【折々の花だより】

”季節の花だより”
花たちとの出会いを楽しんでます

三井寺

2022-04-29 | デジカメ紀行
天台寺門宗(てんだいじもんしゅう)の総本山である三井寺(みいでら)は 正式名称を長等山園城寺(ながらさんおんじょうじ)といいます。 滋賀県大津市、琵琶湖南西の長等山中腹に広大な敷地を有しています。
湖国近江の名勝、近江八景の一つ「三井の晩鐘」でも知られています。

667年に天智天皇により飛鳥から近江に都が移され、近江大津京が開かれました。
672年、前年の天智天皇の永眠後、大友皇子(天智天皇の子:弘文天皇)と大海人皇子(天智天皇の弟:天武天皇)が 皇位継承をめぐって争い、壬申の乱が勃発。 壬申の乱に敗れた大友皇子の皇子の大友与多王は父の霊を弔うために 「田園城邑(じょうゆう)」を寄進して寺を創建し、 天武天皇から「園城」という勅額を賜わったことが園城寺の始まりとされています。
勝利をおさめた大海人皇子は再び飛鳥に遷都し、近江大津京はわずか五年で廃都となりました。

三井寺と呼ばれるようになったのは、天智・天武・持統天皇の三帝の誕生の際に 御産湯に用いられたという霊泉があり「御井の寺」と呼ばれていたものを後に 智証大師円珍が当時の厳義・三部潅頂の法儀に用いたことに由来します。
現在、金堂西側にある「閼伽井屋」から湧き出ている清水が御井そのものとされています。


=大門(仁王門)=



重要文化財 室町時代(宝徳四年 1452)
三間一戸楼門 入母屋造 桧皮葺
三井寺中院の表門で、東面して建ち、両脇の仁王像が山内を守護しています。




=釈迦堂(食堂)=





重要文化財 室町時代
正面七間 側面四間 一重 入母屋造 桧皮葺
現在は清涼寺式釈迦如来像を本尊とする釈迦堂として信仰されています。






=金堂=





国宝 桃山時代(慶長四年 1599)
正面七間 側面七間 一重 入母屋造
向拝一間 桧皮葺
豊臣秀吉の正室北政所によって再建されたもので、
三井寺境内でもひときわ大きく威容を誇っています。
本尊弥勒菩薩もここに安置されています。



=鐘楼(三井の晩鐘)=



重要文化財 桃山時代(慶長七年 1602)
正面一間 側面二間 一重 切妻造 桧皮葺
周囲には、下に腰板を廻らし、上は連子をはめています。



=閼伽井屋、三井の霊泉(閼伽井屋内部)=





重要文化財 桃山時代(慶長五年 1600)
正面三間 側面二間 一重 向唐破風造 桧皮葺
閼伽井屋は金堂西側奥に金堂と接して建っています。 この内部には井泉が湧き、
天智・天武・持統天皇の 産湯に使われたことが三井寺の名前の由来になっています。
彩色や壁画が認められ、桧皮葺の屋根は丸いカーブを描いています。




=辨財天社=





=霊鐘堂=



安置されているのは
=梵鐘(弁慶鐘)=

重要文化財 奈良時代
銅鋳造 一口 総高199.0cm
身高156.0cm 口径123.2cm

弁慶の汁鍋



=熊野権現社=





=一切経蔵、八角輪蔵=

重要文化財 室町時代
正面三間 側面三間
一重 もこし付 宝形造 桧皮葺
一切経蔵は一切経を安置するための堂で、 内部には一切経を納める
回転式の巨大な八角輪蔵が備えられています。



山内には珍しい禅宗様の堂ですが、もとは国清寺の経蔵で、
慶長七年(1602)に毛利輝元によって移築されたものです。
輪蔵には、高麗版一切経が納められており、また天井から 円空仏七体が発見されています。



=唐院潅頂堂=

重要文化財 桃山時代
五面五間 側面五間 一重 入母屋造 桧皮葺
大師堂と四脚門にはさまれて建ち、大師堂の拝殿としての役割を備えています。


=三重塔=









=唐院四脚門=





=毘沙門堂=






=微妙寺=















=衆宝観音=








=鐘楼=















=観音堂=







観音堂の横手から階段を上がると琵琶湖と大津のまちが眼下に・・・。








=ソロバン碑=

「大津そろばん」の文字と、そろばんの大きな玉が一つ。全国珠算教育連盟が1957年に建立。



説明文は公式サイトを参考にしました。
写真は4月9日に訪れた時のものです。


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はなもも街道、月川温泉郷 花桃の里

2022-04-21 | 花だより
国道256号線「はなもも街道」





19日訪れました。

花桃とは、花の観賞を目的にして改良された桃。花びらが幾重にも重なっているため、とても華やかです。花の色は、紅・ピンク・白・複色がありますが、阿智村では、一本の枝から紅白ピンクに咲き分ける「三色花桃」をたくさん植栽しています。
昼神温泉(阿智村)から妻籠宿(南木曽町)へ抜ける間の「はなもも街道」には、約5,000本もの花桃が植栽されています。



