【折々の花だより】

”季節の花だより”
花たちとの出会いを楽しんでます

熱田神宮

2019-09-30 | デジカメ紀行
神と人 千古の杜に仰ぎみる悠遠のとき
都会の中、深閑としずまる熱田神宮。古くより格別に尊いお宮として篤い崇敬を集めてきました。
熱田神宮の創祀は、三種の神器の一つ草薙神剣(くさなぎのみつるぎ)の御鎮座に始まります。今からおよそ1900年前になります。

第12代景行天皇の御代に、日本武尊(やまとたけるのみこと)は神剣を今の名古屋市緑区大高町火上山に留め置かれたまま三重県亀山市能褒野(のぼの)でなくなりました。尊のお妃である宮簀媛命(みやすひめのみこと)は、神剣をここ熱田の地にお祀りになり、伊勢の神宮につぐ格別に尊いお宮として篤い崇敬をあつめ、国家鎮護の神宮として特別の取り扱いを受けています。

境内は、昔から雲見山・蓬莱島の名で知られ、面積約19万平方メートル(約6万坪)、飛地境内地をあわせると約29万平方メートル(約9万坪)にのぼります。
神苑の樹木はクス・ケヤキ・カシ・シイ・ムク・イチョウ・クロガネモチ等が育ち、クスは巨木が多く、樹令千年前後と推定されるものが数本あります。
境内外には本宮・別宮外43社が祀られています。

9月20日訪れました。



境内に入ると鶏の元気な鳴き声が、聞こえてきました。

また、境内の色々な所で、注意の看板が目に入ります。



いました。うろうろ・・・。

  


東門方面



西門



南門方面


南門


南門近くに

別宮八剣宮(べつぐうはっけんぐう)

元明天皇和銅元年(708)9月9日に勅命により神剣をつくり、境内に社を建てて祀ったことが創祀。
建築様式をはじめ、年間の祭典・神事に至るまで全て本宮に準じて執り行われます。


上知我麻神社(かみちかまじんじゃ)

商売繁盛・家内安全を願う(初えびす)。
知恵の文殊様として合格祈願の絵馬奉納など篤く信仰されています。

上知我麻神社の両脇に、大国主社(おおくにぬししゃ・大黒様)、事代主社(ことしろぬししゃ・恵比須様)がお祀りされています。
毎年1月5日はこの両社の祭「初えびす」があり、商売繁盛・家内安全を願う人々でにぎわいます。

参道に戻ります。

本殿方面



南新宮社(みなみしんぐうしゃ)



疫病退散を願う「京都祇園まつり」で有名な八坂神社のご祭神と同じ素盞嗚尊(すさのおのみこと)を
お祀りし、6月5日を祭日として南新宮社祭を行っています。
唯一の丹塗りの社殿です。

灯篭



孫若御子神社(ひこわかみこじんじゃ)



尾張氏の祖とされる天火明命(あまのほあかりのみこと)をお祀りしています。


大楠(おおくす)

弘法大師のお手植えと伝えられ、特に巨大なものがあったので、七本楠と言われています。
樹齢、約千年。


築地塀(ついじべい)

永禄3年(1560)織田信長が桶狭間出陣の時、当神宮に必勝祈願をしてみごと大勝したので、
そのお礼として奉納した塀です。
土と石灰を油で練り固め瓦を厚く積み重ねたもので、兵庫西宮(にしのみや)神社の大練塀、
京都三十三間堂の太閤塀とともに日本三大土塀の一つ。


二十五丁橋(にじゅうごちょうばし)

尾張名所図会(おわりめいしょずえ)や名古屋甚句(なごやじんく)で名高く、板石が25枚並んでいる
ところからこの名がついており、名古屋では最古の石橋といわれています。

名古屋甚句の中には西行法師(さいぎょうほうし)が、これほど涼しい宮を誰が熱田と名をつけた、というユーモラスな唄があります。
「ア~ 宮の熱田の二十五丁橋で エ~  ア~ 西行法師が腰をかけ 東西南北見渡してこれほど涼しいこの宮を たれが熱田と ヨ~ ホ ホ ア~アア 名をつけたエ~トコドッコイ ドッコイショ」


