平家物語・義経伝説の史跡を巡る
清盛や義経、義仲が歩いた道を辿っています
 




国道9号線老ノ坂トンネル東口すぐ手前の細い旧山陰道を
南に入ると老ノ坂峠へと続きます。
老ノ坂峠は、古くから交通の要衝とされ山陰地方や丹波の産物、人々が
京へと行き交い賑わいました。
峠には山城国、丹波国の国境を示す石標が立ち、
そこから少し東へ行くと小高い塚上に酒呑童子の首を埋めたと伝えられる
首塚大明神が祀られています。

老ノ坂は古くは大枝(おおい)道とよんだが「おおい」が
つまって「おい」となり「老」の字をあてるようになった。(昭和京都名所図会)


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一条天皇の時代、都の若君、姫君が次々に誘拐され
財宝を盗まれる事件が発生した。陰陽師安倍晴明の占いにより、
大江山の奥に棲む酒呑童子を首領とする鬼たちの仕業と判った。
この鬼を退治するために源頼光と平井保昌が選ばれ、
八幡・日吉・熊野・住吉の神々に加護を祈り山伏姿に身をやつし、
頼光配下の渡辺綱・坂田金時・碓井貞光・卜部季武の四天王と共に
都を出発し深山に分け入ります。


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途中川辺で出会った洗濯中の老婆が
「この頃都では安倍晴明が泰山府君祭を行っているので、
式神、護法が都を巡察していて、酒呑童子は都から人を奪って来ることが
できないことが多く機嫌が悪い。」と語ります。
一行はさらに山を登り酒呑童子の館に辿りつき、童子の接待を受けます。
頼光は酒好きの童子に毒酒を勧め、酔った童子を激戦の末退治します。
本殿傍の由緒書きによると
鬼の首を持って都に凱旋する途中ここで休息しますが、
ここまで運んだ首がびくとも動かなくなり、仕方なくここに埋めたといいます。

※「泰山府君祭」
中国の泰山は死霊が集うよみの世界と考えられ、そこの神を府君といい
道教の祭神で閻魔大王と同一視され、死者の生前の善悪を裁判する神といわれた。
道教的な泰山府君祭を賀茂保憲と安倍晴明らが密教経典を参考にして
延命長寿と幸いを祈る日本独自の祭祀につくり変え安倍晴明が得意な祭祀だった。

※「式神」 安倍晴明や陰陽師が駆使したとされる神霊。
※「護法」 密教系の宗教者が用いた神霊で童子姿が多い。

※平安時代、密教と陰陽道が混沌としていて、
安倍晴明は式神と護法の両方を操っていた。(異界と日本人)


◆大江山
酒呑童子の大江山は京都府に二つあり、丹後・丹波の境の大江山は
御伽草子に描かれる酒呑童子や近世以降の酒呑童子説話の舞台です。

古代・中世では大江山といえば老ノ坂峠の大枝山のことをさし、
♪大江山生野 の道の遠ければ まだ文も見ず天橋立(百人一首・60番)
※「生野」 現在の福知山市内

小式部内侍が丹後守だった夫・平井(藤原)保昌とともに任地で暮らす
母・和泉式部を偲んで詠んだ大江山のことです。
謡曲「大江山」では
♪都のあたり程近きこの大江の山に籠居て
とあり、やはり老ノ坂峠の大江山が舞台になっています。

首塚大明神は首から上の病気平癒に効能があるとか。私がお参りした時にも
小雪がちらつく中、初老のご夫婦が杖をつきながら階段を上ってこられました。

『アクセス』
「首塚大明神」阪急桂駅より亀岡行きバス「老ノ坂」下車徒歩10分

国道9号線老ノ坂トンネル東口すぐ手前(京都側からみて左手)の細い旧山陰道を
南に入り、つきあたりを左折する。

『参考資料』
「異界と日本人」小松和彦 「京都魔界案内」小松和彦  高橋昌明「酒呑童子の誕生」もうひとつの日本文化

「京都異界の旅」志村有弘 文芸別冊「安倍晴明」河出書房 「昭和京都名所図会」(洛南)竹村俊則 



コメント ( 2 ) | Trackback (  )


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コメント
 
 
 
私もお参りしたいですね! (yukariko)
2009-01-25 19:49:32
小雪がちらつくとお書きの通り、雪が舞って寒そうですね。
それでもお参りする人が絶えないとは霊験あらたかなのでしょうか?

私も視力は落ちるし、飛蚊症はひどくなるし、記憶も頼りない…お参りしてみようかしらと思ったりしますが(笑)
首から上の病気といっても「脳梗塞」とか「脳血栓」とか目や耳、鼻の病気でないとダメかな?

ここでも「安倍晴明」が出てきて『うれしい!ばんざーい!』

丹念に実地に行かれてのとてもまじめな探訪記ですのにコメントに勝手な事ばかり書いて済みません。

でも大江山→大枝山なのが分かって嬉しくて…。
 
 
 
お願いしてきました! (sakura)
2009-01-26 14:59:56
私も物忘れがひどいし、歯はガタガタするし、
目が疲れてパソコンはとても長時間できないし、駄目もとで全てお願いしてきました。

「昭和京都名所図会」によるとこの神社への参詣者が絶えない。と書かれていますが、

旧山陰道は義経が一ノ谷に向った道でもあり当時は交通の要衝でしたが、
現在はとてもさみしい道です。

竹村先生は私の父親と同年代の方ですから、
少し前まではそうだったのでしょう。
寒い中車でお参りに来られていたご夫婦にお会いしましたが、
きっとこの神社の霊験をよくご存知なのでしょう。

大江について少し書き加えておきました。
コメント頂いて気づくことが多くありがたく思っています。

晴明の伝説は数多く残されていますが、
当時の権力者、花山天皇・道長との有名な伝説を次回記事にさせて頂きます。
 
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