【折々の花だより】

”季節の花だより”
花たちとの出会いを楽しんでます

郡上八幡 PartⅠ

2017-05-15 | デジカメ紀行
長良川の上流に位置し、「宗祇水」に代表される清冽な水と夏の郡上おどりで有名な郡上八幡。

「郡上八幡北町」は城下町である大手町、柳町、職人町、鍛冶屋町を中心とした14.1ヘクタールの町家群が「統一された町家と水利施設が一体となって歴史的風致を伝えている」と国の重要伝統的建造物保存地区に選定されました。
柳町の家々は侍町のおもかげを残しており、隣家との境に袖壁をもつのが特徴。江戸時代から変わらない地元の暮らしを感じることができます。

岐阜県内では郡上八幡のほか、美濃市の「うだつのあがる歴史的町並み」、「城下町飛騨高山の町並み」、「白川郷、五箇山の合掌造り集落」などが重要伝統的建造物保存地区の選定を受けています。

4月23日訪れました。

郡上八幡旧庁舎記念館

登録有形文化財。
旧八幡町役場をリニューアルした郡上八幡の総合観光案内所です。
お土産・特産品販売コーナー、軽食処等があります。


観光案内所でお聞きしたところ「お城の駐車場がすいているうちに郡上八幡城へ行き、その後町並み散策はどうですか?」とのことでした。

「郡上踊り発祥の地」の碑

郡上八幡旧庁舎記念館の前に。


郡上おどり
毎年7月中旬から9月上旬まで延べ32夜にわたって開催される盆踊り。踊りは10種類あり、寺社の境内・一般の道路・街角の広場など、会場を移しながら開催されます。特にお盆の時期(8月13~16日)に明け方まで夜通し踊り続ける『盂蘭盆会(徹夜踊り)』が有名。踊りは一般参加も可能だそうです。
400余年の歴史があり、日本三大盆踊りの一つ。
1973年国の選択無形民俗文化財に選択され、1996年に重要無形民俗文化財に指定されました。

郡上八幡城へは、細いくねくねした坂を上がって行きます。
もちろん、歩いても行けます。

郡上八幡城(パンフレットより)

天空の城。
近年、人気急上昇の「雲海にそびえる天空の郡上八幡城」の眺め。雲海に浮かぶ郡上八幡城。
朝霧がたなびくのは冬の早朝。これは放射冷却と呼ばれる気象現象で大気中の水分の正常な自然循環を示すバロメーター。
空気中の湿度が高く、朝の冷え込みの強い時に見られます。


駐車場のすぐそばにあります。

首洗い井戸跡




地図


首洗い井戸跡や地図を見ながら進みます。

力石




見えてきました。







入場券


戦国時代末期の永禄2年(1559)、遠藤盛数が砦を築き、稲葉貞通、遠藤慶隆の興亡を経て大普請され、寛文7年(1667)、6代城主遠藤常友の修復によって幕府から城郭として認められるに至りました。
その後、井上氏・金森氏が相次いで入部。宝暦騒動で金森氏が改易された後、丹後国宮津藩から転封した青山幸道によって殿町に居館が築かれ、旧二の丸は本丸、旧本丸は桜の丸・松の丸に改められました。
明治4年(1871)の廃藩置県とともに廃城となった城は、翌年から石垣を残してすべて取りこわされ、現在の城は、昭和8年(1933)、当時の大垣城を参考に再建され、木造4層5階建の天守閣等は郡上市重要文化財に、一帯の城跡は県史跡に指定されています。

再建された木造の天守閣は、木造再建城としては日本最古のものであると言われています。

郡上八幡城から見おろすと町は魚の形をしているそうです。




顔ハメ看板




衣装を借り、スタッフさん(山内一豊の妻「千代」)と記念撮影。


入り口へ。



木造の階段が続きます。



天守閣へ上がってきました。

御神体




天守閣からの展望。

愛宕公園方面




吉田川方面




山内一豊の妻「千代」は郡上生まれで、賢夫人として名高い。
「千代」」は、弘治2年(1556)、初代郡上八幡城主遠藤盛数の娘として生まれました。千代が3歳のころ、盛数は病死、母の再婚、義父の敗北、流浪。波乱の時がはじまります。やがて千代は、尾張の一豊に嫁ぎました。一豊は信長、秀吉、家康に仕え、最後には土佐24万石の大名に出世しました。その影には、千代の内助の功があったといわれています。

「千代の知恵 賢妻の心得十箇条」が掲げられていました。

千代の知恵




















外にでて、塀の「□△○」から覗いてみました。






辺りの花達。





千代と?。

案内、説明をしてくださいます。

御朱印


美濃和紙職人の加納武さんの手漉きによる黒皮楮の美濃和紙を使用し、郡上八幡城の歴代城主5家の家紋を押印した御朱印です。
「4月に発生した熊本地震で、熊本城も甚大な被害を受けました。郡上八幡城では、同じ城郭としてお城らしい協力を検討しておりましたが、この度、今年度の御朱印の売上げ全額を「熊本城災害復旧支援金」として寄付させていただくこととなりました。」とのことです。

お城を後にし・・・。

郡上八幡城への道を少し上がった中腹にある城山公園へやってきました。

山内一豊と妻(千代)の像。



満開のしだれ桜。






公園の隣には。

岸剱神社(きしつるぎじんじゃ)


手水舎


毎年4月第3土・日曜日の春祭では、八幡神社、日吉神社とともに大神楽競演が行われます。

剣神社の大神楽(県指定重要無形民俗文化財)
江戸時代初期の慶長19年(1614年)、郡上郡気良村(後の明宝村、現・郡上市)はひどい旱魃に見舞われました。この地の神社の神主は雨乞いを行ないましたが効果はなく、宝剣を気良川の河原の岩で洗って雨乞いを行なうと、すぐに雨が降ってきたのだとか。しかし豪雨となり、岩の上の宝剣は大水で流されてしまい、数日後、郡上八幡城城下の吉田川の岩に宝剣が引っかかっているのを住民が見つけました。この知らせを受けた城主遠藤慶隆が、この宝剣を祀るために創建したのが始まり。
創建時は吉田川の川岸に位置していましたが、明治19年(1896年)に移転。明治40年(1907年)には白山神社を合祀。
昭和17年(1942年)、現在地(郡上八幡城本丸跡)に移転されたそうです。

岸剱神社の隣には。

秋葉三尺坊悟竹院

1521年(大永元年)に開基という開山以降22代を数える曹洞宗の古刹です。
1881年(明治12年)秋葉総本殿可睡斎より秋葉三尺坊大権現分身を請し、郡上の火防守護所となってから市民からは「秋葉さま」の名で超宗派的な信仰をあつめています。
早朝6時に始まって1日4回時を告げる鐘の音は、明治時代から100年以上にわたってただの1回も欠かすことなく続いている郡上八幡の自慢のひとつ。
町の人々の暮らしの中にすっかりとけ込んでいる刻(とき)の鐘だそうです。

ランチタイム。

蕎麦とほうば寿司


食後は城下町めぐりです。

説明文は、公式ホームページ、パンフレット、ウィキペディアより。


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