【折々の花だより】

”季節の花だより”
花たちとの出会いを楽しんでます

一言主神社(ひとことぬしじんじゃ)

2023-10-27 | デジカメ紀行
全国各地の一言主神を奉斎する神社の総本社であり、全国各地には当社に参拝するための講があり、現在も篤い信仰を集めています。
正式名称は葛城坐一言主神社。

奈良盆地の西に聳(そび)える葛城(かつらぎ)、金剛の山並み。その東側の山麓(さんろく)、御所市森脇に一言主神社(ひとことぬしじんじゃ)があります。


















一言主大神は天皇と同じ姿で葛城山に顕現され、雄略天皇はそれが大神であることを知り、大御刀・弓矢・百官どもの衣服を奉献したと伝えられています。
天皇はこの一言主大神を深く崇敬され、大いに御神徳を得られ、この大神が顕現された「神降」と伝える地に、一言主大神と幼武尊(雄略天皇)をお祀りしています。

『古事記』によると、一言主大神は自ら「吾は悪事も一言、善事も一言、言離の神、葛城一言主の大神なり」と、その神としての神力をお示しになり、この神様を「一言さん」という親愛の情を込めた呼び方でお呼びし、一言の願いであれば何ごとでもお聴き下さる神様として、里びとはもちろんのこと、古く全国各地からの信仰を集めています。

10月6日訪れました。

<参道にある蜘蛛塚>


昔、この付近で、毎夜一匹の大きなクモが出て荒らしまわり、人々を困らせていました。そこへ一言主神が通りかかり、「私が捕まえてやろう」といい、首尾よく退治し、村人はその死骸(しがい)を田の中に埋めたという。この時、クモの大きな牙(きば)が取り置かれ、今も神社の宝物(ほうもつ)となっています。 

この話とは別に、『日本書紀』にも土グモの話あります。 
昔、神武天皇が日向(ひゅうが)(宮崎)から東の国々を征服する旅に出ました。
熊野から上陸して大和の宇陀などを経て葛城の高尾張邑(たかおわりむら)に来ました。ここで天皇は土グモと戦い、これを退治。土グモは土地の民のこと。この時、葛(かずら)のつるで作った網でクモを覆い殺した。よってこの地を「葛城(かずらき)」と名づけたといいます。やがて天皇は橿原宮で即位しました。




参道にあります。

<手水舎>              <祓戸社>
  

神社の中で一番最初にお参りするお社。
神社は神様がいらっしゃる神聖な空間です。そこで、神社に参拝する前には手水舎で手を洗い、口をすすいだりし、身体にまとった穢れ(日常生活の中でつらいことや悲しいことなどさまざまなストレス)を祓い落として本殿の神様にご挨拶します。


境内に入ると・・・。

<無患子(むくろじ)>
  




<手水舎>



<至福の像>
  


<ボケ除け数えうた>



<境内にある蜘蛛塚>



朱の鳥居を進みます。






<一言稲荷神社>


市杵島神社
天満神社
住吉神社
八幡神社
神功皇后社へと続きます。




<宝來石>



<雄略天皇像>





(後ろ姿)



本殿の方へ。


御神木の大イチョウが見えます。

<乳銀杏>












<おみくじ>



<拝殿、本殿>


<扁額>







<なで蛙>



一言主神は、お顔が醜かったともいう。昔、修験道(しゅげんどう)の開祖、役行者(えんのぎょうじゃ)が葛城山(かつらぎさん)と吉野の金峯山(きんぷせん)に橋を架けようとした。それを手伝った一言主神は容貌(ようぼう)を恥じて夜だけ働き、夜明け前に姿を隠したという。  
江戸時代の俳人、松尾芭蕉は『笈(おい)の小文(こぶみ)』の旅で葛城山にふれ、「猶(なほ)みたし花に明行(あけゆく)神の顔」の句を残しました。
花々に包まれた葛城の夜明け。そこにおわす神のお顔が、まさか、醜いなんて。いや、麗しいに違いない、と・・・。

<句碑>





<万葉歌碑>





<祓戸社>





説明文は公式サイト等を参考にしました。

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天理イチョウ並木

2023-10-20 | 花だより
奈良県天理市川原城町天理市役所から天理大学付近、約100本のイチョウの木が600メートルにわたって続いています。
イチョウは天理市の市木にもなっています。

