【折々の花だより】

”季節の花だより”
花たちとの出会いを楽しんでます

流れ橋~石田神社

2014-08-25 | デジカメ紀行
8月11日、一号線を京都から奈良への帰路、第二京阪道(久御山南ICをこえ)と並行に走る辺りで、「流れ橋」のほうを見ると、いつもと違う景色が目に飛び込んできました。気になって寄ってみました。

「流れ橋」
正式名は府道八幡城陽線上津屋橋(こうづやばし)。「流れ橋」と呼ばれています。
全長は356m、幅3m、木橋としては日本最長級だそうです。府営の渡船場がありましたが、昭和26年(1951)3月に渡し船が廃止され、橋が架けられました。永久橋だと経費がかかるため、節約型の木橋となったのだとか。
橋は、増水時の水の抵抗を減らすため、橋板にまで水が達すると橋板だけがフワッと浮き上がり、8つに分かれて流れます。この橋板はワイヤーロープで橋脚としっかり結ばれているため、水が引けば、このロープをたぐり寄せて橋脚に載せれば、再び通行できるようになるんだそうです。

昭和41年(1966)、枚方バイパス(現国道1号)にかかる木津川大橋の完成により、流れ橋の実用的な価値は減ったものの、木津川堤防のサイクリングロードとともに、近隣の人々の格好の憩いの場となっています。また、自然の風景に溶け込んだ橋は、よく時代劇のロケーションに利用され、河川敷に広がる茶畑と相まって、詩的な風情をかもしだしています。(八幡市観光協会サイトより)

暴れん坊将軍も水戸黄門も中村主税も通ったようです。

近所の方でしょうか「今年の4月に通れるようになったところやのに・・・。」「向こうの方の脚はコンクリートになっているよ。」等と、教えていただきました。(大洪水の際は 橋の全壊は避けられますが、橋脚もかな りの損傷を受けるので、城陽市側の17基は昭和40年代にコンクリート製となったようです。56基は木製。)
流れ橋の流出はこれで21回目、2011年から4年連続となります。昨年9月、台風18号による増水で流され、総工費3600万円をかけて今年4月に復旧したばかり。管理する府山城北土木事務所によると、詳しい被害状況調査はこれからですが、橋脚にワイヤでつながれている橋げたや橋板はすべて回収できそうだそうです。

四季彩館

やわた流れ橋交流プラザ 四季彩館
そば打ちやパンづくりなどの体験講座、食事処、お買いもの、宿泊や入浴施設等があります。
ここに車を停めて「ながれ橋」へ向かいます。

宇治茶の郷石碑

四季彩館の庭に建てられています。

ながればし石碑


土手

庭を通り抜けると見えてきます。大阪湾まで42キロの表示がありました。

サイクリング道路

土手は「京都八幡木津自転車道」。
京都の嵐山(渡月橋)から、京都府相楽郡木津町の泉大橋までの間につくられた自転車・歩行者専用道路です。
片道45km。

茶畑より

「宇治茶の郷」の石碑があったように、この辺りは茶畑でした。

茶葉

お茶の木は被害はなさそうでしたが、横の方の畑に植えられていた「かぼちゃ」等は泥をかぶったようでした。

流れ橋1

通行止めの立て看板が。

流れ橋2


流れ橋3


流れ橋4


流れ橋5

8月11日の様子です。
初めてま近かに見た「流れ橋」がこう言う形になってしまい、残念です。
通れるようになったら是非渡ってみたいと思います。

アカツメグサ


シナダレスズメガヤ

堤防(茶畑付近)で見られました。

コリウス

近くの住宅のコンクリートの塀から出ていました。強い!。


流れ橋を後にして、駐車場へ戻る途中、「石田神社」へ寄ることに。

石田神社
『山城綴喜郡誌』によれば、大宝2年(702)当地に鎮座、文治4年(1188)源頼朝により神事料として土地の寄進をうけたとあります。
以前は牛頭(ごす)天王社と称され、明治になり石田神社と改称。現在、祭神は建速須佐之雄命。境内は、堀状の水路が周囲をかこみ、木々が茂る鎮守の森の様子をよくとどめています。又、当神社に伝わる1200点以上の古文書類は、神社及び上津屋地区の歴史を語る貴重な資料だそう。
本殿は、嘉永4年(1851)造営(「伊佐家文書」)の比較的大きな一間社の流造で、木津川の水害を意識してか、一段高い石垣の上に建っています。拝殿も同時期のもので、享保20年(1735)再建時に葺いた刻銘入り鬼瓦を屋根にのせているそうです。
本市内で廃仏毀釈にもかかわらず、神仏混淆の宮寺の跡をとどめるのは、ここ石田神社だけだそうで、これら建物群をはじめ古文書に至るまで大切に保存されたのは、上津屋村の氏子中の強い結束と努力のたまものであろうと評されています。(八幡市観光協会サイトより)

