多度大社(たどたいしゃ)
三重県桑名市多度町多度にある神社。
5世紀後半、雄略天皇の御代に社殿が建てられました。 本宮の多度神社には、伊勢の神宮の御祭神、天照大神の第3皇子である天津彦根命をお祀りし、その子、天目一箇命を別宮の一目連神社にお祀りしています。
「お伊勢参らば お多度もかけよ お多度かけねば 片参り」と、北伊勢地方の総氏神様として崇められています。
南北朝時代には多度祭の上げ馬神事も始まったと伝えられています。
元亀2年(1572年)、織田信長による兵火に罹り、社殿を始めすべての建物と、神位記・御神宝・諸記録のすべてが失われました。江戸時代に入り、桑名藩主本多忠勝公により莫大な寄進を受け、社殿等も復興し、明治6年県社、大正4年には国幣大社という高い社格が授けられました。
駐車場に車を停めると、見えてきたのは
境内へ
ご神木
神馬にまつわる神事が数多く行われています。
御神体山として崇められていた標高403mの多度山に、5世紀後半雄略天皇の御代に御社殿が造営されたと伝わっています。伊勢の神宮の御祭神である天照大御神の第3皇子・天津彦根命をお祀りすることから、北伊勢大神宮とも称され、春には上げ馬神事、秋には流鏑馬祭り、神の使いである白馬が幸せを運ぶ「白馬伝説」など、馬と関わりが深いことでも知られています。
ご神木の横にあるのが
多度大社上げ馬神事(たどたいしゃあげうましんじ)
5月4・5日に開かれる多度大社の大祭でおこなわれ、氏子の各御厨(7地区)から神馬と騎手を出し、高さ約2mの土壁を駆け上がる神事です。
南北朝期から始まったとも伝えられ、神馬を献上していたものが、現在のような形に変わったと思われ、上がった馬の数でその年の豊凶を占っています。県指定文化財。
流鏑馬祭
11月23日、参道に設けられた馬場(コース)に3か所の的を設置し、騎手が順次射落として行きます。
白馬伝説説明
階段を上がって行きます。奉納された酒樽も見えます。
坂を上がった所にある境内です。
儀式殿、正面に神楽殿が見えています。
神楽殿
筆塚
宝物殿
神域に入ります。
本宮はさらに参道を登っていきます。
谷川の橋を渡って、左が天津彦根命を祀る本社で、右がその子である天目一箇神(あめのまひとつのかみ・製鉄の神)を祀る 一目連神社です。
続いて多度大社に隣接している「多度観音堂」と「多度稲荷社」へ。
300年前の鐘
戦争時、鉄の供出を逃れた鐘。
1705年金沢の鋳物師の方が作ったもので、残されているのはとても珍しいそうです。
中は自由に入ってお詣りして良いのですが、サルが入ってくるので、戸締りをしておいてくださいとのことです。
駐車場近くのガレージに・・・。
三重県桑名市多度町多度にある神社。
5世紀後半、雄略天皇の御代に社殿が建てられました。 本宮の多度神社には、伊勢の神宮の御祭神、天照大神の第3皇子である天津彦根命をお祀りし、その子、天目一箇命を別宮の一目連神社にお祀りしています。
「お伊勢参らば お多度もかけよ お多度かけねば 片参り」と、北伊勢地方の総氏神様として崇められています。
南北朝時代には多度祭の上げ馬神事も始まったと伝えられています。
元亀2年(1572年)、織田信長による兵火に罹り、社殿を始めすべての建物と、神位記・御神宝・諸記録のすべてが失われました。江戸時代に入り、桑名藩主本多忠勝公により莫大な寄進を受け、社殿等も復興し、明治6年県社、大正4年には国幣大社という高い社格が授けられました。
駐車場に車を停めると、見えてきたのは
鉾立社
天久之比命が祀られています。
天久之比命が祀られています。
境内へ
ご神木
神馬にまつわる神事が数多く行われています。
