【折々の花だより】

”季節の花だより”
花たちとの出会いを楽しんでます

春日大社

2016-11-27 | デジカメ紀行
奈良の世界遺産・春日大社

春日大社では年間に2200回以上の祭りが行われていますが、中でも至高最高の式典が「式年造替」です。
「式年造替」は「遷宮」のように神さまがお引越しされるのではなく、本殿の位置は変えずに建て替え、修復を行うもので、創建以来20年に一度行われてきました。

6日夜、春日大社で営まれた「正遷宮」は、暗闇に包まれる境内で、ご神体は、新しくなった本殿へゆっくりと戻されました。7日は「正遷宮」が無事終わったことを祝う神事「奉幣祭」が営まれました。

11月11日~13日、13時頃から本殿特別参拝が行われました。

一の鳥居



  

伏鹿手水所(ふせしかのてみずしょ)


大勢の方がすでに参拝の為並んでおられます。

若宮社の方へ進み・・・。


若宮社を右に見て・・・。

写真中央あたりに、八ツ房藤
若宮社本殿北側の竹柏(なぎ)に巻きつく藤で、屋根を覆うように花をつけます。八ツ藤とも言われる濃い紫の八重咲きの藤で、花の時期も通常の藤より1週間から10日ほど遅く、例年は5月初旬から半ば頃です。

若宮の大楠

幹周が約11.5mあって、奈良県下で1、2を争う巨樹です。江戸時代の半ばに大雪のため上部が折れたことが知られ、今のような樹形になったと考えられています。かなりの老木でもあり、千歳楠という別名もあるそうです。

若宮社の方から、御間道(おあいみち、御本社と若宮社の間の道)の方へ進みます。





御間道は、 850年以上も神官や崇敬者が往復した道で、本社と若宮の間を百度千度万度と往還する祈祷も盛んでした。
この道沿いには、古い石燈籠が立ち並びます。 康暦2年(1380年)の燈籠を始め室町時代から江戸初期の燈籠が多く、古くから信仰の道であったことを物語っています。

東側は、御蓋山の神聖な森で、道の中ほどに、御蓋山山頂の本宮神社の遥拝所のしるしとして小さな鳥居が立っています。 真昼にも濃い影が落ち、石燈籠と共に森厳な景観を形作っています。


灯籠の奥の森には、殆どが竹柏(なぎ)の木だけという純林が多く見られ、極めて稀であるとして大正12年に天然記念物に指定されました。
竹柏は暖かいところに自生する木ですから、春日大社にあるものは、古くに献木されたものが、 鹿も食べないところから繁茂して樹林を形成したのだと考えられています。
鎌倉時代には、すでに繁茂していたことが記録から類推され、実際樹齢が850年と考えられる木も確認されています。 春日社では古くから榊の代わりに神事に用いられた神聖な木でもあるそうです。

南門をはいり、回廊から本殿へと進みます。









「正面は撮らないでくださーい」と。







本殿背面から






春日大社を後にして近鉄奈良方面へ向かいます。

鹿のいる風景




交差点にも


説明は春日大社ホームページより。

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正倉院展

2016-11-23 | デジカメ紀行
正倉院
756年(天平勝宝8歳)6月21日、光明皇太后は夫である聖武太上天皇の七七忌に際して、天皇遺愛の品約650点、60種の薬物を東大寺の廬舎那仏(大仏)に奉献したのが始まり。光明皇太后はその後も3度にわたって自身や聖武天皇ゆかりの品を大仏に奉献し、これらの献納品は正倉院に納められました。
正倉院宝庫は、北倉(ほくそう)、中倉(ちゅうそう)、南倉(なんそう)に区分されます。
北倉は主に聖武天皇・光明皇后ゆかりの品が収められ、中倉には東大寺の儀式関係品、文書記録、造東大寺司関係品などが収められていました。
南倉宝物には、仏具類のほか、東大寺大仏開眼会(かいげんえ)に使用された物品なども納められています。

奈良国立博物館に於いて、第68回正倉院展がひらかれました。 
今年の正倉院展には、北倉(ほくそう)10件、中倉(ちゅうそう)29件、南倉(なんそう)22件、聖語蔵(しょうごぞう)3件の、合わせて64件の宝物が出陳されます。
そのうち初出陳は9件。