石田神社鳥居




境内を囲む水路でしょうか・・・。

御神木

モチの木です。
台風の影響なのか、鳥居や御神木のしめ縄についていた紙垂(しで)は庭に散らばっていました。

手水舎


本殿

石組のうえに建っています。

拝殿

右に口を開いた「阿形(あぎょう)」、左に口を閉じた「吽形(んぎょう)」が守っています。

伏拝所

天照皇大神伏拝所です。

若宮神社

摂社です。
天之忍穂耳命(あまのおしほみみのみこと)
活津日子根命(いけつひこねのみこと)
天之菩日命(あめのぼひのみこと)
熊野久須日命(くまのひ さすひのみこと)
天津日子根命(あまつひこねのみこと)
市寸嶋毘売命(いちきしまひめのみこと)
田露毘古命(たつゆひこのみこと)
於岐津毘根命(おきつ ひねのみこと)
祀られているそうです。

香取神社


太神宮社

末社です。

広場

ながれ橋交流プラザのあるこの辺りは、都々城小学校の跡地だったようです。

二宮尊徳像

元は都々城小学校にあったものをここに移転されたようです。最近はあまり見かけなくなりましたねぇ。

小学校跡碑


その他、慰霊碑(日清戦争、日露戦争、アジア・太平洋戦争での都々城地区戦没者名がきざまれています。)や、日露戦役記念碑(裏には「従軍芳名録」として日露戦争の都々城地区での戦死者名と凱旋軍人名とがきざまれています。)が建っていました。

消防器具庫

広場の前にある消防器具庫のシャッターにも「流れ橋」の絵が描かれていました。

マンホール

亀甲模様に市章。
市章は、町村合併10周年を記念し、公募で制定。
周囲の竹は、伸びゆく若い力と困難に打ち勝つ根強さを、
中央の2羽の鳩は、八幡市の頭 文字である「八」をかたちどり、
平和と友愛の精神を表現しているそうです。



  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

氷室神社しらゆき祭:奈良市奈良公園

2014-08-20 | デジカメ紀行
日本書紀は、奈良には氷を愛する神さまがいると伝える

全国各地のかき氷の人気店が、氷の故郷(ふるさと)に集結!
氷室神社におまつりされている三神はいにしえの頃から氷を大切にしてきました。
千年以上氷とご縁を結んできた氷室神社。

我々は全国のかき氷店がこの氷室神社に注目しご縁がここから拡がっていくこと、
そして誇るべき日本の食文化であるかき氷の発展と氷室神社の繁栄を祈念し、
ひむろしらゆき祭を開催いたします。

出店舗
しもきた茶苑大山
氷屋 川久
おちゃのこ
日本茶カフェ 一日 ひとひ
デルベア
鶴屋徳満 × 絵図屋
プティ・マルシェ&ぷちまるカフェ~

8月8日(金)~9日(土) 16:00~21:00 ひむろしらゆき祭実行委員会


台風11号が近づいていましたが、9日、雨の止み間に出かけてきました。

ひむろしらゆき祭、提灯

入り口鳥居の前にあった提灯です。

由来(パンフレットより)


本殿


祭神は 闘鶏稲置大山主命(ツゲノイナギオオヤマヌシノミコト)
大鷦鷯命 (オオササギノミコト)
額田大仲彦命(ヌカタノオオナカツヒコノミコト)

献氷(パンフレットより)


献氷祭は全国各地から製氷・販売業者が参列し今年の業績成就を祈願する祭りとなり、業界繁忙な6月を避けて5月1日に行われています。
鯛(海の幸の代表)や鯉(里の幸の代表)を封じ込めた高さ1メートルほどの二基の大型氷柱や花氷の奉納をはじめ、かち割り氷の頒布、舞楽奉納などの神賑行事が行われます。