  


阿智村の中でも、中央自動車道・園原ICからすぐの場所にある月川温泉郷は、村内きっての花桃の里。標高750~1,000m、約4kmの沿道を中心に約5,000本もの花桃が咲き誇ります。

「月川温泉郷 花桃の里」
花の見頃は、例年4月中旬~5月上旬頃。昼神温泉より標高が高いため、少し開花が遅くなります。「日本一の桃源郷」と呼ばれます。
毎年、見頃に合わせ、『花桃まつり』が開催されます。
旅館「野熊の庄 月川(げっせん)」に通じる神橋(かんばし)手前には、まつり本部や出店会場が設置されます。
本谷川に渡された、色とりどりの鯉のぼりと、咲き誇る花桃のコラボです。本谷川の両岸にも花桃が咲き誇ります。



日本一の星空が見える「ヘブンスそのはら」へ向かう道。
祭りの準備がされています(20日から開催)。




綺麗に舗装された道に、星座やハートが施されています。







神橋からの眺め。どの方角を見ても花桃が咲き乱れる光景が見渡せます。











「はなもも街道」のはじまり
大正十一年(1922年)
木曽川を開発した木曽発電㈱社長で福沢論吉の娘婿にあたる福沢桃介さんが、ドイツのミュンヘンに行った折、庭に咲いていた3色の花桃の美しさに感動し、自分の名前に似た花の名であることから、3本の苗を購入し、大桑村の須原発電所構内に植えました。

昭和二十三年(1948年)
須原発電所に長年勤めていた妻籠宿(南木曽町)の藤原長司さんが、花桃を増やしたいと思い、落ちた実を拾い苗木を育て、妻籠の国道256線沿いに植栽。

昭和五十年ころ(1974年ころ)
妻籠宿から清内路村(現阿智村清内路)に嫁いだ大宮トメさんが、嫁入り道具の一つとして手にしてきた花桃の木を元に、地域の人々が清内路地区に花桃を増やしていきました。
「はなもも街道」の始まりです。

平成三年(1991年)
園原(阿智村)に地域振興事業として旅館「野熊の庄 月川」を開業。当時社長であった渋谷秀逸さんは、人も少なく殺風景な山里に嫁いでくれた嫁たちのはげみにしたいとの思いで花桃の植栽を考え、平成3年~平成7年にかけ約1000本の苗を清内路から譲り受け、旅館の周りや村道沿いに植栽管理を行いました。

平成十四年(2002年)
月川温泉郷を“桃源郷”にしたい、と地域住民で「花桃の里作り委員会」が発足、本格的に植え始め、合わせて3500本の花咲く里に。

平成十七年(2005年)
地域住民·地元業者(はなももの会)で組織する「花桃まつり実行委員会」が発足し、観光客向けの「花桃まつり」を開催。

平成二十一年(2009年)
花桃の植栽管理を行い、地域づくりを実施·推進した功績により、渋谷秀逸さんが「地域づくり総務大臣表彰」(総務省実施の全国各地で地域のために努力する団体や個人を表彰するもの)を受賞。

平成二十八年(2016年)
毎年植え続け、現在は月川温泉郷一帯に約5000本、阿智村から南木曽町へ抜ける国道256線「花桃街道」に約5000本、阿智村全体では約10000本の花桃が植えられています。


旅館「野熊の庄 月川」近くに車を停め散策しました。















  

  


本谷川に沿って・・・。






神橋方面。













説明文は、南信州 昼神温泉公式観光サイトを参考にしました。

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壷阪寺「桜大仏」&「大雛曼荼羅」

2022-04-20 | 花だより
奈良県高取町にある壷阪寺は、四季折々の花が美しいことでも知られています。
南に桜の名所吉野山を控え北に万葉のふるさと大和三山奈良盆地を一望におさめる壷阪の山に建つ。大宝三年(703)に元興寺の僧弁基上人がこの山で修行していたところ、愛用の水晶の壺を坂の上の庵におさめ、感得した観音様のお姿を模刻して祀ったのが始まりといいます。

真言宗の寺。西国三十三所観音霊場の第六番札所。
本尊十一面千手観世音菩薩は眼病に霊験あらたかな観音様です。

4月8日訪れました。
2019年3月にも訪れています。

春、満開時にはソメイヨシノに覆い尽くされ、御堂や塔の伽藍が桜雲に浮いているかのような見事な景色となります。
特に見ごたえがあるのが「桜大仏」。
高さ約15mの天竺渡来大釈迦如来石像の周辺に桜が咲き乱れ、まるで桜の衣をまとったように見えるこの季節だけの光景です。


