風来庵風流記

縁側で、ひなたぼっこでもしながら、あれこれ心に映るよしなしごとを、そこはかとなく書き綴ります。

具体性なきゲームプラン

2011-07-14 01:15:27 | 時事放談
 菅総理は、今日、首相官邸で記者会見し、脱「原発依存」社会を目指す考えを表明しました。その理由として、原発事故が起こった際の被害の範囲の広さ、事故収束に当たっての廃炉に要する時間の途方もない長さから、「これまで考えていた安全確保という考え方だけでは、もはや律することができない、そうした技術であるということを痛感」したということだそうです。「原発政策の見直しを提起するのは、福島第1原発事故が起きた時代の首相としての責務だ」と強調したくなる気持ちは分からなくはありませんし、恐らくその方向性に寄せる思いは、今の日本人の総意に沿ったものに違いなく、反論の余地は乏しいと思われます。それでは、どれくらいの時間的スパンを想定しているのかという、肝心カナメについては明示しませんでした。朝日新聞は「実現のための政治プロセスや原発削減の数値目標、電力需給の見通しなどは具体的に示さなかった」と落胆し、読売新聞も「エネルギー政策の抜本的な転換となるが、具体的な時期や中長期的な電力安定供給の道筋は示しておらず、実現の見通しは不透明」「閣内で十分に議論された形跡もない。場当たり的ともいえる対応」として、実現性を疑問視する声がほとんどです。
 およそビジネスの世界で目標値と時間軸を明確にしないゲームプランはあり得ません。そういう意味で、目標値も時間軸も示すことなく方向性を指示することに、菅総理でなくては出来ないこととは誰にも思えず、その意気込みとは裏腹に、与・野党こぞって交替論かまびすしい中で総理の椅子にしがみついてまで表明するだけの意味が分からず、実に拍子抜けの記者会見だったと言わざるを得ません。更に明らかになったのは、「私が具体的な所まで申し上げるのは、余りにも少し早すぎる」「このエネルギー政策の転換というのはやはりかなりの議論を必要としますので、まさに国会においてもその議論が活発に行われているところであります」と、相変わらず議論を丸投げするかのような責任回避、今回の原発事故については、結局、安全性をチェックする立場の保安院が、原子力を推進する立場の経産省の中にあるという問題に帰着させんとする責任転嫁・・・という、さもしい根性でした。
コメント
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