奈良県大和郡山市にある<松尾寺>
養老2年(718)、天武天皇の皇子舎人親王が、勅命による日本書紀編纂の折、42歳の厄年であったため、日本書紀の無事完成と厄除けの願をかけて建立された日本最古の厄除霊場です。
親王が松尾山に参詣修行し、ご祈願の養老2年2月初めの午の日、東の山に紫の雲たなびき(瑞雲)、千手千眼観世音菩薩が天降りご出現なされたという「松尾山縁起」により、国運隆昌・国体安穏を祈祷する勅願寺として、歴代皇室の御叡信厚く、後水尾天皇も御持仏の如意輪観音を下された由緒ある寺です。
日本で最大の役行者像と前鬼像・後鬼像等が特別公開されるというので、9月4日に訪れました。
左手は車一台が通れるくらいのスロープになっています。
108段あるという石段を上がって行きます。
右手に
振り返ってみると。
中世の真言宗本堂の典型的なもので、入母屋造り本瓦葺。
本尊の厄除け観音、千の手、千の目を持つ千手千眼観世音菩薩は、図り知ることの出来ない広大な慈悲の力を備え、殊に霊験あらたかと伝わります。年に一度11月3日に開扉されます。
内陣では、毎日厄除のご祈祷が行われ、厄年をはじめすべてのやくよけのご祈祷が厳修されます。
右手には横からの本堂
左手には本坊への門、階段が見えます。
<本坊表門>
切妻屋根本瓦葺。両袖築地塀。
<鐘楼>
古来「厄除の鐘」として知られ、年中自由に撞くことが出来ます。
本堂背後の磐座(いわくら)。
窟も見られる大岩は修験の山だった様相を残します。
この大岩を巡って、西国三十三所松尾山石仏観音(ミニ霊場)があります。
手前にあるのは
毎年2月のはつうま厄除大祭、3月の初午厄除祭と9月第1日曜日には、この護摩壇で修験道の法流により、厄除開運、交通安全、家内安全、諸願成就を祈り、柴燈大護摩が奉修されます。
と言う事でここから参拝します。
承和2年(835)創建(寺伝)。
明治の再建説もありますが、鬼瓦に正徳3年(1713)の銘があり、旧材も一部に再用されています。
後水尾天皇持仏であった如意輪観世音菩薩が寄進され、祀られています。
三重塔から左手に行者堂、阿弥陀堂、七福神堂と続きます。
毎日曜日に世界平和と諸願成就を祈願して堂内で護摩を奉修。
毎年9月1日~7日の修験道まつり期間に、日本で最大の役行者像と前鬼像・後鬼像・役行者母公像・役行者小角像(円空作)、当山派修験道古記録1300余点(写し)が特別公開されます。
行者堂、七福神堂の間に並び東面する入母屋造り本瓦葺の小堂で、江戸中期頃に建てられました。
阿弥陀如来と観音菩薩・勢至菩薩を祀り、各種回向(先祖回向・水子供養ほか)が行われます。
最古型の大黒天(重文)をはじめ、七福の神々を祀り、多くの福を授かっていただいています。
今、大和松尾寺では「染筆『厄攘』みんなで書こう百萬枚」のイベントを継続中です。
「三重宝塔(百萬塔)に皆様の染筆を納めていきます」
厄攘とは厄を盗むこと。大和松尾寺は、皆様の厄を盗む日本最古の厄除霊場です。「百萬枚 厄を盗んでくれるから みんなで書こう厄攘の二字」。拙歌です。
お参りを済ませ、スロープから下りて行くことに。
養老2年(718)、天武天皇の皇子舎人親王が、勅命による日本書紀編纂の折、42歳の厄年であったため、日本書紀の無事完成と厄除けの願をかけて建立された日本最古の厄除霊場です。
親王が松尾山に参詣修行し、ご祈願の養老2年2月初めの午の日、東の山に紫の雲たなびき(瑞雲)、千手千眼観世音菩薩が天降りご出現なされたという「松尾山縁起」により、国運隆昌・国体安穏を祈祷する勅願寺として、歴代皇室の御叡信厚く、後水尾天皇も御持仏の如意輪観音を下された由緒ある寺です。
日本で最大の役行者像と前鬼像・後鬼像等が特別公開されるというので、9月4日に訪れました。
左手は車一台が通れるくらいのスロープになっています。
108段あるという石段を上がって行きます。
右手に
<霊泉>
<句碑>
<句碑>
振り返ってみると。
<本堂>
中世の真言宗本堂の典型的なもので、入母屋造り本瓦葺。
本尊の厄除け観音、千の手、千の目を持つ千手千眼観世音菩薩は、図り知ることの出来ない広大な慈悲の力を備え、殊に霊験あらたかと伝わります。年に一度11月3日に開扉されます。
内陣では、毎日厄除のご祈祷が行われ、厄年をはじめすべてのやくよけのご祈祷が厳修されます。
<手水舎>
<境内>
右手には横からの本堂
左手には本坊への門、階段が見えます。
<本坊表門>
切妻屋根本瓦葺。両袖築地塀。
<鐘楼>
古来「厄除の鐘」として知られ、年中自由に撞くことが出来ます。
<神霊石の大岩>
本堂背後の磐座(いわくら)。
窟も見られる大岩は修験の山だった様相を残します。
この大岩を巡って、西国三十三所松尾山石仏観音(ミニ霊場)があります。
手前にあるのは
<護摩壇>
毎年2月のはつうま厄除大祭、3月の初午厄除祭と9月第1日曜日には、この護摩壇で修験道の法流により、厄除開運、交通安全、家内安全、諸願成就を祈り、柴燈大護摩が奉修されます。
と言う事でここから参拝します。
<三重塔>
承和2年(835)創建(寺伝)。
明治の再建説もありますが、鬼瓦に正徳3年(1713)の銘があり、旧材も一部に再用されています。
後水尾天皇持仏であった如意輪観世音菩薩が寄進され、祀られています。
三重塔から左手に行者堂、阿弥陀堂、七福神堂と続きます。
<行者堂>
毎日曜日に世界平和と諸願成就を祈願して堂内で護摩を奉修。
毎年9月1日~7日の修験道まつり期間に、日本で最大の役行者像と前鬼像・後鬼像・役行者母公像・役行者小角像(円空作)、当山派修験道古記録1300余点(写し)が特別公開されます。
役行者像
前鬼像 後鬼像
(撮影不可なので、ホームページより)
前鬼像 後鬼像
(撮影不可なので、ホームページより)
<阿弥陀堂>
行者堂、七福神堂の間に並び東面する入母屋造り本瓦葺の小堂で、江戸中期頃に建てられました。
阿弥陀如来と観音菩薩・勢至菩薩を祀り、各種回向(先祖回向・水子供養ほか)が行われます。
<七福神堂(本坊側から)>
最古型の大黒天(重文)をはじめ、七福の神々を祀り、多くの福を授かっていただいています。
<本坊>
今、大和松尾寺では「染筆『厄攘』みんなで書こう百萬枚」のイベントを継続中です。
「三重宝塔(百萬塔)に皆様の染筆を納めていきます」
厄攘とは厄を盗むこと。大和松尾寺は、皆様の厄を盗む日本最古の厄除霊場です。「百萬枚 厄を盗んでくれるから みんなで書こう厄攘の二字」。拙歌です。
お参りを済ませ、スロープから下りて行くことに。
説明文は公式サイトを参考にしました。