風来庵風流記

縁側で、ひなたぼっこでもしながら、あれこれ心に映るよしなしごとを、そこはかとなく書き綴ります。

橋下発言その後(下)

2013-06-08 17:01:11 | 時事放談
 橋下氏の発言を巡る騒動を見ていると、人は自分が聞きたいと思うことしか聞かないものだと思います。それは私自身もそうで、橋下発言で問題視された一つのテーマ、歴史認識と従軍慰安婦の問題に関連して、彼自身の発言そのものというよりマスコミの対応にむしろ疑義を呈しましたが(http://blog.goo.ne.jp/mitakawind/d/20130521)、もう一つのテーマだった、在日米軍に風俗業活用を勧めた発言は、TPOを弁えない彼自身の不適切さに問題があり、彼自身も納得の上で撤回し謝罪したことで、私の関心の埒外に据え置かれておりました。ところが、ノンフィクションライターの降旗学さんは、決して手を緩めることなく、こちらの論点に関連して、ある雑誌で、アメリカ兵による犯罪、とりわけ多発する性犯罪を追及したかった橋下さんの問題意識を、どのメディアも、福島某などのフェミニスト政治家も、誰も真摯に受け止めることはなかったと批判しておられました。
 降旗さんによると、橋下さんがジェイムス・フリン司令官と面談した際、同席した下地幹郎前衆議院議員が週刊文春の取材に応えて、次のように語っているそうです。「橋下さんが、米兵による事件、事故が多く起こるのは問題だ。綱紀粛正はどうしているか、と問うと、司令官は、フィットネスとジョギングだと二回、小ばかにした感じで応えた。それで橋下さんは業を煮やして、風俗に行けばいいと発言したのです。」そして、この風俗活用発言は、日本側の出席者三十人全員で口外しないことを申しあわせていたそうですが、橋下さんは、そのオフレコの禁を破ってしまった、と維新の会関係者が匿名で証言しているそうです。
 戦場の性の問題はそれほど簡単ではないと思いますが、アメリカだって・・・と言うべきところ、口が滑ってしまったのは、橋下さんのサービス精神もさることながら、恐らく、面談のときの司令官の対応を快く思っていなかった記憶が拍車をかけた可能性があります。
 いずれにしても、降旗さんの問題提起は、私自身の自戒をこめて、この問題を過小評価すべきではありませんし、日本人みなが真剣に考えなければならないものだと思います。
 さて、こうした2つの問題発言、慰安婦問題と風俗活用発言について、橋下さんは、27日、日本外国特派員協会で記者会見に臨みました。アメリカのメディアは、後者について橋下さんが発言を撤回し謝罪したため、肯定的に受け止めたようで、そのせいか前者に対しても、AP通信はやや冷静に「日本だけを非難することで終わってはならない」との橋下氏の見解を紹介したそうですし、橋下氏が「慰安婦にはお詫びしなければならない」と言った点を捉えて、ニューズウィーク紙の記者は「恥と認め謝罪、反省すべきだとしたのは素晴らしい。米国にいい印象を与えたと思う」と評価したそうです(産経新聞による)。ところが、中国や韓国のメディアは、前者について、橋下さんは釈明しても発言撤回することはなかったため、非難轟々、と対照的な反応が見られたようです。ここでも、人は自分が聞きたいと思うことしか聞かないものだと思います。
 この記者会見に関して、ニューズウィーク日本版(6・11)は異例の状況を伝えています。「300人を超える記者が集まった。会見時間も異例の約2時間半に及んだが、異例だったのは会見の長さだけではない」として、「会場を後にした橋下を追った記者は、なぜか全体の半分だけ。日本人記者の多くは橋下ではなく、会場に残った外国人記者たちのコメントを取ろうと我先に争い、帰りのエレベーターに乗せるまいと必死の形相で食い下がった」そうです。そして日本人記者が外国人記者のコメントに拘った奇妙な行動を分析して、「彼らの読者や視聴者である日本人が抱える「不安感」を反映しているのかも知れない。慰安婦問題で外国が日本をどう見ているのか、そして日本は世界に向けてどう行動すればこの泥沼から抜け出せるのかさっぱり分からない、という感情だ」と述べています。
 私は、日本人が抱えているのは、「不安感」ではなく「戸惑い」ではないかと思います。何故、韓国は事実を直視することなく、ここまで慰安婦問題に拘り、世界に向かって喧伝するのか。何故、中国もまた事実を直視することなく、ここまで歴史認識問題に拘るのか。逆に日本人は、慰安婦問題にしても歴史認識にしても、特定の方(右派)を除けば、いずれどちらが正しいかは分かるとでも達観しているのか、拘りが無さ過ぎるのではないか。不当な訴えに対して、その場でいちいち反論しない曖昧な事勿れの態度を取り続けたからこそ、問題を大きくしてしまったのではないか。そして、その根底には、日本人が自信をもって語ることが出来る自身のための歴史認識が定まっていないことが挙げられます。前々回に続いて、もう一度言います。戦争の勝者だった米・英が裁いた極東軍事裁判やGHQの戦後統治は、たとえ茶番にしても敗者として受入れざるを得なかったのはやむを得ないとして、日本人自身の問題として、戦後65年以上もの間、戦争を、また国の基本法である憲法や歴史認識(あるいは歴史教育)を含めて、総括することなく曖昧に放置して来たことの罪は重いと言わざるを得ません。
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