【折々の花だより】

”季節の花だより”
花たちとの出会いを楽しんでます

桜だよりⅤ~大和神社(おおやまとじんじゃ)~

2014-04-27 | 花だより
大和神社(おおやまとじんじゃ)
御由緒 日本大国魂大神(やまとおおくにたまのおおかみ)は大地主大神(おおとこぬしのおおかみ)で、宮中内に天照大神と同殿共床で奉斎されたが、第十代崇神天皇六年に天皇が神威をおそれ、天照大神を皇女豊鋤入姫命をして倭の笠縫邑に移されたとき、皇女淳名城入姫命(ぬなきいりひめ)に勅して、市磯邑(大和郷)に移されたのが当神社の創建であると伝えられている(2000余年前)。日本最古の神社。

御祭神は、日本大国魂大神(やまとおおくにたまのおおかみ)、 八千戈大神(やちほこのおおかみ)、 御年大神(みとしのおおかみ)。

奈良時代、朝廷の命により、唐の国へ渡って学ぶ遣唐使、その他使臣は、出発時、この神社へ参詣し、交通安全を祈願されたそうです。そうしたご縁があって戦艦大和の艦上に大和神社の御分霊が祀られていました。(wikipedia、HP参照しました。)

4月5日、「藤原京跡」 ➱こちら の帰りに訪れました。

一の鳥居

ここから神域に入ります。

参道

神社の参道は戦艦大和の全長とほぼ一致する約260mあります。

二の鳥居

ここまでで、甲板を歩いたことになるんですね。

増御子神社(ますみこじんじゃ)


ちゃんちゃん祭りのお渡りで先導するのが、「増御子神社」の祭神、猿田彦大神(さるたひこのおおかみ)です。
4月1日、大和神社の主神、大国魂大神(おおくにたまのおおかみ)の例祭。午前中に祭典が行われ、午後は氏子による神輿渡御の神幸祭です。中山町のお旅所、大和稚宮(おおやまとわかみや)神社まで「ちゃんちゃん」と鉦鼓を打ち鳴らして巡幸するところから「ちゃんちゃん祭り」と言うそうです。

手水舎

ここで、身体と心を清め参拝します。

戦艦大和碑


昭和20年に撃沈した時点の戦艦大和の乗組員数2736名。その数にちなんだ2736mm×1300mmの大きさの御影石に「戦艦大和ゆかりの神社」と刻み、安置されたそうです。

祖霊社(それいしゃ、みたまや)


戦艦大和が昭和20年4月7日に沖縄南方で轟沈、その英霊、第二艦隊司令長官伊藤整一命外、2736柱と護衛艦の御霊が合祀されています。

父子桜(おやこざくら)

「戦艦大和伊藤海軍大将 手植えの桜」との記述がありました。

拝殿

二の鳥居の正面に見えます。

馬絵&桜

北井 正さんの奉納。

拝殿

奥に見えているのが、本殿です。

絵馬

拝殿、向かって左に置かれています。

本殿

横から失礼してパチリ。大和神社の本殿、三殿だそうです。

本殿前桜


高龗神社(たかおおかみじんじゃ)鳥居


高龗神社(たかおおかみじんじゃ)

御祭神高龗大神、天候、産業を司り水利を受け給うとか。
例祭(6月1日) は 祈雨、祈晴、暴風除けを祈ります。
丹生川上神社上社の本社だそうです。

三神社


(向かって左から)
・厳島神社・・・ 御祭神 市杵島姫命 例祭4月1日 9月23日美容をすすめ弦楽の技を司る水産の葉を奨め給う。
・事代主神社・・・ 御祭神 事代主神 世にエビス様と称され、福の神 例祭4月1日 、9月23日の織物を繁栄させ一言の願時を叶える。
・朝日神社・・・ 桜井・奈良街道を行く方は必ず詣でしと言う。 例祭11月30日 殖産を興し交易を奨め給う。と、説明板に書かれています。

桜1


桜2

もう散りかけていますが・・・。

大和神社は、以前、車から案内表示を見ていて、一度行ってみようと思っていた所でした。
花達には会えませんでしたが、こんなに古く由緒ある神社だったとは・・・。
ひきしまった思いで、神社を後にしました。



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桜だよりⅣ~藤原宮跡~

2014-04-23 | 花だより
藤原京(ふじわらきょう)は、飛鳥京の西北部、奈良県橿原市に所在する日本史上最初で最大の都城である。また、日本史上最初の条坊制を布いた本格的な唐風都城でもある。また、宮の主要建築物は礎石建築で、はじめて瓦を葺いたと考えられている。

