【折々の花だより】

”季節の花だより”
花たちとの出会いを楽しんでます

京都大原

2013-10-19 | 花だより
勝林院
魚山(ぎょさん)大原寺(たいげんじ)と号する天台宗の寺院で、天台声明の根本道場です。
円光大師二十五霊場第二十一番札所。

洛北大原は梵唄声明(ぼんばいしょうみょう)のふるさと、日本文化の原風景が展開する場所です。

魚山勝林院は平成25(2013)年、開創1000年をお迎えします。
同年10月5日から20日までの16日間にわたり、開創1000年を紀念して慶讃法要をお勤め致します。

梵唄声明とは、経典などに旋律を付けて独特の節回しで唱える宗教音楽です。その起源は古代インドに求められ、中央アジアを経て中国に伝えられ、そして仏教伝来とともに日本へも伝えられました。

平安時代初め、第三代天台座主・慈覚大師円仁は唐へ留学した折、 多くの声明曲を日本へ持ち帰りました。
それが今日天台宗に伝えられる魚山流声明です。

魚山流の声明は鎌倉時代以降、日本仏教の各宗派に伝えられました。
そして日本の伝統音楽にも多大な影響を及ぼしたのです。 謡曲や長唄も、そして演歌に至るまで、声明にルーツがあるといわれています。

10月の慶讃法要では、仏教を通して日本文化の素晴らしさを発信すべく、 天台宗以外の多くの宗派にもご出仕をお願いして法要を執り行います。
勝林院本堂を中心に、梵唄の粋を1000年目の時空間に繰り広げて頂きます。  
「魚山大原勝林院開創一千年紀」公式ブログより。

7日の「天台宗 引声阿弥陀経」を聴きました。


勝林院へ向かう道


大原バス停近くのパーキングに車を停め、北の方へ歩いて行くと、右手に「三千院」、左手に「実光院」があります。
正面が勝林院です。入り口に小さく見える橋が「来迎橋」で、ここから内は極楽浄土だそう。

本堂



建立1013(長和2)年。現本堂(再建)は1778(安永7)年。
杉やもみじの緑に囲まれ、厳かな感じです。
雨で重厚感が増すような気がします。

勝林院、軒



細かい細工です。

本堂より    

入り口付近に鐘楼が見えます。

鐘楼
   
江戸初期の梵鐘は無銘ですが、藤原時代(創建当時)のもので、重要文化財に指定されています。
毎年除夜の鐘を撞いてられるそうです。

勝林院、阿弥陀如来

本尊、康尚(長保・寛弘年間の仏師)の作。
脇侍は不動明王と毘沙門天。
本尊の手から下がっている五色の綱は結縁の為、皆が触れられるようになっています。

ご縁

結縁の綱です。

散華

仏を供養するために、仏前に花をまき散らすことや、華々しく戦死することを意味します。
元来は蓮などの生花が使われていましたが、現在は蓮の形の色紙で代用されていることが多いそうです。
声明の途中に撒かれました。

実光院へ。
天台宗 魚山(ぎょざん)大原寺(たいげんじ)下院の本堂・勝林院の僧院です。
長和2年(1013)、慈覚大師円仁の9代目の弟子寂源が建立。
当初、隣の大原陵(後鳥羽天皇・順徳天皇陵)の地にあったが、大正8年に現在の普賢院跡地に移転したようです。

実光院 門です。


抹茶

客殿で、庭を眺め、説明を聞きながらお茶をいただきます。

お祀り

本尊は地蔵菩薩像、脇侍には不動明王像、毘沙門天像が安置されています。

声明、楽器

声明研究の一助にと歴代住職が収集したものです。
自由に鳴らせます。

庭園:契心園

池泉観賞式庭園。
池のこちら側を俗世間、向こう側を仏の浄土に見立てているそうです。

庭園:旧理覚院庭園

池泉回遊式庭園。
西の金毘羅山や小塩山を借景に取り入れるため、庭木を低く仕立ててあるそうです。

北山杉


北山杉の間から、不断桜がみえます。
北山杉は北山丸太の原木で、室町時代の応永年間(1394〜1427)頃から植林されたと言われ、約600年にわたって
育林技術や加工技術が培われてきました。
4年毎の枝打ちや、間伐等の手入れを施し、約30〜50年間育てます。
北山杉の特徴は、真直ぐに育ちその年輪は緻密で、皮をむいた木肌は滑らかで独特の色艶があります。
床柱などに使われています。

