風来庵風流記

縁側で、ひなたぼっこでもしながら、あれこれ心に映るよしなしごとを、そこはかとなく書き綴ります。

為替は甘くない

2017-03-23 00:27:56 | 日々の生活
 私は製造業に務める人間で、もとより金融には興味なく、お金にお金を産ませる「金持ち父さん」のような芸当は出来ない。しかし、海外駐在で都合9年、三ヶ国に生活し、外国為替と付き合わざるを得ず、必要最低限のことはやってきた。
 1990年代後半のアメリカでは、会社から借金をする形で会社に為替リスクを負って貰っていたが、マレーシアでは、赴任したのが2005年夏、ちょうど中国の人民元改革に追従する形で通貨バスケット制による管理変動相場制に移行するときであり、マレーシアの通貨(リンギット:RM)は強くなることが予想されたため、欲を出して、現地での生活立ち上げ用と称して(会社から借金せずに)自己資金1千万円を持ち込み、数年の後のキャピタル・ゲインに大いに期待したのだった。そのときの銀行の窓口の方は驚かれていたが、この1千万円という金額はさほど大袈裟なものではない。当時、マレーシアでは国産車保護のため輸入外国車に対する関税が高く、アコードやカムリの新車は550万円、ホンダ・シティでも300万円近くしたのである。私の通勤用と家内の買物用の2台買えば、お釣りはたかが知れている。その後、帰国するとき、日本車は人気があるので高く売れて、現地給与と併せて、そこそこマレーシア・リンギットが溜まっていた。
 それで為替はどうなったか。
 アジア通貨危機以降は1USD=RM3.80に固定されていたところ、2005年7月から変動相場制に移行して、案の定、2008年1月には1USD=RM3.10あたりまで20%近くもリンギット高が進み、内心ほくそ笑んでいた。ところがその年の9月、リーマン・ショックに見舞われ、一気に1USD=RM3.70くらいまで戻してしまった。それでもマレーシア経済は堅調で、2012年~13年にかけて再びリンギット高が進んだが、その後の資源安で新興国経済は打撃を受け(マレーシアも一応は産油国である)、政情不安も重なり、また東南アジアの優等生と言われた当時のまま、製造業依存のモノづくりから(高付加価値なソフト開発等に)なかなか脱却できず、まるで中所得国の罠に陥ったかのようになんとなく冴えない。最近はトランプ相場もあって、今日、見てみると1USD=RM4.42まで下がっている。
 私は・・・と言うと、マレーシアに残して来た銀行口座を解約し日本に外国送金する遠隔の手続きが面倒臭く、むしろマレーシアでは最近でも3%前後の利息がつくくらいで、放ったらかしにしておいたところ、この8年弱でちまちまと残高が20%以上も増えていた。日本ではいつまで経ってもゼロなので、驚くべきことである(いや、日本のゼロこそが異常なのだ、為念)。しかし手付かずで放っておいたものだから、マレーシアの銀行から休眠口座にするとの通告があり、ややこしいことになるのは避けたかったため、やおらマレーシアから日本に全額戻すことに決めた。決めたのはいいが、既に良い時代は過ぎ去り、この一年、BREXITの投票あり、トランプ大統領の就任あり、視界不良の金融情勢の中、マレーシア・リンギットは相変わらず冴えないまま、折角稼いだ利息は為替低迷で相殺され、2009年に帰国した当時と比べて損をしない程度で、つい先週、引き揚げた次第である。
 神様は私の下衆な目論見など先刻ご承知である。為替はまったくもって難しい。
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