建仁寺(けんにんじ)は、京都府京都市東山区にある臨済宗建仁寺派大本山の寺院。山号を東山(とうざん)と号し、本尊は釈迦如来、開基(創立者)は源頼家、開山は栄西です。明和2年(1765年)の建立。

西門から入ります。
法堂が見えてきました。

法堂(はっとう)の天井画「双龍図」は、平成14年(2002)に建仁寺創建800年を記念して、日本画家の小泉淳作画伯が約2年の歳月をかけて取り組んだ壮大な作品。畳108畳にも及ぶ水墨画の迫力に圧倒されます。

本坊から、方丈、法堂へと続けて拝観できますが、前回訪れていたので、今回は両足院へ・・・。

両足院(りょうそくいん)は建仁寺の第35世龍山徳見(りゅうざんとっけん)が開山しました。臨済宗建仁寺派の塔頭寺院です。
本尊の木造阿弥陀如来立像は、鞍馬毘沙門天の胎内仏だったとされています。
戦国時代 、 比叡山が織田信長によって焼き討ちにあった際、鞍馬の僧が尊像の安全を危惧し、比喜多養清(室町将軍の茶家、筑前黒田家京都御用達)のところへ、尊像を疎開させたものです。
黒田家必勝の御守護関が原の会戦に黒田長政が、関東方として出陣する際、この尊像を内兜に収めて奮戦し、勝利を収めたといわれています。そのあと尊像は代々黒田家で信仰されましたが、維新の変革で明治10年ごろ寄進され、毘沙門天堂に祀られました。
龍山徳見が元から連れ帰った中国の林浄因が、日本で初めて餡入りの饅頭を作ったと伝えられています。「おまんじゅうの始祖」の寺でもあり、今も「饅頭屋町」という町名が烏丸通三条下ルの辺りに残っているそうです。
庭園は、白砂と苔に青松が美しい唐門前庭。枯山水庭園の方丈前庭。そして京都府指定名勝庭園の池泉廻遊式庭園からなっています。
両足院では庭園の池の周囲に約800株の、ハンゲショウが植えられています。ハンゲショウはドクダミ科の多年草。
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夏至を過ぎた頃に長さ10~15cmほどの穂状花序を葉の付けねにつけ、花のすぐ下に位置する葉の表面が白く変化し花弁の役目を果たします。
化粧のおしろいにちなんで名前がついたとされています。葉の片面(表面)だけが白くなることから古くはカタシログサ(片白草)とも呼ばれています。
また、花期が終わると葉の色はまた緑色になります。「葉は上から3枚目までしか白くならないんですよ。」とも。


池の北側には織田信長の弟織田有楽斎好みの如庵の写し「水月亭」。外から中が覗けるように、にじり口があけてあります。「腰張りに中国の暦が貼ってあります。」と言われたので遠くから中を撮ってみました。

なんとなく、雰囲気だけでも・・・。
その右には六帖席の「臨池亭」が並んでいます。
半夏生の清々しい姿に癒され、毘沙門天堂へ。
本尊の毘沙門さんは、脇仏に閻魔大王、不動明王をおまつりしています。毘沙門天堂の狛犬は、寅。香炉や灯篭にも、寅が浮き彫りされていることから、寅年生まれの方やご縁のある方がよくお参りされるそうです。


建仁寺境内を少しぶらぶら・・・。
三門が見えてきました。
「桔梗」に惹かれて・・・。

西門から入ります。
法堂が見えてきました。

法堂(はっとう)の天井画「双龍図」は、平成14年(2002)に建仁寺創建800年を記念して、日本画家の小泉淳作画伯が約2年の歳月をかけて取り組んだ壮大な作品。畳108畳にも及ぶ水墨画の迫力に圧倒されます。

本坊から、方丈、法堂へと続けて拝観できますが、前回訪れていたので、今回は両足院へ・・・。

両足院(りょうそくいん)は建仁寺の第35世龍山徳見(りゅうざんとっけん)が開山しました。臨済宗建仁寺派の塔頭寺院です。
本尊の木造阿弥陀如来立像は、鞍馬毘沙門天の胎内仏だったとされています。
戦国時代 、 比叡山が織田信長によって焼き討ちにあった際、鞍馬の僧が尊像の安全を危惧し、比喜多養清(室町将軍の茶家、筑前黒田家京都御用達)のところへ、尊像を疎開させたものです。
黒田家必勝の御守護関が原の会戦に黒田長政が、関東方として出陣する際、この尊像を内兜に収めて奮戦し、勝利を収めたといわれています。そのあと尊像は代々黒田家で信仰されましたが、維新の変革で明治10年ごろ寄進され、毘沙門天堂に祀られました。
龍山徳見が元から連れ帰った中国の林浄因が、日本で初めて餡入りの饅頭を作ったと伝えられています。「おまんじゅうの始祖」の寺でもあり、今も「饅頭屋町」という町名が烏丸通三条下ルの辺りに残っているそうです。
庭園は、白砂と苔に青松が美しい唐門前庭。枯山水庭園の方丈前庭。そして京都府指定名勝庭園の池泉廻遊式庭園からなっています。
前庭