以下は境内で見られる花々です。

シュウカイドウ


シュウメイギク


ダイモンジソウ

5枚の花びらの長さと並びが、漢字の「大」の字に似ていることからこの名前がついたそうです。

ハギ、赤


ハギ、白


ウメモドキ


くちなし


ホトトギス


ミズヒキ


モミジ&不断桜

モミジと桜が一緒に見ることができ、お・と・く。
桜はまだ「ちらほら」でした。(7日現在)

紀伊ジョウロウホトトギス

紀伊は紀伊半島から、ジョウロウ「上臈」は江戸幕府大奥の職名で優雅な貴婦人と言う意味。
環境省、絶滅危惧種に指定されているそうです。
すさみ町には、「紀伊ジョウロウホトトギスの里」があり、お祭りなどもあるようです。

紀伊ジョウロウホトトギス、

花が遠く、うまく写真が撮れていませんので、参考に・・・。

紫式部


不断桜

不断桜

満開になれば、綺麗でしょうね。

薮蘭

実です。

茶室

「理覚庵」です。昭和50年に建てられたもの。
桧の変木床柱など、材料のほとんどは 実光院領の山林から調達したものだそうです。


大原は、高校(昔、京都は小学校の学区で通学できる高校が決まっていたので)の友達がいたり、中学校の適応遠足で、下鴨神社辺りから大原の往復を走ったり(私はもっぱら歩いていましたけど)・・・・・
大原へ行く途中の八瀬では、「買い物袋を猿に奪われそうになった」と、友達が言うてはりました。
まだまだ自然がいっぱい(猿は困りますが)で良いところですね。

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弘仁寺

2013-10-11 | 花だより
4日、「紫苑」が咲いたと言う記事を見て、弘仁寺へ行ってきました。

弘仁寺は、奈良市虚空蔵町にある、高野山真言宗のお寺です。

弘仁寺の創建に関しては二つの物語が伝わっています。
一説には、嵯峨天皇の夢に、老人があらわれて 「奈良の南に霊山がある。もろもろの仏があらわれて、お経の声がたえない。ここに寺をたてて、衆生を利益されたい。」と 申された。夢から目覚めた嵯峨天皇がその地を 探されたところ、現在の虚空蔵山にあたる場所がわかり、お喜びになった。嵯峨天皇が建立された(815年創建)という物語。
他説には、虚空蔵山に流星が落ちるのを見た弘法大師が霊山として開基した(807年創建)という物語。(ホームページより)
平安初期に建てられ、1200年経っていることは確かなようです。

本尊は「虚空蔵菩薩(こくぞうぼさつ)」です。
虚空蔵菩薩は、無限の智恵と慈悲を持った菩薩です。参拝すると、智恵、知識、記憶の面での利益があると信仰されており、十三歳の厄を払い、智恵を授けてもらえるように虚空蔵菩薩にお参りする風習が、十三詣りだそうです。
弘仁寺にもたくさんの方が、御祈祷に来られるそうです。

コスモス

駐車場から参道に向かう道辺りです。

カラスウリ

実をカラスが好んで食べることからこの名前が付いたようですね。
花は夜から翌朝ぐらいに、白いレース状に咲くとのこと。
見てみたいです。
★わんちゃんから
「ウチの庭でカラスウリの花が咲いたことがあるんですよ・・・」っと。 ➱こちら
 
キツネノマゴ

花穂がキツネの尻尾に似ているから。
または、顔に似ているから。と説があるようです。
琉球列島には、キツネノヒマゴ、キツネノメマゴもあるそう。

 ノササゲ

「紫」のサヤと実。花色はオーソドックスな黄色なのに・・・。

猿捕茨(さるとりいばら)