藤原京は当初、大和三山の内側にあると想像されていた。東西1.1km、南北3.2kmとみられていたが、1990年代の東西の京極大路の発見で「大藤原京」が想定された。規模は、5.3km(10里)四方で少なくとも25平方キロメートルあり、平安京(23平方キロメートル)や平城京(24平方キロメートル)をしのぎ、古代最大の都であった。大和三山(北に耳成山、西に畝傍山、東に天香久山)を内に含む規模である。これを「大藤原京」と呼んでいる

平成23年6月には、藤原宮跡からの大和三山の稜線の眺めが、「重要眺望景観」に指定されました。(wikipediaより)

藤原宮跡は、春ゾーン(菜の花)・朝堂院東ゾーン(春に菜の花・夏にキバナコスモス・秋にコスモス)・蓮ゾーン(全部で11種類の蓮を植栽)・夏ゾーン(黄花コスモス)・秋ゾーン(色とりどりのコスモス)と、5つの花ゾーンがあります。

4月5日、「菜の花」と「桜」が見られると言うことで行ってきました。

醍醐池&桜

醍醐池から東方面です。

供養塔


供養塔説明

醍醐池の西北角に建てられています。悲しいお話があるんですね。

やどりぎ


ヨーロッパ、西部、南部アジア原産。半寄生の灌木で、他の樹木の枝の上に生育する。30-100cmほどの長さの叉状に分枝した枝を持つ。黄色みを帯びた緑色の葉は1組ずつ対をなし、革のような質感で、長さ2–8センチメートル、幅0.8–2.5cmほどの大きさのものが全体にわたってついている。花はあまり目立たない黄緑色で、直径2–3cm 程度。




畝傍山方面1


畝傍山方面2


耳成山方面1


耳成山方面2


香久山方面1


香久山方面2


写真、桜の左後方、下の方にかすかに見えているのが、香久山。
広場の方から撮った写真です。 赤い列柱は大極殿院閤門跡を視覚的に示すため設置されています。大極殿院閤門は大極殿院と朝堂院を区切る門。

この辺りで見かけた花々です。
オオイヌノフグリ


スミレ


ミチタネツケバナ


タンポポ


つつじ

5日はまだ咲いていませんでしたが、今頃はもうたくさん咲いているでしょうね。

ナズナ(ペンペン草)


菜の花


水仙


姫踊子草


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桜だよりⅢ~上賀茂神社~

2014-04-19 | 花だより
哲学の道➱こちらをあとにして、上賀茂神社へ向かいました。

賀茂別雷神社(かもわけいかづちじんじゃ)は、京都市北区にある神社。通称は上賀茂神社(かみがもじんじゃ)。式内社(名神大社)、山城国一宮、二十二社(上七社)の一社。旧社格は官幣大社で、現在は神社本庁の別表神社。ユネスコの世界遺産に「古都京都の文化財」の1つとして登録されています。
祭神は賀茂別雷大神 (かもわけいかづちのおおかみ)。賀茂氏の祖神。「別雷」は「若雷」の意味で、若々しい力に満ちた雷(神鳴り)の神という意味。
創建については諸説ありますが、社伝では、神武天皇の御代に賀茂山の麓の御阿礼所に賀茂別雷命が降臨したと伝えられています。(wikipediaより)

一の鳥居


一の鳥居を通して長い参道の奥に「二の鳥居」の立っているのが見えます。参道の両側の広場は芝生になっていて、家族連れなどの憩いの場になっています。広場にはたくさんの桜が植えられています。



「無病息災祈願」22年6月植樹。

陽光桜

19年献木。


斎王桜1


斎王桜2


ベニシダレザクラの「斎王桜」(さいおうざくら)。幹周/2.57m、樹高/10m。斎王とは古代から中世にかけて、宮中から神に仕えるために遣わされた未婚の皇女で、伊勢神宮と上賀茂神社のみに遣わされました。