丸窓と唐門前庭の立砂が見えます。左手が方丈前庭です。
方丈の東側にある方丈前庭、枯山水庭園。

書院前の庭園入口の中門。その向こうに茶室が見えます。


丸窓と唐門前庭の立砂が見えます。左手が方丈前庭です。
方丈の東側にある方丈前庭、枯山水庭園。

書院前の庭園入口の中門。その向こうに茶室が見えます。
両足院では庭園の池の周囲に約800株の、ハンゲショウが植えられています。ハンゲショウはドクダミ科の多年草。

夏至を過ぎた頃に長さ10~15cmほどの穂状花序を葉の付けねにつけ、花のすぐ下に位置する葉の表面が白く変化し花弁の役目を果たします。
化粧のおしろいにちなんで名前がついたとされています。葉の片面(表面)だけが白くなることから古くはカタシログサ(片白草)とも呼ばれています。
また、花期が終わると葉の色はまた緑色になります。「葉は上から3枚目までしか白くならないんですよ。」とも。


池の北側には織田信長の弟織田有楽斎好みの如庵の写し「水月亭」。外から中が覗けるように、にじり口があけてあります。「腰張りに中国の暦が貼ってあります。」と言われたので遠くから中を撮ってみました。

なんとなく、雰囲気だけでも・・・。
その右には六帖席の「臨池亭」が並んでいます。
半夏生の清々しい姿に癒され、毘沙門天堂へ。
本尊の毘沙門さんは、脇仏に閻魔大王、不動明王をおまつりしています。毘沙門天堂の狛犬は、寅。香炉や灯篭にも、寅が浮き彫りされていることから、寅年生まれの方やご縁のある方がよくお参りされるそうです。



建仁寺境内を少しぶらぶら・・・。
茶碑

茶苑

栄西禅師がもたらした茶の將来800年(平成3年)を記念して、植樹栽培した覆い下茶園です。
毎年5月10日頃、初摘みした茶葉を石臼で挽いた抹茶を、御開山歳忌(6月5日)にお供えし、
ご遺徳茶恩に感謝の誠をささげているそうです。
建仁寺の境内を歩いていると、道の横にも茶の樹をみかけます。

茶苑

栄西禅師がもたらした茶の將来800年(平成3年)を記念して、植樹栽培した覆い下茶園です。
毎年5月10日頃、初摘みした茶葉を石臼で挽いた抹茶を、御開山歳忌(6月5日)にお供えし、
ご遺徳茶恩に感謝の誠をささげているそうです。
建仁寺の境内を歩いていると、道の横にも茶の樹をみかけます。
三門が見えてきました。
三門

「望闕楼」(ぼうけつろう)の別称がある。静岡県浜松市(旧浜名郡雄踏町)の安寧寺から大正12年(1923年)に移築したもので、江戸時代末期の建築です。
空門・無相門・無作門の三解脱門。「御所を望む楼閣」という意味で「望闕楼」と名づけられました。楼上には釈迦如来、迦葉・阿難両尊者と十六羅漢が祀られています。

「望闕楼」(ぼうけつろう)の別称がある。静岡県浜松市(旧浜名郡雄踏町)の安寧寺から大正12年(1923年)に移築したもので、江戸時代末期の建築です。
空門・無相門・無作門の三解脱門。「御所を望む楼閣」という意味で「望闕楼」と名づけられました。楼上には釈迦如来、迦葉・阿難両尊者と十六羅漢が祀られています。
放生池から三門を・・・。

後ろは法堂です。


放生池に咲いています。

後ろは法堂です。


放生池に咲いています。
「桔梗」に惹かれて・・・。
禅居庵

建仁寺第23世、清拙正澄(せいせつしょうちょう)(1274-1339年)が晩年退隠された塔頭寺院。
小笠原貞宗が元弘年中に創建。
桔梗


境内で・・・。


建仁寺第23世、清拙正澄(せいせつしょうちょう)(1274-1339年)が晩年退隠された塔頭寺院。
小笠原貞宗が元弘年中に創建。
桔梗


境内で・・・。

説明文は、案内の方々のお話、ウィキペディア、ホームページを参考にしました。