=世界の貯金箱博物館=
貯金箱には、それらが作られた時代背景が色濃く反映されており、貯金箱を通して時代の変遷を知ることができます。
昭和40年中頃から、貯蓄と人々の暮らしの関わりを示す貴重な資料として「貯金箱」にスポットをあて、美術商や骨董商などから随時収集を増やしました。
尼崎信用金庫としての収集、取引先から家にあったものや旅先でのお土産、当金庫の役職員が旅行や視察の都度見つけたものなど、皆さんの善意で貯金箱が集まりました。
コレクションが増えるにつれ生活文化の資料として、美術品や、骨董品として鑑賞に値することがわかりました。
尼崎にひとつの“文化の器”を作るため、「尼信記念館」(尼崎信用金庫が大正10(1921)年に創業した当時の本店)を改修し、昭和59(1984)年4月に「昔の貯金箱博物館」として、貯金箱約600点収蔵展示、一般に公開。
収蔵する貯金箱が7,000点を超えたことから、現在の場所(2代目本店)に移転し、名称も「世界の貯金箱博物館」と改称、リニューアルオープンしました。
12月1日訪れました。
館に入ると目に入ってくるのは・・・。
貯金箱のルーツというと、アジアでは今から2100年前、前漢時代のもので、中国の雲南省、滇王(てんおう)一族の墓から出土した「貯貝器(ちょばいき)」だろうと考えられています。
最も古いものは土で、その後、文明の発達とともに焼物、青銅、鉄、金、銀、銅、その他の金属が使われます。
木や紙も用いられ、アジアでは竹も。
その他、皮、ガラス、石膏、ゴム、コルク、珍しいものではヤシの実やその他の果実、布、毛糸、などもあります。
最近はもっぱらプラスチック類全盛の感があります。
当時は「子安貝(こやすがい)」がお金として使われていました。
今も財貨に関する漢字には「貝」という字がいています。
ヨーロッパでは、貴金属の小片などをいれてもらうために教会に置かれた「献金箱」が貯金箱のルーツ。
日本では、縄文時代のカメが元祖・貯金箱。
中世ヨーロッパに、鍵付き貯金箱が出現。
花のお江戸は、千両箱。
明治時代、やきものの貯金箱が全盛。
日本で、今のような公共的で国民大衆を対象とした金融のしくみができたのは、明治になり欧米の近代的な制度がとり入れられてからです。
明治時代に入り、銀行制度や郵便貯金制度がととのい、国民一般から受け入れられたお金は、金融機関を通して、いろいろな産業の発達のために使われました。
開国後の富国強兵や産業振興のため、勤倹節約の思想が高まるとともに、貯金箱も江戸時代の壺や銭箱、銭筒に代わって、一般の人々を対象としたものがたくさんあらわれるようになりました。
明治初期の貯金箱は一般に「貯金玉(ちょきんだま)」と呼ばれていました。これは、持っているとどんな願いごともかなう"如意の玉(にょいのたま)"つまり「宝珠(ほうじゅ)」を形どっています。大きな目的のために小銭を少しずつ貯める器として、これを選んだ先人の知恵だそう。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/33/44/eb801779e435565e40234c41afe4670b.jpg)
(公式サイトより)
アメリカでは、カラクリ貯金箱が大ブーム。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/47/8f/08735aea9eb65adf18c9fdf4e65b3192.jpg)
日本と外国の貯金箱を比較してみると、どちらも縁起物が多いという点が似ています。
欧米のものは鍵つきが多く、お金がいっぱいにならなくても、鍵をあけさえすれば、必要に応じて使えます。
これに対して日本のものは割らないとお金が取り出せないものが多く、日本の貯金箱が「貯める」器として登場したのにくらべ、西欧のものは「献金」の器としてあらわれたという文化の違いによるものかもしれません。
どの国の貯金箱も時代の意識や生活感情をよく反映しています。
二階の展示室へ
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6f/72/b51fdbc99739a1aeab809d0717fbba07.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/51/55/ba4940f1aa8d1c03c21b007f128c47fe.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/02/23/836230185817b56d519bb44784a8b719.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/40/b2/6910bdc966a02aa2dc4d748350875573.jpg)
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![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4c/a0/cefa0817d82cb59d0a8e086262aea9f0.jpg)
猫バスも走っています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1a/ff/03561d82529c946164d934e5f62fcc76.jpg)
世界の貯金箱博物館を出て尼崎駅へ向かいます。
大きな鳥居が見えてきました。