徹社(とおすのやしろ)

天照大神の和魂(にぎみたま)を御祭神にお祀りしています。
神様には荒魂(あらみたま)と和魂の両面があるとされ、
和魂は慈しみ加護してくださる神とされます。

本殿が見えてきました。



本殿右手に見えている建物は授与所(じゅよしょ)です。




本宮社殿の構造は、尾張造という特殊な様式でしたが、明治26年から現在のような神明造に改められました。昭和10年と昭和30年に造営が行われ、平成21年には創祀千九百年を記念した造営が行われました。

明治26年までは尾張造りの社殿でしたが、三種の神器奉斎の社であることから伊勢の神宮とほぼ同様の社殿配置・規模の神明造りに改造されました。
昭和20年3月・5月と、2回の戦災を受けましたが、昭和30年10月に造替されました。

拝所は外玉垣御門(とのたまがきごもん)の前で、この御門と四尋殿(よじんでん)を併せ拝殿と称し、東西翼廊を付設しています。
その拝殿から御垣内を見ると、一番奥に最も高く千木(ちぎ)・勝男木(かつおぎ)の見える社殿が「本殿」で、熱田大神はここに鎮まります。拝殿から順に「外玉垣」「内玉垣」「瑞垣(みずがき)」の垣があり、垣の各南正面には御門があります。内玉垣と外玉垣との間の広場を「中重(なかのえ)」といい、正面中程に立っている鳥居を中重の鳥居といいます。

本殿の横にあるのは

祈祷殿、長床(きとうでん・ながとこ)

祈祷殿(きとうでん) 車祓いが受けられます。
長床(ながとこ) 熱田大神に祈りを捧げる特別な参拝場所です。


眼鏡の碑

玉祖命(櫛明玉命)を祖神として崇拝する名古屋眼鏡商業協同組合によって
昭和57年に奉納された銅像、眼鏡業に因んで縄文時代の眼鏡(遮光器)を付けているとされる
遮光器土偶の姿をモチーフにしているんだそうです。


説明文は公式サイトを参考にしました。


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サボテンの花

2019-09-22 | 花だより
前回、2016年8月に咲いたハシラサボテン。

開花後、胴切りをして、挿し木をしておきました。

背丈を超えるほどに成長し、そのうちの一本から、一輪、8月6日に開花しました。

一夜限りの花です。








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マキノピックランド

2019-09-18 | デジカメ紀行
マキノピックランド
旬の果物狩りが楽しめる農業公園、3つのゾーンから構成されています。

<果樹園ゾーン>
初夏のサクランボ、ブルーベリー、ぶどう、くり、さつまいも、りんごと旬の果物の収穫体験ができます。

<沿道修景ゾーン>
果樹園を一直線に抜けるメタセコイア並木は、平成6年、読売新聞社が選定する「新・日本街路樹百景」にも選ばれています。


メタセコイア並木は、延長2.4kmにわたって約500本のメタセコイヤが植えられています。
遠景には野坂山地の山々、マキノ高原へのアプローチ道・・・。













昭和56年に学童農園「マキノ土に学ぶ里」整備事業の一環としてマキノ町果樹生産組合が植えたのが始まりです。組合関係者をはじめとする地域の人々の手により慈しまれ、育まれて、その後さらに県道も協調して植栽され、延長が伸ばされたことから、現在の姿となったそうです。

メタセコイアは、中国原産、スギ科メタセコイア属の落葉高木で、和名はアケボノスギ。
最大樹高が約115mにも及ぶといわれるセコイアに姿が似ていることから、メタ(変形した)セコイアと名づけられています。
春の芽吹き・新緑、夏の深緑、秋の紅葉、冬の裸樹・雪花と四季折々に訪れる人々を魅了しています。

