難波宮(なにわのみや)は、飛鳥時代・奈良時代の難波(現在の大阪市中央区)にあった古代宮殿。
大阪市中央区法円坂の一帯に広がっている史跡公園。昭和36年(1961)、大阪市立大学教授の山根徳太郎博士の発掘調査により、飛鳥から奈良時代にかけて前後2期の難波宮跡が確認されました。現在、宮殿の中心部とされる約9万平方メートル余りの範囲が国の史跡に指定され、史跡公園として整備がすすめられています。史跡は2種類の方法で示されていて、地表面より一段高くして、石造りで基壇を示すものが神亀3年(726)から造営された後期難波宮。
一段低くして赤いタイルを敷き、赤い御影石で柱位置を示し、サザンカの生け垣をめぐらせているものが「大化改新」による難波遷都の後、白雉(びゃくち)元年(650)から造営が始められた難波長柄豊碕宮(なにわながらとよさきのみや)=前期難波宮となっています。( 大阪観光情報より)
9月12日、大阪へ出掛けたので、立ち寄りました。
難波宮跡(クリックで拡大します)
史跡公園です。
左から、NHK大阪放送局、大阪歴史博物館(壁面が丸く見えている建物)、
その少し後方に大阪府警察本部。中央より少し右手に大阪城天守閣。
真ん中あたりに見えているのが大極殿基壇。
大極殿基壇
天皇が国家の公式行事をおこなう際に使用したとされるところ。
八角殿跡
藤棚になっている、前期難波宮、八角殿跡です。
史跡表示
「史跡 難波宮跡」石碑です。
歴史博物館のほうへ、移動します。歴史博物館では発掘された遺跡が展示されています。常設展示は、難波宮の時代(古代)、天下の台所の時代と大坂本願寺の時代(中世~近世)、特集展示場、大大阪の時代(近代~現代)に分けて、展示されています。この他に特別展示(平成26年9月3日から10月13日まで、6階特別展示室で、特別展「村野藤吾 やわらかな建築とインテリア」を開催)。また、地下遺構ツアーもあります。
歴史博物館は以前見学したので、今回はやめて・・・。
高床建物
高床建物2
歴史博物館の前の広場に建てられています。
古墳時代(5世紀)の大型高床式の建物「法円坂建物群」の1棟が再現されています。この時代の難波は、淀川や大和川をさかのぼって来る交通の要地であり、こうした巨大建築物が立ち並んでいたそうです。百舌鳥や古市に巨大な古墳群を築いた大王が権力を内外に誇示するために作ったと考えられるそうです。
公開されていたので、中に入りました。
内部1
内部2
発掘でみつかるのは、柱の穴だけなので、復元にはさまざまな情報を集めます。埴輪や鏡に描かれた建物の図を参考に。扉の形は他の遺跡から発掘されたものに基づき、建物の作り方は東南アジアの民家を参考に。柱は檜、床や壁はアメリカ檜、屋根は杉に葦が葺かれているそうです。
歴史博物館前の広場で、みられた花達です。
アベリア
エノコロソウ
風に吹かれて気持ちよさそう。
キノコ
花々の間から顔をのぞかせていました。
タマスダレ
ヒメジオン
マルバルコウソウ
ヤブラン
七変化(ランタナ)
初雪カズラ
ハト1,2
具合が悪いのかな?と思ったら、「羽休め」でした。
続いて心斎橋方面へ、向かいました。
グリコ看板
看板の歴史は1935年に始まり、6代目の新しい看板が完成する今秋までの限定公開だそうです。綾瀬はるかさんがゴールインする姿がプリントされた特別工事幕が、設置されていました。
手前に映っているのは、 「なにわ探検クルーズ」の黄色い船でしょうか。
「グリコ」看板は撮影スポットらしく、屋根やサイドがオープンになっていて「撮影終わりましたか?閉めますよー。」とのアナウンスが聞こえてました。
大阪市中央区法円坂の一帯に広がっている史跡公園。昭和36年(1961)、大阪市立大学教授の山根徳太郎博士の発掘調査により、飛鳥から奈良時代にかけて前後2期の難波宮跡が確認されました。現在、宮殿の中心部とされる約9万平方メートル余りの範囲が国の史跡に指定され、史跡公園として整備がすすめられています。史跡は2種類の方法で示されていて、地表面より一段高くして、石造りで基壇を示すものが神亀3年(726)から造営された後期難波宮。
一段低くして赤いタイルを敷き、赤い御影石で柱位置を示し、サザンカの生け垣をめぐらせているものが「大化改新」による難波遷都の後、白雉(びゃくち)元年(650)から造営が始められた難波長柄豊碕宮(なにわながらとよさきのみや)=前期難波宮となっています。( 大阪観光情報より)
9月12日、大阪へ出掛けたので、立ち寄りました。
難波宮跡(クリックで拡大します)
史跡公園です。
左から、NHK大阪放送局、大阪歴史博物館(壁面が丸く見えている建物)、
その少し後方に大阪府警察本部。中央より少し右手に大阪城天守閣。
真ん中あたりに見えているのが大極殿基壇。
大極殿基壇
天皇が国家の公式行事をおこなう際に使用したとされるところ。
八角殿跡
藤棚になっている、前期難波宮、八角殿跡です。
史跡表示
「史跡 難波宮跡」石碑です。
歴史博物館のほうへ、移動します。歴史博物館では発掘された遺跡が展示されています。常設展示は、難波宮の時代(古代)、天下の台所の時代と大坂本願寺の時代(中世~近世)、特集展示場、大大阪の時代(近代~現代)に分けて、展示されています。この他に特別展示(平成26年9月3日から10月13日まで、6階特別展示室で、特別展「村野藤吾 やわらかな建築とインテリア」を開催)。また、地下遺構ツアーもあります。
歴史博物館は以前見学したので、今回はやめて・・・。
高床建物
高床建物2
歴史博物館の前の広場に建てられています。
古墳時代(5世紀)の大型高床式の建物「法円坂建物群」の1棟が再現されています。この時代の難波は、淀川や大和川をさかのぼって来る交通の要地であり、こうした巨大建築物が立ち並んでいたそうです。百舌鳥や古市に巨大な古墳群を築いた大王が権力を内外に誇示するために作ったと考えられるそうです。
公開されていたので、中に入りました。
内部1
内部2
発掘でみつかるのは、柱の穴だけなので、復元にはさまざまな情報を集めます。埴輪や鏡に描かれた建物の図を参考に。扉の形は他の遺跡から発掘されたものに基づき、建物の作り方は東南アジアの民家を参考に。柱は檜、床や壁はアメリカ檜、屋根は杉に葦が葺かれているそうです。
歴史博物館前の広場で、みられた花達です。
アベリア
エノコロソウ
風に吹かれて気持ちよさそう。
キノコ
花々の間から顔をのぞかせていました。
タマスダレ
ヒメジオン
マルバルコウソウ
ヤブラン
七変化(ランタナ)
初雪カズラ
ハト1,2
具合が悪いのかな?と思ったら、「羽休め」でした。
続いて心斎橋方面へ、向かいました。
グリコ看板
看板の歴史は1935年に始まり、6代目の新しい看板が完成する今秋までの限定公開だそうです。綾瀬はるかさんがゴールインする姿がプリントされた特別工事幕が、設置されていました。
手前に映っているのは、 「なにわ探検クルーズ」の黄色い船でしょうか。
「グリコ」看板は撮影スポットらしく、屋根やサイドがオープンになっていて「撮影終わりましたか?閉めますよー。」とのアナウンスが聞こえてました。