阪神電車高架沿いにひときわ目立つ朱色の大鳥居。
高さ17m、笠木22m、柱直径1.6m。鳥居に掲げられている額面は畳3枚分の大きさで、その荘厳なる雄姿はまさに尼崎のシンボルとなっています。
現在の社地は東に向かって狭くなる細長の三角形をしており、拝殿等の建築物は西側に寄せられている。社地のほぼ中央に大鳥居が建てられており、周囲には遊具やベンチ等が設置され、普段は神田公園の名称で開放されています。
醍醐天皇時代以前の創建であると伝承されています。
古代からえびす様は海の神様、漁業航海を守る神様として漁業人から崇拝されてきました。
漁業航海を守る海の神様としてえびす様と同一視された事代主(ことしろぬし)が主祭神とされた。
海の市・尼崎でも「えべっさん」の愛称でお祭りされ、深いご神徳を受けたことにより漁業人たちの生活が栄えたといわれます。
その繁栄ぶりが現在の商業、工業の発展へとつながり、尼崎の躍進と共に当神社も商売繁盛の神様「尼のえべっさん」として知られるようになりました。
この石造のえびす様は「しあわせえびす」とも言います。
お顔は「願い事は何じゃ?」と言わんばかりの優しくて寛容な赴き。まず、心を込めて願いごとを言いながら、えびす様のお体をさすり、次にご自分のお体をさすって下さいと。
お体がふっと軽くなり、えびす様のお顔がより笑顔に見えれば願いが叶う兆しだそうです。
稲荷大明神の守神であるきつねさん。
神社の境内には高宝院稲荷のお社があります。お稲荷さんは稲、食物の神様でありましたが、現代では産業全般、商売繁盛の神様として崇められています。稲荷神をお守りしているのがきつねさん。
きつねさんが、願い事をひとつ稲荷神へと運んでくださるよう祈願いたします。これが「願掛けきつね」神事です。
この神馬は人々の願いを神様に伝え、勝負運、そして自分自身に打ち勝つ力を授けてくれると言われています。
この一対のうさぎさんは、令和元年に再建された尼崎城北隣にあった通称「うさぎ針(うさぎ鍼)」として親しまれていた浅井鍼灸院さんの入り口の門柱の上に置かれていました。
「うさぎ鍼」というのは、鍼のなかでも「鑱鍼(ざんしん)」と言われるタイプのもので、主に子供の肌を摩擦する手技で、「うさぎ鍼」という呼び名が江戸時代以来知られていました。
大正時代の貴重なうさぎの石像です。開運招福、病気平癒の「招きうさぎさん」です。
奥に本殿が納められています。
=マンホール=
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/56/a1/54def840837a4b3e9bc0cdf8b9216e17.jpg)
尼崎城と松が描かれ、市章と「尼崎城」と「消火栓」の文字と管理ナンバー入りです。
尼崎城は江戸初期に大阪城の西の守りの要として築かれ、1873年の廃城令を受け取り壊されましたが、尼崎市に本社のある家電量販店の創始者の方が私財10億円を投じて天守と付櫓復元することになり、築上400年となる2018年8月に完成。
丸型消火栓蓋。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/78/ca/dca1465baeafac32cee3b8667539d57f.jpg)
綺麗な水に住む蛍やトンボや魚。その周りに市の花・キョウチクトウが デザインされています。
「あまがさき」「げすい」の表示。
下水管マンホール蓋。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/36/0d/62c7b2690ac6d6e7902539c90284f98e.jpg)
市章と上の花は市の花キョウチクトウ、 下の花は市の草花ベゴニアが描かれています。
水道小型蓋(小)。
貯金箱には、それらが作られた時代背景が色濃く反映されており、貯金箱を通して時代の変遷を知ることができます。
昭和40年中頃から、貯蓄と人々の暮らしの関わりを示す貴重な資料として「貯金箱」にスポットをあて、美術商や骨董商などから随時収集を増やしました。
尼崎信用金庫としての収集、取引先から家にあったものや旅先でのお土産、当金庫の役職員が旅行や視察の都度見つけたものなど、皆さんの善意で貯金箱が集まりました。
コレクションが増えるにつれ生活文化の資料として、美術品や、骨董品として鑑賞に値することがわかりました。
尼崎にひとつの“文化の器”を作るため、「尼信記念館」(尼崎信用金庫が大正10(1921)年に創業した当時の本店)を改修し、昭和59(1984)年4月に「昔の貯金箱博物館」として、貯金箱約600点収蔵展示、一般に公開。
収蔵する貯金箱が7,000点を超えたことから、現在の場所(2代目本店)に移転し、名称も「世界の貯金箱博物館」と改称、リニューアルオープンしました。
12月1日訪れました。
館に入ると目に入ってくるのは・・・。
「クリスマス」の貯金箱
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7b/f4/8d7f25adc5e03d5475c2fe1ac8606c0d.jpg)
「眠っているサンタクロース」はめずらしいそうです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5b/a0/9f27d63db028a22311b5ba7697f9e041.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3a/e4/fc1057324354b2ab4e6a8d4ceb308760.jpg)
