日本三大祭りの一つ、祇園祭を祭礼とする八坂神社。
四条河原町交差点から西楼門を望む。
秋の「京都非公開文化財特別公開」。11月11日訪れました。
通常の参拝では見られない国宝本殿の内部や神宝などを見る事ができます。
令和2年(2020)12月、八坂神社本殿は国宝に指定されました。
その他、境内・境外合わせて26棟が重要文化財に新たに追加され、既指定の3棟と合わせると国宝1棟、重要文化財29棟もの建造物が境内に建ち並びます。
創祀については諸説ありますが、社伝としては2つの説が伝わります。
1)渡来人が神様をお祀りしたのがはじまり
斉明天皇2年(656)に高麗より来朝した伊利之(いりし)が新羅国の牛頭山(ごずさん)に座した素戔嗚尊(すさのをのみこと)を当地(山城国愛宕郡八坂郷(やましろのくにおたぎぐんやさかごう)に奉斎したことにはじまる。
2)お坊さんがお堂を建立したのがはじまり
貞観18年(876)南都の僧・円如(えんにょ)が当地にお堂を建立し、同じ年に天神(祇園神)が東山の麓、祇園林に降り立ったことにはじまる。
本殿の下には現在は漆喰で固められていますが、平安京の東の鎮めである青龍の棲む龍穴があると伝えられており、東山の麓に位置する当地は古来より神を感じる神秘的な地であったことが窺えます。
京都三大祭・日本三大祭として知られる祇園祭(ぎおんまつり)も国家の安寧と疫病消除を願ってはじまった八坂神社の祭礼です。
重要文化財
明治20年に南手水舎が、昭和3年に西手水舎が建造されました。
神社にお参りする際は、まずは手水舎にて心身を清めてから参拝するのがマナーとなります。
文政6年(1823)頃建立
蘇民将来命(そみんしょうらいのみこと)
素戔嗚尊が南海を旅された際、2人の兄弟の神様に宿を請います。巨旦将来(こたんしょうらい)は裕福でありましたが宿を貸さず、蘇民将来は貧しいながらも粟で手厚くおもてなしされました。感激された素戔嗚尊は、後年疫病が流行しても「茅の輪」をつけて「蘇民将来の子孫なり」といえば災厄から免れると約束されました。疫病退散の御利益のある神様として信仰されています。
重要文化財
大正2年(1913)建立
ご祭神 猿田彦命(さるたひこのみこと)宇受女命(うずめのみこと)
道しるべ 芸能の神様です。
大国主神(おおくにぬしのかみ)
大国主社の主祭神は神話の「因幡の白兎」(いなばのしろうさぎ)で知られる大国主神(おおくにぬしのかみ)で、「大国さん」と親しまれ、縁結びの神としても知られています。
<大国さまと白うさぎ像>
日本神話「因幡の白兎」で大国主社の御祭神の大国主神がウサギを助ける場面を模しています。
正保3年(1646)建立
事代主神(ことしろぬしのかみ) 「えべっさん」とも称される神様です。商売繁昌の神様として信仰されています。
北向蛭子社の御祭神であります事代主神は「えびっさん」と親しまれており、商売繁盛を祈願する多くの方がお参りされます。
祈願した後にこの像に触れるとご利益があるとされます。
江戸時代には境内に神馬舎があり、昭和3年(1928)に現在地に移転建築されました。
二頭のうち栗毛神馬は寛文8年(1668)に釜之座中から奉納されたものです。
檜皮(ひわだ)ぶきの大屋根で、「祇園造(ぎおんづくり)」という国内唯一の建築様式。
特徴は、多くの神社では別々に建つ本殿(神様を祀る場所)と拝殿(人が拝む場所)が、一つの大屋根で覆われています。
また、大屋根にある庇(ひさし)のさらに外側に「又庇(またびさし)」が伸び、その下にはいくつもの部屋があります。
神社の本殿建築として最大規模を誇り、2020年には国宝に指定されました。