演奏

本殿前の舞殿(ぶでん、拝殿)で行われていました。
「アイリッシュブズーキ」プレーヤーの貴瀬 修(きせおさむ)さんの音楽奉納です。

氷室神社は、江戸時代に朝廷や幕府の行事に参勤した三方楽所(さんぽうがくしょ)のひとつ南都方(なんとがた)の楽人が拠点とした神社で、神主も楽人が勤めていました。ここでは楽人による舞楽(ぶがく)奉納を中心とする祭りが行われてきました。この拝殿は舞楽を上演するための舞台です。 奈良市指定文化財 。

ギリシャの民族楽器ブズーキは、イタリアのマンドリンの棹を長くしたような弦楽器です。
1960年代、アイルランドで流行し、改良されアイリッシュ・ブズーキが生まれました。長い歴史を持つギリシャのブズーキに比べ、アイリッシュ・ブズーキは歴史が浅く奏者の工夫により様々なスタイルで演奏されているようです。音色は繊細でどちらかと言うと存在感の希薄な音ですが、メイン楽器の音を鮮やかに彩る、独特の響きがあります。私はアイルランドの伝統音楽の伴奏でこの楽器を学びましたが、現在は違うジャンルのミュージシャンとのセッションや伴奏を通して勉強を重ね、独奏にもチャレンジしております。(貴瀬修サイトより)

派手さはないですが、心に響く音色です。静かにじっくり聞きたい音楽でした。

かきごおり

どれを食べようか迷います。

灯1

灯2


氷献灯、点火中です。暗くなれば綺麗でしょうね。
灯2の後方に見えるのが四脚門(県指定文化財)です。鳥居から四脚門に続く階段に置かれていた、氷献灯です。

門の前に、シダレザクラが見えています。
氷室神社のシダレザクラは、奈良一番桜ともいわれ早咲きで有名。例年、二月堂のお水取りが終わった3月中旬頃から開花します。周辺には東大寺や興福寺、奈良国立博物館などがあります。氷室神社の主祭神は奈良の東山一帯の山の神様で、この桜は山の神が奈良の町に本格的な春を告げるしるべとして親しまれています。(全国お花見1000景より)

鹿

奈良と言えば、はずせません(笑)。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

大仏さまお身ぬぐい

2014-08-11 | デジカメ紀行
平成26年8月7日(木)
ガイドと巡る ひと味違った古都奈良 東大寺『大仏さまのお身ぬぐい』
真夏の早朝、白装束の200名ほどの僧侶らによるお身ぬぐい。あなたもご一緒に清々しい気分で参拝されませんか。

コース : 大仏殿(拝観)~講堂跡~大仏池~転害門~子規の庭~西大門跡界隈~県庁屋上(解散11時頃)

なら観光ボランティアガイドの会(朱雀)の案内です。

奈良県庁

集合、受付は奈良県庁前7時。

大仏殿


大仏殿は正面の幅(東西)57.5メートル、奥行50.5メートル、棟までの高さ49.1メートル。国宝に指定。
拝観は7時半からという事でしたが、〇〇ツアーの団体の方々を始め、おおぜいの方がいらっしゃったようです。

現存の大仏は像の高さ約14.7メートル、基壇の周囲70メートルで、頭部は江戸時代、体部は大部分が鎌倉時代の補修ですが、台座、右の脇腹、両腕から垂れ下がる袖、大腿部などに一部建立当時の天平時代の部分も残っているんだとか。
午前7時、筒井寛昭(かんしょう)別当らが読経して大仏の魂を抜く法要を営んでから作業を開始。湯屋で身を清め、白装束に身を包んだ僧侶や信者ら約160 人がはたきをかけたり、磨いたりされます。
堂内に入った時には、すでに作業がはじまっていたそうです。

正面


右方


左方


後ろ側


頭部


手のひらに・・・


天井からロープでゴンドラのような物に乗って・・・、手のひらの上で・・・、頭部の上で螺髪磨き・・・、手分けして「お身ぬぐい」です。

道具

「はたき」などの道具です。




大仏殿の内部、奈良の大仏に向かって右の柱には四角い穴があいています。これは、奈良の大仏の鼻の穴と同じ大きさ(30cm×37cmで、柱の直径は120cm)になっていて、この穴をくぐると無病息災のご利益があると言われています。が、ご利益のために開けられたものではなく、この柱の方角が鬼門に当たるため、柱に穴を開けて、邪気が穴を通って抜け出すようにしたようです。
子供は難なく抜けられますが、大人はチョット厳しいようです。外国の観光客の方に人気があるんだとか。

