風来庵風流記

縁側で、ひなたぼっこでもしながら、あれこれ心に映るよしなしごとを、そこはかとなく書き綴ります。

甲辰の年明け

2024-01-01 21:21:36 | 日々の生活

 穏やかなお正月である。最近、年賀状は控えめにしているとは言え、貰いっ放しでは申し訳なくて投函しに戸外に出ると、澄み渡った青空にきーんと張り詰めたような空気が清新な感じがして心地よい。

 近所の神社に出向くと、午後の時間帯でも、人々が行列をなしているのに怖気づいて、心の中でお祈りだけして、そそくさと踵を返した。その足でヨーカドーに向かうと、元日から初売り、軒を借りるドトールまで満員御礼の大賑わいで、商魂逞しいのだが、初詣以外にさしたる行事も顧みなくなったいまどきの私たちには、ヨーカドーさまさまである。なにはともあれ、コロナ禍以前に戻ったような活気が嬉しい。

 今年は干支で言えば甲辰の年だ。その筋の方によると、「春の日差しが、あまねく成長を助く年」になるそうだ。「春の暖かい日差しが大地すべてのものに平等に降り注ぎ、急速な成長と変化を誘う年」になりそうで、「すべてのものに平等に降り注ぐということは、これまで陰になっていた部分にも日が当たり、報われ、大きな成長を遂げるといったことが期待できる。逆に、自分にとって隠しておきたい部分にも日が当たり、大きな変化が起きる可能性もある」ということだ。

 ある中国人の古老(但し日本在住)に言わせると、「前回の甲辰(1964年)は、『二つの地獄の合間』の一年だった」そうだ。1958年に始まる大躍進と、1966年に始まる文化大革命を、二つの地獄と譬えていらっしゃる。さて、今年の中国はどうだろう。年末に読んだ福島香織さんのコラムが思い出される。「中国が『世界の頭脳』なのは今だけ、習近平の『反知性主義』で凋落が始まる」という、ちょっとセンセーショナルな、しかし隣人の不幸を喜びたい日本人の心をくすぐるタイトルだが(笑)、よく読むと納得させられる。私は、かつて清朝皇帝が西洋の使者を前に「学ぶものは何もない」とつれない対応をした史実を思い出した。自由や民主主義や選挙制度のような西洋的価値観を大学で教えなくなり、習近平思想を呪文のように唱えさせる現代の中華帝国は、文化大革命に先祖返りしつつあるかのようだし、経済安全保障のために諸外国に頼らない内循環という名の内向き志向を強める経済は、体の良い現代版「海禁」政策のようでもある。こうした唯我独尊は中華帝国が繁栄を謳歌したときに陥りやすい宿痾のように思う。

 日本はというと、新暦以降で言うと、1904年に日露戦争が始まり、1964年に東海道新幹線が開業し、東京オリンピックが開催された。前者は、『坂の上の雲』の登り龍とは言え、極東の小国(アジア人)が白人の文明大国に挑むという、なんとも無謀な、まさに秋山真之が言ったような「皇国の興廃この一戦にあり」の一大事であったし、後者は、それまでの苦節の時代を経た日本が成長を実感する象徴的な出来事であり、いずれも時代の画期と言えよう。今年の日本はどうだろうか。

 その筋の方の話に戻ると、陰陽五行で「甲」と「辰」の関係は、「『木の陽』が重なる『比和』と呼ばれる組み合せで、同じ気が重なると、その気は最も盛んになる。その結果が良い場合にはますます良く、悪い場合にはますます悪くなるという関係性である」ということだ。こういう話は、良いところは素直に受け止めて、前向きに、悪いところは頭の片隅にとどめて、ちょっと警戒するのがよい。「光が及ぶのは自身を中心とした身近な範囲に限られる。身の程を超えてしまうと光が届かないため、分不相応な野心を実らせるのは困難を極めそうである。春の日差しの中、自身を見つめなおし、足元をしっかりと踏み締めていくことで道が開き、それこそが後に大望を叶える鍵となることだろう」ともいう。確かに凡人は身の程をわきまえて一気に多くを望まないのが賢明なのだろう。中国で、辰(龍)は人々の暮らしを豊かにする水神として祀られるとともに、絶大な力を持つ龍は歴代の皇帝の(富や権力の)象徴とされ、「なんでも鑑定団」によると、5本の爪を持つ龍は皇帝の身の回りにのみ描かれることが許されていた。辰(龍)にあやかり、些かなりとも上昇の気運を願いたいものである。

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