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越前三位通盛は平教盛(清盛の異母弟)の嫡男です。
三草山で勝利した義経の進軍に備えて、能登守教経は兄の通盛(みちもり)、
弟の業盛(なりもり)とともに、鵯越の麓、夢野に陣を張り、教経(のりつね)配下の
侍大将平盛俊は古明泉寺を陣所とし、共に山の手を固めました。
通盛、教経が陣を張ったのは、氷室神社のあたりといわれています。
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通盛(教盛の嫡男)は合戦の前日、沖に停泊中の軍船から妻を陣地に呼び寄せ、
最後の別れを惜しみました。「明日の合戦では討たれるような気がするが、
自分が死んだあと、あなたがどのようにして生きていくのかと思うと心配だ。」と
心細そうにいうので、妻の小宰相は夫を力づけようと、
初めての妊娠を告げ喜びあいました。
そこへやってきた弟の能登守教経は「合戦を前にして悠長な別れとは何事だ。
今、敵が押しよせて来ても武装する暇もないでしょう。」と兄を叱りつけたので、
通盛は急いで鎧兜を身に着けて小宰相を帰しました。
この教経は、平家公達の中では一番の荒武者として知られ、
壇ノ浦では、太刀と長刀を両手にもって戦う勇壮な姿が描かれています。
通盛は武勇できたえたこの弟とはまるで違うタイプの公達だったようで、
『平家物語』では、武将としての姿より、小宰相とのロマンスを詳しく語っています。
通盛の予感は見事に的中し、その翌朝、この山ノ手の陣に
雪崩のように駆け下りてきた義経別動隊に急襲されて総崩れとなり、
弟達とも離れ離れになった通盛は、もはやこれまでと自害を覚悟して
東へ落ちて行くうちに、湊川の川下で近江国蒲生郡木村の住人
木村((宇多源氏佐々木氏とも)三郎成綱、武蔵国住人玉井四郎資景ら
七人に取り囲まれ討死しました。
彼らは大手の生田の森方面から突入してきた範頼の軍勢と思われます。
通盛に仕える滝口の武士の見田時員(けんだときかず)により、
小宰相のもとにその知らせがもたらされます。
「殿は今朝、湊川の川下で討死なさいました。時員も殿のお供をしたいと思いましたが、
以前から、もし通盛に何かあれば、そちはどんなことをしてでも生きのびて、
奥方の行方を探せと申しつけられていましたので、かいなき命を永らえて
ここまで参りました。」と申し上げると、小宰相は返事もせずに泣き伏してしまいました。
これまで度々の戦に一度も負けたことのなかった教経も、
今度は何としても勝てないと思ったのか「薄墨」という馬に乗って
西に向かって落ちて行き、そして明石の浦から舟で屋島に渡りました。
平通盛と小宰相2(願成寺)
神戸の氷室神社(能登守教経の山手の陣)
『アクセス』
「氷室神社」神戸市兵庫区氷室町2-15-1
JR・阪神・阪急「三宮駅」より市バス⑦にて「石井町」下車徒歩5分
JR「神戸駅」より市バス⑪にて「夢野三」下車徒歩5分
『参考資料』
「平家物語(下)」角川ソフィア文庫 新潮日本古典集成「平家物語(下)」新潮社
安田元久「源平の争乱」新人物往来社 別冊歴史読本「源義経の生涯」新人物往来社
安田元久「平家の群像」塙新書