【折々の花だより】

”季節の花だより”
花たちとの出会いを楽しんでます

大原、寂光院

2017-01-21 | デジカメ紀行

天台宗の尼寺で、山号を清香山、寺号を玉泉寺といい、寂光院は玉泉寺の子院でした。推古2(594)年に、聖徳太子が父用明天皇の菩提を弔うために建立されたと伝えられています。

京都市左京区大原にある寂光院。
寂光院の近くに車を停め、東海自然歩道を歩きます。





寂光院辺りに・・・。
顔だし(顔ハメ)看板


「紫葉漬、大原女発祥の地」の記念碑

大原女(おはらめ)
山城国大原(京都府京都市左京区大原)の女子が薪を頭に載せて京の都で売ることをさします。
島田髷に手拭を被り、薪を頭上に載せ、鉄漿をつけ、紺の筒袖で白はばきを前で合わせ、二本鼻緒の草鞋を履いています。

紫葉漬(しばづけ)
寂光院に住まわれた建礼門院が、大原の里人から献上された、夏野菜(茄子)と赤紫蘇の漬物の美味しさに感動され、「紫葉漬」と名付けられたと伝えられています。
夏野菜(茄子)と赤紫蘇を塩漬けにし乳酸発酵させた純朴な漬物をさします。

大原の名産品である「しば漬」の材料に欠かせないのが「赤紫蘇」です。
大原で作られる赤紫蘇は、香り、発色とも高い評価を得ており、自宅でしそジュースや梅干しを作るために、遠くから赤しそを求めてやってくる人が後を絶たないんだとか。

その大原の赤しそが評価されるのは・・・。
20余年前、土井志ば漬本舗の「大原産・ちりめん赤しそ」を武田薬品の研究所が調べた結果、大原産赤紫蘇が、最も原品種に近く、色・香り・味とも最高級であると、学会で論文発表されました。
800回以上繰り返し繰り返し栽培され、大原が盆地のため他所からの花粉の飛来が無く、赤紫蘇の栽培に最も必要な水分が、夏の晴れた日には、山裾に霞(小野がすみ)がたなびき、冷気を含んだ水分が、紫蘇の栽培に好影響をもたらす事などが考えられています。

しそは医学的には蘇葉(そよう)と呼ばれ、昔中国でかにの食べ過ぎで食中毒を起こした人に、この葉を煎じて飲ませたところ元気が蘇ったので蘇る紫の葉ということから、紫蘇という名前になったと言われています。魚類、えび、かにのじんましんには、しその葉を食べるのも良いようです。また花粉症などの異常に働く免疫力を正常に戻す効果があるとも言われています。ビタミンC、鉄分、カルシウムが豊富で、貧血予防、精神安定作用、健胃作用など様々な薬効があるとも言われています。

先へ進みます。

入り口


扉の菊の透かし彫り

菊に梶の葉、建礼門院の印です。

扉に貼ってあるお知らせは・・・
「12月23日~25日 ほっこり 厄除けかぼちゃ炊き」
冬至にかぼちゃを食べると無病息災の御利益があると言われています。
冬至の日に「ん」のつく食べ物を食べると「運」が付くとされ、かぼちゃ=なんきん=を食べるようになりました。

かぼちゃ炊き

昨年12月24日訪れた時の様子です。
拝観を済ませ頂きました。

入り口近くにおいてあった大原菊の苗



花を見てみたいです。


受付で頂いたパンフレットを手にまわります。




石段を登っていきます。



山門


山門をくぐります。

雪見灯籠 (ゆきみどうろう)

本堂右手前にある置き型の鉄製灯籠で、豊臣秀頼が本堂を再建した
際に伏見城から寄進されたものと伝えられています。
宝珠、笠、火袋、脚からなり、笠は円形で降り棟をもうけず、
軒先は花先形となっています。
火袋は側面を柱で5間に分け、各面に五三の桐文を透し彫りにし、
上方に欄間をもうけ格狭間(ごうざま)の煙出とし、
1面を片開きの火口扉としています。
円形台下に猫足三脚が付いています。

書院


本堂

桃山時代頃の建築の特色を残していると言われていた寂光院本堂は、
平成12年(2000)5月9日未明、火災により焼失。
再建は小松前住職の「すべて元の通りに」の言葉通りに、
焼け残った木組みや部材を入念に調査し、材木を吟味して、
5年の歳月を経て平成17年6月2日に落慶しました。
ヒノキ材で屋根は木柿葺(こけらぶき)。
正面3間奥行3間で正面左右2間、側面1間は跳ね上げ式の蔀戸、
内側障子戸で、焼失前の寂光院がよみがえりました。


