風来庵風流記

縁側で、ひなたぼっこでもしながら、あれこれ心に映るよしなしごとを、そこはかとなく書き綴ります。

リオ五輪第三幕・紙一重

2016-08-13 01:13:28 | スポーツ・芸能好き
 勝手に私なりの「幕」をつけて、第三幕は勝負の紙一重の差について思うところを。
 男子体操の団体競技で日本チームは、五種目を終えて、最終種目を残しながら首位に立ち、最後のゆかで(ちょっと余裕で)逃げ切ったのだったが、個人総合でうっちーは、五種目を終えても2位で、首位とは0.901点の差があり、最終種目の鉄棒で万全の演技を見せて15.800点の高得点を叩き出したものの、窮地に立たされていたと言っても過言ではなかった・・・というのは私たち外部の見方で、本人は最後の鉄棒も含めて五輪で初めてノーミスで自分の演技が出来て、これで負けても悔いはないと冷静に首位オレグ・ベルニャエフ(ウクライナ)の演技を待ったらしい。結果、鉄棒で1.000点差をつけ、総合で0.099点差という薄氷を踏む軌跡の逆転劇を演じたのだった。
 競技後の記者会見で、うっちーに対して海外の記者から「審判からかなり好意的に見られているのでは」と逆転優勝に“ケチ”をつけるイジワルな質問が飛んで、銀メダルのベルニャエフがうっちーに続いて口を開き「採点はフェアで神聖なもの。今のは無駄な質問だ」と言い放った男気が美談として報じられているが、むしろベルニャエフがうっちーのことを「体操は水泳や陸上よりマイナー」としながらも「(体操界における)水泳のフェルプスのような存在。すでに伝説だ」と最大級の賛辞を贈ったことの方に、私としてはあらためて感動したが、余談である。
 水泳女子200m平泳ぎで金メダルに輝いた金藤理絵は2位にそれなりの差をつける強さを見せたし、逆に男子200m個人メドレーで追い上げて銀メダルを獲得した萩野公介は金メダルの怪物フェルプスとの間に差があったように、明らかな強さがあるのは否定しないが、一般には、女子200mバタフライの星奈津美が紙一重の惜しい銅メダルに終わったように、紙一重の勝負を戦い抜くケースが多いのではないかと思う。卓球男子の水谷隼は三位決定戦で見事に同種目で日本初のメダルを獲得したが、女子の福原愛は惜しくもメダルを逃し、明暗を分けたが、それぞれ紙一重の差だったように思う。勝負師として張本勲さんは常日頃、実力6割、その日のコンディション2割、運2割と言われるように、いくらその日に合わせて来ていても、直近の世界水泳や世界柔道の金メダリストが金メダルを獲れるとは限らないのがオリンピックという晴れの舞台だ。そんな微妙でぎりぎりの世界でなお金メダルを獲る選手に対しては、その紙一重の強さを称えるべきだし、銀メダルや銅メダルに終わる選手に対しても、結果が全てとは言え、その健闘を称えたいと思う。その差はもちろん凡人の私には窺い知れないが、実力を見せつけるものだったり、天の配剤によるものだったりするのだろう。うっちーには、体操の神様が微笑んで、その努力に報いたのではなかっただろうか。
 うっちーは、銀メダルのベルニャエフについて、次は勝てない(自分には勝つ自信がない)と、競技後に本人との間で、またインタビューのときに記者を前にして、語っていたのは、半分お愛想で半分ホンネだろう。また、「疲れ切りました。出し切りました。もう何も出ないところまで出し切って取れたのでうれしいより幸せです」と語ったところに、紙一重のぎりぎりの勝負を戦いぬく厳しさと清々しさが垣間見えて、チームプレイとか連携などと美辞麗句でなにごとも飾られるべきご時勢に、自己流を貫き通せない自戒を込めて、羨ましいったらありゃしないのである。
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