平成16年に韓流ブームの発端となった「冬のソナタ」。マキノ高原のメタセコイアの並木道が全国的に知られるようになったのは「冬のソナタ」がきっかけ。オープニングシーンや各場面に登場したメタセコイアの並木道に、ここマキノ高原のメタセコイアの並木道が似ていると、注目を浴び始めるようになったようです。

秋にはこんなふうに・・・

琵琶湖高島観光ガイドさんの写真をお借りしました。


<パークゾーン>
施設を総合的に管理するセンターハウス、グラウンドゴルフ場、バーベキューテラスを備えたレストラン、芝生広場などが整備されています。

「並木カフェ メタセコイア」では、四季折々のメタセコイア並木の景色と旬のフルーツを使ったスイーツが楽しめます。



7月29日撮影。
説明文は、琵琶湖高島観光ガイド、公式サイトを参考にしました。

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元伊勢三社(皇大神社、豊受大神社、天岩戸神社)

2019-09-07 | デジカメ紀行
京都の自然200選 元伊勢三社(皇大神社、豊受大神社、天岩戸神社)
元伊勢神宮(もといせじんぐう)とは、伊勢神宮が伊勢の現在地に着座するまでに遷座した時に各地に分祀して残された元伊勢と云われる神社群。
丹波国(後に丹後国、現京都府福知山市大江町)に着座した皇大神社と豊受大神社はそれぞれ元内宮と元外宮と伝わり、大江町の二社を総称して元伊勢神宮ということがあります。
また、同地内の岩戸山という異称を持つ日室ヶ嶽の麓には天岩戸神社があって、これらで元伊勢三社とも言います。
ご利益は、家内安全と交通安全。

まずは外宮、元伊勢三社の一つ、豊受大神社へ。

元々は丹後地方の祖神。
古の時代、丹後には強大な王国がり、崇神天皇の時代、天照皇大神が巡行した時、真っ先に立ち寄ったのが豊受大神のもとだったといいます。豊受大神宮(伊勢神宮外宮)の元宮と伝承される神社です。

参拝順路


参道の階段を上がると
鳥居

黒木鳥居といい、皮を剥がずに原木をそのまま使用した原始的な手法のもの。
黒木の鳥居は全国でここと京都嵯峨野の野々宮神社以外には例がないそうです。




手水舎


鳥居をくぐり右に進むと、見えてきました。

右手に


左手には


境内に入ります。
社殿は、神明造り。

本殿


本殿の両側に
 


本殿を囲むように4所別宮があり、末社が37あります。

お参りをしながら、ぐるっとまわります。

本殿の後ろのほうへ・・・。



付近に

左側が龍燈の杉、右側が龍登の桧。





末社が続きます。















続いて皇大神社へ向かいます。







鳥居をくぐると、見えてきます。



天皇神道授与所・社務所


杉の巨木に覆われた参道、階段を登って行きます。



階段の上に見えているのが麻呂子スギ。





参道を左手にそれると。

御門神社


金のなる石




参道に戻りさらに階段を上がって行きます。



手水舎





皇大神社説明



ここにも木の鳥居が。


鳥居をくぐると、正面に拝殿がみえます。



その横には「龍灯の杉」と呼ばれる樹齢4000年と言われる御神木。






拝殿、本殿(祭神は天照皇大神)


本殿の左右には摂社があり、本殿をコの字に囲むように83の末社があります。

拝殿の右隣に天手力雄社(あめのたぢからおのみことしゃ)


拝殿の左隣に栲機千千姫社(たくはたちぢひめのみことしゃ)


ずらりと末社がならんでいます。





御若叡の森(みわかえのもり)



さざれ石







「豊かな自然環境が太古から保全されている元伊勢内宮の地にふさわしく、環境保全におよせになる大御心を詠まれた、平成八年歌会始(御題・苗)の御製を謹刻したものです」とのこと。







本堂裏手にやってきました。









天皇神道・岩長姫命社





和泉式部歌塚



写真は、6月19日のものです。

説明文は、一般社団法人 京都府北部地域連携都市圏振興社(海の京都DMO)サイト
公式サイト、Wikipedia、を参考にしました。



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