入場まで、並んでいるあいだにパチリ。

奈良国立博物館から北方面道路

鳥居は氷室神社です。

 
聖武天皇ゆかりの北倉からは、シルクロードの遺風を伝える名品として有名な漆胡瓶(しっこへい)が、正倉院展では18年ぶりに出陳されます。

聖武天皇一周忌斎会(さいえ)で懸吊された大幡(だいばん)灌頂幡(かんじょうばん)に関連する宝物がまとまって出陳されます。
大幡は総長13~15メートルに及ぶと考えられる巨大な幡で、多数の幡が法会(ほうえ)の場を華やかに飾ったと考えられ、今回は幡の本体、脚、脚先の飾り、芯に使われた裂(きれ)が出陳され、その全容が想像されます。


パンフレットより


早かったせいか、思ったよりゆっくり見ることができました。


八窓庵




奈良国立博物館を後にして、リニューアルした春日大社国宝殿へ向かうことにしました。

子鹿でしょうか、まだ背中に斑があります。


御旅所の横を通り


春日大社国宝殿
第60次式年造替記念事業のひとつとして、旧春日大社宝物殿を増改築し、名称を春日大社国宝殿と改めました。





王朝の美術工芸、日本を代表する甲冑や刀剣など国宝352点重要文化財971点をはじめ数多くの名宝を収蔵・展示する施設です。

導入部に、暗闇の中に光と水で聖地を表現した空間の、神垣(かみがき)という、新設された展示室があります。

鼉太鼓(だだいこ)ホールは現在春日若宮おん祭で用いられる日本最大級の鼉太鼓を主役としており、迫力ある鼉太鼓を間近で観賞できる展示空間です。(こちらのみ撮影可)





 


帰り道に。

「鹿飛び出し注意」



道路で座っていたり、分離帯の植え込みにいたり・・・。


説明はホームページ、ウィキペディアを参考にしました。

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ブルーインパルス

2016-11-11 | デジカメ紀行
航空自衛隊の存在を多くの人々に知ってもらうために、航空自衛隊の航空祭や国民的な大きな行事などで、華麗なアクロバット飛行(展示飛行)を披露する専門のチーム、それがブルーインパルスです。

6日、航空自衛隊奈良基地開設60周年記念のイベントとして、曲技飛行チーム「ブルーインパルス」の展示飛行を奈良市の平城宮跡上空で実施。(5日に予行)

平城宮跡では、「『みつきうまし祭り』~平城京天平祭秋~」を開催中で、会場のステージエリアでは展示飛行の解説、関連グッズ販売コーナーも設置されていたようです。

平城宮跡から、車で20分くらい離れた我が家から見えた「ブルーインパルス」飛行の様子です。



快晴の5日撮影。

昨日とうってかわって曇天の6日です。
平城宮跡へ向かう周辺道路は、大渋滞だったそうです。
















桜、ハートなどが描かれたそうです。

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海龍王寺

2016-11-08 | デジカメ紀行
海龍王寺(かいりゅうおうじ)
奈良県奈良市法華寺北町にある真言律宗の寺院。
本尊は十一面観音。光明皇后の皇后宮(藤原不比等の邸宅跡)の北東隅に建てられたことから隅寺(すみでら)の別称があります。

創建年8世紀前半
開基、伝・玄昉、光明皇后(発願) 伝承では天平3年(731年)、光明皇后の発願で建立され、僧・玄昉が初代住持。
が、正史に記載がなく、創建時期や事情について正確なところはわかっていないそうです。

10月27日訪ねてきました。



<山門>

奈良市指定文化財。
室町時代の建立。






<参道>

両側に築地塀があります。築地塀は室町時代に建立。



ここをくぐると

<手水>


<本堂>

奈良市指定文化財。
江戸時代、寛文6年(1666年)の再建。







<西金堂>


<五重小塔>


西金堂内に安置。相輪を含む総高4.01メートル
(相輪を除く高さは2.85メートル)の小塔。
工芸品ではなく「建造物」として国宝に指定され、
当初から屋内に安置されていたもの。
木箱入り法華経2巻と垂木木口金物2個が国宝の附(つけたり)として
指定されています。




<経蔵>

重要文化財。
寄棟造、本瓦葺きの小建物。鎌倉時代に、西大寺の中興の祖・叡尊
により造立されたと伝わっています。




<東金堂跡>

創建当初は西金堂に向かい合う形で建ち、内部に五重小塔が
建っていたようです。
明治初年に廃絶し現在は基壇が残っています。

<境内の様子>





















写経場もあります。


説明文は、ホームページより。


帰り道、平城宮跡に寄りました。





ギンモクセイ



大きなカマキリ発見。


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