本堂内には

六万体地蔵尊菩薩

当初の本尊は、聖徳太子作と伝えられる六万体地蔵尊でしたが、鎌倉時代に制作された旧本尊(重要文化財)は、平成12年(2000)5月9日未明に発生した不慮の放火により焼損したため、文化庁の指導を受けて財団法人美術院によって修復されて、境内奥の収蔵庫に安置されることになり、現在は美術院によって模刻された「本尊地蔵菩薩像」が
本堂に安置されています。
新しい本堂には、国宝修理所の小野寺久幸仏師によって、形・大きさともに元通りに復元された新たな地蔵菩薩立像が安置されました。鎌倉時代の制作当時そのままの美しい彩色です。
地蔵菩薩の本願は、抜苦与楽。
それは慈悲の心を表わし、人間の苦しみや辛さ、思い通りにならない現実を救い抜け出させて頂き、願いを叶えて頂ける諸願成就の
ご利益があるということだそうです。



阿波内侍(あわのないじ)
第2代の阿波内侍(藤原信西の息女)は、崇徳天皇の寵愛をうけた女官でしたが、出家のあと永万元(1165)年に入寺し、証道比丘尼となりました。建礼門院に宮中より仕え、草生では「大原女」のモデルとされています。焼失前の阿波内侍像は藁芯に書状類を貼り籠めた張り子の像で、焼失後の焼け残った書状類から室町時代後期ごろの年号のあるものが発見されており、制作は室町時代ごろであると推測されていました。
新しい像は同じく平安仏所の制作になります。

建礼門院(けんれいもんいん)
第3代の建礼門院徳子(平清盛の息女、高倉天皇の皇后、安徳天皇の国母)は、文治元(1185)年9月に入寺し、真如覚比丘尼と称され、源平の戦に破れて遠く壇ノ浦で滅亡した平家一門と、我が子安徳天皇の菩提を弔い、終生をこの地で過ごされました。建礼門院坐像は、木造、ヒノキ材の寄木造で、女性像には珍しく結跏趺坐の座り方で、浄土宗の墨染めの衣を着ています。現在の寂光院は天台宗ですが、中近世には
天台・浄土兼修の尼僧寺院であったからだそうです。
新しい像の制作は、平安仏所江里康慧仏師に依頼し、1年有余の歳月を経て完成しました。扉に美しい大原に自生する草花を配した溜め塗の厨子も平安仏所の故佐代子夫人(人間国宝)の手になるものだそうです。

本堂を出て・・・。

千年姫小松 (御神木)

本堂前の汀の池のそばには、古来より櫻と松が寄り添うように立っていて、その櫻を「みぎわの櫻」といい、松を「姫小松」といいました。
姫子松は細長く柔らかい松の葉が5本が一組になってつく、
五葉松のことです。
寂光院の姫小松は樹高15メートル余りで樹齢数百年になるものでしたが、本堂火災とともに、池のみぎわの櫻と姫小松もともに被災し、
「姫小松」は倒木の危険があるため伐採され、
現在はご神木としてお祀りされています。

池水に汀の桜散り敷きて 波の花こそ盛なりけれ
(『平家物語』大原御幸)
文治年(1186)4月下旬、後白河法皇は忍びの御幸で寂光院の建礼門院の閑居を訪ねたおりの一首。
都から遠く離れた寂光院は、全く通う人もない奥山の里で、庭の若草が茂り合い、青柳のしだれた枝は風に乱れもつれ合い、お堂の汀池の浮き草が波に揺れ池の中島の松にかかっている藤がうら紫に咲いている色、青葉まじりの遅咲きの桜が咲き、岸辺には山吹が咲き乱れる様子を詠んだものだそうです。

四方正面の池






本堂の東側にある池で、北側の背後の山腹から水を引き、
三段に分かれた小さな滝を設けています。
池の四方は回遊出来るように小径がついており、本堂の東側や書院の北側など、四方のどこから見ても正面となるように、
周りに植栽が施されています。

建礼門院御庵室跡

文治元年(1185)長門壇ノ浦の合戦で平家が敗れたあと、建礼門院は
ひとり助けられて京都に連れ戻され、その年の9月、
都を遠く離れた洛北の地大原寂光院に閑居しました。
本堂の北奥に女院が隠棲していたと伝えられている庵跡があります。
翌2年の春、女院のもとを訪れた後白河法皇がご覧になった御庵室の様子は、「軒には蔦槿(つたあさがお)這ひかかり、信夫まじりの忘草」「後ろは山、前は野辺」という有様で、「来る人まれなる所」であったと・・・。


