風来庵風流記

縁側で、ひなたぼっこでもしながら、あれこれ心に映るよしなしごとを、そこはかとなく書き綴ります。

選挙ごっこ

2017-10-29 00:23:09 | 時事放談
 私が選挙なるものに目覚めたのは、小学校5年生のときだった。
 その前の4年生の後期に、同級生の一人に応援演説を頼まれた。その友人は宮崎君といい、当時から家庭教師について勉強がよくできて、だからと言って鼻持ちならない優等生ではなく、むしろ人当たりが良くて好かれるタイプで、お母様の志が高かったのだろう、息子をこの若さにして児童会に立候補させたのだった。児童会は、会長、副会長、会計、書記2名の計5名で構成され、狙ったのは若年層にも参入しやすいと思われた書記というポジションだった。他方、私は天真爛漫な野人で、家庭教師など縁もゆかりもなかったが何故か勉強はできて(と自慢するつもりはないが 笑)、周囲からは強力な二人のタッグを歓迎され、児童会なんぞ全く関心がなかった私もなんとなく引き受けざるを得ない状況に追い込まれた。ある友人は、これで私が立候補できなくなった、私を立候補させないために応援演説に指名したのではないかと陰口を叩いたが、小学校4年生にしてはマセた分析である(笑)。二人して頑張ったが、案の定、落選した。所詮、児童会は6年生の独擅場である。
 翌5年生になって、宮崎君とはクラスが分かれ、選挙になんとなく興味を持った私は野次馬根性で書記に立候補し、彼とも争ったが、6年生の壁は厚く、二人揃って落選した。ところが後期に異変が起こる。その若年層にも参入しやすいと思われた書記の一角に、何年か振りで5年生の分際で私が食い込んだのである。児童会役員の先輩方からは、名前に引っかけて「小僧」と呼ばれて可愛がられた(遊ばれた)。
 そしていよいよ6年生の前期、4クラスそれぞれから会長への立候補があり、クラスの名誉を賭けた(!?)ガチンコ勝負は、既に知名度抜群(?)の私が圧倒的強さで当選し(史上最多得票だったと後から教師に教えられた)、廊下で胴上げされ感涙にむせぶほど盛り上がった。手書きポスターを工夫し、応援演説の相棒は、お世辞にも勉強はできないけれども明るく物おじせず各教室を回っては私の名前を連呼するような破天荒に元気のいい笠松君に頼んだ。今、思い出しても、なかなか戦略的な選択である(笑)。因みに後期は小田さんという女性が会長に当選し、可哀想だったが宮崎君は敗れ続けた。
 恐らく社会で最も小さな、初歩的で幼くてカワイイ選挙だろう。日本で選挙と言えば伝統的に三バン(地盤=組織、看板=知名度、鞄=カネ)が重要だと言われ、ガキの選挙に札束は要らないが、地盤と看板が必要だとの認識は小学生にもある(笑)。そして選挙なんぞ人気投票に過ぎないことも肌で知っている。しかし、生徒の自治はバックに教師がいて限定的であり、児童会にしても選挙にしても所詮は「学習」の一環、ぶっちゃけた話「ごっこ」遊びの一つに過ぎない。
 前置きが長くなったが、今回の衆議院議員選挙から一週間経って冷静に振り返ると、野党の動きはなんとなくこの「ごっこ」遊びに見えてしまう(苦笑)。初歩的で幼くてカワイイ。もっともガキの選挙と違って三バンは必要だろう。しかし同じように人気投票だ。最大の違いは、バックに教師はなく、政治のプロとして、国民の負託を受けて国政を運営する責任を負う。とりわけ衆院選挙は政権選択選挙であり、既存政権の信任を占うものになる。それなのにドタバタが続き、厳しい安全保障環境と好景気の経済情勢に助けられ、安倍政権が信認された。注目すべきは投票率であり、私は以前から投票率を全ての政治家を評価する際のKPIの一つにすべきだと思っているが(苦笑)、53.68%と、台風に見舞われたとは言え、前回に続く史上二番目の低調さだった。政治不信は政治家不信でもあり、政治家を如何に養成するかが日本の政治の課題のように思う。
 そんなことをふと思ったのは、折しも隣の中国では5年振りの党大会と中央委員会全体会議(中全会)が開催され、日本のドタバタとは好対照に、実に整然かつ厳格に政治エリートが選抜されていたからだ。現在8940万人と言われる共産党員になるためには、人格・業績ともに優秀でなければならない。その中から2300人の党大会代表が北京の人民大会堂に集まり、投票によって約200人の中央委員と約100人の中央委員補が選ばれる。その翌日、開催される中全会で中央委員によって25人の政治局員が選ばれ、更にその中から最高指導部である政治局常務委員会委員(常務委員)7人が選ばれる。所謂チャイナ・セブンだ。習近平「総書記」はこの集団指導体制の「議長」の意味で(一人で責任を負う「主席」とは重みが違うが)、見事なまでのピラミッド構造は、好き・嫌いは別にして、迫力がある。
 イギリスのように階級社会だった国では、かつて貴族の子弟が帝王学を学んだケンブリッジ大学やオックスフォード大学といった名門大学から、保守党や労働党は優秀な学生をリクルートし、政治家として養成していくシステムがあるようである。
 片や日本では優秀な学生は官僚になる。せいぜい、かつての自民党の派閥が若手政治家を養成する機能を担っていたが、派閥政治のイメージが地に堕ちて、今では崩壊寸前になってしまった。つまり日本には政治家を養成する制度的枠組みがないのだ。ぽっと出のキャスターや弁護士あがりに勤まるほどヤワな職ではないし、松下政経塾がその役割を担えているかどうかも、その出身者を見る限り疑問だ。各政党は足の引っ張り合いにうつつを抜かし、離合集散を繰り返すのではなく、有権者が投票したくなるような候補者を養成し立候補させて欲しいものである。企業は人だと言う以上、政治も人だ。誰がなっても同じだと言って済むような時代ではないと思うし、そうだとすれば政治も有能な人を惹きつける魅力ある職にする必要があるように思う。
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