この春は何かとあわただしく、それでもその合間に桜撮影も抜かりなく(?)。ただクマノザクラは機会を逃しました。というより、最初から無理な場所とあきらめて・・。今頃になって、まとめての桜写真アップです。
以上、近場ばかりの桜でした(*^o^*)
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桜花の大きな風景いいですね。今年は残念ながら写し損ねました。
ここは池ですか。湖水ですか。
2枚目の舟はボートじゃないですね。4枚目の舟の人物は何をしているんでしょうね。カメラ構えているように見えます。写真仲間ですか。変なことにことに興味を持ってすみません。
少年の頃は諏訪湖へは年がら年中魚を獲りに出かけていました。食糧難時代でしたから。
今日はよいお天気、体調はいかがですか?
2枚目の舟、地元の方が川で漁をするために係留しているのだと思いますが・・。
4枚目はダム湖で、釣り竿を出しています。
昔はブラックバス釣りが行われていましたが、今は何を釣っているのか確かめられません。
momocyaさんの少年時代は、諏訪湖で何が釣れていたのでしょうか?
諏訪湖ではいろいろな生き物が獲れました。
貝類のシジミ、ツブ。ワカサギ、テナガエビ、泥鰌や鯉や鮒もいましたが、それらは諏訪湖へ流れ込む川で獲っていました。鰻もいましたが子どもには獲る手立てが難しかったものです。
食べる物のなかった時代の大切な蛋白源でした。懐かしいです。
お返事ありがとうございます。
貝類や魚類など淡水の生きものが豊富だったのですね!
食べ物が乏しかった時代、逆に自然は豊かで、子どもたちは身体を使って生き生きと行動していたことが想像されます。
私の世代も田舎ではたぶん、似たり寄ったり。
こちらでは今、昔と同じで年配の方が山菜採りに頑張っているようです。
湖水、川の生き物だけでは片手落ちですね。草たちも。
当時は食べられる草は何でも食べました。餅草、ハコベ、芹、クレソン(当時は台湾芹と言っていました)桑の葉など。ほかにもイタドリ、カラスノエンドウ、ギシギシ、タンポポ、ツクシ、ヨメナなど。
キク科の植物は何でも食べられると教えられました。兎や山羊たちと競争でした。
お百姓さんたちに畦の草刈りをしなくてもいいよと言われるほど奇麗に草を食べていたわけです。
兎や鶏も飼っていました。鶏は飼っていても卵は食べられませんでした。売って現金していました。
戦中戦後の食糧難時代が私の食べ物の原点です。
今は毎日が盆と正月の御馳走だと思っています。
食草のお話、ありがとうございます。
さまざまな草を食べて、空腹を満たしていた時代があったのですね。
この中には今も山菜として食されている草もありますが、たぶんほとんどが記憶の中だけとなっているのでは・・。
私も母から当時の食糧事情について聞いていますが、田舎はまだそれでも食べるものがあった方だ、と。
そういう体験をされた世代の証言が次第に聞けなくなって、今は飽食の時代。
悲しくなります・・。