風来庵風流記

縁側で、ひなたぼっこでもしながら、あれこれ心に映るよしなしごとを、そこはかとなく書き綴ります。

平成最後の夏

2018-08-20 00:19:33 | 日々の生活
 この季節になると平和の誓いを新たにするのが日本人のサガだ。それはその通りなのだが、私なりに思うところがいくつかある。ひとつは、何故“終戦”記念日を祝い、何故8月15日なのか、ということだ。ある人に言わせれば、ポツダム宣言を受諾したのが8月14日(1945年)、調印即発効したのが9月2日、その後、6年間の占領統治を経て、サンフランシスコ講和条約に調印したのが9月8日(1951年)、発効したのが翌年4月28日で、本来、法的に戦争状態を終結し独立を回復した4月28日、あるいは法的に降伏を受け入れた9月2日(これだと“敗戦”記念日になってしまうが)とするのが筋ではないかというわけだ。
 私が滞在した国で言うと・・・アメリカが先ずお祝いするのは独立記念日(7月4日)で、言わずもがな、1776年に独立宣言が公布された日だ。戦争に関しては、メモリアル・デー(5月の最終月曜日、戦没将兵追悼記念日)では兵役で亡くなった全ての戦没者を追悼し、ベテランズ・デー(11月11日、復員軍人の日)では、もとは第一次世界大戦を終結させた休戦条約の締結記念日だったが、今は復員軍人を称えていて、ちょうどメモリアル・デーを補完するような格好で、アメリカらしく合理的にできている。マレーシアには国家記念日(8月31日)が、前身のマラヤ連邦が今から61年前の8月31日にイギリスから独立した日に由来し、戦後に誕生した新しい国家なものだから戦争に関する記念日はない。オーストラリアのオーストラリア・デー(1月26日)は、イギリスから独立した日ではなく、230年前、イギリスからの移民が初めてオーストラリアの土(シドニー湾、実は独立したアメリカに代わる流刑の地だったのだが・・・)を踏んだ日とされる。戦争に関しては、アンザック・デー(4月25日)として、もとはオーストラリア・ニュージーランド軍団(ANZAC)が第一次世界大戦に参戦(ガリポリに上陸)した日を、兵士と国のために尽した人々を追悼する記念日とするものだった。何しろオーストラリアは1901年に独立してからも国家元首たるイギリス国王の代理人である総督(但し名誉職)を担ぐお国柄で、イギリス国王への忠誠心からイギリスが参加した戦争には度々参加しており、今は、第二次世界大戦や朝鮮戦争やベトナム戦争を含め、戦争に参加した全ての兵士のための記念日に変わっている。いずれにしても、国事に殉じた軍人・軍属等を称えるのは当然であろう。
 さて、日本の立ち位置なのだが、初代の神武天皇が即位された日(旧暦の紀元前660年1月1日)を建国記念日(2月11日)とするような国として、悠久の時の流れのたかだか6年の占領統治など何のその、今さら“再”独立を祝うことはないのだろう。戦争に関して言うと、GHQ及び東京裁判史観や戦後の民主教育の中で、軍人・軍属を称えることには心理的な抵抗があったことだろう。敗戦を終戦と言い繕うとは何事かと文句を言う左翼系の人もいた。日本は、地理的に大陸から絶妙に離れていることから(奥座敷にあると形容された方もいた)、かつては白村江の戦いや元寇や秀吉の朝鮮出兵、近代になってからは日清・日露戦争や両大戦など、日本が主体的に関わった戦争は数えるほどしかない中、先の大東亜戦争が余りに悲惨だったこと、また人類史上初めて核兵器の犠牲になったことから、戦争が「終わった」日とともに未来永劫「終わらせる」日として、つまり戦争は繰り返さないという決意のあらわれとして“終戦”記念日を軍人・軍属だけではなく一般市民を含めた戦没者を追悼する日として、玉音放送で天皇陛下から降伏が告げられた日、またお盆でもある8月15日とするのがよいのだろうと、私なりに解釈している。
 私なりに思うところのもう一つは、それにしても確かに平和は大切だが、至高の価値とすべきは自主独立だろうということだ。ひねくれ者の私には平和と言えば「ボケ」がついて回って甚だ印象がよろしくなくて(苦笑)、そんな安穏とした状態を志向するのではなく、自主独立のために努力すること(それはいざというときの戦争や戦争準備だけではない、戦争に至らしめない努力がより重要である)こそ尊いと思うのだ。戦争を忌避するあまり、攻められたら進んで白旗を挙げるというようなことを言った芸人がいたが、戦争の記憶(勿論、本人のものではない)はあっても歴史を知らないから、そんなことが言えるのだろう。戦争がない状態を平和と呼ぶにしても、まあ占領・支配されるのは現実的ではないにしても、たとえば今の中国のように、あるいは中国のシャープ・パワーに晒されるアジアの小国のように、言いたいことも言えないような、物理的のみならず精神的自由がない状態を、甘んじて受けることなど私には出来ない。
 平成最後の夏に、昭和が遠くなるが故になおのこと平和の誓いを新たにしつつ、長らく続いた戦後秩序が(それ自体、良くも悪くもあったのだが)揺らぎつつもあり、自主独立を脅かしかねないような大国の影が忍び寄る気配を感じてうすら寒い思いをするのに、世の中を見ていると何だか手詰まり感が強くもどかしい思いでいるのは、余り心地良いものではない。米中の貿易戦争のことを技術冷戦と呼ぶメディアがいるが、今、始まっているのは秩序を巡る戦争ではないかと思う。
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昭和天皇への感謝 (あんびばれんと)
2018-08-21 09:22:22
先日、昭和天皇のご聖断は2度あった、という話をたまたま点けたテレビで見ました。途中からだったのですが、見ごたえがありました。

