風来庵風流記

縁側で、ひなたぼっこでもしながら、あれこれ心に映るよしなしごとを、そこはかとなく書き綴ります。

「表現の不自由展」への違和感

2019-10-09 23:42:53 | 日々の生活
 政治色の強い作品が物議を醸していったん中止に追い込まれた「あいちトリエンナーレ2019」の企画展「表現の不自由展・その後」の展示が再開されたらしい。展示内容の全貌を知らないので、敢えてブログに書かなかったが、慰安婦像らしきものが鎮座していることはニュースで知っていたので、こりゃ論外だと思ったからでもあった。名古屋市の河村たかし市長が、同展の会場がある愛知芸術文化センター前の広場で抗議の座り込みを行ったらしく、賛同するが、その主張はやや分かりにくい。
 「表現の不自由展」企画の趣旨を正確には知らないが、想像するだに興味深く、「表現の自由」には最大限の敬意を払いたいと思うし、それが脅迫や抗議の電話や政治家の発言などに屈するとすれば問題であろう。しかし「表現の不自由」と言うからには政治的メッセージが含まれることは十分に予想できたはずで、実際にそうであれば、こうした政治的要素が強いものから行政は遠ざかるべきだと思う。近づいちゃいけない、つまり公金を出すべきではない。少なくとも日本を敵性国家と見る隣国の国民がわざわざ日本に来てまで政治的な主張を行うことに対して血税を投入するような馬鹿げたことにはならないようにして貰いたい。政治性を認めるかどうかの線引きは実のところ簡単ではないだろうが、右や左などの内容の如何に関わらず、政治性という一点で遠ざけるべきだと思う。もし、日本の従軍慰安婦問題も韓国のライダイハン問題も中国の少数民族迫害問題も同時に取り上げるとしたら、厳密にはそれぞれ同列に論じる性質のものではないにしても、大きく見れば政治性を超えて普遍的な人権擁護を主張することになるのかも知れないが・・・
 繰り返しになるが、仮に自費でやるのだとすれば、異なる歴史認識を主張しようが、昭和天皇の戦争責任を追及しようが、公序良俗に反しない限り、止めるべきではない。ヴォルテールの言葉として有名な、「私はあなたの意見には反対だ、だがあなたがそれを主張する権利は命をかけて守る」という一線は守られなければならない。問題は、公的な機関が、政治的メッセージが含まれるものに公金を投入するなどして肩入れしていると思わせることへの違和感ではないだろうか。
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