平家物語・義経伝説の史跡を巡る
清盛や義経、義仲が歩いた道を辿っています
 



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源頼政の家臣古川右内は、平治の乱(1160)後、隠居をして
頼政の政の一字を賜り「
太敬庵通圓政久」と名乗り、
宇治橋東詰に庵を結んでいました。

治承4年(1180)、頼政が以仁王を奉じて平家打倒の兵を挙げた際、
頼政のもとに馳せ参じて頼政に茶を献じ、
宇治川合戦で平家軍と戦い戦死したとされています。
狂言『通圓』は、この主従関係を物語った作品です。



その子孫は代々、通圓の姓を名乗って宇治橋の橋守となり、
そのかたわらに宇治橋東詰で茶店を営み今日に至ったという。
『今昔都名所図会』によると、店には初代通圓の像と秀吉が宇治橋三の間から
宇治川の水を汲ませたという釣瓶(つるべ)を秘蔵しています。


通圓の墓は、平等院の塔頭の浄土院境内の頼政供養塔の傍にあります。

太敬庵通圓之墓と刻まれています。

『参考資料』
竹村俊則「今昔都名所図会」(洛南)京都書院 竹村俊則「昭和京都名所図会」(南山城)駿々堂 
 

 

 







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