【折々の花だより】

”季節の花だより”
花たちとの出会いを楽しんでます

長浜盆梅展

2020-02-22 | 花だより
長浜盆梅展
盆梅とは鉢植えの梅、つまり梅の盆栽のことです。
大正時代、現在の長浜市高山町で養蚕業を営んでいた高山七蔵翁が、山林の入って枝ぶりの良い梅の古木を掘り起こし、おおきな鉢に植え、丹精込めて世話をしました。高山氏は、春になり見ごろを迎えた梅たちを玄関先に並べ、多くの人たちの観賞に供しました。これが、盆梅のはじまりです。40年もの歴史を重ねた盆梅は長浜市に寄贈され、長浜盆梅展が始まりました。
昭和27年(1952)からはじまり、今年で69回を迎えます。歴史・規模ともに「日本一の盆梅展」は、湖北の新春の風物詩として親しまれています。




ポスター

デザインは、京都造形芸術大のプロジェクトチームが手がけられたそうです。ポスターは中央部分に「長浜盆梅展」のロゴマーク。
ロゴマークは盆梅の枝をモチーフにしています。

会場である慶雲館は、130年以上前に建てられた歴史的建造物です。
明治20年、明治天皇の京都行幸からの帰り道に、長浜での休憩所として、長浜の豪商・浅見又蔵氏が私財を投じて建てました。当時の総理大臣、伊藤博文が名付けたと伝わっています。

2月8日訪れました。

生垣の外に、鉢植えの梅が置かれています。





門が見えてきました。







門をくぐります。

庭園は明治45年、近代日本庭園の先覚者と呼ばれ、平安神宮神苑など多くの造園を手がけた、七代目小川治兵衛の作で、国の名勝に指定されています。
約6000平方メートルの広大な敷地内には、高さ5mを超える巨大な大灯篭や、日本一大きな芭蕉の句碑、慶雲館本館と同時期に建設された茶室などがあります。







芭蕉句碑




建物へ向かいます。






石標





大灯籠








門と、建物がみえてきました。




300鉢の中から開花時期に応じ、常時約90鉢を純和風の座敷に展示します。長浜盆梅展は、木が大きいことと古いこと、高さ3m近い巨木や樹齢400年を超える古木もあります。




















続いて新館の方へ


暖簾の模様にも、ロゴマーク。


昨年に引き続き京都造形芸術大の学生ら17人がレイアウトを担当。鉢の背後に淡く明るい色の布を垂らし、影で枝ぶりを楽しめるようにしたり、棚に小ぶりな鉢を飾ったり・・・。



























二階では、作業に使われる道具などの展示や、盆梅ができるまでが紹介されています。
お茶席もあります。



盆栽の雛壇



庭を散策します。






茶室





庭から建物を







ここにも、大きな灯籠が。


慶雲館を後にして、近辺をぶらぶら・・・。

長浜駅


顔はめパネル


長浜水道仕切弁小型蓋

中央に長浜の「長」を図案化したものが描かれています。


説明文は、パンフレット、滋賀県観光情報公式観光サイトを参考にしました。

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達磨寺

2020-02-13 | デジカメ紀行
法輪寺(達磨寺)

三百年前(享保13年、1718)萬海禅師が同郷の荒木光品居士の帰依寄進を受け、大愚宗築禅師を勧請開山として開かれた禅寺です。この時代に新寺建立することは難しく、鳴滝村にあった三蔵院の古蹟を復興移築するという手立てにより十年の歳月を要して建立されました。創建当時は、三蔵院法輪禅寺といわれていました。文政の京都大地震や明治維新の動乱、廃仏毀釈といった大難の時もありましたが、荒木家の外護と民衆の信心によって法灯が継がれました。
第十代の後藤伊山和尚は、太平洋戦争敗戦の国土・人心荒廃する日本の復興を祈念して禅宗初祖菩提達磨禅師の七転八起の精神により、達磨堂を建立、通称「達磨寺」として親しまれています。

だるま様と「七転八起」
だるま様は、ユーモラスな張り子の置物などで広く親しまれていますが、「起き上がり・忍苦・不倒の教えのシンボル」、くじけず辛抱すれば必ず報われるという「不撓不屈の精神」を授けて下さる尊いお祖師様です。