茎の刺に猿が引っ掛かるとの意。
若葉は、「かしわ」の替りに餅を包んだりするそうです。
根茎は薬用にも。

犬鬼灯(いぬほおずき)

帰化植物。
「ソラニン」を含むので、食用不可です。
ホオズキやナスに似ているが役に立たないからと、バカナスとも呼ばれ、花言葉は「嘘つき」。
そこまで言わなくてもねぇ・・・。
                     
ツマグロヨコバイ   

羽を広げたところより、横の姿をよく見かけます。

テントウムシ、さなぎ  

抜け殻?。

弘仁寺

その他、柿、もみじ等を見ながら、「弘仁寺」へ。

弘仁寺門

「緑」いっぱいです。

 キンモクセイ

境内です。

本堂


本堂の階段を降りたところにある常夜灯は、江戸時代に建てられたもので、「享保」の文字が刻まれています。
窓の金属の部分は平成になって設置されたもので、1945年頃までは、設立当時のものがあったようですが、戦後金属が高かった時代に盗難にあったそうです。

算額(さんがく)


江戸時代の日本で、額や絵馬に数学の問題や解法を記して、神社や仏閣に奉納された額のことです。
奈良市指定有形民俗文化財に指定。
二つあるそうなんですが、一つしか見つからず・・・。

明星堂

本堂の横にあります。
仏像はのぞき窓から・・・。
役行者像、不動明王像、大日如来像(運慶作)などが安置されているそうです。

境内で見られた花々です。
 ツユクサ


ハギ、赤

 
ハギ、白

 
ハナカタバミ


ヒガンバナ


ヒメジオン


ヤブマメ

 
花越しに本堂を望む

紫苑、芙蓉越しに、本堂と明星堂が見えます。

銀杏

大きな銀杏です。

紅葉

ヤマモミジでしょうか。色付くまで、あと一息。

紫苑
  



  
弘仁寺は、「紫苑」が咲くことで知られています。
門をくぐって左手にあります。

梅擬(うめもどき)

本堂の前辺りにあります。

白い花    

名前がわかりませんでした。
ほんとうに小さく、見過ごしてしまうくらいです。
★「ミゾカクシ」っと教えていただきました ➱こちら

芙蓉   

紫苑の隣に咲いています。

マンホール


国際文化観光都市として、観光シンボルである「奈良公園の鹿」と「市章」を中央に配置し、周囲には、平安朝の女流歌人、伊勢大輔歌「いにしえの奈良の都の八重桜けふここのへに匂いぬるかな」(歌詩集)によって知られる「八重桜」を図案化し、古都奈良のイメージを表現しています 。(奈良県公式ホームページより)

奈良に住んでいて、「ご当地マンホール」って、マジマジと見ることは私、無かったですねぇ。

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ひがんばなの里~穴太寺界隈~

2013-10-05 | 花だより
穴太寺を出て、「ひがん花の里」(ここの辺り一帯をそう呼ぶようです)を散策です。

マンホール

亀岡市マンホール。
S62年11月、一般市民からマンホールデザインを募集。
亀岡市市章を亀にみたてたもの、
市章より外に広がる曲線は、下水道事業の推進を表現されているそうです。

 柿

あと少しで、色づきますね。

 栗

栗ご飯、焼き栗、甘皮煮・・・と思いはめぐります(笑)。

 山吹 

数えるほど残っていました。

紫苑(しおん)

雑草に紛れてユラユラしています。

 芙蓉

ひらひらの花びらと淡いピンクが綺麗。
 
青虫

芙蓉をボーッと見ていると、「目」があいました。
この青虫は フタトガリコヤガ➱こちらと判明

風景



右の灯篭には「金毘羅山」、左の灯篭には「愛宕山常夜燈」の文字が・・・
意味はわかりませんでした。


この辺りの風景です。
                        
野仏

   いつ頃から置かれているんでしょうか・・・。

 アキノノゲシ


 
エノコロソウ


 
コスモス


 
センダン



センダン説明



タンポポ


つゆ草



ヒガンバナ



「白覆輪ヒガンバナ」でしょうか?。



 