10月17日様子見に。


本部方面




















  



イチョウの色づきには、早かったようです。

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ずいき祭り

2023-10-11 | デジカメ紀行
ずいき祭りは五穀豊穣に感謝する秋の大祭です。
毎年10月1日~5日にかけて、京都の秋祭りの先陣をきって執り行われます。
平安時代に御祭神・菅原道真公が九州・大宰府で自ら刻んだ木像を、西ノ京の神人が京都に持ち帰って祀り、秋の収穫物を供えたことに始まると伝えられます。

野菜を飾った「ずいき神輿」は京都市登録無形民俗文化財。
神輿は慶長12(1607)年に豊臣秀頼が天満宮を再興した際に作られたのが起源だそうです。
大小2基の神輿の屋根はすべて「ずいき」で作られ、祭の期間(1日~4日)、西ノ京御旅所で見ることができ、北野天満宮の氏子地域である西ノ京の北野天満宮御旅所やその周辺では献灯がともり、露店が並びます。
5日には、菅原道真公らの霊をのせた神輿(みこし)「鳳輦(ほうれん)」や松鉾などが連なる華やかな行列が、京都市中京区西ノ京の御旅所まで練り歩きます。

「ずいき」とは、サトイモ(こいも)の茎のこと。神輿は西ノ京地域で収穫したズイキが屋根に葺かれ、千日紅、水稲、麦、赤ナズといった農作物などを使い、手作りされています。

10月3日再訪です。





境内へ入ります。

<神興殿>



   





  
<導山(みちびきやま)>


御輿を拝見します。



御輿各部が穀物や蔬菜(そさい)・湯葉(ゆば)・麩(ふ)などの乾物類で装飾され、新穀で作られた人物花鳥獣類が飾りつけられます。(幅、奥行き各約2・3メートル、高さ約3メートル)

四方から見てみます。





「A・R・E達成」もあります。

















<神輿説明>









  



<子供神輿>









機会があれば行列もみてみたいと思います。

説明文は公式サイトを参考にしました。





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梨の花プロジェクト拠点ファーム RIKAEN「秋」

2023-10-05 | デジカメ紀行
二十世紀梨の栽培で全国の先駆けとなったのが、吉野郡大淀町と五條市東阿田町にまたがる大阿太高原。
この地は、現在も奈良県内で最大の梨の生産地です。
9月24日、梨を求めて訪れました。

RIKAENの様子。















RIKAEN周辺をぶらぶら。







こちらでは梨の販売は終わっていたので、紹介された農家さんへ。










周辺の様子。




  


  


  

  


  



<梨の種類> 



 
(パンフレットより)


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名田庄村

2023-10-02 | デジカメ紀行
周山街道と呼ばれる国道162号線の京都府と福井県の県境すぐの道の駅「名田庄」は、
暦と星のふるさと『名田庄』の玄関口として特産品の販売や道路利用者の休憩所としての施設です。
地元の生産の季節の野菜や果物、名田庄漬やじねんじょそば、へしこなどの特産品を販売しています。
この施設の敷地内に[頭巾山青少年旅行村]として、ホテル流星館、暦会館、名田庄の自然薯を使った「じねんじょそば」が味わえるそば処「よってっ亭」があります。

ドライブがてら訪れた道の駅「名田庄」。
「よってっ亭」で自然薯蕎麦の昼食をとり暦会館へ向かいます。



暦会館


「安倍家」と「暦の歴史」がテーマの資料館。
名田庄は暦道・天文道・陰陽道と深いかかわりを持つ地であり、日本の天文暦学の祖安倍晴明の子孫が応仁の乱の戦火を逃れ、この地に移り住んだことから陰陽道との関係がはじまりました。
校倉造りの暦会館は、昔の天文器具や古い時代の暦など、暦に関する資料が見られるユニークな資料館です。

名田庄村は我が国で唯一の陰陽道の祭祀が続けられており、陰陽道の宗家である土御門家の資料や暦に関する資料を展示しています。



向かい側には、古民家のある芝生の広場があります。



入口にある日時計






=中の様子=


占いが出来るようです。










渾天儀


        


漏刻計


    






(展示品は撮影不可)
都状とは陰陽道の祭典に用いる祭文です。朱で書かれています。

















スタンプが置かれていました。
  


  


  






説明文は公式サイトを参考にしました。

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