編み物の靴下の貯金箱がツリーに。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/16/b9/58864735aa547e26631165df349740fe.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7b/f4/8d7f25adc5e03d5475c2fe1ac8606c0d.jpg)
「眠っているサンタクロース」はめずらしいそうです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5b/a0/9f27d63db028a22311b5ba7697f9e041.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3a/e4/fc1057324354b2ab4e6a8d4ceb308760.jpg)
編み物の靴下の貯金箱がツリーに。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/16/b9/58864735aa547e26631165df349740fe.jpg)
貯金箱のルーツというと、アジアでは今から2100年前、前漢時代のもので、中国の雲南省、滇王(てんおう)一族の墓から出土した「貯貝器(ちょばいき)」だろうと考えられています。
貯金箱のうつりかわり
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/14/85/c2d3214d3bdc6b48f5429146b31dddf3.jpg)
何でできてるの?
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/27/12/ad060070af969d56fe38223e7775995e.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/14/85/c2d3214d3bdc6b48f5429146b31dddf3.jpg)
何でできてるの?
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/27/12/ad060070af969d56fe38223e7775995e.jpg)
最も古いものは土で、その後、文明の発達とともに焼物、青銅、鉄、金、銀、銅、その他の金属が使われます。
木や紙も用いられ、アジアでは竹も。
その他、皮、ガラス、石膏、ゴム、コルク、珍しいものではヤシの実やその他の果実、布、毛糸、などもあります。
最近はもっぱらプラスチック類全盛の感があります。
当時は「子安貝(こやすがい)」がお金として使われていました。
今も財貨に関する漢字には「貝」という字がいています。
ヨーロッパでは、貴金属の小片などをいれてもらうために教会に置かれた「献金箱」が貯金箱のルーツ。
日本では、縄文時代のカメが元祖・貯金箱。
中世ヨーロッパに、鍵付き貯金箱が出現。
花のお江戸は、千両箱。
明治時代、やきものの貯金箱が全盛。
日本で、今のような公共的で国民大衆を対象とした金融のしくみができたのは、明治になり欧米の近代的な制度がとり入れられてからです。
明治時代に入り、銀行制度や郵便貯金制度がととのい、国民一般から受け入れられたお金は、金融機関を通して、いろいろな産業の発達のために使われました。
開国後の富国強兵や産業振興のため、勤倹節約の思想が高まるとともに、貯金箱も江戸時代の壺や銭箱、銭筒に代わって、一般の人々を対象としたものがたくさんあらわれるようになりました。
明治初期の貯金箱は一般に「貯金玉(ちょきんだま)」と呼ばれていました。これは、持っているとどんな願いごともかなう"如意の玉(にょいのたま)"つまり「宝珠(ほうじゅ)」を形どっています。大きな目的のために小銭を少しずつ貯める器として、これを選んだ先人の知恵だそう。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/33/44/eb801779e435565e40234c41afe4670b.jpg)
(公式サイトより)
アメリカでは、カラクリ貯金箱が大ブーム。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/47/8f/08735aea9eb65adf18c9fdf4e65b3192.jpg)
日本と外国の貯金箱を比較してみると、どちらも縁起物が多いという点が似ています。
欧米のものは鍵つきが多く、お金がいっぱいにならなくても、鍵をあけさえすれば、必要に応じて使えます。
これに対して日本のものは割らないとお金が取り出せないものが多く、日本の貯金箱が「貯める」器として登場したのにくらべ、西欧のものは「献金」の器としてあらわれたという文化の違いによるものかもしれません。
どの国の貯金箱も時代の意識や生活感情をよく反映しています。
「あれ」に関する展示。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/52/2e/64b0423eac2f208228535bf60fc47f71.jpg)
「尼崎信用金庫のタイガース貯金」
