一般財団法人 三光丸クスリ資料館
薬草と配置薬のミュージアム
大和が日本の薬と医療の発展に果たした役割は、たいへん大きなものでした。古事記、日本書紀にも記された推古天皇の薬猟(くすりがり)や、修験者・役小角の薬草利用、奈良の寺院での薬づくりや薬草園整備、全国各地の人々に待たれた薬の配置販売など、いつもの時代でも、大和をおいて薬と薬草利用を語ることはできません。
三光丸クスリ資料館は、これら先人たちが残した薬草と配置薬のさまざまな知識と知恵を知ると共に、はるか元応年間から製造され、七百年にわたって暮らしのなかで愛され続けてきた三光丸を通じて、配置薬販売の歴史や実際を知ることのできるミュージアムです。薬草の実物や薬づくりの道具にふれたり、薬づくりを体験したり…、いろいろな角度から「大和の薬」を楽しめます。
三光丸は、鎌倉時代後期の元応年間(西暦1319~)には「紫微垣丸(しびえんがん)」という名で造られていました。その後、後醍醐天皇により「三光丸」と名付けられたといいます。
三光丸の「三光」は、日(じつ)・月(げつ)・星(せい)の光を意味しています。「星」は「金星」のようです。三光丸クスリ資料館所蔵の古い版木(江戸時代)によれば、越智家第11代の当主、越智家武(いえたけ)が北極星の神より霊験を得て「紫微垣丸」の製法を授かり、その後南北朝時代にいたって、後醍醐天皇より太陽・月・星の神から授かった秘方を意味する「三光丸」の名を賜ったとされています。
三光丸の当主米田家は、中世大和国で勢力をほこった豪族越智氏の流れをくむ家で、越智党内にあって興福寺や金峯山寺、多武峰、春日大社など有力寺社との折衝役をつとめるかたわら、医薬の道を一手に引き受けていました。南北朝時代、越智氏は後醍醐天皇の南朝方に味方しており、後醍醐天皇による“三光丸命名”が実話である可能性は高いと考えています。
自然の山野に自生する草根木皮の中には、薬物として効き目があるものがあります。
これらを生薬(しょうやく)と呼び、三光丸にはこのうちセンブリ、オウバク、ケイヒ、カンゾウの4種類が配合され、着色料として薬用炭が使用されています。
三光丸は、これら生薬の相互作用・相乗効果で、胃弱、食べすぎ、食欲不振、飲みすぎ、もたれ、胃部・腹部膨満感、胸やけ、胸つかえ、はきけ、嘔吐などの不快な症状を改善します。
<資料館入口>
<見学ルート>
まず、①~⑥へ。
[やうじょうや]
映像で、ミニ知識を。
[和漢薬のあゆみ]
[和漢薬歳時記、和漢薬百科]
[和漢薬曼陀羅]
色々な生薬を見ることが出来ます。
白澤は古代中国における想像上の神獣・霊獣で、ライオンに似た体に目が9個、角が6本という怪しげな姿をしており、人間の言葉を話し、様々な予言を行なうと言い伝えられてきました。目が多いのは「魔物の出現を見張る」「魔物を撃退する」ことを意味し、角が多いのは強さの象徴と考えられます。
日本では、白澤が災難や病魔から人々を守ってくれると信じられており、幕末期にコレラや疱瘡(ほうそう=天然痘)、はしか(麻疹)などの流行病(はやりやまい)が猛威を振るった際には、人々は競って白澤の絵を買い求め、病魔退散を祈ったといいます。
ひとつはガラスケースに収められていますが、もうひとつは自由に触ることができます。
白澤に触れて病気を吹き飛ばしてください。と・・・。
三光丸心の館へ。
<薬草の小径>
色々の薬草が植えられていますが、開花はもう少し・・・。
三光丸心の館に入ります。(⑦~⑪)
[先用後利のこころ]
配置薬(置き薬)とは。
今から300年以上も昔、富山と大和で生まれた薬の販売方法です。
家庭においてあり、必要な時に必要な分だけ使えるという、便利なシステム。
先に薬を使い、後で料金を支払う販売システムは、先用後利と呼ばれています。
クレジットでもなく、リースでもない販売方法は、相互の信頼関係に基づいた日本独特の商法。
薬を作る工程や、昔の道具(薬草をつぶす、風で不純物を飛ばす、計る・・・)を、見ることができます。
[薬づくり体験ができます]
[薬紙のたたみ方]
たたんでみました。
[三光丸ギャラリー]
相撲中継で、おなじみです。
三光丸心の館を出ます。
<収蔵庫展示>(⑫)
瓦にも「三」の文字。
頂いた資料の中に
裏を返すと
説明文は公式サイトを参考にしました。
<追記>
厄災退散の願いを込めた神や空想上の動物、神獣はいくつも存在します。
=アマビエ=
新型コロナウイルスの感染拡大で、厄災を払う妖怪として、今話題となっています。
厚生労働省が作成した新型コロナウイルス感染症拡大阻止を呼び掛けるアイコン。
アマビエをモチーフにしています。
