全国各地の一言主神を奉斎する神社の総本社であり、全国各地には当社に参拝するための講があり、現在も篤い信仰を集めています。
正式名称は葛城坐一言主神社。
奈良盆地の西に聳(そび)える葛城(かつらぎ)、金剛の山並み。その東側の山麓(さんろく)、御所市森脇に一言主神社(ひとことぬしじんじゃ)があります。
一言主大神は天皇と同じ姿で葛城山に顕現され、雄略天皇はそれが大神であることを知り、大御刀・弓矢・百官どもの衣服を奉献したと伝えられています。
天皇はこの一言主大神を深く崇敬され、大いに御神徳を得られ、この大神が顕現された「神降」と伝える地に、一言主大神と幼武尊(雄略天皇)をお祀りしています。
『古事記』によると、一言主大神は自ら「吾は悪事も一言、善事も一言、言離の神、葛城一言主の大神なり」と、その神としての神力をお示しになり、この神様を「一言さん」という親愛の情を込めた呼び方でお呼びし、一言の願いであれば何ごとでもお聴き下さる神様として、里びとはもちろんのこと、古く全国各地からの信仰を集めています。
10月6日訪れました。
昔、この付近で、毎夜一匹の大きなクモが出て荒らしまわり、人々を困らせていました。そこへ一言主神が通りかかり、「私が捕まえてやろう」といい、首尾よく退治し、村人はその死骸(しがい)を田の中に埋めたという。この時、クモの大きな牙(きば)が取り置かれ、今も神社の宝物(ほうもつ)となっています。
この話とは別に、『日本書紀』にも土グモの話あります。
昔、神武天皇が日向(ひゅうが)(宮崎)から東の国々を征服する旅に出ました。
熊野から上陸して大和の宇陀などを経て葛城の高尾張邑(たかおわりむら)に来ました。ここで天皇は土グモと戦い、これを退治。土グモは土地の民のこと。この時、葛(かずら)のつるで作った網でクモを覆い殺した。よってこの地を「葛城(かずらき)」と名づけたといいます。やがて天皇は橿原宮で即位しました。
参道にあります。
神社の中で一番最初にお参りするお社。
神社は神様がいらっしゃる神聖な空間です。そこで、神社に参拝する前には手水舎で手を洗い、口をすすいだりし、身体にまとった穢れ(日常生活の中でつらいことや悲しいことなどさまざまなストレス)を祓い落として本殿の神様にご挨拶します。
境内に入ると・・・。
朱の鳥居を進みます。
<一言稲荷神社>
市杵島神社
天満神社
住吉神社
八幡神社
神功皇后社へと続きます。
<宝來石>
<雄略天皇像>
(後ろ姿)
本殿の方へ。
御神木の大イチョウが見えます。
一言主神は、お顔が醜かったともいう。昔、修験道(しゅげんどう)の開祖、役行者(えんのぎょうじゃ)が葛城山(かつらぎさん)と吉野の金峯山(きんぷせん)に橋を架けようとした。それを手伝った一言主神は容貌(ようぼう)を恥じて夜だけ働き、夜明け前に姿を隠したという。
江戸時代の俳人、松尾芭蕉は『笈(おい)の小文(こぶみ)』の旅で葛城山にふれ、「猶(なほ)みたし花に明行(あけゆく)神の顔」の句を残しました。
花々に包まれた葛城の夜明け。そこにおわす神のお顔が、まさか、醜いなんて。いや、麗しいに違いない、と・・・。
正式名称は葛城坐一言主神社。
奈良盆地の西に聳(そび)える葛城(かつらぎ)、金剛の山並み。その東側の山麓(さんろく)、御所市森脇に一言主神社(ひとことぬしじんじゃ)があります。
一言主大神は天皇と同じ姿で葛城山に顕現され、雄略天皇はそれが大神であることを知り、大御刀・弓矢・百官どもの衣服を奉献したと伝えられています。
天皇はこの一言主大神を深く崇敬され、大いに御神徳を得られ、この大神が顕現された「神降」と伝える地に、一言主大神と幼武尊(雄略天皇)をお祀りしています。
『古事記』によると、一言主大神は自ら「吾は悪事も一言、善事も一言、言離の神、葛城一言主の大神なり」と、その神としての神力をお示しになり、この神様を「一言さん」という親愛の情を込めた呼び方でお呼びし、一言の願いであれば何ごとでもお聴き下さる神様として、里びとはもちろんのこと、古く全国各地からの信仰を集めています。
10月6日訪れました。
<参道にある蜘蛛塚>
昔、この付近で、毎夜一匹の大きなクモが出て荒らしまわり、人々を困らせていました。そこへ一言主神が通りかかり、「私が捕まえてやろう」といい、首尾よく退治し、村人はその死骸(しがい)を田の中に埋めたという。この時、クモの大きな牙(きば)が取り置かれ、今も神社の宝物(ほうもつ)となっています。
この話とは別に、『日本書紀』にも土グモの話あります。
昔、神武天皇が日向(ひゅうが)(宮崎)から東の国々を征服する旅に出ました。
熊野から上陸して大和の宇陀などを経て葛城の高尾張邑(たかおわりむら)に来ました。ここで天皇は土グモと戦い、これを退治。土グモは土地の民のこと。この時、葛(かずら)のつるで作った網でクモを覆い殺した。よってこの地を「葛城(かずらき)」と名づけたといいます。やがて天皇は橿原宮で即位しました。
参道にあります。
<手水舎> <祓戸社>
神社の中で一番最初にお参りするお社。
神社は神様がいらっしゃる神聖な空間です。そこで、神社に参拝する前には手水舎で手を洗い、口をすすいだりし、身体にまとった穢れ(日常生活の中でつらいことや悲しいことなどさまざまなストレス)を祓い落として本殿の神様にご挨拶します。
境内に入ると・・・。
<無患子(むくろじ)>
<手水舎>
<至福の像>
<ボケ除け数えうた>
<ボケ除け数えうた>
<境内にある蜘蛛塚>
朱の鳥居を進みます。
<一言稲荷神社>
市杵島神社
天満神社
住吉神社
八幡神社
神功皇后社へと続きます。
<宝來石>
<雄略天皇像>
(後ろ姿)
本殿の方へ。
御神木の大イチョウが見えます。
<乳銀杏>
<おみくじ>
<拝殿、本殿>
<扁額>
<なで蛙>
<おみくじ>
<拝殿、本殿>
<扁額>
<なで蛙>
一言主神は、お顔が醜かったともいう。昔、修験道(しゅげんどう)の開祖、役行者(えんのぎょうじゃ)が葛城山(かつらぎさん)と吉野の金峯山(きんぷせん)に橋を架けようとした。それを手伝った一言主神は容貌(ようぼう)を恥じて夜だけ働き、夜明け前に姿を隠したという。
江戸時代の俳人、松尾芭蕉は『笈(おい)の小文(こぶみ)』の旅で葛城山にふれ、「猶(なほ)みたし花に明行(あけゆく)神の顔」の句を残しました。
花々に包まれた葛城の夜明け。そこにおわす神のお顔が、まさか、醜いなんて。いや、麗しいに違いない、と・・・。
<句碑>
<万葉歌碑>
<祓戸社>
<祓戸社>
説明文は公式サイト等を参考にしました。