【折々の花だより】

”季節の花だより”
花たちとの出会いを楽しんでます

日本最古の天満宮、生身神社

2020-01-25 | デジカメ紀行
生身神社は京都府南丹市園部町にある、生祠として祭祀した最古の天満宮です。
園部は、菅原氏代々の知行所であったため菅原道真公の邸殿があり、度々ここに来られていました。武部左衛門尉治定(後に武部源蔵と改める)は、当時の園部の代官で、菅原道真公をお迎えする立場として交流がありました。
延喜元年(901年)2月、菅原道真公は、藤原時平らの策略により、太宰府へ左遷を命ぜられます。これを聞いた武部源蔵は、密かに八男慶能君養育の内命を受け、かくまい育てながら、ひたすらに菅原道真公の無事の御帰洛を待ち侘びることになります。
同延喜元年(901年)の春、武部源蔵自ら菅原道真公の御木像を刻み、ひそかに祠を建てて生祠(いきほこら)とし、御木像を奉齋し菅原道真公と仰ぎ、ご安泰を祈り、深く崇敬の誠を尽くしました。
が、延喜3年(903年)2月、菅原道真公は太宰府で亡くなり、この生祠を霊廟と改め神忌を務めました。
菅原道真公が生きておられる時に生祠として祭祀したことから、生身(いきみ)天満宮と言われ、日本最古の天満宮といわれています。

駐車場から、大常夜燈と、鳥居を見ました。




大鳥居


参道に






境内図



絵馬堂の手前にある狛犬
  


絵馬堂



手水舎


厳島神社



ご祭神は狭依姫命です。市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)とも。「弁天さん」の愛称で親しまれ、水神、勝運の神、開運招福、芸能の神として、また女性の守護神として、御神徳多大な神様です。
女性の守護神であり、芸能の神様であることから、当時、宿場で働いていた女性達のお詣りも絶えなかったと伝わっています。
狭依姫命は、天照大御神(あまてらすおおみかみ)と素盞嗚尊(すさのをのみこと)にお生まれになった女神で、素盞嗚尊の十拳剣(とつかのつるぎ)から生まれたともいわれ、美人の誉れ高い神様です。
女の子がお詣りすると美人になるパワースポットとして有名だそうです。


稲荷神社




さらに階段を上がっていきます。



伊勢神宮遥拝所



ご祭神 天照大御神・豊受大御神
境内摂社、伊勢の神宮をお祀りしています。
大神宮をお参りすると、同時に遠く伊勢の神宮もお詣り出来るように西向きに座しています。


手水舎



秋葉愛宕神社



宝永6年(1709年)建立とみられ、平成17年(2005年)に京都府登録文化財として登録されました。静岡の秋葉神社と京都の愛宕神社の2社を祀り、秋葉愛宕神社と称しています。
秋葉神社は、火之迦具土大神(ひのかぐつちのおおかみ)をご祭神とする全国の秋葉神社の総本宮です。
愛宕神社は全国の愛宕神社の総本社で、火産霊命(ほむすびのみこと)をお祀りします。
共に火伏・防火のご神徳高いお社です。


鳥居をくぐり境内へ入ります。




楷(かい)のき





拝殿


拝殿前の狛犬
  

拝殿、本殿


本殿


お参りは「本殿の周りを時計回りに三回」とのことで・・・。








生身天満宮本殿・回廊
棟札より承応2年(1653年)の遷座時に建立されたとみられます。
京都府指定文化財に指定。
本殿に繋がる回廊の建立は、幕末から明治期とみられています。
生身天満宮拝殿
生身天満宮拝殿は、棟札より天保2年(1831年)の建立とみられます。

本殿・回廊とともに連続した屋根を持つ一群として、神社建築の空間を考察する上で重要とされています。

使いの牛







絵馬


本殿の後方へ


梅は蕾堅しです。

武部源蔵社


武部源蔵のお墓、宝篋印塔(ほうきょういんとう)





稲荷神社・金比羅神社  紅梅神社・白太夫神社・老松神社

境内の南東隅に、3社と2社がそれぞれ棟続きに、2つのほこらでお祀りされています。


八坂神社・西宮神社・八幡宮

神輿蔵の南側に3社並んでお祀りされています。

説明文は公式サイトを参考にしました。




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西宮神社

2020-01-18 | デジカメ紀行
西宮神社は 福の神として崇敬されている えびす様をおまつりする神社の総本社です。

阪神電車 西宮駅



神社境内図


えべっさん筋を通って、表門へ。








梅宮神社

表大門の手前にあります。
酒解神(大山祇神)を祀る。嘉永4 年、それまで松の御神木だけだったのを、社殿を建て祭るようになったそうです。

天文3年(1534)の兵火により焼失した境内建物は、慶長9年(1604) から同14年にかけて豊臣秀頼公の奉献により、表大門、本殿、拝殿等全て元に復したと言われています。