2018年8月19日(日)夜7時54分~9時54分
池上彰の戦争を考えるスペシャル 第10弾
「日本のいちばん長い日」が始まった
http://www.tv-tokyo.co.jp/ikegamiakira/

お盆を経て思うことは、本来なら先祖供養とは、先祖への感謝だけでなく、先祖が生きた故郷や社会、国への感謝、そしてその時代、時代の人々への感謝につながる行為であるべきなのではないか、ということです。その感謝の思いこそが、平和の基盤になるのではないでしょうか。恨みつらみの思いを持っている人や先祖が思い半ばで亡くなった方々などはおいそれと感謝はできないかもしれないですが、自分がいまここに生きているのは、先祖が生きたから、そして、国や社会にいろいろ困難があったとしても、その先祖を生かしてくれたからだということに思いが至れば、感謝の念のひとつも湧いてくると思います。戦後の日本ではこういう感覚が薄れているのではないかと危惧します。こうした感覚を宗教と捉えて忌避するからだと推測しますが、道徳や倫理として身につけるべきことと思います。
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神道的? (風来庵主人)
2018-08-21 21:48:55
おっしゃっていることは”神道的”なのではないかと思いますが、如何でしょうか。所謂「八百万の神」ですね。ご神木などと言うように、木にも岩にも山にも、それこそ石ころにも神性が宿ると、日本人は自然に思っていて、畏れ多いことだと感謝の手を合わせます。生かされていることに感謝。トイレの神様もいると、私は、歌ではなくて(笑)誰に教わるでもなく自然に信じていました。何を以て宗教と呼ぶか、一神教と比べれば、確かに絶対的な、超人的なものを信じるわけではないので、宗教とは言えませんが、原始宗教、所謂アニミズムがこの孤立した日本列島には太古の昔から連綿と残っている、ということかも知れませんね。乃木神社、東郷神社なんてのもありますし、靖国神社を見ていると、神様と人の境界すらあいまいです。まあ、長い歴史の中で、仏教や儒教の影響も受けているので、純粋な意味での神道を厳密に理解しているわけではありませんが、神道にもご先祖様を祀るという考え方があります。日々、すべてに感謝・・・の気持ちは、神道的な要素が強いように思います。
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