京都府京田辺市普賢寺の観音寺(普賢寺大御堂)周辺の田んぼで、菜の花が満開になり、1日から無料で摘み取りができるようになりました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2b/48/4b4434effb66720db0837c2cdebd1344.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/36/ed/d337a8b2295eda563c826d862c1b1abb.jpg)
4月6日訪れました。
観音寺(普賢寺大御堂)カンノンジフゲンジオオミドウ
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/66/e4/b3b34c6abcf21544ac317f1436225d1f.jpg)
京都南部の南山城の古刹で、天武天皇の勅願により義淵僧正が創建。その後、聖武天皇の御願により良弁僧正が伽藍を増築し、息長山普賢教法寺と号し、十一面観音立像を安置したといわれています。1437年(永享9年)の火災により建物のほとんどが焼失、大御堂だけが再建され現在に至っています。
ご本尊の十一面観音立像は、奈良時代を代表する天平仏の代表的な仏像として国宝に指定されています。(JRおでかけネットより)
観音寺へ続く桜の参道の両脇には、菜の花畑があります。平成12(2000)年より、京田辺市観光協会と地元農家が稲刈り後の田んぼ約67ヘクタールを栽培し、毎年花見ウォークの会場になります。花見ウォークでは菜の花畑に入り、自由に摘み取ることもできます。
観音寺がみえてきました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/49/13/ecde3f14da8bb77a4ece49494a4f7f84.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/26/66/8e23550c543837bf18ab9e097159a734.jpg)
参道
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/66/e2/54d3ce0dbf2787242bee1ead020fe614.jpg)
本堂
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/62/8e/936582a7e67e498bf3d00d9e472fb427.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/06/14/c7c49cad39094857d8d405f8c8c43040.jpg)
本堂は昭和28(1953)年3月に再建。単層で入母屋造(いりもやづくり)、本瓦葺(ほんかわらぶき)で南に面しています。
本堂内は、住職さんの説明を受けて拝観できます。
十一面観音立像(国宝)を安置。像高172.7cm、奈良時代、8世紀の作。
一木造の心木のうえに木屎漆(こくそうるし)を盛り上げて造形した木心乾漆造で、この技法は奈良時代から平安時代初期に多用されたようです。
頭上面の一部や台座蓮肉部も当初のものです。
字の読めない人でもわかるように書かれたそうです。
これだけは撮影を許されました。
手前に「二月堂竹送り復活の地」という石碑がありました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2a/dd/90986a882fc8ace630ff00d93e9a1f4d.jpg)
奈良に春を告げる「お水取り」の行事。東大寺、二月堂の舞台を駆けぬける松明の炎は有名です。
2月20日からの前行、3月1日から2週間にわたる本行に先立ち、2月中旬に行われる「竹送り」の行事があります。
松明に使われる真竹は、昔、京都山城地方などから送り竹の風習によって調達されていました。第二次世界大戦や昭和28年の風水害によりしばらくの間途絶えていましたが、昭和50年代に入り、京田辺市の山城松明講の人々によって40年ぶりに復活されました。
ここ観音寺(普賢寺)で、道中の安全を祈願する竹寄進の法要が行われ、7本の真竹は車を引いたり、肩に担いだりされ、東大寺に向かいます。
(奈良観光ボランティアガイドのサイト参考)
地祇(ちぎ)神社
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0d/f1/aec9179a46b2459c5b3a2ddaa7b110b7.jpg)
本堂の脇にあります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2e/ce/456b93b07efda1ccb0535ca5801bd61b.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6c/80/4bf86e50d9805310acaae0608a322357.jpg)
観音寺の鎮守とされ、大国主命など3柱を祀る式内社です。
境内で。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/62/f3/c7414acdf7ebd9d065d9e265cd06ed47.jpg)
参道付近で。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/10/cb/40c9ea60faff0ed0d46a9785cba9f4e1.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/25/9e/dcc27357b598ffef7e85fb73575d6c4b.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2e/da/56e828e5f94bc6531136df80dc0efb62.jpg)
汚水管ノンカラーマンホールです。
市の花「ヒラドツツジ」がデザインされています。
中央は京田辺市章。
京田辺の田の文字をかたどり、丸い円は市民の融和を意味し、横に突き出た部分は無限にのびゆく京田辺市を表現したもの。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2b/48/4b4434effb66720db0837c2cdebd1344.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/36/ed/d337a8b2295eda563c826d862c1b1abb.jpg)