表大門

通称、赤門(あかもん)と云われています。

桃山建築の遺構をのこし、その左右に連なる大練塀(おおねりべい)と共に、重要文化財に指定されています。

大練塀が最初に建てられた年代についての文献は残っていませんが、昭和25年の大修理の際、築土の中から宗銭三枚、元銭一枚が発見された事により、室町時代に建造されたものと推定されます。
全長247メートルの土塀で、その堅牢な構造から国の重要文化財に指定され、名古屋・熱田神宮の信長塀、京都・三十三間堂の太閤塀と共に日本三大練塀といわれています。

赤門を入ると松林が広がります。

1月10日を中心に9日から11日までの3日間斎行する「十日えびす」は、阪神間、最大の祭典として広く全国に知られています。
 1月 9日(木) 宵えびす
 1月10日(金) 本えびす
 1月11日(土) 残り福

ここからの参道を・・・。
「開門神事」
1月10日、午前6時、表大門(おもてだいもん、赤門)が開かれ、外で待っていた参拝者は、一番福を目指して230m離れた本殿へ「走り参り」をします。西宮えびす独特の伝統行事として、江戸時代頃に自然に起こったといわれています。
本殿へ早く到着した順に1番から3番までがその年の「福男」とされます。

本殿へ向かいます。

兜社



廣田神社摂社 南宮神社


左手に南門があります。

〆柱



神馬



鳥居


鳥居をくぐり境内を進むと

奉納された大漁旗


祈祷殿、拝殿、社務所が見えてきました。




まぐろ???


最後尾に並びました。

拝殿下、左右にあります。

白鷹酒造の辰馬悦叟氏志願奉納の青銅製の馬(明治32年)


八馬(はちうま)七兵衛等の奉納になる青銅製狛犬(天保12年)
  



逆さ門松

門前町では、古くより十日えびすの宵宮の九日の夜、各家の門口に立ててある門松の枝を逆さにつけかえ、静かに神様をお迎えする風習がありました。昔の門松は、枝葉の着いた大きな斎竹に松を盛り添えて造られており、各家々が通りに面して建てると、通りがせまくなる程であったといわれています。夜、えびす様が神馬にお乗りになって市中を巡行されるのに、松の葉先があたっては大変、と云うことで、この様にしたと伝えられています。
平成20年の歳末から、えびす様に対する氏子の優しい心を伝えるため、「逆さ門松(さかさかどまつ)」の伝統を復興されたそうです。

神職さんにお祓いをして頂き進むと、まぐろ???のわけが・・・。







奉納された蟹やまぐろにお賽銭が貼られています。


本殿

屋根は三連春日造(さんれんかすがづくり)と云う珍しい構造。江戸時代寛文3年(1663)に四代将軍家綱の寄進。国宝。
昭和20年の空襲により烏有に帰してしまいましたが、昭和36年、桧皮葺から銅板葺に変わった他は、ほぼ元通りに復興。
平成23年は50年毎の式年造替にあたり、祈祷殿の新築、神池、本殿、拝殿の改修を行いました。。

向かって右からが第一殿で、蛭児大神を祀り、中央が第二殿、天照大御神及び明治初年に大国主大神を配祀、左が第三殿で須佐之男大神を奉斎しています。
天照大御神、蛭児大神、須佐之男大神の三神は日本書紀本文によれば御兄弟の神と言われています。

参拝を終え石段を降り右手奥に進むと、小さなお社が幾つも見えてきます。境内社又は末社といわれる神社です。西宮神社には十一の境内末社と一つの境外末社があります。

火産靈神社(ほむすびじんじゃ)



百太夫神社



大国主西神社





六甲山神社



庭津火神社(にわつびじんじゃ)



沖恵美酒神社(おきのえびすじんじゃ)



南門


神社全体の面積は、42,000平方メートル余(約13,000坪)。本殿後方一帯の境内えびすの森は、兵庫県指定の天然記念物となっています。


西宮市のマンホール

甲子園球場、酒蔵と酒樽、市の花である桜の花びらがちりばめてあります。
上部に「ごうりゅう」下部に「にしのみや」の文字があります。
合流管マンホール蓋。

説明文は公式サイトを参考にしました。




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大豊神社

2020-01-14 | デジカメ紀行
大豊神社(おおとよじんじゃ)
創建は平安時代初期の887年。宇多天皇の病気平癒を願い、尚侍である藤原淑子が勅命を奉じた勅願社であり、朝野の信仰が篤かったそうです。
ご祭神は医薬の祖である少彦名命(すくなひこなのみこと)を祀ったものが起こり。勝ち運の神・応神天皇、学問の神・菅原道真も本殿に祀られています。
建武の内乱・応仁の兵火などに遭って焼失しましたが、本殿・末社・拝殿・絵馬堂が再建され、鹿ケ谷、法然院、南禅寺一帯の土産神(うぶすなのかみ)として信仰を集めています。
末社の大国社の狛鼠、日吉社の狛猿、愛宕社の狛鳶は、それぞれの神のお使いとして有名です。