御神体山として崇められていた標高403mの多度山に、5世紀後半雄略天皇の御代に御社殿が造営されたと伝わっています。伊勢の神宮の御祭神である天照大御神の第3皇子・天津彦根命をお祀りすることから、北伊勢大神宮とも称され、春には上げ馬神事、秋には流鏑馬祭り、神の使いである白馬が幸せを運ぶ「白馬伝説」など、馬と関わりが深いことでも知られています。
ご神木の横にあるのが
あげ坂(上げ馬神事でつかわれます)
多度大社上げ馬神事(たどたいしゃあげうましんじ)
5月4・5日に開かれる多度大社の大祭でおこなわれ、氏子の各御厨(7地区)から神馬と騎手を出し、高さ約2mの土壁を駆け上がる神事です。
南北朝期から始まったとも伝えられ、神馬を献上していたものが、現在のような形に変わったと思われ、上がった馬の数でその年の豊凶を占っています。県指定文化財。
流鏑馬祭
11月23日、参道に設けられた馬場(コース)に3か所の的を設置し、騎手が順次射落として行きます。
白馬伝説説明
階段を上がって行きます。奉納された酒樽も見えます。
新宮社
神馬舎
手水舎
神馬舎
手水舎
坂を上がった所にある境内です。
儀式殿、正面に神楽殿が見えています。
神楽殿
筆塚
宝物殿
松尾芭蕉句碑
白馬舎
白馬舎
神域に入ります。
於葺門
本宮はさらに参道を登っていきます。
谷川の橋を渡って、左が天津彦根命を祀る本社で、右がその子である天目一箇神(あめのまひとつのかみ・製鉄の神)を祀る 一目連神社です。
一目連神社(天目一箇命)
本宮
神明社(天照大神)
「お伊勢さんとお多度さんは、親子の神様です」と記されています。
美御前社(市杵島姫命)
皇子社(天之忍穂耳命、天之菩卑能命、活津彦根命、熊野久須毘命、多紀理姫命、多岐津姫命)
本宮
神明社(天照大神)
「お伊勢さんとお多度さんは、親子の神様です」と記されています。
美御前社(市杵島姫命)
皇子社(天之忍穂耳命、天之菩卑能命、活津彦根命、熊野久須毘命、多紀理姫命、多岐津姫命)
御手洗池
お伊勢さんにある、五十鈴川のよう。
お伊勢さんにある、五十鈴川のよう。
続いて多度大社に隣接している「多度観音堂」と「多度稲荷社」へ。
右手にあるのが、多度稲荷社。
商売繁盛・五穀豊穣の神様が祀ってあるそうです。
黄色いのぼりには、「婚活守り」の文字が。
左手にあるのが、多度観音堂。
伊勢西国三十三霊場巡りの33番札所。
御本尊は十一面観世音菩薩、千手観世音菩薩。市の重要文化財だそうです。
763年に多度大社の東の地に満願禅師が道場を開き、丈六の仏像を礼拝、安置し修行をしていた。
ある夜、多度大神の神託を受け堂塔の建立を発願し、この地に堂を建立したのが始まり。
商売繁盛・五穀豊穣の神様が祀ってあるそうです。
黄色いのぼりには、「婚活守り」の文字が。
左手にあるのが、多度観音堂。
伊勢西国三十三霊場巡りの33番札所。
御本尊は十一面観世音菩薩、千手観世音菩薩。市の重要文化財だそうです。
763年に多度大社の東の地に満願禅師が道場を開き、丈六の仏像を礼拝、安置し修行をしていた。
ある夜、多度大神の神託を受け堂塔の建立を発願し、この地に堂を建立したのが始まり。
300年前の鐘
戦争時、鉄の供出を逃れた鐘。
1705年金沢の鋳物師の方が作ったもので、残されているのはとても珍しいそうです。
中は自由に入ってお詣りして良いのですが、サルが入ってくるので、戸締りをしておいてくださいとのことです。
駐車場近くのガレージに・・・。
旧・多度町(たどちょう・桑名郡)マンホール
町の花「アヤメ」、町の木「梅」に「うぐいす」、「多度山」が描かれています
町の花「アヤメ」、町の木「梅」に「うぐいす」、「多度山」が描かれています
写真は4月19日のものです。
説明文は公式サイト、Wikipediaを参考にしました。
説明文は公式サイト、Wikipediaを参考にしました。