本殿は創建以来、数度の火災で焼失し、その都度再建されました。記録では、平安後期の1148年には現在と近い形だったとされます。
八坂神社独自の建築である「又庇(またびさし)」の造りは境内の摂末社にも見られ、本殿の様式の影響を受けて建てられたことが分かります。この造りの摂末社は境内に複数あります。
「美御前社、北向蛭子社、日吉社、疫神社」(4社全て重要文化財)
特別公開では、まず本殿内の後ろ側を拝観します。
かつて会議などに使われた「後戸(うしろど)」と呼ばれる部屋には、江戸時代の絵師・円山応挙(まるやまおうきょ)が2羽の鶏を描いた「番鶏図(ばんけいず)」の衝立てが置かれ、外陣(げじん)は、素戔嗚尊(すさのおのみこと)をはじめとした3柱の祭神を祀る内々陣の裏手に位置します。こちらから手を合わせました。
本殿内の拝観を終わり常磐殿(ときわでん)へ。
江戸前期の再建時に奉納された神宝(市指定文化財)を展示。
黄金で彩られた「冕冠(べんかん)」と「礼冠(らいかん)」。
蒔絵(まきえ)と螺鈿(らでん)で装飾した「靭」(ゆぎ、矢を入れる武具)や、祭神の履物として調えた「草鞋(そうかい)」なども展示。
特別拝観を終え、境内をまわります。
明治中期に建造されたものとされ、本殿の東側と神饌所を囲む塀です。檜皮葺の素朴造りで、唐草模様の上質な彫刻があしらわれています。
本殿の周りを回ってきました。
天正19年(1591)建立
美御前社の脇より流れ出る清水で、肌に2、3滴付けることで身も心も美しくなるとされます。
神様には「和魂(にぎみたま)」と「荒魂(あらみたま)」という魂が存在していると考えられていて、こちらでは本殿に祀る素戔嗚尊(すさのをのみこと)の「荒魂」を祀っています。悪王子の「悪」とは「強い力」の意。厄除、災難除のご利益、諸願成就のご神徳があるといいます。
伊勢神宮内宮の神様である天照大御神(あまてらすおおみかみ)と、伊勢神宮外宮の神様である豊受大御神(とようけのおおみかみ)を祀り、身体健康のご利益があるといわれます。
白河法皇が祇園女御のもとに赴こうとこの辺りを通った時に、前方に鬼のようなものが見えました。討伐を命じられた平忠盛は鬼の正体を見定めるために生け捕りにしたところ、灯籠に明かりを灯そうとしていた社僧でした。人々は忠盛の思慮深さと勇ましさを称え、この話は平家物語や日本外史にも記されています。
重要文化財
慶応2年に延焼し、明治7年に再建されたものです。
祇園祭りの際に三基の神輿が奉安されるほか、結婚式や奉納舞踊などが行われます。
花街の置屋や付近の料亭から奉納されたたくさんの提灯は、毎夜明かりが灯され幻想的な雰囲気を醸し出します。
重要文化財
西楼門…明応6年(1497)建立、翼廊…大正14年(1925)建立。
四条通に面する八坂神社最古の建造物。応仁の乱により焼失し、明応6年(1497)に再建されました。大正2年(1913)に四条通の拡張にともない東に6メートル、北に3メートル移動し、大正14年(1925)に左右に翼廊を建て現在の姿となっています。
入母屋造り。慶応2年に焼失、明治12年に再建された表参道に位置する正門になります。
<狛犬>
<狛犬(陶器製)>
神社にはほとんどの場合は複数の神様を祀っています。本殿に祀られている神様が主祭神。
境内にある祠(ほこら)=小さな社殿=を「摂社」あるいは「末社(まっしゃ)」と呼んでいます。
「摂社」は主祭神と関係の深い神様を祀っています。「末社」は主祭神とはあまり関係のない、客分の神様を祀っています。
四条河原町交差点から西楼門を望む。
秋の「京都非公開文化財特別公開」。11月11日訪れました。
通常の参拝では見られない国宝本殿の内部や神宝などを見る事ができます。