1月6日お参りに訪れました。

昭和29年には、京都市よりいにしえの都の古刹として「名勝地」に指定され、哲学の道の「ねずみの社」として全国より多くの参拝者を迎えることとなりました。
哲学の道は、琵琶湖疎水の分線に沿った遊歩道で、付近には銀閣寺や法然院、永観堂など有名寺院がある観光スポットです。

手作りの案内板がたてられています。



一の鳥居






灯籠に。






参道へ。





参道には、狛犬も奉納されています。

  

  


ご神水


二の鳥居


境内へ入ります。

舞殿


舞殿に奉納されています。





大国社

大国社に狛ねずみが置かれているのは、大国主命の神使がねずみであることから。古事記には大国主命の危機をねずみが救ったと記されています。
素戔嗚尊が大国主命の力を試そうと広い野原に立たせて草に火を放ったところ、一匹のネズミが大国主命の前に現れ、「この下に穴があるよ!」と教えたそうです。大国主命にとって、ねずみは、命の恩人で、今も、2体のねずみが対になって大国主命を守護しているんだそうです。

  

向かって右手の阿形の狛ねずみは手に巻物を持っています。学業成就のご利益。
左手の吽形の狛ねずみは水玉(酒器)を持っています。無病息災や子孫繁栄にご利益があるとされています。


稲荷社

狛狐もいます。


本殿


本殿前にはしだれ梅としだれ桜が・・・。春が待たれます。





末社、日吉社・愛宕社

日吉社には狛猿。比叡山の麓にある日吉大社は京都の鬼門を守る守護神。その神の使いは猿で「神猿(まさる)」と呼ばれ、何よりも勝る、魔が去るという魔除けの象徴。
愛宕社にいるのは狛鳶(とび)。愛宕神社は和気清麻呂の創建で猪が神使とされますが、ここでは愛宕山の天狗が鳶帽子をかぶっていることから鳶を神使として像を建てたそう。
  


狛蛇

金運のご利益を。


良縁・招福の石

後方の2つの丸い石は、縁結びにご利益のある石なのだそう。


枝垂れ紅梅、紫陽花や山野草が咲き、椿の名所としても知られています。



  


大豊神社を後にして哲学の道を散策します。

大豊神社御旅所











説明文は「京都観光オフィシャルサイト京都観光Navi」を参考にしました。

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ニューイヤー、2020

2020-01-01 | 絵手紙
2020年「子年」明けましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。



2020年の干支(えと)は十二支で言うところの「子年(ねどし)」、ネズミに当たりますが、正確に干支を表すと「庚子(かのえ・ね)」。

干支は、十干(じっかん)と十二支を組み合わせた 60を周期とする、数を表す語のことです。暦、時間、方位などに用いられます。
十干は、甲・乙・丙・丁・戊・己・庚・辛・壬・癸の10種類、十二支は、子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥の12種類からなっており、これらを合わせて干支と呼びます。

「庚子」が表す意味は、新たな芽吹きと繁栄の始まり。新しいことを始めると上手くいく、大吉であると指し示しているそうです。

「子、丑、寅……」と十二支は子(ねずみ)から始まりますが、どうしてネズミが最初なのでしょうか? と言う事で、昔から語り継がれてきた十二支の民話をご紹介。
「元日の朝、私のところへ出掛けてきなさい。最初に到着したものから12番目のものまでを、1年交代でその年の大将にしてあげよう。」
ネコは話を聞き漏らしてしまい、ネズミに尋ねますが、ネズミは1日遅れの日付を教えてやり、ネコはそれを真に受けてしまいます。
元日、誰よりも早く夜明け前に出発した足の遅いウシの背中にネズミが飛び乗りました。朝がきて門が開いたとたん、ウシの背中からネズミが飛び降り、ネズミが1番になりました。 残念ながらウシは2番となり、トラ、ウサギ、タツ、ヘビ、ウマ、ヒツジ、サル、トリ、イヌ、イノシシの順で到着しました。1日遅れで出掛けたネコは番外となり、それ以来ネズミを恨んで追いまわすようになったそうです。





説明文は「暮らしの歳時記ガイド、三浦康子さん」を参考にしました。 



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