勝林院
魚山(ぎょさん)大原寺(たいげんじ)と号する天台宗の寺院で、天台声明の根本道場です。
円光大師二十五霊場第二十一番札所。
洛北大原は梵唄声明(ぼんばいしょうみょう)のふるさと、日本文化の原風景が展開する場所です。
魚山勝林院は平成25(2013)年、開創1000年をお迎えします。
同年10月5日から20日までの16日間にわたり、開創1000年を紀念して慶讃法要をお勤め致します。
梵唄声明とは、経典などに旋律を付けて独特の節回しで唱える宗教音楽です。その起源は古代インドに求められ、中央アジアを経て中国に伝えられ、そして仏教伝来とともに日本へも伝えられました。
平安時代初め、第三代天台座主・慈覚大師円仁は唐へ留学した折、 多くの声明曲を日本へ持ち帰りました。
それが今日天台宗に伝えられる魚山流声明です。
魚山流の声明は鎌倉時代以降、日本仏教の各宗派に伝えられました。
そして日本の伝統音楽にも多大な影響を及ぼしたのです。 謡曲や長唄も、そして演歌に至るまで、声明にルーツがあるといわれています。
10月の慶讃法要では、仏教を通して日本文化の素晴らしさを発信すべく、 天台宗以外の多くの宗派にもご出仕をお願いして法要を執り行います。
勝林院本堂を中心に、梵唄の粋を1000年目の時空間に繰り広げて頂きます。
「魚山大原勝林院開創一千年紀」公式ブログより。
7日の「天台宗 引声阿弥陀経」を聴きました。
勝林院へ向かう道
大原バス停近くのパーキングに車を停め、北の方へ歩いて行くと、右手に「三千院」、左手に「実光院」があります。
正面が勝林院です。入り口に小さく見える橋が「来迎橋」で、ここから内は極楽浄土だそう。
本堂
建立1013(長和2)年。現本堂(再建)は1778(安永7)年。
杉やもみじの緑に囲まれ、厳かな感じです。
雨で重厚感が増すような気がします。
勝林院、軒
細かい細工です。
本堂より
入り口付近に鐘楼が見えます。
鐘楼
江戸初期の梵鐘は無銘ですが、藤原時代(創建当時)のもので、重要文化財に指定されています。
毎年除夜の鐘を撞いてられるそうです。
勝林院、阿弥陀如来
本尊、康尚(長保・寛弘年間の仏師)の作。
脇侍は不動明王と毘沙門天。
本尊の手から下がっている五色の綱は結縁の為、皆が触れられるようになっています。
ご縁
結縁の綱です。
散華
仏を供養するために、仏前に花をまき散らすことや、華々しく戦死することを意味します。
元来は蓮などの生花が使われていましたが、現在は蓮の形の色紙で代用されていることが多いそうです。
声明の途中に撒かれました。
実光院へ。
天台宗 魚山(ぎょざん)大原寺(たいげんじ)下院の本堂・勝林院の僧院です。
長和2年(1013)、慈覚大師円仁の9代目の弟子寂源が建立。
当初、隣の大原陵(後鳥羽天皇・順徳天皇陵)の地にあったが、大正8年に現在の普賢院跡地に移転したようです。
実光院 門です。
抹茶
客殿で、庭を眺め、説明を聞きながらお茶をいただきます。
お祀り
本尊は地蔵菩薩像、脇侍には不動明王像、毘沙門天像が安置されています。
声明、楽器
声明研究の一助にと歴代住職が収集したものです。
自由に鳴らせます。
庭園:契心園
池泉観賞式庭園。
池のこちら側を俗世間、向こう側を仏の浄土に見立てているそうです。
庭園:旧理覚院庭園
池泉回遊式庭園。
西の金毘羅山や小塩山を借景に取り入れるため、庭木を低く仕立ててあるそうです。
北山杉
北山杉の間から、不断桜がみえます。