御所桜

孝明天皇が御所から御下賜された枝垂れ桜なので「御所桜」の名があります。
白い花の枝垂れ桜です。

鞭打ちの桜


競馬会神事(くらべうまえしんじ)は、平安時代、堀河天皇寛治7年(1093)に五穀豊穣祈願の為、宮中で行われていた競馬が奉納されたことに始まる神事。通称賀茂競馬(かもくらべうま)。京都市登録無形民俗文化財に指定されています。
広場に埒(らち)と呼ばれる柵が設けられた直線の走路を、野尻(騎手)が左方右方(さかたうかた)に分かれ番(つがい、二頭ずつ)で勝敗を決する様は壮観で、「徒然草」等にも記されているそうです。目印になる木が植えられ、「桜」で出走、「楓」がゴール。そしてこの「鞭打ちの桜」を目印に鞭を打つんだそうです。

外幣殿


「外幣殿」は上賀茂神社境内(二の鳥居)の外に位置します。上皇の御幸や賀茂祭(葵祭)の一行が到着されるときに使用されます。(重要文化財)

神馬舎、神山号


神職さんによると、週休6日制で、勤務時間は3時までだそうです。会えたのは「ラッキーでしたよ。」って。確かに3時すぎには、いませんでした。
京都産業大学の馬術部に預けてあるそうです。

風流桜

「風流桜」と呼ばれる枝垂れ桜です。二の鳥居のすぐ右側にあり、花笠の形にしてあります。

二の鳥居

式年遷宮の案内が目立ってます。

二の鳥居をくぐると・・・。
境内
クリックでパノラマになります



正面は、細殿(拝殿)。細殿は皇族方が行幸される際や斎王が到着されたときに使われた殿舎です。寛永5年(1628年)に造り替えられ、重要文化財に指定されています。その前には立砂(たてずな)。円錐状の2つの砂の山。神体である神山(こうやま)を模したもの。鬼門にまく清めの砂の起源とされています。
細殿の右横は橋殿。上賀茂神社の舞殿は橋殿とも言われ、境内を流れる御手洗川をまたぐように建てられています。夏越大祓(なごしのおおはらえ)のお祭りでは橋殿から御手洗川に人形が流されます(重要文化財)。
橋殿の右横は土舎(つちのや)。 神主以下、社司の著到殿であった建物で現在は祓所(はらえど、お祓いをする場所)として使われています。

みあれ桜


細殿の左の方に見えているのが、みあれ桜。葵祭に先立つ神迎えの神事、「御阿禮」(みあれ)の時この下を神幸することから付けられました。

松葉

立て砂の上についている松葉は神が降臨する際の目印なのだそうです。  

楽舎

土舎のさらに右手の方にあります。
寛永5年(1628年)の建造物で重要文化財。
神仏習合の頃に僧侶が用いた建物。

手水舎

「手水舎」の水は、上賀茂神社の御祭神「賀茂別雷大神」が降臨された神山のくぐり水をくみ上げたものです。

桜&楼門

楼門の前の橋は「玉橋」。
重要文化財。正月以外はわたることはできないそうです。  

中門


特別参拝


「国宝、本殿特別拝観 ご神宝の拝観」という事で、拝観してきました。「特別拝観」と書かれた、たすき様のものを首にかけて、入ります。神職さんにお祓いをしていただき、上賀茂神社の歴史、それにかかる「賀茂別雷大神ご降臨の図」などを見、本殿参拝。高倉殿(宝物館、重要文化財)での御神宝の拝観をしました。
たすきの紙は、屋根をふく、桧皮が入っているそうで、よく見ると、茶色い糸のような物がみえます。


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桜だよりⅡ~哲学の道~

2014-04-14 | 花だより
哲学の道
京都市左京区にある小道。若王子橋付近から銀閣寺近くまで約2キロの遊歩道が続きます。哲学者・西田幾多郎や田辺元が、思索にふけりながら歩いた事からこの名が付けられたそうです。「日本の道百選」にも選ばれ、京都の散策スポットとしても人気があります。秋の紅葉とともに春は桜の名所として親しまれています。約500本で作る桜のトンネルは圧巻。散り際の花吹雪も見どころのひとつです。多くの花見客と写真愛好家が訪れます。主な種類は、 ソメイヨシノ、ヤマザクラ、オオシマザクラ、サトザクラ、カンザクラ、シダレザクラなど。6月にはホタルが飛び交うなど豊かな自然を満喫できるそうです。道沿いには若王子(にゃくおうじ)神社、大豊(おおとよ)神社、霊鑑(れいかん)寺(昨年冬の旅で訪れました ➱こちら )、安楽寺など由緒ある寺社も点在しています。(るるぶ.com参照)

桜越しの弥勒院
弥勒院拝殿(本殿)