4月6日訪れました。
観音寺(普賢寺大御堂)カンノンジフゲンジオオミドウ
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/66/e4/b3b34c6abcf21544ac317f1436225d1f.jpg)
京都南部の南山城の古刹で、天武天皇の勅願により義淵僧正が創建。その後、聖武天皇の御願により良弁僧正が伽藍を増築し、息長山普賢教法寺と号し、十一面観音立像を安置したといわれています。1437年(永享9年)の火災により建物のほとんどが焼失、大御堂だけが再建され現在に至っています。
ご本尊の十一面観音立像は、奈良時代を代表する天平仏の代表的な仏像として国宝に指定されています。(JRおでかけネットより)
観音寺へ続く桜の参道の両脇には、菜の花畑があります。平成12(2000)年より、京田辺市観光協会と地元農家が稲刈り後の田んぼ約67ヘクタールを栽培し、毎年花見ウォークの会場になります。花見ウォークでは菜の花畑に入り、自由に摘み取ることもできます。
観音寺がみえてきました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/49/13/ecde3f14da8bb77a4ece49494a4f7f84.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/26/66/8e23550c543837bf18ab9e097159a734.jpg)
参道
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/66/e2/54d3ce0dbf2787242bee1ead020fe614.jpg)
本堂
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/62/8e/936582a7e67e498bf3d00d9e472fb427.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/06/14/c7c49cad39094857d8d405f8c8c43040.jpg)
本堂は昭和28(1953)年3月に再建。単層で入母屋造(いりもやづくり)、本瓦葺(ほんかわらぶき)で南に面しています。
本堂内は、住職さんの説明を受けて拝観できます。
十一面観音立像(国宝)を安置。像高172.7cm、奈良時代、8世紀の作。
一木造の心木のうえに木屎漆(こくそうるし)を盛り上げて造形した木心乾漆造で、この技法は奈良時代から平安時代初期に多用されたようです。
頭上面の一部や台座蓮肉部も当初のものです。
絵による、般若心経
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6f/d1/caee9c56c2b09d046d18e6cfa782ed9b.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6f/d1/caee9c56c2b09d046d18e6cfa782ed9b.jpg)
字の読めない人でもわかるように書かれたそうです。
これだけは撮影を許されました。
鐘楼
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/53/60/763ac1b9eaf7855bde024dd135bee618.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/53/60/763ac1b9eaf7855bde024dd135bee618.jpg)
手前に「二月堂竹送り復活の地」という石碑がありました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2a/dd/90986a882fc8ace630ff00d93e9a1f4d.jpg)
奈良に春を告げる「お水取り」の行事。東大寺、二月堂の舞台を駆けぬける松明の炎は有名です。
2月20日からの前行、3月1日から2週間にわたる本行に先立ち、2月中旬に行われる「竹送り」の行事があります。
松明に使われる真竹は、昔、京都山城地方などから送り竹の風習によって調達されていました。第二次世界大戦や昭和28年の風水害によりしばらくの間途絶えていましたが、昭和50年代に入り、京田辺市の山城松明講の人々によって40年ぶりに復活されました。
ここ観音寺(普賢寺)で、道中の安全を祈願する竹寄進の法要が行われ、7本の真竹は車を引いたり、肩に担いだりされ、東大寺に向かいます。
(奈良観光ボランティアガイドのサイト参考)
地祇(ちぎ)神社
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0d/f1/aec9179a46b2459c5b3a2ddaa7b110b7.jpg)
本堂の脇にあります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2e/ce/456b93b07efda1ccb0535ca5801bd61b.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6c/80/4bf86e50d9805310acaae0608a322357.jpg)
観音寺の鎮守とされ、大国主命など3柱を祀る式内社です。
境内で。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/62/f3/c7414acdf7ebd9d065d9e265cd06ed47.jpg)
参道付近で。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/10/cb/40c9ea60faff0ed0d46a9785cba9f4e1.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/25/9e/dcc27357b598ffef7e85fb73575d6c4b.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2e/da/56e828e5f94bc6531136df80dc0efb62.jpg)
汚水管ノンカラーマンホールです。
市の花「ヒラドツツジ」がデザインされています。
中央は京田辺市章。
京田辺の田の文字をかたどり、丸い円は市民の融和を意味し、横に突き出た部分は無限にのびゆく京田辺市を表現したもの。