松尾寺(まつおでら)
奈良県大和郡山市にある真言宗醍醐派の別格本山。
山号は松尾山または補陀洛山(ふだらくさん)。
日本最古の厄除け寺と称されています。
毎年初詣の厄除まつり、初午(はつうま)の日等、例祭日曜祝祭日には全国各地より“まつのおさん詣り(やくよけ祈願)”に訪れる善男善女で境内も参道も賑わいます。
バラの名所としても知られています。
寺名は「まつのおでら」「まつのおさん」などとも呼ばれ、境内には湧き水もあります。
養老2年(718)、天武天皇の皇子舎人親王(とねりしんのう)が、勅命による日本書紀編纂の折、42歳の厄年であったため、日本書紀の無事完成と厄除けの願をかけて建立された日本最古の厄除霊場です。
1月4日お参りに。
北惣門
小泉方面からの参道。
一間の薬医門で、108段の石段を登れば本堂。
手水は閼伽井からの霊泉で“大和の名水100選”に選ばれています。
本堂(重文)
中世の真言宗本堂の典型的なもので、入母屋造り本瓦葺。
本尊千手千眼観世音菩薩(やくよけ観音)は秘仏で、
年に一度11月3日に開扉されます。
内陣では、毎日厄除のご祈祷が行われ、厄年をはじめすべてのやくよけのご祈祷が厳修されます。
千の手、千の目をお持ちになり、図り知ることの出来ない広大な慈悲の力を備えられ、殊に霊験あらたかと伝わります。
手水社
本堂横へ回ります。
神霊石の大岩
本堂背後の磐座(いわくら)。
窟も見られる大岩は修験の山だった様相を残します。
行者堂
日本で最大の役行者像と、前鬼・後鬼を祀り、毎日曜日に世界平和と
諸願成就を祈願して堂内で護摩を奉修。
毎年9月1日~7日の修験道まつり期間のみ特別公開。
阿弥陀堂
行者堂の向こうに見える入母屋造り本瓦葺の小堂で、
江戸中期頃に建てられました。
阿弥陀如来と観音菩薩・勢至菩薩を祀り、各種回向
(先祖回向・水子供養ほか)が行われます。
七福神堂
阿弥陀堂の隣にあります。
最古型の大黒天(重文)をはじめ、七福の神々を祀り、
多くの福を授けて頂けます。
それぞれお参りをすませ、磐座の横から階段を上がっていくと三重塔があります。
承和2年(835)創建(寺伝)。
明治の再建説もありますが、鬼瓦に正徳三年(1713)の銘があり、
旧材も一部に再用されています。
後水尾天皇持仏であった如意輪観世音菩薩が寄進され、
祀られています。
十三重塔
石造。 鎌倉時代 。 342.0cm。
舎人親王の毛骨を納祀したものと伝わります。
初層の軸部にウン(阿閦)、タラク(宝生)、キリク(阿弥陀)、
アク(不空成就)の金剛界4仏の梵字が刻まれています。
相輪部は伏鉢、請花・九輪・水煙を一石から彫成、
南都の十三重塔中でも屈指のものだそうです。
前出の磐座後ろ辺りから、西国三十三所松尾山石仏観音(ミニ霊場)があります。
お参りしながら、松尾山神社へ向かいます。
綺麗に整地されているので、足元もあまり気にせず上ることが出来ます。
松尾山神社(奈良時代)
春日造り桧皮葺の三社殿が並び、これに拝殿と神楽殿が
配置されています。
松尾大明神を本社、清滝権現・牛頭天皇を脇社として三社斎祀。
元観音堂跡と言われ、昭和52年に発掘された奈良時代の鎧瓦などが
宝蔵殿に展示されているそうです。
境内へ下りてきました。
鐘楼
やくよけの鐘。
古来「厄除の鐘」として知られています。
参詣すると、年中自由に撞くことができます。
南惣門
法隆寺側からの参道に建つ門。
本瓦葺総檜造の豪華な四脚門。文久2年(1862)、興福寺一条院宮により造られたといい、蟇股代わりの彫刻や、腰長押と飛貫の間に風神雷神の浮き彫り彫刻が向かい合いに入り、「雷門」とも呼ばれています。
境内で。
福を連れた御朱印「鳳凰」
説明文は公式サイトより。