北山杉は北山丸太の原木で、室町時代の応永年間(1394〜1427)頃から植林されたと言われ、約600年にわたって
育林技術や加工技術が培われてきました。
4年毎の枝打ちや、間伐等の手入れを施し、約30〜50年間育てます。
北山杉の特徴は、真直ぐに育ちその年輪は緻密で、皮をむいた木肌は滑らかで独特の色艶があります。
床柱などに使われています。
以下は境内で見られる花々です。
シュウカイドウ
シュウメイギク
ダイモンジソウ
5枚の花びらの長さと並びが、漢字の「大」の字に似ていることからこの名前がついたそうです。
ハギ、赤
ハギ、白
ウメモドキ
くちなし
ホトトギス
ミズヒキ
モミジ&不断桜
モミジと桜が一緒に見ることができ、お・と・く。
桜はまだ「ちらほら」でした。(7日現在)
紀伊ジョウロウホトトギス
紀伊は紀伊半島から、ジョウロウ「上臈」は江戸幕府大奥の職名で優雅な貴婦人と言う意味。
環境省、絶滅危惧種に指定されているそうです。
すさみ町には、「紀伊ジョウロウホトトギスの里」があり、お祭りなどもあるようです。
紀伊ジョウロウホトトギス、
花が遠く、うまく写真が撮れていませんので、参考に・・・。
紫式部
不断桜
不断桜
満開になれば、綺麗でしょうね。
薮蘭
実です。
茶室
「理覚庵」です。昭和50年に建てられたもの。
桧の変木床柱など、材料のほとんどは 実光院領の山林から調達したものだそうです。
大原は、高校(昔、京都は小学校の学区で通学できる高校が決まっていたので)の友達がいたり、中学校の適応遠足で、下鴨神社辺りから大原の往復を走ったり(私はもっぱら歩いていましたけど)・・・・・
大原へ行く途中の八瀬では、「買い物袋を猿に奪われそうになった」と、友達が言うてはりました。
まだまだ自然がいっぱい(猿は困りますが)で良いところですね。
魚山(ぎょさん)大原寺(たいげんじ)と号する天台宗の寺院で、天台声明の根本道場です。
円光大師二十五霊場第二十一番札所。
洛北大原は梵唄声明(ぼんばいしょうみょう)のふるさと、日本文化の原風景が展開する場所です。
魚山勝林院は平成25(2013)年、開創1000年をお迎えします。
同年10月5日から20日までの16日間にわたり、開創1000年を紀念して慶讃法要をお勤め致します。
梵唄声明とは、経典などに旋律を付けて独特の節回しで唱える宗教音楽です。その起源は古代インドに求められ、中央アジアを経て中国に伝えられ、そして仏教伝来とともに日本へも伝えられました。
平安時代初め、第三代天台座主・慈覚大師円仁は唐へ留学した折、 多くの声明曲を日本へ持ち帰りました。
それが今日天台宗に伝えられる魚山流声明です。
魚山流の声明は鎌倉時代以降、日本仏教の各宗派に伝えられました。
そして日本の伝統音楽にも多大な影響を及ぼしたのです。 謡曲や長唄も、そして演歌に至るまで、声明にルーツがあるといわれています。
10月の慶讃法要では、仏教を通して日本文化の素晴らしさを発信すべく、 天台宗以外の多くの宗派にもご出仕をお願いして法要を執り行います。
勝林院本堂を中心に、梵唄の粋を1000年目の時空間に繰り広げて頂きます。
「魚山大原勝林院開創一千年紀」公式ブログより。
7日の「天台宗 引声阿弥陀経」を聴きました。
勝林院へ向かう道
大原バス停近くのパーキングに車を停め、北の方へ歩いて行くと、右手に「三千院」、左手に「実光院」があります。
正面が勝林院です。入り口に小さく見える橋が「来迎橋」で、ここから内は極楽浄土だそう。
本堂
建立1013(長和2)年。現本堂(再建)は1778(安永7)年。