稲刈りの終わっている所もありました。


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彼岸花~穴太寺~

2013-10-02 | 花だより
9月29日、ヒガンバナを求めて亀岡方面(穴太寺、ヒガンバナの里)へ行ってきました。

穴太寺(あなおうじ)は亀岡市曽我部町にあり、京都縦貫道亀岡ICを降りて5分ぐらいの所です。

 「身代わり観音と諸病悉徐の釈迦如来
 西国三十三ケ所 観音霊場
 西国廿一番札所 菩提山 穴太寺」 です。

天台宗に属し、創建は慶雲二年(705年)。
文武天皇の勅願により、大伴古麿により、薬師如来を御本尊に安置し建立。
平安時代になると、 聖観世音菩薩(ぼさつ)立像を本尊に観音霊場として信仰を集めてきた。
「今昔物語集」にも登場する「身代わり観音」の話が有名。
平安時代、丹波の郡司・宇治宮成(うじのみやなり)が京都の仏師に観音像を造らせ、褒美に馬を与えたものの惜しくなり、仏師を弓で射た。
矢は身代わりとなった観音像の胸にささり、仏師は無事だったそうで、宮成は改心して仏道に帰依したといいます。
本尊聖観音像は33年に一度開扉される秘仏。  パンフレットより。 

本堂脇陣に安置された等身大の大涅槃釈迦像(治癒した人々がお礼に持ってこられた布団が、かけられています)は、自分の体の悪いところと同じところを撫でて祈ると病が治るといわれています。  

穴太寺仁王門

17世紀中期頃建立、府登録文化財。

小社殿

菅原道真公を祭神とする天満宮で、寺紋は「梅鉢紋」。
18世紀初期。

稲荷明神


鐘楼  

宝暦九年(1759年)建立、府登録文化財。

手水舎 


 多宝塔  

府指定文化財。文化元年(1804年)再建。

 
本堂 


本堂  

軒下、 内側です。
建物が「みごと」なのでついついカメラを向けてしまいます。
扁額、千社札などが多数みられます。

    

ガラスが埋め込まれ、「梅鉢」のデザイン。
斬新!。

 本堂から多宝塔を望む
  
多宝塔の横、三十三所観音堂、納札所と続きます。

三十三所観音堂には、西国札所のお砂が納められていて、このお堂をお参りすることで全ての西国観音霊場をお参りしただけの功徳があると言われているそうです。
写真右手の方に、円応院(方丈、庫裏をいう、府登録文化財)があり、本堂と渡り廊下で繋がっています。

 渡り廊下  

本堂への渡り廊下です。

本堂とお庭を拝観です。円応院にもどり・・・。

 書院より庭園を  

庭園は「府指定名勝」
 
庭園より多宝塔を望む

多宝塔が借景になっています。
サツキ、センダン、クスノキ、ゴヨウマツなどの古木が散在しています。丹波の名園だそう。

 欄間1

龍、虎などの彫り物があり、時代を感じさせられると共に、重厚さも・・・。
 
欄間2

 
欄間3

 
風鈴  

建物にマッチした竹の風鈴です。

穴太寺境内で見られた花々です。
 シュウメイギク

 

つゆ草


 ホトトギス

 



 

紫式部

  
 彼岸花白

これは「シロバナマンジュシャゲ」でしょうか?。


「穴太寺」は、主人の親戚が亀岡市神前(こうざき)という所にあり(疎開先だったそう)、亀岡を訪れた時に、案内表示はよく見ていたんですが、今回初めての訪問でした。

穴太寺は、境内もそんなに広くないところに、多くの古いままの建物があり、かえって興味をそそります。
なんだか「気になる」ところでした。

次回は「ひがんばなの里」をぶらり散策

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