女院は夫高倉天皇とわが子安徳天皇および平家一門の菩提を弔う余生を送り、建久2年(1191)2月中旬この地でその生涯を閉じました。


御庵室跡の右手奥に、門院が使用したという井戸が残っています。

付近に祀られた合掌地蔵


草生川をはさんで御庵室跡の向かいに阿波内侍・大納言佐局・治部卿局・右京大夫・小侍従局ら建礼門院の侍女たちのものと伝える墓石があるそうです。

阿波の内侍の墓
大きさ30センチ余りの五輪の塔三基と宝筐印塔一基が青苔に埋もれ昔のままの姿で並び、建礼門院に仕えた女房大納言佐局、佐部卿局、阿波内侍、右京大夫の墓といわれています。



見えている階段

今は通行止めになっています。

木にかかっているのは・・・

熊出没注意


鐘楼

江戸時代に建立された鐘楼には、
「諸行無常の鐘」と称する梵鐘が懸かっています。
鐘身に黄檗宗16世の百癡元拙(1683-1753)撰文になる宝暦2年(1752)2月の鋳出鐘銘があり、時の住持は本誉龍雄智法尼、
弟子の薫誉智聞尼で、浄土宗僧侶でした。
鋳物師は近江国栗太郡高野庄辻村在住の太田西兵衛重次。

手水


孤 雲 (茶室)

京都御所で行われた昭和天皇の即位の御大典の際に用いられた部材が寂光院に下賜され、それをもとに茶室を造り、昭和6年3月に
千宗室宗匠に献茶式を催し茶室開きを行ったそうです。
「孤雲」の名のいわれは、建礼門院のもとを訪れた後白河法皇が、粗末な御庵室の障子に諸経の要文とともに貼られた色紙のなかに、
「笙歌遥かに聞こゆ孤雲の上 聖衆来迎す落日の前」
という大江定基の歌と
「思ひきや深山の奥にすまひして 雲居の月をよそに見んとは」という
女院の歌を御覧になって、一行涙にむせんだという
『平家物語』の大原御幸のなかの一節にちなむそうです。


鳳智松殿(ほうちしょうでん)『宝物殿』
平成18年秋に寂光院の復興を記念して建てられました。
寂光院に伝来する『平家物語』ゆかりの文化財等を紹介しています。

地蔵菩薩小像(重文)
寂光院の本尊は2000年の本堂放火事件により焼損しましたが、奇跡的に像内納入物は被害を免れました。3,000体を超す地蔵菩薩の小さな木像もその一部で、現在、鳳智松殿(宝物殿)に安置されています。

寂光院をあとにし建礼門院大原西陵へ。

寂光院の門前の手前に一直線の石畳の陵墓径があります。


振り返ってみると


草生を見渡すことのできる寂光院の東の背後の高台に、
建礼門院徳子の墓所と伝えられる大原西陵があります。

建礼門院大原西陵

三千院の北にある後鳥羽天皇と順德天皇の大原陵に対して
西陵といい、五輪塔が祀られています。


寂光院をあとにし、三千院方面へ。



落合の滝

焼杉谷川と西田谷川が合流する地点にある滝。

建礼門院の御歌「ころころと小石流るる谷川の、かじかなくなる落合の滝」で知られています。

史跡 朧(おぼろ)の清水

寂光院への参道の途中にある泉。
建礼門院が寂光院にお入りになる道すがら日が暮れて、
月の明かりでこの泉に姿を映されたといわれています。

川沿いに進みます。



大原女

お土産屋さんの店先でお出迎え。



行ってみました。



「ゆず」がいっぱいなっています。

ここを抜けると、「見渡す限り大原の里」なんです。


椿地蔵



「お願い」はくれぐれも一つに(笑)。

大原の里




景色を堪能して、帰ることにします。途中に・・・。

「女ひとり」の碑

永六輔作詞、いずみたく作曲

京都大原三千院
恋につかれた女がひとり
結城に塩瀬の素描の帯が
池の水面にゆれていた
京都大原三千院
恋につかれた女がひとり

「平成25年6月18日 テレビ 遠くへ行きたい」
出演、永六輔さんの写真も添えられていました。


駐車場まであと少し

乙が森






森の中は大蛇の絡まったような大きな藤蔓があり、
中央に龍王大明神の碑が建てられています。

大原川の上流にある女郎ヶ淵に身を投げた「おつう」という女性が蛇身となって川を下り、この森で自分を捨てた若狭の領主の行列を待ち伏せして妨害したので、松田源太夫という侍が退治し、その尻尾を花尻の森に埋め、頭の方を乙か森に埋めたとも言われているそうです。