聖護院を大本山とする本山修験宗(総本山聖護院門跡を本山とする宗派です。弥勒院はこの聖護院の末寺にあたります。) のお寺。通称「幸せ地蔵さん」。
現在の弥勒院は昭和二年に出来たもので、元々は現在の京都大学病院の東にあった長泉寺というお寺から移ってきたものです。弥勒院という名前は播州明石にあった弥勒寺という聖護院の年行事(地域をまとめる寺)から頂いたものです。本堂には中心に本尊の大日如来様をお祀りし、脇侍には愛染明王様、不動明王様がお祀りされています。左隣には修験道の開祖である役行者様、右隣には天台宗寺門派の開祖、智證大師円珍様がお祀りされており、どの御像も弥勒院の前身の、長泉寺から受け伝えられたもので、江戸時代の作だと考えられます。

幸せ地蔵尊


幸せ地蔵尊として近所の方から観光に来られた方まで多くの方にお参り頂き、「幸せになった」との嬉しいお便りをたくさん頂いております。この地蔵尊はもともと京都室町(きょうとむろまち)の商家がお祀りしていたもので、戦時中に譲り受ける形となり本堂でお祀りしていたものです。作られたのは江戸時代頃ではないかと考えられています。(弥勒院サイトより)

哲学の道、石道標


雪柳


あおき


ミツマタ(三椏)


桜1


桜2


桜3


桜4


桜&疎水1


桜&疎水2


桜&疎水3


桜&疎水4


支那桃1


支那桃2


南天




哲学の道のなかほど、法然院のそばには西田幾多郎が詠んだ歌が石碑に刻まれています。

「人は人 吾はわれ也 とにかくに 吾行く道を 吾は行くなり  寸心」
コノ歌ハ 西田幾太郎先生ノ晩年ノ作デ  書ハ 昭和十四年ノ自筆ニヨッタ  人生ノ指針ヲ 示シタ碩学ノ教エトシテ 哲学ノ道ヲ散策スル人々ニ  愛唱シテホシイチナミニ  寸心トハ  先生ノ居士号デアル  昭和五十六年 五月  との文を刻んだ石が横にあります。

釣り熊1


釣り熊2

釣り人ならぬ「釣り熊」。
親子でしょうか、仲よく糸を垂れていました。何が釣れるんでしょうね?。
可愛い演出です。

銀閣寺橋から南方面を・・・


哲学の道をぶらり散策
案内地蔵さん

道案内よろしく立っていたり・・・


桜の向こうにお店が・・・

普通の家の前にテントをだしているような店もあったり・・・

ストール

お土産に買い求めました。貨幣柄です

カフェ

ランチを食べたカフェです。

おめん

行列の出来るおうどんやさん
1時半頃の写真ですが、オープンの頃から行列ができていました。


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桜だよりⅠ~京都御苑~

2014-04-12 | 花だより
京都御苑は、東西約700m、南北約1,300mの広さを有し、江戸時代二百もの宮家や公家の邸宅が立ち並ぶ町でした。明治になって都が東京に移り、これら邸宅は取り除かれ、公園として整備され市民へ開放されました。戦後は国民公園として位置づけられ、御所と一体となった景観を維持しつつ、散策や休養等の場として親しまれています。現在苑内には百年を越える樹林が育ち、旧公家屋敷跡や庭園等歴史的遺構が点在し、古都の中心で特別な空間となっています。

京都の住民は、京都御苑の区域を指して「御所」と呼ぶことが多いとか。

桜の名所としても知られ、苑内には約1,100本の桜があり、シダレザクラ、ヤマザクラ、サトザクラ、ヤエベニシダレ、カスミザクラなど、3月下旬から4月中旬にか
けて、咲き続けていきます。

京都御苑内には500種以上の植物があります。苑内には約5万本の樹木が生育しており、多くは明治以降に植栽されたもの。マツ、ケヤキ、シイ・カシ類、イチョウなどのほか、ウメ、モモ、サクラ、サルスベリなどの花の咲く木も多く、これら多彩な樹々が御苑の風格と四季の彩りをなしています。また、スミレ、タンポポなどの草花やキノコ類も多く見られ、キノコ類は400種以上が確認されており、一年を通じて観察できます。

苑内には生物も多く見られます。野鳥の観測地として知られ、100種以上の野鳥が確認され、そのうち約20種は苑内で繁殖されている。代表的な鳥としてはアオバト、ビンズイ、トラツグミ、ゴイサギなどがあげられます。昆虫類も多く見られ、チョウ類55種、トンボ類26種、セミ類8種などが確認できる。(wikipediaより)