杉やもみじの緑に囲まれ、厳かな感じです。
雨で重厚感が増すような気がします。
勝林院、軒
細かい細工です。
本堂より
入り口付近に鐘楼が見えます。
鐘楼
江戸初期の梵鐘は無銘ですが、藤原時代(創建当時)のもので、重要文化財に指定されています。
毎年除夜の鐘を撞いてられるそうです。
勝林院、阿弥陀如来
本尊、康尚(長保・寛弘年間の仏師)の作。
脇侍は不動明王と毘沙門天。
本尊の手から下がっている五色の綱は結縁の為、皆が触れられるようになっています。
ご縁
結縁の綱です。
散華
仏を供養するために、仏前に花をまき散らすことや、華々しく戦死することを意味します。
元来は蓮などの生花が使われていましたが、現在は蓮の形の色紙で代用されていることが多いそうです。
声明の途中に撒かれました。
実光院へ。
天台宗 魚山(ぎょざん)大原寺(たいげんじ)下院の本堂・勝林院の僧院です。
長和2年(1013)、慈覚大師円仁の9代目の弟子寂源が建立。
当初、隣の大原陵(後鳥羽天皇・順徳天皇陵)の地にあったが、大正8年に現在の普賢院跡地に移転したようです。
実光院 門です。
抹茶
客殿で、庭を眺め、説明を聞きながらお茶をいただきます。
お祀り
本尊は地蔵菩薩像、脇侍には不動明王像、毘沙門天像が安置されています。
声明、楽器
声明研究の一助にと歴代住職が収集したものです。
自由に鳴らせます。
庭園:契心園
池泉観賞式庭園。
池のこちら側を俗世間、向こう側を仏の浄土に見立てているそうです。
庭園:旧理覚院庭園
池泉回遊式庭園。
西の金毘羅山や小塩山を借景に取り入れるため、庭木を低く仕立ててあるそうです。
北山杉
北山杉の間から、不断桜がみえます。
北山杉は北山丸太の原木で、室町時代の応永年間(1394〜1427)頃から植林されたと言われ、約600年にわたって
育林技術や加工技術が培われてきました。
4年毎の枝打ちや、間伐等の手入れを施し、約30〜50年間育てます。
北山杉の特徴は、真直ぐに育ちその年輪は緻密で、皮をむいた木肌は滑らかで独特の色艶があります。
床柱などに使われています。
以下は境内で見られる花々です。
シュウカイドウ
シュウメイギク
ダイモンジソウ
5枚の花びらの長さと並びが、漢字の「大」の字に似ていることからこの名前がついたそうです。
ハギ、赤
ハギ、白
ウメモドキ
くちなし
ホトトギス
ミズヒキ
モミジ&不断桜
モミジと桜が一緒に見ることができ、お・と・く。
桜はまだ「ちらほら」でした。(7日現在)
紀伊ジョウロウホトトギス
紀伊は紀伊半島から、ジョウロウ「上臈」は江戸幕府大奥の職名で優雅な貴婦人と言う意味。
環境省、絶滅危惧種に指定されているそうです。
すさみ町には、「紀伊ジョウロウホトトギスの里」があり、お祭りなどもあるようです。
紀伊ジョウロウホトトギス、
花が遠く、うまく写真が撮れていませんので、参考に・・・。
紫式部
不断桜
不断桜
満開になれば、綺麗でしょうね。
薮蘭
実です。
茶室
「理覚庵」です。昭和50年に建てられたもの。
桧の変木床柱など、材料のほとんどは 実光院領の山林から調達したものだそうです。
大原は、高校(昔、京都は小学校の学区で通学できる高校が決まっていたので)の友達がいたり、中学校の適応遠足で、下鴨神社辺りから大原の往復を走ったり(私はもっぱら歩いていましたけど)・・・・・
大原へ行く途中の八瀬では、「買い物袋を猿に奪われそうになった」と、友達が言うてはりました。
まだまだ自然がいっぱい(猿は困りますが)で良いところですね。