令和2年(2020)12月、八坂神社本殿は国宝に指定されました。
その他、境内・境外合わせて26棟が重要文化財に新たに追加され、既指定の3棟と合わせると国宝1棟、重要文化財29棟もの建造物が境内に建ち並びます。
創祀については諸説ありますが、社伝としては2つの説が伝わります。
1)渡来人が神様をお祀りしたのがはじまり
斉明天皇2年(656)に高麗より来朝した伊利之(いりし)が新羅国の牛頭山(ごずさん)に座した素戔嗚尊(すさのをのみこと)を当地(山城国愛宕郡八坂郷(やましろのくにおたぎぐんやさかごう)に奉斎したことにはじまる。
2)お坊さんがお堂を建立したのがはじまり
貞観18年(876)南都の僧・円如(えんにょ)が当地にお堂を建立し、同じ年に天神(祇園神)が東山の麓、祇園林に降り立ったことにはじまる。
本殿の下には現在は漆喰で固められていますが、平安京の東の鎮めである青龍の棲む龍穴があると伝えられており、東山の麓に位置する当地は古来より神を感じる神秘的な地であったことが窺えます。
京都三大祭・日本三大祭として知られる祇園祭(ぎおんまつり)も国家の安寧と疫病消除を願ってはじまった八坂神社の祭礼です。
<境内図>
<西手水舎>
重要文化財
明治20年に南手水舎が、昭和3年に西手水舎が建造されました。
神社にお参りする際は、まずは手水舎にて心身を清めてから参拝するのがマナーとなります。
<疫神社>(摂社)
文政6年(1823)頃建立
蘇民将来命(そみんしょうらいのみこと)
素戔嗚尊が南海を旅された際、2人の兄弟の神様に宿を請います。巨旦将来(こたんしょうらい)は裕福でありましたが宿を貸さず、蘇民将来は貧しいながらも粟で手厚くおもてなしされました。感激された素戔嗚尊は、後年疫病が流行しても「茅の輪」をつけて「蘇民将来の子孫なり」といえば災厄から免れると約束されました。疫病退散の御利益のある神様として信仰されています。
<太田社>(末社)
重要文化財
大正2年(1913)建立
ご祭神 猿田彦命(さるたひこのみこと)宇受女命(うずめのみこと)
道しるべ 芸能の神様です。
<大国主社>
大国主神(おおくにぬしのかみ)
大国主社の主祭神は神話の「因幡の白兎」(いなばのしろうさぎ)で知られる大国主神(おおくにぬしのかみ)で、「大国さん」と親しまれ、縁結びの神としても知られています。
<大国さまと白うさぎ像>
日本神話「因幡の白兎」で大国主社の御祭神の大国主神がウサギを助ける場面を模しています。
<北向蛭子社>
正保3年(1646)建立
事代主神(ことしろぬしのかみ) 「えべっさん」とも称される神様です。商売繁昌の神様として信仰されています。
<ふれあいえびす像>
北向蛭子社の御祭神であります事代主神は「えびっさん」と親しまれており、商売繁盛を祈願する多くの方がお参りされます。
祈願した後にこの像に触れるとご利益があるとされます。
<神馬舎(しんめしゃ)>
江戸時代には境内に神馬舎があり、昭和3年(1928)に現在地に移転建築されました。
二頭のうち栗毛神馬は寛文8年(1668)に釜之座中から奉納されたものです。
<本殿>
檜皮(ひわだ)ぶきの大屋根で、「祇園造(ぎおんづくり)」という国内唯一の建築様式。
特徴は、多くの神社では別々に建つ本殿(神様を祀る場所)と拝殿(人が拝む場所)が、一つの大屋根で覆われています。
また、大屋根にある庇(ひさし)のさらに外側に「又庇(またびさし)」が伸び、その下にはいくつもの部屋があります。
神社の本殿建築として最大規模を誇り、2020年には国宝に指定されました。
本殿は創建以来、数度の火災で焼失し、その都度再建されました。記録では、平安後期の1148年には現在と近い形だったとされます。