4月1日京都御苑へ行ってきました。快晴です。

「乾御門」から入った所が児童公園になっていて、春休みでもあり大勢の家族連れでにぎわっていました。

近衛邸跡、近衛池付近あたりは、ケヤキ、エノキ、ムクノキ、イチョウ、クロマツ等の大きな樹があります。「年輪を重ねた巨樹は堂々として樹の王者の風格を感じさせます」との掲示がありました。幹周りが300㌢を超える樹、樹高25㍍前後の樹があるようです。

山桜&枝垂れ桜


枝垂れ桜


枝垂れ桜2


池&枝垂れ桜


近衛邸跡説明


シジュウカラ


樹林(メジロ、ヤマガラ、シジュウカラなど)や水辺(カワセミ、カモ、ゴイサギ、アオサギなど)にいる両方の野鳥を見ることが出来るそうです。

螺旋状の桜

帯を巻いたように中心が空洞になっています。

京都御所塀、南方面

御所を左に見て南方面へ移動です。

この辺り、モモ(桃林)が多く植えられています。
モモ1


モモ2


モモ3


コブシ


車還桜

後水尾天皇が、あまりの美しさに御車を引き戻され御覧になられたとの逸話から名付けられたようです。







白モクレン


清水谷家の椋

樹の向こうの方にみえる山はお盆に「大文字の送り火」が行われる「如意が岳」です。

椋説明


白雲神社


白雲神社拝殿


御苑内にあるんですが、通り過ぎてしまいそうなこの神社は、貞応三年(1224)に、鎌倉初期の公家、西園寺公経(藤原公経)が、現在の金閣寺の付近に西園寺を建立した際、妙音堂というお堂を建てたのが始まりで、江戸時代に、西園寺家の邸内に移築されて西園寺家の鎮守社となりました。祭神は、妙音弁財天と称する市杵島姫命。

椿1


椿2


ユキヤナギ


出水の枝垂れ桜


京都御苑の桃林の南側に、出水の小川と呼ばれる水路があります。
その向かいに「出水の桜」と名付けられた早咲きの大きな枝垂れ桜です。

御苑内の神社です。
宗像神社正面


宗像三女神(多紀理比売命、多岐都比売命、市寸島比売命)を主祭神に、倉稲魂神と天岩戸開神の2柱を配祀します。御苑内の西南(裏鬼門)にあたる位置に鎮座するため、方除けの信仰を集めているそうです。創建は、延暦14年(795年)と言われています。

本殿

見えているのは拝殿。奥に本殿があります。

三神社

境内社。拝殿の右前に、少将井神社、繁栄稲荷社、琴平神社と並んでいます。

京都観光神社

境内社です。

ハナニラ


メジロ


左近之桜


左近の桜詩


元左近の桜
昭和11年(1936年)に京都御所紫宸殿前に樹つ左近の桜を植え替えた際に移植されたそうです。

宗像神社から南西にあるのが「閑院宮邸跡」。
閑院宮邸跡門


閑院宮(かんいんのみや)家は伏見宮家、桂宮家、有栖川宮家と並ぶ四親王家の一つで、1710年に創設され、東京へ移る1877年までこの地に住まわれたようです。公家屋敷だった建物として御苑内に唯一残る遺構。公家屋敷だった建物として御苑内に唯一残る遺構明治・大正期の公家風の庭園が復元されたそうです。

閑院宮邸跡

庭から入り口方面です。



庭でみかけました。

春の京都御苑マップ 3月~5月頃


(クリックで写真は拡大します、+をもう一度クリックしてね)





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奈良市内を・・・大和文華館・西大寺

2014-04-02 | 花だより
3月8日大和文華館で撮った花達です。

カンザキアヤメ フクジュソウ


  夏衣


賀茂本阿弥     橘


 玉英


 呉服枝垂(くれはしだれ)


 藤牡丹枝垂れ


内裏      白玉梅

 
 白侘助


 無類絞り


七福神の梅


「6本の接ぎ木をしています」との表示がありました。
「紅冬至」「思いの儘」「道しるべ」「白加賀」「大輪一重緋梅」「大輪八重緋梅」「野梅」と七種類の梅が楽しめるようになっています。
咲く時期が少しずれるようで、一度に「満開」とはいかないようでした。