色々な方向からの「桜大仏」


















国指定重要文化財の礼堂、大講堂の2ヶ所に、過去最多の3000体以上のお雛様と本尊十一面千手観音様や仏様と一緒にお祀りした「大雛曼荼羅」が公開されます。
毎年工夫がこらされ、たくさんのお雛様の中には、変わったお雛様もかくれているとか…。
過去最多の3000体以上のお雛様を本尊十一面千手観音様と一緒にお祀りします


=大講堂(平成12年落慶 本尊 弘法大師像(鎌倉時代))の大雛曼荼羅=

消毒をして。

















大正~昭和初期の雛飾り

後ろへまわると工事中。




=大雛曼荼羅=

こちらでも消毒をして入ります。




















  


境内の様子。
=仁王門=



=灌頂堂=



=八角円堂=

本尊十一面千手観世音菩薩を祀っています。

八角円堂からの眺め。





=多宝塔=



=三重塔=



=天竺渡来大観音石像、大涅槃石像=



=天竺門=





説明文は公式サイトを参考にしました。





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蟹満寺

2022-04-15 | 花だより
京都南部の南山城にある蟹満寺。

4月5日訪れました。









寺の名前は蟹幡(かむはた)郷という美称である「神(カム)」と織物を意味する「幡(ハタ)」からなる地名に由来し、白鳳時代末期(680年前後)建てられたと考えられています。平安時代以降は、今昔物語集に出てくる「蟹の恩返し」縁起で有名になりました。本堂は宝暦9年(1759年)に建て替えられ以降そのまま250年間経ち、このたび改築されて平成22年4月落慶法要が営まれました。







本堂


蟹満寺の御本尊「釈迦如来坐像(国宝)」。像高2.4メートル、重さ2.2トンの金銅製の巨大仏。
蟹満寺の本堂内にも、蟹の竹細工・おりがみ・鉄器・器・灰皿などが飾られています。蟹モチーフの紋様が見られます。

















「蟹の恩返し」
むかし、この辺りに善良で慈悲深い娘とその両親が住んでいました。ある日、娘は蟹をたくさん捕まえて食べようとしている村人に出くわし、彼らから蟹を買い求め、草むらへ逃がしてあげました。
後日、父親が田んぼを耕していると、今度は蛇に飲み込まれそうな蛙に遭遇。哀れんだ父親は娘を嫁がせることと引き換えに、蛇から蛙を救いますが、すぐに大後悔。話を聞かされた娘は、父親をなぐさめ、観音様に救いを求めました。
日没が近づいた頃、ヘビは正装に身を包んだ紳士に化けて、娘を迎えに来ました。その時は嫁入りの支度を理由に断ったものの、後日、再訪したヘビ紳士。雨戸を閉ざし迎え入れない親子に腹を立て、大蛇の姿になって荒れ狂いました
恐怖におののきながら、一心に観音教を唱える親子。すると、観音様が現れて「恐れなくても大丈夫。娘は慈悲の心深く、善良な行いをされています。私を信じて念じる力は、この危機を救うでしょう」と告げ、姿を消されました。
するとどうしたことか、間もなく蛇が暴れる音が消え、外が静かになりました。夜が明けて戸を開けると、そこには、バラバラに挟み切られた蛇と無数の蟹の亡きがらが残されていたのでした。
親子は観音様に深く感謝し、娘の身代わりとなった蟹と哀れな蛇を弔うため、お堂を建てて観音様を祀りました。その由来から、お堂は蟹満寺と名付けられました。


放生会とは・・・
日々の生きるための糧となってくれている命へ感謝し、生き物を野に放つ法要。
蟹満寺では毎年4月18日この縁起にちなみ蟹供養放生会が修行されています。


蟹満寺駐車場の近く、国道24号線沿いに桜並木があります。















  



説明文は公式サイトを参考にしました。
 

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大和郡山城跡、桜祭り

2022-04-13 | 花だより
「日本さくら名所100選」に選定されている郡山城跡。築城から400年余りの歴史があり、2017年4月には「続日本100名城」にも選ばれています。城跡一帯は、約800本の桜がお堀を囲むように植えられ、天守台展望施設からは城跡の桜を一望できます。夜には、約600本のボンボリの灯りに照らされます。











大和郡山の「桜」のはじまり



天正13年(1585年)大納言豊臣秀長が姫路から郡山へ入部、多武峰の談山神社を城北に遷座、その堂宇と共に、多武峰にあった桜樹も城内に移したのがその始まりと伝えられています(御殿桜と呼ばれていました)。
享保9年(1724年)柳澤吉里が甲府より郡山に国替えとなり入城してから、桜樹の補植があって、そのとき以来毎年春の開花期には、藩士や町民達の楽しみであったといわれています。
やがて明治となり城郭が全て取り払われましたが、旧藩士達が明治13年(1880年)本丸に藩祖柳澤吉保を祀る柳澤神社を建てて、その周辺に旧藩邸の桜樹を移植し、更に数百株を補植し、毎年、かがり火をたき春宵一刻を楽しむようになりました。