江戸時代後期、弘化3年4月中旬(1846年)という記載の瓦版に類する刷り物に、絵と文とが記されています。
肥後国(現・熊本県)の夜ごとに海に光り物が起こったため、土地の役人がおもむいたところ、アマビエと名乗るものが出現し、役人に対して
「当年より6ヶ年の間は諸国で豊作がつづく。しかし同時に疫病が流行するから、私の姿を描き写した絵を人々に早々に見せよ。」
と予言めいたことを告げ、海の中へと帰って行ったとされます。
2019年に発生した新型コロナウイルス感染症は、2020年に入って世界的なパンデミックと化した。2月下旬には、日本でも、防疫対策として人の物理的交流も経済活動も大幅な自粛を余儀なくされた。イベントの休止や学校の休校措置なども始まり、「疫病退散にご利益があるというアマビエの力を借りよう」「コロナウイルス対策としてアマビエのイラストをみんなで描こう」との発想から妖怪掛け軸専門店「大蛇堂」が、アマビエ解説と共にイラストレーション作品をTwitterに投稿したところ、この考えに賛同した多くのTwitter利用者がハッシュタグ「アマビエ」「アマビエチャレンジ」「アマビエ祭り」などを付けてアマビエを自己流にアレンジした作品(イラスト、漫画、動画、ぬいぐるみ、あみぐるみ、刺繍、フィギュア、スタンプ、こいのぼり、その他小物など)を次々に投稿するという動きが起こりました。
護符やご朱印の印判にアマビエを用い始める仏教寺院や神社も日本各地で見られるようになったようです。(Wikipediaより)
村屋坐彌冨都比賣神社(むらやにいますみふつひめじんじゃ)のご朱印です。
2020年5月25日訪れた時に頂きました。
=白澤(はくたく)=
三光丸クスリ資料館にも展示されていた、白澤。
昭和57年の開山の「寶珠山 大観音寺」(三重県津市白山町)。
御本尊、純観世音菩薩は世界一の高さ33メートル。
音は耳で聞くものですが、観世音菩薩は人々の救いを求める声が聞こえたとき、瞬間にその現状を観察し、どのような危機に迫っているかを認識し、その危機を最善の方法で救済してくださるそうです。
そのお寺に・・・。
葛飾北斎も描いた神獣「白澤(はくたく)」は中国に伝わる厄災退散にご利益があると言い伝えられた伝説の神獣です。
神獣白澤像は、国内でも珍しく、コロナウイルスの終息を願って当寺にお参りに来られる人が徐々に増えてきていますとのことです。(公式サイトより)
=件(くだん)=
人と牛とが一体になった姿の妖怪で、生まれてすぐに予言を行い、数日のうちに死ぬという。
明治時代に現れた時には日露戦争を予言し、昭和の太平洋戦争時には終戦を予言したという。世情が不安定になると、顔を出す妖怪です。
くだんの最古の例は天保7年(1836年)の日付のある瓦版に報道されたもの。
「天保7年の12月丹後国・倉橋山で人面牛身の怪物『件』が現れた」と言う。この瓦版には、「宝永2年(1705年)12月にも件が現れ、その後豊作が続いた。この件の絵を貼っておけば、家内繁昌し疫病から逃れ、一切の災いを逃れて大豊年となる。じつにめでたい獣である」とも書かれているようです。また、「件は正直な獣であるから、証文の末尾にも『件の如し』と書くのだ」ともあり、この説が天保の頃すでに流布していたことを示しています。(Wikipediaより)
姫路城の隣接の「兵庫県立歴史博物館」で開催の特別展「驚異と怪異 ―モンスターたちは告げる―」では、江戸中期に「当面災いが起こるが、自分の絵姿を見た者は災いから逃れられる」と予言して死んだ件の話が紹介され、「件の剝製」(個人蔵)が展示されていたそうです。
(2020年7月の記事より)
水木しげるロード(鳥取県境港市にある商店街)に設置されている「くだん」のブロンズ像
(Wikipediaより)
<一人ひとりができる新型コロナウイルス感染症対策>
感染経路の中心は飛沫感染及び接触感染です。人と人との距離をとること(Social distancing; 社会的距離)、外出時はマスクを着用する、家の中でも咳エチケットを心がける、さらに家やオフィスの換気を十分にする、十分な睡眠などで自己の健康管理をしっかりする等で、自己のみならず、他人への感染を回避するとともに、他人に感染させないように徹底することが必要です。
また、閉鎖空間において近距離で多くの人と会話する等の一定の環境下であれば、咳やくしゃみ等の症状がなくても感染を拡大させるリスクがあるとされています。無症状の者からの感染の可能性も指摘されており、油断は禁物です。
これらの状況を踏まえ、「3つの密(密閉・密集・密接)」の回避、マスクの着用、石けんによる手洗いや手指消毒用アルコールによる消毒や咳エチケットの励行などをお願いします。(厚生労働省サイトより)