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/48/a7/8ea3a40abb612061e82922d8a5bc2b7b.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/52/2e/64b0423eac2f208228535bf60fc47f71.jpg)
「尼崎信用金庫のタイガース貯金」
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/48/a7/8ea3a40abb612061e82922d8a5bc2b7b.jpg)
二階の展示室へ
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6f/72/b51fdbc99739a1aeab809d0717fbba07.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/51/55/ba4940f1aa8d1c03c21b007f128c47fe.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/02/23/836230185817b56d519bb44784a8b719.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/40/b2/6910bdc966a02aa2dc4d748350875573.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/57/81/b06ee221ca2038fcdebdc0b4ccf32559.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4c/a0/cefa0817d82cb59d0a8e086262aea9f0.jpg)
猫バスも走っています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1a/ff/03561d82529c946164d934e5f62fcc76.jpg)
世界の貯金箱博物館を出て尼崎駅へ向かいます。
=寺町界隈=
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0f/1c/7759b03a60007e7492819b473f4d5dbd.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/17/28/a181a7885cbb9b35f1eab3d53cea01f8.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0f/1c/7759b03a60007e7492819b473f4d5dbd.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/17/28/a181a7885cbb9b35f1eab3d53cea01f8.jpg)
大きな鳥居が見えてきました。
<天空にそびえ立つ大鳥居>
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2a/53/33787a2dee831508e8949d4bbcab7ef5.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2a/53/33787a2dee831508e8949d4bbcab7ef5.jpg)
阪神電車高架沿いにひときわ目立つ朱色の大鳥居。
高さ17m、笠木22m、柱直径1.6m。鳥居に掲げられている額面は畳3枚分の大きさで、その荘厳なる雄姿はまさに尼崎のシンボルとなっています。
現在の社地は東に向かって狭くなる細長の三角形をしており、拝殿等の建築物は西側に寄せられている。社地のほぼ中央に大鳥居が建てられており、周囲には遊具やベンチ等が設置され、普段は神田公園の名称で開放されています。
<尼崎えびす神社>
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/08/41/39edad0e27cf105b2f64a201d76ae2d7.jpg)
「事代主神社」の社号標
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/38/a4/4b38d0e8d3c241c11df79dbe31ab6d25.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/08/41/39edad0e27cf105b2f64a201d76ae2d7.jpg)
「事代主神社」の社号標
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/38/a4/4b38d0e8d3c241c11df79dbe31ab6d25.jpg)
醍醐天皇時代以前の創建であると伝承されています。
古代からえびす様は海の神様、漁業航海を守る神様として漁業人から崇拝されてきました。
漁業航海を守る海の神様としてえびす様と同一視された事代主(ことしろぬし)が主祭神とされた。
海の市・尼崎でも「えべっさん」の愛称でお祭りされ、深いご神徳を受けたことにより漁業人たちの生活が栄えたといわれます。
その繁栄ぶりが現在の商業、工業の発展へとつながり、尼崎の躍進と共に当神社も商売繁盛の神様「尼のえべっさん」として知られるようになりました。
