風来庵風流記

縁側で、ひなたぼっこでもしながら、あれこれ心に映るよしなしごとを、そこはかとなく書き綴ります。

子供の生命力

2018-08-16 01:40:39 | 日々の生活
 今日、静かに過ごした73度目の終戦記念日も、海釣り事故やらO26集団感染やら、事件・事故が相次いだ。そんな中、山口県周防大島町で三日前から行方が分からなくなっていた2歳の男の子が、今朝、無事保護されたというニュースには、ほっこりした。災害救助の「72時間の壁」(科学的根拠はないようだが)を超えようかというときだ。脱水症状があって点滴を受けたが、健康には問題がないという。最後に別れた祖父は責任を痛感しつつも神隠しにあったのかと思ったというが、正直な思いだろう。まさに見つからないのが不思議な事件だった。
 見つけたのは警察ではなく、災害や捜索ボランティアとして凄腕で有名らしい大分県日出町在住の78歳の男性で、しかも捜索を始めてからものの30分、なんだか100人規模の態勢で捜索していた警察も形無しのところがあるが、子供だから上に行くと思ったらぴったり当たったという。2年前、大分県佐伯市内で2歳の女児が行方不明になったときに、別のボランティア男性が警察などの捜索区域外の山道を登って崖の下で無事発見したという記憶が生きたようだ。偶然だったのか必然だったのかよく分からないが、いずれにしても良かった。
 それにしても、2歳と言っても、行方不明中の一昨日に2歳の誕生日を迎えたばかりの2歳である。却って動き回らずに体力を消耗しなくてよかったのか、沢の傍だったので水分を取れただろう、今朝は雨がぱらついたようだが、晴れの日が続き、最高気温34度、最低気温24度で、夜は冷え込まなくて良かったろうし、日中も山の中は多少は涼しかったろう、幸運な条件が重なった結果なのだろうが、子供の生命力には驚かされる。お母さんが恋しい年頃だろうに、よくがんばったものだ。
 因みに「72時間」ではなく「3の法則 The rule of threes」というものがあって、血液(血流)なしでは3秒と生きられない、空気なしでは3分間、保温(体温保持)なしでは3時間、水なしでは3日間、食糧なしでは3週間、同行者なし(孤立)では3ヶ月間以上は生きられない、などと英語圏のサバイバル業界では言われるらしい(Wikipedia)。なるほど。水なし3日間というのが72時間に相当するもので、72時間に科学的根拠がないと言われながらも、分からなくはない。
 そして大手柄のおじさんは、大分県内で鮮魚店を営んでいたが、65歳で辞めて、好きな登山を生かして山道の整備をしたり、体力を試そうと日本列島を歩いて縦断したり、被災地のボランティアにも取り組んで、2011年の東日本大震災では宮城県南三陸町で遺品探しを手伝い、その後、復興を願って本州一周徒歩の旅を敢行したり・・・タダモノではない。ブログ・タイトルは「子供の生命力」より「おじさんの神通力」とした方が適切だろうか(笑)。以下のAbema記事には泣けてしまった(苦笑)。記念に全文を引用する。

「大臣が来ようが関係ない。罰を受けても直に家族にお渡ししたかった」行方不明2歳児を発見した男性が会見
2018年8月15日(水)13時30分 AbemaTIMES
 山口県周防大島町で行方不明になっていた2歳の男の子を発見した捜索ボランティアの男性が15日午後、報道陣の取材に応じた。
 発見したのは、大分県の尾畠春夫さん(78)。「学歴もない何もない人間だが、65歳で鮮魚店を辞めて、残りの人生を社会にお返しさせてもらおうと思ってきた」と、全国各地で車中泊しながら、ボランティア活動を行ってきたという。
 今回も広島県でのボランティアを終え、一時帰宅していたが、報道を見て昨日午後に現地入りし、捜索に当たっていた。「大分の佐伯で2歳の女の子を探した経験から、下るということはないと思っていた。不思議なもんで、子どもっていうのは、上に上がるのが好きみたい」と話し、今朝は家族から行方不明になった場所を聞いて、「絶対この上にいるなと確信した」という。
 そして尾畠さんが理稀ちゃんの名前を叫びながら、曽祖父の家の北側にある山を700メートルほど登っていたとき、「おいちゃん、ここ!」という返事が聞こえ、沢の苔むした岩の上に座っている理稀ちゃんを見つけたという。
 「一瞬、心臓が止まりそうな感じがした。近づいて、"頑張ったね"と言って、飴の袋を取り出したら、袋ごと取って手を突っ込んで開けようとした。自分では破れなかったから、開けて渡してあげたら口に入れて、途端にガリガリと噛んだ。この声の出し方、飴玉を袋ごと取って口に入れる様子を見て、これは大丈夫だなと思った」。
 家族に対し「私が抱きしめて直にお渡しします」と約束していたという尾畠さん。「口約束も契約。警察が“渡してください”と来たけど、“イヤです”と言った。言うたことは守る。なんぼ警察が来ようが、大臣が来ようが関係ない。理稀ちゃんの顔を見せたときは、お母さんはもう声が出なかったな。あの嬉しそうな顔は、一生焼き付いて離れんだろうな」と振り返り、「人の命って重いから、何かお手伝いさせてもらえいたいなと思って参加した。尊い命が助かってよかった。“おいちゃん、ここ”と言った時は嬉しかった」と涙を浮かべていた。
 記者に座右の銘を尋ねられた尾畠さんは「朝は必ず来るよ」と答えていた。(完)
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