3月22日近鉄西大寺駅から歩いて4分の所にある「西大寺」へふらーっと行ってきました。
カメラを持っていなかったので、携帯で撮りました。

西大寺(さいだいじ)
真言律宗総本山の寺院。奈良時代に孝謙上皇(重祚して称徳天皇)の発願により、僧・常騰を開山(初代住職)として建立された。南都七大寺の1つとして奈良時代には壮大な伽藍を誇ったが、平安時代に一時衰退し、鎌倉時代に叡尊によって復興された。山号は勝宝山。本尊は釈迦如来(重要文化財)。東の東大寺に対して西の西大寺と称された。(wikipediaより)

四王堂

延宝2年(1674)に建立された簡素な建物で、重要文化財の十一面観音立像と四天王像が安置されています。

ソメイヨシノ

四王堂の向かって左の方に植えられています

2008年、奈良市が「KinKiKids」のメンバーで、奈良市出身の堂本剛さんを「市観光特別大使」の第1号に委嘱。
「20年4月20日 奈良市観光特別大使 記念樹」との記述が。堂本剛さんが、贈られたそうです。
余談ですが、堂本剛さん作のイラストが「母子健康手帳」に描かれているそうですよ。

本堂


寄棟造、本瓦葺。室町時代の焼失後に再建された堂が傷んだため、寛政10年(1798年)頃造営に着手、文化5年(1808年)頃完成したもの。土壁を一切用いず、装飾性の少ない伝統的な様式。江戸時代後期の大規模仏堂建築の代表作として、1998年重要文化財に指定されています。文殊菩薩及び脇侍像5体(重文)安置。

玄武

   
平城遷都1300年祭を契機として、奈良県全域を四神相応の吉相の地になぞらえて、
青龍は室生寺
朱雀は金峯山寺、
白虎は信貴山朝護孫子寺、
玄武は西大寺、と四ヶ寺が独自に位置づけたそうです
平城京の北の守り神として寺が制作しました。
「足や首の長い亀の甲羅に、蛇が絡み合う姿をしている。甲羅上で、蛇と亀がにらみ合い円形に近いデザイン。玄とは、黒を意味し、亀の甲羅などに黒色が使用されるとともに蛇の背は緑に塗られる。キトラ古墳や高松塚古墳では北壁中央のやや上寄りに描かれる。西大寺は、平城京の北西に位置し称徳天皇によって建立された。平城遷都1300年を記念し、画像を建立するものである。」
との記述が。

愛染堂


寝殿造りの仏堂。
京都の近衛公政政所御殿を宝暦12年(1762)に移築したそうです。本尊の厨子入り愛染明王座像は秘仏で、重要文化財。

菩提樹


愛染堂の前にある木。樹齢700年、ナシノキ科の落葉高木で、中国原産。
初夏には芳香を放つ淡黄色の小さな五弁の花が咲き、9月頃に直径約8mmの「菩提子」と呼ばれる球形の果実がなり、数珠にされるそうです。

鐘楼


幕末又は明治の初め頃に摂津(大阪府)の多田院から移されたもの。大きさは桁行3間、梁間2間。入母屋造、本瓦葺。昭和63年3月、市文化財に指定。

手水

   可愛い演出。

本堂&東塔跡


東塔跡越しの本堂です。東塔跡は、土台と礎石があります。西大寺ができた当時に建っていた、東西2つの五重塔のうち東塔の跡で、室町時代に焼失しました。今の西大寺境内は、この東塔を中心に作りかえた鎌倉時代の配置をもとにしているそう。

梅、 椿

境内で見られた花です。

西大寺と言えば、ニュースでよく報じられる「大茶盛」が有名ですが・・・、
西大寺の「大茶盛式」は鎌倉時代から伝わる行事で、直径約30cm、重さ約7kgの大茶碗と、長さ35cmの大茶筌の道具を用いて、お茶会が行われます。僧侶が点てたお茶が、参会者にふるまわれます。鎌倉時代に復興した叡尊上人が、境内の八幡宮にお茶を奉納して、余ったお茶を民衆にふるまったのがはじまり。戒律でお酒を飲めないので、酒盛りの代わりに「茶盛」というのだそうです。 直径30cm以上、重さ6~7kgもある巨大な茶碗でお抹茶を回し飲みする、ユニークな茶会。

春の大茶盛式は、4月12、13日に行われるそうです。

【お知らせ】
4月1日に京都御苑に行ってきました、こんな感じです。一枚だけ見て下さい。



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