我が家にある「大原女」です。
  

左、高さ40㎝ほどの日本人形。
右は、高さ10㎝ほどの一刀彫の人形です。
この「大原女」の日本人形は、両親が50年以上前に頂いたものらしく、今、私の家にあります。


説明文は、寂光院公式ホームページ、大原観光保勝会を参考にしました。

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鹿の舟

2017-01-12 | デジカメ紀行
「鹿の舟」
奈良市井上町「ならまち振興館」は、平成7年度から市民の国際文化の向上と奈良町の町並み保全に資することを目的に運営されてきました。
元々は大正期に建てられた住宅で、長らく地域の方に親しまれてきましたが、さらなる奈良町の振興に役立てるため、このプロジェクトが発足し、「奈良町南観光案内所」を中心とする複合施設「鹿の舟」として生まれ変わりました。
伝統的な生活文化が今も色濃く残る奈良町の魅力を、より活かすため、案内だけでなく、その生活文化に触れ、「これからの生活をつくる」ことをテーマに様々な楽しみをお届けします、とのこと。

古い町家が並ぶ「ならまち」。その南の玄関口にオープンしたのが「鹿の舟」です。

西側入り口


プロデュースするのは、奈良の人気カフェ「くるみの木」。

「鹿の舟」は、観光案内所「繭」、食堂&グローサリー「竈」、喫茶室「囀」の3つの建物からなる複合施設です。



ネーミング・ロゴマーク
施設全体を大きな舟に例え、訪れる人々を鹿に例えています。
訪れた人々は、この場所で様々な物や事柄に触れ、深く知り、学んでいきます。
そして、それらを自らの体験として習得し、新たな知識として繋いでいく。
そのような、多くの人や物をのせて、次の目的地(段階)へ進んでいく舟のような場所でありたいという思いを込めているそうです。


これは食堂、グローサリー「竈」のロゴマーク。


「繭 (まゆ)」

観光案内施設。
レトロな雰囲気が残る館内には、奈良のパンフレットが置かれています。
スタッフさんが、案内をしてくれます。

奥には木製の円柱の壁があり・・・。


中を覗くと、棚にはたくさんの本がずらり。
奈良の伝統文化、民芸、食、農などの図書が約500冊も並ぶ
ライブラリーになっています。
自由に閲覧できます。


奈良の伝統産業である蚊帳が吊るされた読書スペース





蔵を改装した展示室では企画展が行われています。











お腹もすいてきたので食事タイムです。

「竈(かまど) 」


中にはいると・・・


奈良県宇陀市の左官職人さんが手がけた特製のかまど。
店内の真ん中にどーんと鎮座。


吉野檜のテーブルやイスが温かみを感じさせます。
朝ごはんの営業も行っています。


副菜3品を、セルフでお盆に乗せて席につくと
味噌汁、ごはんが運ばれてきます。


メイン料理は選べます。


食品や食材の販売も。

奈良県産の無農薬野菜や米をはじめ、地元の蔵元で造られた味噌や
醤油、天然のはちみつなど。


続いて「囀」のほうへ行ってみることに。



  

  

  



「囀(さえずり) 」

木のぬくもりを感じるシンプルでナチュラルな外観の喫茶室です。
カフェ、雑貨のお店。


ほっこりできる所です。

写真は昨年2016.11.1撮影。

説明文は「鹿の舟ホームページ」より。

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ニューイヤー2017

2017-01-01 | 絵手紙



2017年(平成29年)は酉年(とり)年で、動物にあてはめると鶏になります。
干支(かんし・えと)十干(中国で年・月・日・時間や方角、角度、ことがらの順序を表すのに用いられた)と十二支を組み合わせたもの(60の周期を使って表す)で、2017年の干支は「丁酉」(ひのととり)。

酉年生まれは、洞察力があり、多くの才能に恵まれている。頭の回転が速く、几帳面で集中力や持続力があり凝り性・・・。


どのような年になるのでしょうか?。
昨年より「1つ」良いことが増えれば言うことなし(笑)。

今年も、カメラ片手に出かけます。

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