<えびす像>
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/13/e0/4c83b758994ef6a0e6afbcbdcff82f90.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/13/e0/4c83b758994ef6a0e6afbcbdcff82f90.jpg)
この石造のえびす様は「しあわせえびす」とも言います。
お顔は「願い事は何じゃ?」と言わんばかりの優しくて寛容な赴き。まず、心を込めて願いごとを言いながら、えびす様のお体をさすり、次にご自分のお体をさすって下さいと。
お体がふっと軽くなり、えびす様のお顔がより笑顔に見えれば願いが叶う兆しだそうです。
<願掛けきつねさん>
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/76/55/fe1cba12b8d59301695014606a27940f.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/71/18/c50a8726e5fdd692dc9ac735778903c1.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/76/55/fe1cba12b8d59301695014606a27940f.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/71/18/c50a8726e5fdd692dc9ac735778903c1.jpg)
稲荷大明神の守神であるきつねさん。
神社の境内には高宝院稲荷のお社があります。お稲荷さんは稲、食物の神様でありましたが、現代では産業全般、商売繁盛の神様として崇められています。稲荷神をお守りしているのがきつねさん。
きつねさんが、願い事をひとつ稲荷神へと運んでくださるよう祈願いたします。これが「願掛けきつね」神事です。
<勝負運の願掛け馬 勝ち馬さん>
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/20/80/e060e8611b6f9aa09fd639f4e5dab7ba.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/20/80/e060e8611b6f9aa09fd639f4e5dab7ba.jpg)
この神馬は人々の願いを神様に伝え、勝負運、そして自分自身に打ち勝つ力を授けてくれると言われています。
<招きうさぎさん>
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3a/ca/182cdea7a80c6e43da68100273c7838a.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3a/ca/182cdea7a80c6e43da68100273c7838a.jpg)
この一対のうさぎさんは、令和元年に再建された尼崎城北隣にあった通称「うさぎ針(うさぎ鍼)」として親しまれていた浅井鍼灸院さんの入り口の門柱の上に置かれていました。
「うさぎ鍼」というのは、鍼のなかでも「鑱鍼(ざんしん)」と言われるタイプのもので、主に子供の肌を摩擦する手技で、「うさぎ鍼」という呼び名が江戸時代以来知られていました。
大正時代の貴重なうさぎの石像です。開運招福、病気平癒の「招きうさぎさん」です。
<拝殿>
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/04/ee/6e69d5639ee38f9ec81e2c086c12794e.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/04/ee/6e69d5639ee38f9ec81e2c086c12794e.jpg)
奥に本殿が納められています。
=マンホール=
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/56/a1/54def840837a4b3e9bc0cdf8b9216e17.jpg)
尼崎城と松が描かれ、市章と「尼崎城」と「消火栓」の文字と管理ナンバー入りです。
尼崎城は江戸初期に大阪城の西の守りの要として築かれ、1873年の廃城令を受け取り壊されましたが、尼崎市に本社のある家電量販店の創始者の方が私財10億円を投じて天守と付櫓復元することになり、築上400年となる2018年8月に完成。
丸型消火栓蓋。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/78/ca/dca1465baeafac32cee3b8667539d57f.jpg)
綺麗な水に住む蛍やトンボや魚。その周りに市の花・キョウチクトウが デザインされています。
「あまがさき」「げすい」の表示。
下水管マンホール蓋。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/36/0d/62c7b2690ac6d6e7902539c90284f98e.jpg)
市章と上の花は市の花キョウチクトウ、 下の花は市の草花ベゴニアが描かれています。
水道小型蓋(小)。
説明文は公式サイトを参考にしました。