八坂神社独自の建築である「又庇(またびさし)」の造りは境内の摂末社にも見られ、本殿の様式の影響を受けて建てられたことが分かります。この造りの摂末社は境内に複数あります。
「美御前社、北向蛭子社、日吉社、疫神社」(4社全て重要文化財)
特別公開では、まず本殿内の後ろ側を拝観します。
かつて会議などに使われた「後戸(うしろど)」と呼ばれる部屋には、江戸時代の絵師・円山応挙(まるやまおうきょ)が2羽の鶏を描いた「番鶏図(ばんけいず)」の衝立てが置かれ、外陣(げじん)は、素戔嗚尊(すさのおのみこと)をはじめとした3柱の祭神を祀る内々陣の裏手に位置します。こちらから手を合わせました。
本殿内の拝観を終わり常磐殿(ときわでん)へ。
江戸前期の再建時に奉納された神宝(市指定文化財)を展示。
黄金で彩られた「冕冠(べんかん)」と「礼冠(らいかん)」。
蒔絵(まきえ)と螺鈿(らでん)で装飾した「靭」(ゆぎ、矢を入れる武具)や、祭神の履物として調えた「草鞋(そうかい)」なども展示。
特別拝観を終え、境内をまわります。
<透塀(すいべい)>
明治中期に建造されたものとされ、本殿の東側と神饌所を囲む塀です。檜皮葺の素朴造りで、唐草模様の上質な彫刻があしらわれています。
本殿の周りを回ってきました。
<美御前社(うつくしごぜんしゃ)>
天正19年(1591)建立
美御前社のまえに=美容水=
美御前社の脇より流れ出る清水で、肌に2、3滴付けることで身も心も美しくなるとされます。
<悪王子社>
神様には「和魂(にぎみたま)」と「荒魂(あらみたま)」という魂が存在していると考えられていて、こちらでは本殿に祀る素戔嗚尊(すさのをのみこと)の「荒魂」を祀っています。悪王子の「悪」とは「強い力」の意。厄除、災難除のご利益、諸願成就のご神徳があるといいます。
<大神宮社>
伊勢神宮内宮の神様である天照大御神(あまてらすおおみかみ)と、伊勢神宮外宮の神様である豊受大御神(とようけのおおみかみ)を祀り、身体健康のご利益があるといわれます。
<忠盛灯籠(ただもりとうろう)>
白河法皇が祇園女御のもとに赴こうとこの辺りを通った時に、前方に鬼のようなものが見えました。討伐を命じられた平忠盛は鬼の正体を見定めるために生け捕りにしたところ、灯籠に明かりを灯そうとしていた社僧でした。人々は忠盛の思慮深さと勇ましさを称え、この話は平家物語や日本外史にも記されています。
<御神水>
<舞殿(ぶでん)>
重要文化財
慶応2年に延焼し、明治7年に再建されたものです。
祇園祭りの際に三基の神輿が奉安されるほか、結婚式や奉納舞踊などが行われます。
花街の置屋や付近の料亭から奉納されたたくさんの提灯は、毎夜明かりが灯され幻想的な雰囲気を醸し出します。
<西楼門及び翼廊>
重要文化財
西楼門…明応6年(1497)建立、翼廊…大正14年(1925)建立。
四条通に面する八坂神社最古の建造物。応仁の乱により焼失し、明応6年(1497)に再建されました。大正2年(1913)に四条通の拡張にともない東に6メートル、北に3メートル移動し、大正14年(1925)に左右に翼廊を建て現在の姿となっています。
<南楼門>
入母屋造り。慶応2年に焼失、明治12年に再建された表参道に位置する正門になります。
<狛犬>
<狛犬(陶器製)>
<南手水舎>
神社にはほとんどの場合は複数の神様を祀っています。本殿に祀られている神様が主祭神。
境内にある祠(ほこら)=小さな社殿=を「摂社」あるいは「末社(まっしゃ)」と呼んでいます。
「摂社」は主祭神と関係の深い神様を祀っています。「末社」は主祭神とはあまり関係のない、客分の神様を祀っています。
説明文は公式サイトを参考にしました。