県庁屋上から(クリックで拡大します)



県庁屋上広場からは、奈良盆地の景観が一望のもとに眺められます。緑化され、ベンチが置かれた憩いの空間です。
若草山方面です。

「大仏さまお身ぬぐい」写真は、(祇園祭に引き続き)主人の撮影によるものです、朝早いので私は参加できませんでした。
珍しいのでご覧いただけたら・・・っと思って。



  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

夏の絵手紙

2014-08-09 | 絵手紙

夏の絵手紙です。

あんみつ

ガラスの容器に入れて描きます。
ガラスの中に見えているものは、墨、色づけとも薄くします。
さっさと描いて、おやつタイムに・・・。

うちわ

間に「お香」を入れてあるので、ほんのりいい香りがします。

浴衣


浴衣裏側


折り紙の絵手紙です。
「袖」の部分は三つ折りにしてあるので、ひろげて、ここに「手紙」を書きます。

「何ミリ折るの?」「えーっ・・・」「どっちでした?」と賑やかな時間でした。ミニ工作ありの、楽しい教室です。

我が家の庭に咲く猩々草
猩々草

毎年こぼれ種で増え続けています。

猩々草(白)

折れた枝を、花瓶に挿しておいたら、白く色づきました。強いんですね。

サボテン

8月5日に気が付きました。長さ10㌢ほどです。
うまく開花してくれるでしょうか?。
昨年に続き二回目の「花芽?」です。

立秋も過ぎましたが、暑さはこれからですね。暑さ対策何かされてますか?。
今日は、台風の進路が気になりますね。⇒奈良市内


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

松伯美術館

2014-08-09 | 花だより
松伯美術館
日本画家の上村松篁・上村淳之から寄贈された作品をコレクションの基礎にして、近畿日本鉄道(近鉄)が中心となって設立した美術館である。上村松園、松篁・淳之の作品などの収集・保管・展示を目的としている。美術館は近鉄の名誉会長であった、佐伯勇の邸宅敷地に建設された。(ウィキペディアより)

8月1日、「鳥と語る 上村淳之展」行ってきました。
いつも、車を停めて、そのまま館内へ入ってしまうので、正面から見ることが無かったんですが・・・。

碑1


碑 2

門の右側に、上村松篁さん筆の碑が、建てられています。

春雨のしくしくふるに 高まどの 山の桜はいかにあるらむ 松篁 (万葉集 河邊東人)

山吹の 咲きたる野辺のつぼ寿み礼 この春の雨にさかりなりけれ 松篁 (万葉集 高田女王)


奈良市「万葉ゆかりの地をたずねて ~万葉歌碑めぐり~」に・・・
< 松伯美術館の入口付近に建てられたこれら2首の歌碑は、90有余歳の画家であるの絶筆ともいえる書です。絵を描くイメージ創りのための万葉歌の色紙であったのでしょうか、いずれも高円山の桜、野のすみれなど花の歌です。
万葉集巻8は四季それぞれに分類されていて、この2首は春の雑歌の部。天平年間後半の歌と思われます。
「春雨がしとしとと降り続いているが、今頃高円山あたりの桜はどんなでしょう、もう咲きかけているでしょうね」と春雨にさそわれるように咲くを思って歌います。 作者の川邊東人は、万葉集にはこの1首だけですが、歌の教養の高い人でした。
また、「山吹が咲いている野辺に咲くつぼすみれよ、この降る春雨でまっさかりだなあ」と、山吹の黄金色を背景にすみれの紫を浮き立たせ、可憐に女性らしく、高田女王は歌っています。>
と説明されています。

松伯美術館の庭の花達。


駐車場の屋根に残っていました。

ノーゼンカズラ


山吹


百日紅


夾竹桃


芙蓉1


芙蓉2


酔芙蓉1


酔芙蓉2


花梨の実

美術館庭園で見られた花達です。

セミ抜け殻

しもつけの花がらで見つけました。地面には、出て来たと思われる「穴」がたくさん。



  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする