能勢町→173号線に抜けました。川西能勢口までもバイクです。
国道自体は走りやすい道ですが、時間短縮のために山中の小さな抜け道をつないで走り抜けていたので
満仲とその軍団にとても親近感が湧きました(笑)
清和源氏が生まれたいきさつを書いて下さったのでなぜ貴族のままではなく武士に転身したのか、が分かりました。
清和系統が皇位や栄達を望めなくなった時、経基の子満仲は一族郎党を率いて新しい生き方を模索した
という事ですね。
六孫王神社は明治になって境内がせまくなったと言っても、写真で見ると立派ですね。
その後源氏が台頭し幕府を開いた頼朝だけでなく、徳川氏も源氏を名乗ったから源氏の発祥地は手厚い保護を受けた事でしょう。
亀岡からだと時間がかかりますが、帰りは40分で下ってこれました。
道は一部しか残っていませんが、かって満仲、頼光、
多田行綱が行き来した道だと思うと楽しくなります。
川西方面へは電車ばかり利用していますが、車やバイクだと早いでしょうね。
多田は源氏発祥の地としてどなたもよくご存知ですが、
亀岡にも源平ゆかりの伝承地が頼政をはじめとして文覚、
那須与一、平重盛、義経などの足跡がみられます。
満仲は藤原氏特に摂関家に取り入り武士の棟梁への道を開くことになりました。
満仲はやり手だったのですね。
天皇の孫に生まれながら思いがけない人生を歩むことになった経基も
神龍池の中で安心したことでしょう。
同じ源氏でも村上天皇の孫・源師房を祖とする村上源氏は宮廷で栄え公家源氏となり、
京都の南西久我に別荘をもっていた久我、土御門などに分かれていきます。
村上源氏は平家物語にも度々登場します。
Yukarikoさんも覚えてらっしゃると思いますが、
久我美子という女優さんは久我源氏嫡流の子孫だそうです。
六孫王神社は元禄時代に徳川幕府により社殿を再建されています。
徳川家だけでなく譜代大名寄進の石灯篭も数基残っています。
先日はJtrmで地図に矢印を斜めに書き入れる方を教えて頂いてありがとうございました。
多分回転の角度がきつかったのでしょう。画像が汚くなってしまって…
今回は矢印を入れるだけにしました。
次の機会にまた挑戦してみます。
不要な画像の一部を消すのは、今回あちこちに使わせていただきました。
ご指導ありがとうございました。
それで「シャープにする」を繰り返し、余計荒くなります。
今回きれいにお書きになり、矢印が所々に入っているので見易かったですから、ちょこっと使いたい時だけになさる方が苦労せずに済みます(笑)
見せていただきましたが、画像がきれいなのでビックリ!
何度も経験して一度で決めないといけないようですね。
今、平治物語を読んでいます。
平治の乱後、頼朝が父義朝とともに大原から龍華越で湖西へ
途中父とはぐれ伊吹山へ逃れる所です。
一部でもルート入りの地図で案内できたらと思っています。
その代りプリントスクリーンしてJTrimに張り付けると元画像より少し小さくなりました。
スライドショーの場合は周りの白い部分が多いので少々小さくなってもOKですが、photogooなどでサイズを揃えたい場合は拡大せずに余白を作ってサイズを揃える方がぼやけないでいいようです。
小さくしても滲みませんが拡大すると文字がぼやけますから。