大和郡山城の本丸跡にある柳澤神社。







初代郡山藩主・柳沢吉里の父であり、5代将軍・徳川綱吉に重宝された側用人の柳沢吉保を祀る神社で、1880年(明治13年)10月29日に創建されました。




郡山城跡の天守台をはじめ、そのまわりの石垣の中には、多数の石仏、墓石が積込まれているそうです。

豊臣秀長が100万石の城へと拡大する際、石材が乏しかったため寺院の石塔や一般家庭の石臼など、様々な石材が転用されました。このさかさ地蔵も、そんな転用石材のひとつ。
他にも、平城京羅城門跡から運ばれた礎石や、仏教遺跡である頭塔の一部も見つかっているそう。

  



数珠くり法要
全長162メートル・全重量648キログラム・直径15センチメートル・1,080個の数珠が天守台を取り巻き、天守台の石垣に眠る無縁仏の法要が行われるそうです。昭和36年より続く行事です。
この数珠は、平成16年に大和郡山市が市制50周年を迎えたのを契機に、市民からの浄財によって新調されたものです。










郡山城跡の天守台から


















マンホール

大和郡山といえば、江戸時代から武士の副業として始められた「金魚」の養殖で知られています。
青海波模様を背景に、金魚鉢に入った金魚が描かれています。


説明文は公式サイトを参考にしました。



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佐保川の桜並木

2022-04-10 | 花だより
佐保川の桜並木
総延長は5キロ以上に及ぶ奈良市最大の「桜の名所」。
奈良市を代表する河川であり、万葉集などの歌枕としても有名な佐保川一帯には、奈良市内中央部を南北に貫く形で約5キロに渡り、途切れることのない壮大な桜並木が広がっています。
この桜並木は、全体の歴史については未詳の点も多いですが、江戸時代末期、奈良の名奉行として現在でも尊敬を集める「川路聖謨(かわじとしあきら)」が山林の整備や東大寺周辺の植樹など、景観整備を行う一環で植えさせたものに端を発すると言われています。

現在でも、桜並木の北端に近いJR関西本線の踏切を渡った周辺には、川路時代に植えられたとされる樹齢170年程度の立派なソメイヨシノ「川路桜」が数本残り、地元の方の尽力により保全・管理が行われています。

奈良県景観資産―桜並木が眺望できる図書情報館付近

3月30日に訪れました。



↓南方面  図書館の前にある小さな橋から  北方面↑



















  








説明文は公式サイトを参考にしました。

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大宇陀、又兵衛桜&森野旧薬園

2022-04-09 | 花だより
4月1日、大宇陀方面へ出かけてきました。

=又兵衛桜(本郷の瀧桜)=
枝垂れ桜で、樹齢300年ともいわれています。地元に残る戦国武将・後藤又兵衛の伝承と、桜が後藤家の屋敷跡に植えられていることから「又兵衛桜」と呼ばれています。
公園の外から観桜しました。






カタクリの花が咲いていると聞いたので訪れました。

=森野旧薬園=
奈良県宇陀市で吉野葛の製造を行う老舗「森野吉野葛本舗」が運営管理する植物園です。葛粉作りを開業して11代目となった藤助が、享保年間に自宅の裏山に開園しました。「小石川植物園」と並ぶ日本最古の薬草園として知られています。イチョウ、テンダイウヤク、マタタビなど約250種類に及ぶ薬草と観賞用植物が、開園当初の面影を残しながら植栽されています。昔ながらの伝統工法を今もなお守り続けて、吉野葛(よしのくず)を全国各地に流通しています。



















大宇陀の町を見渡す事が出来ます。




カタクリ




  
薬効:すり傷、できもの、滋養



トリカブト

薬効:リュウマチ、神経痛の鎮痛、強心
咲いたところが見てみたい、気になる花です。


アマナ

薬効:解熱剤、滋養強壮


アミガサユリ
  
薬効:鎮咳、去痰、解熱


          ショウジョウバカマ            

薬効:湿疹、腫れもの、下痢、打撲

  

森野旧薬園を後にして古い街並みをブラブラ・・・。




お昼ご飯は、十割そばのお店で。



大宇陀の街道沿いの和菓子屋さん。

きみごろも。 メレンゲを黄身の薄焼きでつつみ焼いています。



宇陀市旧大宇陀町のマンホール。

町の花「かざぐるま」が描かれています。



説明文は公式サイトを参考にしました。

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