毎年2月2日、3日、4日、節分大祭が開催されます。住職によるだるま説法や、ハト茶無料接待、福引券付き福豆などがあります。
三国一を称する起き上り達磨をはじめ、諸願成就に奉納された達磨が、およそ8000余をまつる達磨堂は有名です。

2月3日訪れました。
JR円町駅から徒歩10分ほど、北野天神ゆかりの紙屋川畔にあります。

横断幕が掲げられています。










門の前では、大きなだるまが出迎えてくれます。





門をくぐると右手にあるのが
<延命地蔵>






<だるま堂>



(上の写真二枚はホームページより)
だるま堂の起き上がりだるま。
御真言の「おんだーまそわか」をひと息で7回唱えるのが正しいお参りの作法だそう。



入口の左右にだるまさん。


中に入りお参りをします。

天井には、だるまの絵が・・・。

縁起物のだるまを買い求めたり、境内の大きなだるまに、願い札に願い事を書き、貼り付けていきます。


<そばにある達磨像>


像にかけてある数珠のようなものも、よーく見ると、だるまさん。




<衆聖堂>

奥に見える赤い柱の建物で、だるま堂の向かいにあります。

天井にある巨大なだるま絵

樋口文勝老師83才の時の作。

全国から集められただるま像や、提灯。


続いて本堂へ。

だるま尽くしの屏風

さまざまな表情のだるま大師や張り子だるまが描かれています。

本堂の東側には禅の悟りの段階を示す十牛の庭。
十牛の庭とは仏道入門から悟りに至るまでの道程を、10の牛で示したものだそうです。
緑の苔に覆われ、石組が複数置かれています。

縁側にずらりと、だるまさんが並んでいます。






「十牛図」に因んで牛が置かれているようです。


<弁天鐘>


<十三重塔>


だるま寺は至る所に「だるまさん」が・・・。



<だるま焼100円>


鬼瓦もだるまさん。







屋根の丸軒瓦の前面には「宝」の文字が陽刻され、鬼瓦ではなく、達磨像を象った瓦が使われています。

<少林寺拳法根本道場発祥地の碑>

昭和8年に第十代を継いだ伊山和尚が、戦後に少林寺拳法道場を開かれたそうです。


  


説明文は公式サイトを参考にしました。

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閻魔もうで

2020-02-05 | デジカメ紀行
白毫寺、閻魔もうで
1月16日、奈良市白毫寺町の白毫寺で、閻魔王坐像(えんまおうざぞう)に無病息災や家内安全を祈願する「えんまもうで」がありました。
16日は閻魔王の縁日で、地獄では罪人たちが苦しみを逃れられる骨休みの日といわれています。
法要は、閻魔王坐像が安置されている宝蔵で行われ、住職と僧侶らによる読経、参拝者の願いが一つひとつ読み上げられます。

白毫寺は、天智天皇の皇子、志貴皇子(施基皇子)の山荘跡に建てられたと言い伝えられています。
鎌倉時代に叡尊によって再興。叡尊の弟子道照が中国から一切経を持ち帰ってからは「一切経寺」とも呼ばれました。

高台に位置し、百段余りの石段を登ると境内から奈良市街を一望することができます。








門をくぐり、さらに階段を上がって行きます。





訪れた時間が遅かったので、法要は終わっていましたが、お詣りと境内を散策しました。

甘酒を頂きました。後方は本堂。





本堂の前に・・・。




宝蔵

本尊は阿弥陀如来坐像。
地蔵菩薩立像、興正菩薩叡尊坐像、閻魔王坐像とその眷属司命・司録像(いずれも重要文化財)などの仏像が収められています。
法要が行われた所です。



境内の五色椿は、東大寺開山堂の糊こぼし、伝香寺の散り椿と並び奈良三名椿の一つとして知られています。









小福桜




蠟梅


片付けをされていた方から、「参拝のかたにお渡ししたんですよ。」と、頂きました。

5㎝四方くらいの手作りのかわいい小箱。


出てきたのは


裏返し中心を、押し、くるっとひっくり返すと・・・。




御朱印は閻魔さま。


説明文は、奈良県観光公式サイトあをによしなら旅ネットを参考にしました。


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